最初から本気を出さないのは鉄則
漫画を読んでいると時たま「これ最初から全力で不意打ちすれば楽勝じゃね?」とか見も蓋もない事を思うことがあります。そうしたらつまらないだろうに。
※感想ありがとうございます。どんな感想でも参考にしたいと思いますので、今後とも宜しくお願いします。
顔面を狙ってくる左拳―――首を上体ごと左に傾け、一歩懐に踏み込む事で回避する。
即座に追撃してくる右の貫き手―――踏み込みに使った左足を起点に全身を左に回転させて、辛うじて回避。
だが直後の側頭部を狙ってきた、鞭のように撓る蹴りは躱せなかった。仕方がないので両腕で受け止めるが、踏ん張りが利かずに背後へとお返しとばかりに吹っ飛ばされる。
元から持っている【物理ダメージ軽減Ⅹ】に加えて四哭獣のローブに付与されている【物理攻撃耐性】のスキルのお陰もあり、蹴りそのものによるHPに対するダメージは殆どない。蹴りの衝撃で骨が不穏な音を上げたが、まだ折れていない。ただし代わりに、両腕に掛かっている負荷が一段と増大する。
空中で体勢を整えて着地をした直後に頭上に影。様子見など端から考えていないかのように追撃を掛けてきている少女が、俺の頭上で一回転して踵を振り下ろしてくる。
カウンターを噛ますために迎え撃って、直後に受け止めた右腕を代償にその判断が誤りだと知る。
頭上に掲げた右腕に踵が接触し、凄まじい重量が襲い掛かり、ガードごと頭に押し込まれる。当然、俺の右腕は音を立てて砕ける。
一瞬視界がブラックアウトした直後に、右側頭部に裏拳を入れられる。鋭い痛みと共に、右側から音が消える。鼓膜が破れたか。
振り下ろされた踵に付与されていたのは、上級重力属性魔法の【質量増大化(グルエスタ)】という魔法。瞬間的に重量を増大させるこの魔法によって、振り下ろされた足は数トンの質量を持っていたらしい。
しかし、自慢じゃないが本来の俺なら、その程度の重量などが振ってきたとしても、骨に損傷を与えることなく受け止められた。やはり厄介なのは、前衛役を務める少女ではなく、後衛役を務める男の方だ。
最上級疫病属性魔法である【骨格塵化浸食(ルレデフェン)】とやらのお陰で、俺の全身の骨格は俺が思っている以上に脆くなっている。腕などはまだいいが、両足なんかは俺が少しでも力を入れて移動しようものならば、地を蹴る際の負荷に耐え切れずに骨が折れるを通り越して、今の俺の右腕のように砕ける。
ステータス上の耐久値に変動はない。だがこれでは、実質的に耐久値を大幅に下げられているようなものだ。ただでさえ肺病と心臓病の合併症を患っている上に、右目の視界がまったく利いていない為に、普段よりも大幅に能力を制限されている。そこにトドメのように骨を脆くされたのでは、溜まったものじゃない。
そうでなくとも、前衛の少女には耐久力と精神力無視とかいうふざけた攻撃手段があるのだ。
一応、砕けた骨や疾病による痛みは【痛覚遮断】でどうにかなる。だがそれは痛みを誤魔化しているだけで症状が改善している訳でもないし、倦怠感が取れるわけでもない。
【自動治癒Ⅹ】のお陰で骨折は治癒できるが、元通りにするには数十秒掛かる。しかも疾病はどうやら【自動治癒Ⅹ】の対象外らしく、一向に症状が改善される兆しがない。
確か聖属性魔法に疾病を治療する魔法があったと思うが、実際問題俺は箱庭で病に掛かった事がないため、覚えようともしなかった。今思えば後悔するばかりだ。
【神秘的な透明板(レド・アドラメ)】
俺と少女との間に透明板を生み出して壁とするが、不可視の壁を、少女は軽々と乗り越えて迫ってくる。
過去にティアマント戦で使用した時は紙くずのように粉砕されたが、それでも超高度と透明度を併せ持った代物だ。大抵の場合はそこに壁が出現した事に気付かずに衝突し、向かい側からはとても直視できない事になるのが殆どだ。俺だって、自分が生み出したのでなければ、そこに壁があるという事には気付けない。
だがこうして、相手はまるで見えているかのように簡単に対処する。俺とエレナにかけていた【透明化(インビジブル)】を看破したことといい、何らかの種があるはずだったが、どうにもその種の正体が掴めない。
「======」
壁の向こう側で、男が詠唱を始めている。
発動しようとしているのは【中枢犯す疾病(ゼエレドム)】という中級疫病属性魔法。効果は大雑把に言って、対象を脳梗塞にするというもの。中級のクセに効果は凄くえげつない。
「させ、るか……!」
壁を消し去り、詠唱を妨害してやろうとしたところで、体の中身が引っ張られるような不快感。
【瞬間転移(テレポート)】
回避しきれないと判断し、やむなしと舌打ち一つで転移魔法を発動。ついでに男の側に転移し、左の貫き手を喉元に叩き込んで詠唱を中断させてやる。
