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悲鳴  作者: 荒馬宗海
2/7

スーパー・ジャイアント

今度はちゃんとした小説をモノにしてみようと思った。四百字詰めで五十枚くらいの。

で、考えてみた。

プロレス。

これだ。これにしよう。

テーマは、そもそもプロレスがどの程度ガチの格闘技かということから始まる。

ロープに振られたら返ってこなければいけないし、場外カウントは二十秒ではなくて二十カウント(どんなに間延びしてもいい)だし、コーナーポストのテッペンに上るのは、基本待ってなきゃならないし。ルールもけっこういいかげんな気がする。カウント内なら反則もOKって、これって実は相当ユルいんじゃないの? 極端な話、某ジェット・シンみたく、サーベルの柄で対戦相手をガンガン乱打して脳天ザックリかち割って流血させたりするより、口にくわえてしならせて見せてるだけのそっちの先の方でサクとそのまま刺しちまえば、即、ウィナーなんじゃないの? 反則カウントの「ワン、ツー、スリー、フォー」の「ワン」もいらないよ。それだったら。

それ以前に、相当いい年した大の大人が赤だか黒だかの海パン(ショート・タイツと言うべきなのかあれは)一丁で大観衆の視線に曝されるのって結構恥ずかしくないのか? 全盛期の体ならともかく。そもそも、プロフェッショナルのアスリートが、あの年までバリバリの現役ってありえなくない? あのお方みたいに。

というわけで、主役、あるいは主役格のキャラクターであのお方は欠かせない。あのお方、ジャイアント馬場をモデルにした登場人物を作ってみることにした。仮にこれをジャイアントとしよう。

プロレスは子供の頃から好きで、そこそこ見ていたが、あの方の全盛期のファイトをそういえばちゃんと見ていないことに気がついた。僕の知っているジャイアント馬場といえば、「動け馬場」の横断幕の前で闘っている姿ばっかりだった。レンタルビデオであの方の名勝負というやつを借りられるだけ借りて研究してみることにした。そしたら・・・、あの方、昔はちゃんと(それなりのスピードで)動いていた。そりゃ、あのサイズでそれなりに動ければ、普通にかなり強いわな。

 ジャイアント馬場は言うまでもないがプロレス界の巨星である。全盛期の彼はおそらくガチの異種格闘技であっても確実に強かっただろう。ジャイアント(仮名)にも当然この点は反映させる。けっこうな年をとっているにも関わらず、現役であり続け、なおかつ勝ち続けていること等の要素とともに。いくつもの逸話と伝説とともに。物語ではこれらのファクターをさらに誇張する。

強すぎるが故に、物語における世界では、今日のプロレスのスタイルを確立してしまったことにする。

あまりにも強いが故に、デビュー当時の彼の試合はことごとく秒殺で決着し、盛り上がりには欠けた。しかし、ある日、ジャイアントは気づく。こちらが一方的に攻めてあっさり終わらせてしまうより、相手にも攻めさせて、充分に、いやそれ以上にその実力を、その技量のありったけを披露させて、これをあえて受ける、魅せるファイトをした方が遥かに観客が喜ぶことを。そして、自分自身は手加減をして、対戦相手にはその試合に勝つ程度のダメージを与えるにとどめ、連日の興行には差し支えがないように心を砕く。

民衆は彼のファイトに熱狂する。人々が力道山に熱狂したように。いや、あんなもの比べようがないほどに。それだけでプロレスが宗教となってしまうほどに。最終的には、従来のあらゆる宗教を圧倒的に凌駕してしまうほどに。

そういう時代背景とか世界とかも考えてみる。

 ジャイアントには力道山であるとともに双葉山でもあってもらう。当然だが、彼は無敗のまま勝ち続ける。向かうところ敵なし、連戦連勝のその姿は、彼の国の侵略戦争の緒戦における、軍隊の破竹の快進撃に重なる。当然、人々は熱狂する。戦争は結局敗戦に終わるのだが、ジャイアントは勝ち続ける。戦後の彼の姿は敗戦に打ちひしがれた人々にとっては希望となる。そこにある“意思”が加わってしまうのだが。

彼の戦いに対するモチベーションは、必ずしも、自分の最強を証明するためのものではない。本物はどうだったか知らないが、ジャイアント自身は、むしろ戦いを嫌っている。人と争うことは好まない。彼は穏やかなすばらしい人格者なのだ。

それがどうして、プロレスラーとなり、今なお現役を続けているのか?

 プロレスラーになったのは、そうするより選択の余地が他になかったから。突出した巨体と圧倒的な身体能力。貧しい家計を助けるために、スカウトに応じたのだ。今なお現役を続けているのは、人々に喜んでもらいたいから。それとある一部の人間の“意志”による。

 ジャイアントの闘いはただそれだけで、彼を神と崇めさせずにはいられないほどの力をもっていたのだが、彼を本物の神のごとく国民―人民のだれもが敬わずにいられなくなったのは、実は戦後のことであり、彼のレスラーとしてのピークを過ぎた頃からだった。

 先の大戦後、戦勝国の間では、国民に絶大の人気と影響力をもつジャイアントの扱いについても議論はされた。結局は、戦後復興の精神的主柱になりうる存在として、彼の活動自体は戦前、戦中と同様、特別に制限等を加えられることはなかった。が、彼の所属する団体には改革が加えられた。そこに敗戦後にある“意思”が生まれる余地が生じた。“意思”を構成するごく限られた一部の者はジャイアントの名声を利用しようとする。“意思”は彼を“北の将軍様”みたく祭り上げる。ただし、実権はまったく伴わない形式だけの。祭りの神輿として。ただのお飾りとして。それがあらゆる権力、マスコミ等を動員されて行われたのだ。

