第一話 月下に咲く花は、緋色に染まっていた
「た、頼む! 命だけは……、命だけは助けてくれ!」
豪奢な衣装を身に纏い、それに負けないくらいの立派なあごひげを生やしたふくよかな男は、腰に鞘や荷物を入れるための無骨なベルトを腰に巻いた、麻のシャツを着崩す少女に命を奪われかけている。
「そうか金か! 金ならいくらでもやるぞ。だから助けてくれ頼む!」
男は顔を引きつらせながらも懐から手持ちの金貨を数枚、少女へと差し出そうとするが、彼女の顔色は明るくならない。
「ひぃ! こ、こんなもんじゃないぞ! 助けれくれればもっとやる! だから……」
「そんなのいらない」
金額に不満があると察したであろう男はさらに懐から金貨を追加で数枚差し出すが、少女は夜の空に輝く青白い月よりも冷たく、そして真昼の太陽の日差しにも劣らない力強い眼差しで男の理性を貫きつつ彼の手を振り払う。
「な、なぜこの私が! 水神の国でも有数の貴族であるこの私が! なぜこんな目に遭わなければならないのだ!」
「……貴族だからじゃない?」
男は自身のおかれた境遇を呪い、恐らく自分の年齢の半分のさらに半分ほどしかないであろう少女に対して情けない声で同情を誘うが、それでも少女は眉一つ動かさない。
「わー待て! 落ち着け話せば解る。さては私の事を逆恨みした輩に金で雇われたのであろう? そいつの五倍! いや十倍出す! だから見逃してくれないか? この通りだ!」
そう言いながら男は服にシミが出来る程の大量の汗をかきつつ、後ろへと下がると同時に男の背後にあった金属製のいかにも貴重品が入っていそうな美しい意匠の箱の蓋を、震える手で慌てながら開ける。
周りは夜にも関わらず、まるで自ら光を放っているかの如く、箱の中から眩い輝きが溢れ出す。
数え切れない程の金貨、銀貨、貴重な宝石、貴金属……。
この稼業をやって大分経つが、ここまでの質と量を目の当たりにしたのは初めてだ。
「遠縁とはいえ、流石は水神の国の王族って事だね」
受けた依頼は十万ゴールドを前金として予め受け取り、成功報酬としてさらに十万ゴールド追加で支払われる予定だ。
細かくは計算していないけれども、少し見ただけでも男の発言が嘘では無い事が解る。
むしろ、この男の方に付いたほうが……。
「どうする?」
「どうするって。やらなきゃ任務失敗だよ?」
打算的な私の考えを察してか、はたまた強い信念とか責任感とか一ゴールドにもならないモノを信じているのか。
少女は表情を凍てつかせたまま、首を横に二度ほど振った後に私へ冷たく返答した。
「だって、残念だったわね」
その言葉を聞いた瞬間、僅かな望みを信じていた男の微かに明るかった表情は、夜だと言うのに青白さが解る程に曇っていく。
「一つ聞きたいの。白いドレスを着た、ロングヘアーで背中に二対の翼を背負った女性に心当たりはある?」
男のそんな表情を無視し、少女は冷酷な眼差しのまま男へ一つだけ問いかけをする。
「な、なんだそれは? そんな者し、知らん!」
「そう……」
満足な答えが得られないと察した少女は少し残念そうな表情をしつつ、残酷な現実を男に下す。
彼女の持っていた剣に月明かりがきらりと反射した瞬間、男は悲鳴をあげる間も無く周りの床と壁と少女を真っ赤に染めた。
この少女とペアを組んでからずっと気になっていた事。
標的となった人らを片付ける直前に、その女性について訪ねるのだ。
白いドレスを着ていて、ロングヘアーで背中に翼があるなんて、天使か女神か仮装した旅芸人か?
まさかそんな作り話でしか出てこない存在を探しているの?
そうじゃなくても、その女性を探す事にどんな意味があるのだろうか。
「……ちょっとくらい貰ってもばれないよね? うふふ~♪」
そんな僅かな利益にもならない考察より、今私がやらなければいけない事。
それは主が不在となったこの箱の中身を拝借する事だ。
思わぬ収穫に、大きなカバンを持ってくれば良かったと後悔しつつ、より高価な宝石を可能な限り服の中へと入れていく。
高価な遺品は持ち主の念が強く憑いていて縁起が良くないとか、無くなった宝石を売る時に足がついてこの出来事の真相が解ってしまうとかであまり持ち出すのはよろしくないけれども。
そんなリスクよりも、リターンの方が圧倒的に大きいと即座に察した私は、何の迷いも無く宝石をもてる限り持ち出そうとする。
「あ、アロマちゃんー! こんなところに置いてきぼりにしないでー!」
しかし少女は箱の中には一切興味を示さず、また真っ赤に汚れた事を気にする素振りも見せず、目的を達成したら直にその場から去ってしまう。
普通の女の子だったら、こういう綺麗なアクセサリーには目がない筈なのに、あの子はまるで興味が無い。
普段から飾り気は無いし、マスターは本当にこの稼業で生きていく事しか教えていないのだろうか?