俺が転移する前までいた場所では、直径二メートルほどの黒い球体が発生し、消える。消えた後には半球体状に抉れた地面の跡と、まるで握り潰されたかのようにスクラップとなった石畳だったものが残る。
上級重力属性魔法の【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】は、効果範囲内の物体全てをこれまた耐久力精神力全無視で圧搾するという恐ろしい魔法だ。正直、上級どころか最上級や超級でもおかしくないと思う。
【時間加速(タイム・アクセル)】
余りやりたくはなかったが、自分自身の時を加速させ、えずいて硬直している男を無視して疾駆。目的を達成しようとエレナの方へと向かおうとしていた少女を後ろから追いかけ、首裏に腕を叩き込む。
首を折らないように手加減したとはいえ、人を昏倒させるには十分な一撃だったはずだが、少女はつんのめっただけで、即座に反撃を繰り出してくる。
攻撃を受け止めようと腕を持ち上げて、そこで初めて左腕も折れている事に気付く。
【痛覚遮断】は便利だが、自分の損傷具合を正確に把握できないのが難点だ。仕方がないので【痛覚遮断】ではなく【痛覚鈍化Ⅹ】に切り替えるが、その瞬間に胸部を襲ってきた未知なる痛みに思わず全身が硬直し、少女の質量が増大された拳を顔面にモロに喰らう。
踏ん張ったお陰か無様に吹っ飛ばされる事はなかったが、代わりに視界がグルグルと安定せず、頭に鈍痛が走る。おそらくは頭蓋骨に最低でも罅が入って、脳を揺らされた。
だがそんな事よりも、胸部を襲う痛みが問題だった。
【痛覚遮断】を解除した時に突発的に襲い掛かって来るであろうと予想していたよりも大分強い痛みは、既に大分慣れてきたものの、非常に不味い状況である事を示していた。
これは推測になるが、疫病属性魔法と言うのはかなり強力ではあるものの、それ単体だけでは直接の戦闘での成果は一定までしか得られない。当然だ。どんな病にしろ、発症して即座に死亡にいたるなんていうものは存在しない。そしてそれは、魔法という形であっても、そう変わらないだろう。
確かに魔法という形で強制的に発症させられた病は、通常のとは比べ物にならないほど進行速度が速い。だがそれでも、相手を死に至らしめるには若干のタイムラグがある。
それは言い換えれば、相手側からすれば若干の猶予が存在するのだ。
だが【時間加速(タイム・アクセル)】は、自分自身の時を加速させる。
俺自身は兄貴の手によって不老にさせられている為実感が薄いが、生身で使えば、極端な話十歳児が一年で成人したりしてしまう代物だ。
さすがにそれは言い過ぎでも、病状を一気に進行させることは想像に難くない。
このまま治療しないでいれば、遠からず俺は死ぬだろう。どれほどの歴史上の偉人も病気には勝てなかったように、俺がいくら圧倒的なステータスを誇ろうが、病には勝てない。そういう事だ。
だが治療をするにしても、眼前の二人をどうにかしない事には始まらない。だがその糸口が、現状では一向に見つからずにいた。
いや、手はない事はない。
例えばこの状況を切り抜けたいだけならば、こいつら諸共、周囲を纏めて吹っ飛ばしてしまえば良いだけの話だ。
だがそうすれば、間違いなくエレナは巻き添えになる。
別に俺は聖人ではない。この街や国に住む者がいくら死のうが、俺の知った事ではない。いつぞやのタードレイとかいうタヌキ爺から『大侵攻』云々の話を聞かされても、取り立てて俺自身が行動してやろうとも思わなかった。
しかし、だからといってこの場でエレナを見捨てる気にもなれなかった。
短い間とはいえ彼女と接触して、俺は多少なりともエレナに対して親しみぐらいは感じている。少なくとも、この場で見捨てれば後々後味が悪いと感じる自信がある程度には。
種族も違えば、根本的な存在のあり方自体も違う、極端に言えば全くの他人であるエレナと、その他大勢の者たちとの間にさしたる違いなどはない。あるとすれば、俺がその者について知っているか、知らないかぐらいだ。
それなのに彼女だけは巻き込みたくないだとか、助けたいだとか思うのは、究極的には俺のエゴでしかない。
だが、それでも構わないと思う。
いつかエレナが評したとおりだ。俺は相当な我が侭なのだろう。ならそれでいいだろう。我が侭は最後まで押し通す、それもまた俺の我が侭だ。
故に、エレナを見捨てるような手段は却下だ。勿論、他にどうしようもなくなったら、そうするのだろうが。
同じような理由で、転移して逃げるという手も却下だ。
別に逃げるのが嫌だという訳ではなく、転移系統の魔法には共通して連続して使えないという制約がある為だ。
