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悲鳴  作者: 荒馬宗海
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不幸の星の下に

 シオドア・スタージョンは『時間のかかる彫刻』の中で一つの格言を紹介している。

曰く、

「尋ね方が正しいなら、答えはもう出ている」

 ぼくが尋ねたいことは要は一つしかないのだろう。

だけど、これまで正しく尋ねられたことなどないだろうし、どう尋ねたらいいのか未だにまったくわかってはいないのだろう。

 だから・・・・・・。

だから、なにも見えてはいないし、なにも聞えてはいない。

見えないものを見、聞こえないものを聞こうとしているのだろうか?


 ぼくが知りたいのは・・・・・・。


 ぼくはなぜ生きているのだろう?


 ぼくは出来るだけ人と関わらないで済む仕事に就きたいと思った。中学まではそうでもなかったが、高校で人間不信になり、引きこもりになった。大学でやや持ち直したが、やはり、人と接するのは苦手なまままだ。得意になることはないだろう。きっと。


 ぼくはすすんで笑い者(道化)になった。

そうすることで人と仲良くなろうとした。


どこかで聞いたような話だが。


それがぼくの昔の人間関係の築き方だった。

中学まではそれでなんとかなっていた。だけど、高校では違った。友達になろうとした人たちは、そんなぼくをただ見下しただけだった。ぼくの心は集団で踏み躙られた。彼らには、もしかしたら、ぼくをいじめているという自覚すらなかったのかもしない。だけど、ぼくには、どうしようもなく嫌だった。不愉快でたまらなかった。


引きこもりになった。


精神的には完璧に。だけど、そこに、それなりにだが、線を引いた。そこから外、行動にまでは反映させないよう、に、なるべく頑張った。

だから、学校へはそれなりに通った。表面上は何事もなかったかのように。行きたくなんかあるはずがない。だけど、行動まで完全に引きこもりになってしまったら、それはいじめに屈することだと思い込んでいた。いじめに負けたこと、いじめられているのを認めたくなかったし、家族にも心配をかけたくなかったから、相当に無理をした。学校をそれなりには休まないことで、彼らは、ぼくになら何をしてもいいとでも思ったのか、いじめはエスカレートする一方だった。今思えば、あんなに無理する必要なんてなかったのに。いじめになんか勝つも負けるもない。頑張る価値も、まともに相手にする価値もありはしなかったのに。逃げちゃえばよかったのに。

頑張り屋さんだったね、彼は。無駄に。けど・・・。

ぼくは何度も何度も自殺を考えた。


あの時、本当は死ぬべきだったかもしれない。それがぼくの命のもっとも有効な使い道だったかもしれない。そうすれば、もしかしたら、社会に一石を投じることが出来たかもしれないのに。老衰の末の孤独死なんかと違って、特定の人間に対する当てつけくらいにはなったのかもしれないのに。連中のやってることがどれだけ人を傷つけているか、何分の一か、何十分の一か、何百分の一かくらいは思い知らしめることが出来たのかもしれないのに。


・・・多分、そうだったんだと思う。


高校は地方の私立のどうしようもない三流高だった。毎年夏休みが終わる度に、何人が警察にパクられたとか、そういうレベルの普通科の。ぼくが在籍していたのはそこの特別進学科。特待生だった。普通科がそういうレベルの高校だから、特進のレベルも推して知るべしというところだ。入学金と授業料は免除されていた。三年間同じ面子とずっとたったひとつの同じクラスの特別進学科。生き地獄だった。結局、卒業までそれなりに出席はしたので、特権が剥奪されるもなかったが、勉強どころじゃなかった。大学受験になんかまともに集中出来るわけがなかった。絶えず憤ってなければいられなかった。「なんでこんな目に遭い続けなければならないんだ」と。そんなのがいつも頭の中をずっと駆け巡っていた。

なにもかもを憎悪していた。いじめている奴らも、いじめられている奴も。悔しくて悔しくてしょうがなかった。嫌で嫌でしょうがなかった。屈辱だった。辛かった。苦しかった。惨めだった。

