緑のお爺さん
あれは就職活動をしている期間中のある日、ある人に遭った。
完全に新卒の就職を諦めた頃、同じ人に遭った。
「あれ、これって使えなくない?」と思った。しかも、明らかに、人より情熱と執念に欠けていたとはいえ、それなりにはやってみた。それなりに分量がある。「長編に出来ちゃうんじゃない?」と思った。
就職活動それ自体を、である。大学を卒業してずっと後のことだが。
純粋なノンフィクションにするつもりは元からないのだから、ぼくのやった就活の一から十まで、なにからなにまで全てを文字におこさなくても、結構な枚数にはなるだろう。もちろん創作だって織り交ぜるつもりだし。
ノンフィクション部分は、面白かったり、変だったり、印象的だったことの抜粋みたいなものにするとしよう。
社名の扱いはどうしようか?
受けてみた会社は有名どころから、そうでないとこまであるが、実在する社名を出してしまってもいいんだろうか? それとも、仮名にしておくべきなのか? でなければ、ふせるべきなんだろうか?
結局、具体的には出さないことにした。ただし、それと特定できてしまうような情報はシラっと書いちゃう。
たとえばこんな感じだ。某大手出版社の筆記試験をパスし、本社での面接を受けにやって来た場面では、実際、本人がそう思ったように、主人公にこう言わせている。
「ここか。昔、ビート(きよしを知らない人もいると思うが、もちろん、有名な方)さんが弟子たちを引き連れて討ち入りをしたってのは」
こういうことって書いちゃって大丈夫だろうか?
・・・やっちまえ・・・。
大小、有名無名に関わらず。その方がおもしろいんじゃないかと、少なくとも、ぼくは思うから。
物語は主人公がある人物に出会うことから始まる。買い物の帰りに。駅の近くで。その人は見ず知らず老人で緑色のジャージを着ていた。
「あの、すみません」
と話しかけられたから、
「はい。なんでしょうか?」
とこたえると、
「お金を貸していただけないでしょうか?」
「どうかしたんですか?」
「実は娘のところに久しぶり孫に会いにやってきたんですが、帰りの電車賃の持ち合わせがなくて・・・」
「それなら娘のところに戻ってもらってくればいいじゃん」とも思ったが、
「いくら必要なんですか?」
と訊いてみると、
「三百円なんですが」
いくら貧乏学生でもそのくらいの持ち合わせはある。
「・・・ああ、いいですよ」
百円玉を三枚渡してみた。
このくらいなら返ってこなくてもいいし、実際渡されたらどんな反応をするか見てみたかった。
あくまでもこの人は「貸してくれ」と言っている。どうやって返すつもりでいることにしているんだろうか? それとも、金さえもらったらあとは即とんずらするつもりか? その年でぼくより足が速いつもりなのか? そんなに脚力に自信があるのか? でなければ、ぼくの両手に持っている買い物袋がいかにも重そうで、それを持ったまま追いかけられてこられるなら追いつかれない、大丈夫とふんでいるのか? じゃなければ、三百円なら両手の荷物を放り出してまで追いかけるには値しないとでも思っているのか?
(さて、どうくる?)
「ありがとうございます。本当にありがとうございます。本当にかたじけのうございます」
(で?)
爺さんはここでメモ帳と鉛筆を取り出した。
「お誕生日はいつですか?」
(・・・はい?
なぜ、そうくる?
そんなこと訊いてなんになる?)
「・・・四月一日ですが」
爺さんはメモをとりながら言った。
「すばらしい。おみそれ致しました。あの球界を代表する大投手、かつて大巨人軍が大エースであらせられた、桑田真澄選手とまったく同じ日ではありませんか。
失礼ですが、現在おいくつでいらっしゃいますか?」
(ペーか。この爺さん。ちっともピンクじゃないけど。むしろ、緑。緑のおばさんならぬ、緑のお爺さん?
それに年訊いてなんになる?)
「今、二十一歳です」
「ああ、それではもしかしたら学生さんでいらっしゃる?」
「はあ」
「失礼ですが大学はどちらですか?」
(へ?
ますます関係ないじゃん。
そんなこと訊いてなんになる?)