まあ、仕事は完璧に成功させているし、後は個人の勝手なんだけどもね。
私も少女の後を追い、主亡き館を出て行った。
「ねえアロマちゃん。この世界に入ってから随分経つよね」
「うん」
帰り道、人の気配が無い事を察した私は虫の鳴く音と風によって微かに揺れる草の音を背景に、他愛も無い会話を始める。
「最初は驚いたのよ。あの無愛想なマスターが、こんな可愛い女の子を連れてきたんだから」
私達は、普段貧民街にある酒場の従業員として働いている。
しかしそれは表向きの顔。本当は金さえ払えばどんな事だってする、水神の国非公式労働組合。通称裏ギルドを運営している。
子供が居てはいけないなんて決まりは無いけれど、子供がやっていける程甘い世界ではない。
それなのに裏ギルドの責任者と酒場の店長を兼任している私達のマスターは、普通の人なら目を背けたくなる程の血生臭い業界にこんな少女を取り入れたのである。
黙っていればお花畑で花摘みして、それで花輪を作って頭や腕につけて遊ぶ。そんな可憐な事が似合う少女なのに。
そんな彼女は今、花ではなく剣を手にとり人を命を摘んでいるのだから。
「辛くないの? 人殺しなんて、大人でも嫌になって辞める人が大半なのに」
裏ギルドの仕事もいろいろあるけれど、その中でも最も辛いのがこの人の命を奪う事だと思っている。
私はそのサポートとして解錠や潜入を生業としているから、直接手を下した事は数える程しかないけれども。
今まで私と組んできた暗殺者には非情になりきれないのか、殺しをする瞬間で躊躇したり、殺し終えた後とても辛そうにする者も居た。
けれど今、私が組んでいるこの少女は表情を一切変えず、淡々と仕事をこなしている。
「私にはやらなければいけない事があるから」
過去にも同じ様な質問をした事があった。
でもその時も、今と同じ答えが返ってきたのを覚えている。
こんな幼い子が自らの手を汚さなければならない程に、成さなければならない事とはなんだろう?
そしてここまでの決意と強い信念はどこからくるのだろう?
「あなたの事を知りたい、興味深い。……なんて考えるのは不埒かしら?」
私は敢えて意地が悪い笑みを見せながら彼女に話をするが、彼女の赤く汚れた表情が変わる事は無かった。
「エルシアとアロマ、ただいま戻りました」
酒場へと到着した私は、ぼろぼろになったドアを勢いよく開けようとするが、過去にそうやって壊した事を思い出した為、ゆっくりと開けて中へ入っていく。
「アロマちゃーん! おじさん凄く心配したんだよ? 痛いことは無かったかい? んー?」
私達が帰ると同時に、色黒で絶食中の修行僧かと思うほどにやせ細り、頬がこけている男が怪しげな笑みを見せながらアロマちゃんのもとへと駆け寄ると、猫撫で声で話しかけながら如何わしい手つきで少女の体を舐めるように触りだす。
「ほんとアロマちゃんは冗談が通じないんだから」
男の手が、アロマちゃんの胸へと侵食しようとしかけた時、アロマちゃんは無表情のまま腰に下げてあった剣に手をかける。
そんな彼女の行動と殺気に気がついたのか、ヘラヘラとしながら手を引き少女との距離を開けた。
「仕事は成功したのか?」
男とアロマちゃんのやり取りを全く気にしない様子のまま、カウンターの奥でグラスを磨いていた、シャツがはち切れそうな程の筋肉をつけたスキンヘッドで人相の悪い、この店の主であり従業員からはマスターと呼ばれている男が話しかける。
アロマはマスターに対し、軽く頭を一つだけ縦に振って答えた。
「部屋に戻ってる。おやすみなさいマスター」
「ああ、しっかり休め」
任務の成功を、最も簡素な方法で伝えたアロマは、酒場の奥にある従業員が宿泊している部屋へと通じる階段を上っていき、この場から姿を消してしまった。
「アロマちゃんって、今年で十三歳ですかね? マスター」
「そうだな」
先程までアロマちゃんにいやらしい事を試みようとしていた男は、アロマちゃんが完全に居なくなった事を悟ると、大げさに椅子に座りながらマスターへとわざとらしく年齢を訪ねた。
それに対し、マスターはグラスを磨く手を止めず淡々と返答をする。
「何か言いたそうな顔をしているが、何だ?」
「いや、世間一般の十三歳は同年代の子らと仲良く学校へ行って、お洒落をしたり恋をしたり、ほら所謂花も恥らうって奴だと思うんですよ」
マスターは、”今更そんなくだらない事を何故聞いているんだ”と言いたげそうな顔をしながら、男に質問を返すと、男は笑顔のまま手振りをつけながら語り始める。
「少しはアロマちゃんに、女の子である事を教えるべきじゃないんですかね?」
私がずっと気になっていた事を、男は多少茶化しながらマスターへと問いかける。
アロマちゃんは孤児になっている所、マスターに拾われたというのは聞いた事があった。
こんなご時勢、平和になったとはいえ親が居なくなって子供だけってのはそう大して珍しくはないのだけれども……。
「それは私も思ってた。どうもアロマちゃんって子供っぽくないのよね~」
正直、マスターが子供を育てられるのかと疑問と不安を抱いていた。
あんな見た目だし、若い頃は傭兵としてあちこちの戦場を駆けていたらしいという事以外、過去の経歴は一切解らずだし。
まさかベビーシッターの仕事でもやっていた?
そんなわけないよね。
「この世界で生きていくのに不要なモノだな」
「……そう言うと思ってたよマスター」
マスターは子供を拾って育てる事には成功した。私もそれは認めている。
でも、いくら仕事をこなしているからとは言え、温かい家庭の中にいる女の子としてではなく、自身の手を汚す事も厭わない冷酷な暗殺者として育ててしまったのは、正直ちょっとどうかなと思っている。
そんな考え、マスターならとっくにお見通しなんだろうけれども。
「それだけか?」
「それだけですよ。へいへい」
今まで笑顔だった男は大きくため息をつくと諦め顔で手を振りながら、マスターに対して適当な返事をした。