生きてなんていたくなかった。


それなのに、死ななかった。

それどころか、生き延びた。


結局、大学はどうにか引っかかった名もない三流大に進んだ。卒業見込みの段階で就職活動はしてみたかったが、超氷河期の売り手市場にこんな考えの引きこもりの抜けかけが内定を貰えるはずもなかった。

引きこもりを引きずっている人間には正社員の仕事よりもアルバイトの仕事の方が、人と関わるという部分でハードルが低かったこともあり、卒業後はアルバイトを転々とした。転々としたのは、やれそうだと応募したアルバイトの仕事ですら自分には無理だったことも珍しくなかったからだ。転々とするうちに人と関わる、社会と関わることは多少なりとも慣れてはいったが、年を重ねるごとに、それ以上のスピードで、社会がぼくを必要としなくなっていった。企業が求める人材ではなくなっていった。年も職歴も。そんなわけだから、「そろそろちゃんとしたちゃんとした就職を」と考えるようになった頃には、ほとんど仕事を選べる状況ではなくなっていた。それでも、正社員や契約社員になったりしたことはあったが、未だに引きこもりが抜けきっていないのか、まともな待遇の仕事には、どういうわけだか「じっくり腰をおちつけて」という感じにはなれないことが多かった。そんなことをしているうちに今の職場に流れついた。今の仕事をしょうがないから続けるしかなくなっていた。


そして、まだ生きてる。


もしかしたら、それでもこれから先も生き続けてもいいとでも思える理由がみつかるかもしれないから、何かしらの職業に就くことを考えているんだろうか? もしかしたら、ついでに、これまでおめおめと生き延びてきた理由でも、今さらながら、見つけたいんだろうか?


くたばった方がはやいとは思えなくもない。

むしろ、そうあるべきだろうが。


 とりあえず、太宰治に対する憧れみたいなものはない。個人的には好きでも嫌いでもない。心中する相手に事欠かないもてっぷりは、多少、羨ましくはあるが。

 代表作といわれるものを幾つか読んでみたが、「ふーん」という感想しかない。夏休みの宿題で読書感想文を書けというのでもなければ、それ以上でも以下でない。

ついでに言えば、芥川龍之介も、ぼくにとっては、同じような感じだ。

純文学系の作家ならこの二人よりも、ドストエフスキーやカミュ、三島由紀夫の方が好みだったりはするのだが。

そういえば、『コージ苑』(相原コージ)の「生まれてすみません」(「生きてて」だったかも)って、太宰だっけ? 芥川だっけ?


 まずはペンネームを考えることにした。本名で作品を発表するなんてとてもじゃないが出来はしない。思いついた候補は三つ。古橋健二と真坂時次郎、それから、荒馬宗貝。最初のは、ぼくが一番好きな作家、井上ひさしの代表作『吉里吉里人』に登場する主人公の作家の名前。二番目のは、やはり同氏の著作で、ぼくが初めて自発的に読んでみて「おもしろい」と思った、読書が趣味となるきっかけとなった作品『偽原始人』にでてくる主役格の三人の少年たちの共同名義の銀行口座の氏名。で、三番目のは、年の離れた兄がとっていた小学校五年か六年の時の学研の『科学』だか『学習』だかに連載されていた漫画(確か推理もの)の主人公の名前だ。結局は、荒馬宗貝にしたのだが、ちょっとひねることにした。馬と貝、生物を二つ並べるのではなく、馬と海、生物を二つではなく、生物と自然とを並べることにした。南方熊楠みたいに。なんとなく。バランス的に。その方が良さげな気がしたので。


 大事なのはペンネームではない。なにを書くかだ。作品がなければお話にもならない。ない知恵を絞って考えてみる。予想はしていたが、なかなかに難しい。そんなに簡単にはいかないと思ってはいたけれど。

とりあえず、自分がおもしろいと思える話を書くことにした。

もし、なるべく多くの人に喜ばれそうな話で自分がまったくおもしろいと思えない話を書いた場合、もしかしたら、誰も楽しくない話が出来上がってしまうこともありえる。せめて、自分だけはおもしろいと思えるものにしようと思う。その方が書きやすいし。