「○○大学ですけど」
「○○大学ですか。それはすばらしい」
大学名を書きこんでるみたいだ。
(どの辺がすばらしいんだよ。ただの三流大じゃん。っていうか知ってんのかよ。そんな名前の大学が実在すること自体)
「では今頃は就職活動で忙しくしてらっしゃる?」
「・・・まあ、ぼちぼちと・・・」
「大変ですね。この不景気に」
「はあ」
「では、お名前とご住所、電話番号などお聞かせ願えませんか?」
(もしかして、これってなにかの勧誘とか? やばい組織とかバックにいないよな。俺を食いものにするんじゃないよね? 三百円払ってそれじゃ、ちっともワリに合わないんだけど。せめて某巨人軍の親会社の新聞の勧誘止まりにして欲しいんだけど)
「ご安心して下さい。個人情報につきましては厳格に取り扱いさせていただきますので。お金は現金書留にてご返却させていただきたいと考えさせていただいておりますので」
(三百円返すのに書留? あり得ないっしょ。
でも、まあ、そう言うのなら・・・)
多少怖いところはあったがこたえてみた。
「名前は○○○○と言います。住所は○○市○○町××の××の××。電話番号は・・・、必要なんですか?」
「出来れば。ぜひ。いざという時のためにも」
(「いざという時」って、一体いつのこと?
三百円だよ。三百円。三百円返すのにそんな非常事態が起こる余地があるもんかね?
まあいい。
乗りかかった船だ)
「電話番号は××―××××―××××です」
「××―××××―××××ですね」
スラスラっと書き留めている。
「ありがとうございます。このご恩は一生忘れませんので」
「はあ」
(そんなオーバーな)
緑の爺さんはそう言って駅とは明後日の方向に去っていった。
「・・・変なの・・・・・・」
自室に帰って、資料請求の葉書を書きながらも、あの老人のことが頭から離れなかった。
「なんだったんだろ。あれ・・・」
と、頭の片隅で考えてるうちに、一つの仮説に辿り着いた。
あの老人はどこかの企業のさるお偉いお方で、自分の会社に相応しい、親切で感心な若者を、御自らああして密かにスカウティングしていらっしゃるのだ、と。
「・・・ないない。絶対そんなのあり得ないだろ」
実際、そうではなかったわけだが。
それがはっきりしたのが、ちょうど新卒での就職を諦めた頃だった。もともと期待もしてなかったんだけど。
その日は朝まで飲んでいて、ふらふらと自室の最寄り駅の改札を抜けたところで、あの爺さんを目にした。緑のお爺さん。老人はその日も緑のジャージを着て、道行く人に声をかけていた。
「・・・帰りの電車賃が・・・」
「・・・やっぱ、そういうことか・・・」
で、チャンチャンと。
なんてタイトルをつけたんだっけ? 全然覚えていない。
この七割がたノンフィクションの小説は、結局、原稿用紙で百五十枚ほどの話になった。
さて、これはどこに売り込んだらいいものか。
文学なんて御大層なもんじゃないな。かといって、ライトノベルって物語でもない。
枚数的に条件を満たしているところを探して投稿した。
結果は・・・。残念。駄目だった。
内容はそれなりだとは思うんだけどな。でも、ありがちなのかな。就活の話なんて。自分個人として特殊な経験ではあるけど、ほとんど誰もが経験するものだもんな。ぼくよりも就活を頑張った人や、数をこなした人なんていくらでもいる、というより圧倒的に多数だろうし。ぼくと同じことを考える人がいて、ぼくのよりもよっぽど面白い経験をしていて、それを下敷きにもっと上手に物語をモノにしている人がいてもちっとも不思議じゃないし。ちょうど、女性作家で妊娠・出産という自分にとっては特別かもしれない、実はほとんど誰もが経験する平凡な話をいかにも特殊な話でございみたく作品にしているのは本屋とかでよく目にするもんな。審査する側からすれば、そういうふうにしか映らないのかな? それとも、有名どころの大企業は名前を伏せているってだけで、実際はどこだかバレバレにしたのがいけなかったのかな? 誹謗とか中傷とかをしているつもりはちっともないんだけど。
でも、とりあえず、ぼくには長編小説が書くことも不可能でないことがわかった。この話はこの話でなにかに応用は出来るだろう。ってゆうか、そうしないともったいないよな。結構な時間をかけて、それなりの分量をしたためたわけだし。
次、行ってみよう(長介調)。