 人民は、ジャイアントのあまりにももったいない、神々しい御姿に、一挙手一投足に、感動し、感涙に咽び、熱狂する。

 こうして、ジャイアントはこの国の神となる。信仰と崇拝の唯一絶対の存在となった。

 「全ては人民のために」そう説得されジャイアントは彼らの言葉に従った。「ぼくが少しでもみんなに勇気と希望を与えられるのなら」と。ジャイアントはあまりにも巨大で強いだけではなく、底抜けに心の優しい謙虚な善人でもあるのだ。彼は自分の身近にそんな邪な“意思”が存在していようとは夢にも思いはしない。

 もちろん、人民にはいくら神と崇められようと、彼もまたあくまでも人である。年もとれば、衰えもする。彼自身が確立したプロレスのスタイル故に、ジャイアントのダメージの蓄積も甚大だ。だが、基本としてずば抜けて強いが故に、少々、いや相当全盛期に比べれば力が落ちても、ジャイアントはリングに上がり続け、勝ち続け、人民はひたすら、血沸き、肉踊り、心酔する。

 しかし、それでも、沈まぬ太陽はない。どれほど最新の医療の数々を投じようと、テレビやラジオがその偉大さをたたえようと。徐々にリングから遠ざかって、というよりも遠ざけなければならなくなるのだが、もはやこの国の構造が、“意思”による人民の狂信が、それを許さない。

そう考えてみると、この物語の主人公はジャイアントではない。

彼の対戦相手であるべきだ。

 では、誰ならいいのだろうか?

最初、対戦相手は普通に考えれば、プロレス界の誇るもう一人の巨頭である、しゃくれの「ダーッ」のお方をモデルにした登場人物にするべきと考えたが、「ああ、これは二作目だ」と思った。仮にこのキャラクターをアントニオとするが、この物語で必要なのは、彼ではない。

 それなら、どんな人物なら対戦相手としてふさわしいのか?

 この物語で描かれるべきは、その世界における世紀のビッグマッチでなければならない。そうなると、ジャイアントの対戦相手は最強でなければならない。そういう意味では、アントニオ以上の人物はいないのだが、それにも増して本編の主人公に要求されるのは、誰よりも強いジャイアントへの愛であるべきだ。

 こうなると、自ずと主人公のモデルは決まってくる。あのお方の一番弟子にして、将来を嘱望されていた、次期エース。その人とはジャンボ鶴田。彼をモデルにしたキャラクターの名を仮にジャンボとしょう。

 物語は世紀の大一番を前にしたジャンボの控え室から始まる。彼は事ここに至っても苦悩している。何度も何度も自身に問いかけ続けている。

「本当に勝ってしまってもいいんだろうか?」と。

ジャンボ四十九歳(仮)。

ジャイアント七十七歳(仮)。

どちらにしても相当な大ベテランという設定にする。

 ガチで闘ったら、秒殺できるほどに、実力では既にジャンボはジャイアントを越えてしまっている。実は、十年前に、そのことには気付いていた。気付いていたが、十年前の対戦では勝つことが出来なかったのだ。

 ジャイアントに勝利するとはどういう意味をもつのか?

 全人民の神にして、無敗の絶対王者に、唯一にして初の黒星をつけることを意味するのだ。それはそのまま、ジャイアントの代わりにプロレス界の頂点に君臨しなければならないことを意味する。ジャンボは一番弟子であるが故に知っているのだ。一般の人民以上に。ジャイアントがいかに稀な人格者であり、とてつもないカリスマであることを。ジャンボは思い悩まずにはいられない。「俺なんかが、あんなにも偉大なお方の後継者となる資格などはたしてあるのだろうか? 勝ってしまってよいのだろうか」と。

 また、そのような年齢でプロレスをすることは、実は、ジャイアントの確立したプロレスというもののスタイルを破壊することに直結しかねない。なにしろ、いくら超人だったとはいえ、今では相当なお爺さんなのだから。人民はジャイアントだけは、別格の存在であり、超人どころか、神と崇め奉っているのだが、最も身近な人間(衰えが顕著になってきだした頃からは、“意思”の権力により隔離されてしまっているのだが)としては、必ずしも現実でないことを知ってしまっている。ちょっとでも力加減を間違えた日には、この国の神を殺しかねないリスクを負うプロレスを展開しなければならないのだ。

 これに対するジャイアントの試合前の控え室。ジャイアントは当然ジャンボ以上に年をとってはいるし、全盛期と呼べる時期は遥か昔、体力的にも精神的にも衰えてはいるし、長いキャリアで全身に蓄積されたダメージは、甚大なんてものじゃない。特に頭部へのものは深刻だ。寄る年波による痴呆と薬物の投入により、ほとんどボケている。たまに正気に戻ったりするのだが。

 そして、運命のゴングが鳴らされる。

 二人のカリスマ(ロートル)レスラーの激突。

 試合中、それなりのプロレスを披露しながらも、ジャンボは自らに問い続けなければいられない。

「本当の本当に勝ってしまっていいのだろうか?」と。

 そして、決着の末もう一人の“巨人”を登場させる。


 第一部の下敷きとしてはこんなところか。


ただ、これを書き上げたところでどこに応募したらいいのかわからい。中途半端な長さのプロレス(ブラック)コメディーって・・・・・・。


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