ぼくの「おもしろい」「おもしろくない」の判断基準が世間とは完璧に一致しているとは言い難い。だけど、まったく違っているというわけでもないみたいだから、そこに縋ろうと思う。どのくらい一致するのかは、やってみなければわからないけど。


 ぼくにとって一番最初の作品。

 思いついたのは悲劇だった。


 それは真夜中から朝を経て夕暮れに至るまでの物語。

我ながら相当に愛されにくいと言わざるを得ない主人公の話だ。

主人公は嫌悪され憎悪される。彼を一瞥でもした一人の例外もなく全員に。彼は自分のことを「なにも知らない」し「なんもわからない」。

どうしてそんなに嫌われなければならないのか?

 時には足蹴にされ、時には踏みにじられたりもするのだが、そうされることにより、むしろ一層、彼は蔑まれてしまう。それがどうしてなのか、彼は「なにも知らない」し「なんもわからい」。

だが、ふと声がする。


「知ってるくせに」と。

「わかってるくせに」と。


それは彼の心の声。そうなのだ。彼は全てを「知っている」し「わかっている」。自分が何者であり、どうしてこんな不当な扱いを受けなければならなのかを。彼もまた彼自身を嫌悪しているし、憎悪している。むしろ、最も自らを蔑み、憎悪しているのは自分自身あり、彼は自分が自分であることをどうしても受け入れたくないのだ。

道端の端に佇んでいる犬のウンコ。

それが彼なのだ。


 これが、最初の作品の下敷き(叩き台)とでも呼べそうなものなのだが・・・。


 はは。自虐的。

頭おかしいのか? あんた。そんなんが一般受けするわけがないことぐらいわかるでしょ。いっくらバカでも。しかも、初っ端がそれかよ。初っ端からそんなんかよ。

 だけど、ぼくがおもしろいと思えるのは、これだけだった。少なくとも、その時考えてみて思い浮かんだアイデアの中では。一般受けとかはともかくとして。


 これをカタチにしようとして、痛切に気づかされた。

 ぼくは書くのがとても遅い。

 表現しようとするモノがある。これを描写しようとする。書いてみる。「ああ、こういうのもあるぞ」、「こんなのはどうだろう」と考えてるうちに時間が経つ。バリエーションばかりが増えていくが、一つを選ばなければならない。でなければ、まだ何も書いてないのと変わりがない。「ああでもない。こうでもない」と思案しているうちに、さらに時間が経つ。なんとか一つに決定する。だけど、これでここのカタチは確定したとは言えない。書き進んでいるうちに、「やっぱり、あそこはこうした方が・・・」となることがある。すると、「あそこも、やっぱりああした方が・・・」という連鎖反応が起こることがある。こんなことばかりしてるから、書くのが遅いっていったらない。

 とにかく、どうにかこうにかこれを書き上げてはみた。四百字詰めで二十枚とちょっと。ショート・ショートにしては長すぎるし、短編小説にしては短すぎる。さてどうしたものか。これを拡張して短編小説の体を取るようにするべきだろうが、このままでも良い方法があるのを見つけた。

某少年誌の漫画の原作としてなら、ぴったりだった。少なくとも枚数的には。

 これでいってみよう。

 タイトルは、『不幸の星の下に』。

 明記しなければならないもの。住所に名前にペンネーム。「ああ、これはさすがに漫画の原作だな」と感じさせられたのは、書いてもらいたい漫画家という記載事項があったことだ。こっちは無名の若造。ここはメルヘンの大御所にお願いしようと思った。やなせたかし、と書いた。アンパンマンでお馴染みの。実際、絶対無理なんだけど。


 予想はしていたが、待てど暮らせど返事は返ってこなかった。

やっぱりこれでは落ちるわな。

しょうがない。これは。

これはそんなもんだろう。


 とりあえず、ぼくは何かしらは書けた。書けることはわかった。ものすごく遅いけど。

次、行ってみよう(いかりや長介)。


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