一度の転移につき、最低でも三十秒ほど、クールタイムが存在する。その為転移してエレナの側に移動した後、三十秒はエレナを守りながら敵を防がなくてはならない。だが今の体調でそれは、かなりきついだろう。俺としては余り博打はしたくない。
かといって、転移無しにエレナの側に向かおうとしても、絶対に妨害が入る。この妨害にしても、鬱陶しい事に軽くいなせる程容易い相手でもない。
実際先ほどから何とかしてエレナの側に向かおうとはしていたのだが、相手もそれを分かっているのか、巧みに俺の事をエレナの元に向かわせないようにしている。そして隙あらば、エレナを殺しに掛かるのだ。
「======」
少女が詠唱を始める。発動しようとしているのは【重力斬(ガテーラ)】の魔法。それも二重だ。
自分の状態をすばやく確認。右腕は今しがたようやく治癒が終わり、何とか動かせる。だが左腕はもう少し掛かる。ついでに、転移系のクールダウンは継続中。
詠唱が終わり、【重力斬(ガテーラ)】が放たれる。ただし同時ではなく、一発目を俺の頭の高さに、二発目を半秒遅れて俺の膝下の高さに、それぞれ水平に放ってくる。
地味に嫌らしい攻撃だが、身を屈めて自分も地面と水平になるように低空跳躍。二発の重力波の隙間を縫うようにして回避―――着地の前に引っ張られる。
狙いの本命は【重力斬(ガテーラ)】を命中させる事ではなく、あえて地面から足を離させる事で踏ん張りを利かせないようにし、その隙に【引き寄せる重力場(グル・フォール)】で引き寄せる事にあった。
地面を転がりながら引き寄せられた場所に待ち構えるのは、当然術者である少女。その四肢には既に、
【質量増大化(グルエスタ)】の魔法が付与されている。
頭部目掛けて放たれた蹴りに、咄嗟に既に折れている左腕を差し出したのは上出来だろう。代わりに下から蹴り上げられ、宙を舞う事になったが。
【霧爆裂(ミスト・エクスプロード)】
横手側に爆発を起こし、自分からあえて吹っ飛ばされる事で【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】を回避。爆裂の衝撃で全身の骨が軋み亀裂が入るのは、重力の圧搾を受けるよりも軽傷だろう。
着地した俺に追撃を掛けようと迫る少女を迎え撃とうと、立ち上がろうとして―――失敗する。
途中まで立ち上がれたのだが、急に足腰に力が入らなくなり、膝を突いてしまう。その隙に接近され、前回拳を食らった所と全く同じ場所に蹴りを貰う。
何とか受身を取り、立ち上がろうとして―――また失敗する。
足はまだ折れていない。全身の倦怠感も凄まじいが、それでも何とか立てるはずだった。だが現に立つという単純な事に失敗している。
「なん、だ……」
自分の体を精査して見ると、最上級疫病属性魔法【衰える筋力(イッフィルト)】と出る。
筋力を時間の経過に比例して低下させる、所謂デバフ系の魔法だったが、厄介な事に反対の効果のバフでは打ち消せないようだった。
一体いつの間にと思ったが、直後にこの魔法は術者かもしくは感染者が触れることで伝染していくらしい。すると導き出される答えは一つだけだ。
あの紫頭の男は、どのタイミングでだか、少女自身にこの魔法を掛けた。そして少女が俺に攻撃を加えてから解除した、そういう事になる。
ステータスを確認して見れば、筋力は確かに当初よりも大分減っているが、それでも立てないというほどではない筈だった。だが現に立てないとなると、既に少女からも大分質量を増やされているという事か。
しかしそれが分かったところで、どうにもならない。そしてその隙を、相手が見逃す訳がない。
「【圧搾する黒重球(ガルデーラ)】」
少女が手の平を俺の方に向けて、呪文を詠唱する。
クールダウンはまだ終わらない。あんなものを直撃すれば、良くて瀕死、悪くて即死だ。
体が動かないなら、魔法で妨害してやる。だが間に合うか、既に詠唱を終えているのに!?
「【失墜する氷塊(アス・クォルレイト)】」
「――――!?」
氷塊が少女の頭に落とされる。俺の知るサイズよりも大分小さくなった物だったが、誰がやったかは明らかだ。
「エレナ……」
「………………」
エレナの返事はない。答える事すら億劫なのか、それとも意識をとうとう失ったのか。
観察する限りでは、どうやら後者のようだった。病状の進行度合いがとうとう限界に達したのか、もしくは魔法を放つ為に最後の力を振り絞ったのか。どちらでも構わないが、好都合だ。
ようやく、意識を失ってくれた。
「おい、テメェら……」
声が掠れるが、構わず宣告する。
「生け捕りは、もうヤメだ……。本気で行くぞ?」
ローブを、四哭獣のローブを脱ぎ捨てる。膝を突いた体勢で、しかも左腕が折れていて、両腕の重量が著しく増大している状態では中々億劫だったが、その億劫さもローブを脱ぐと消えてなくなる。
両足に力を込めて、立ち上がる。今度は失敗せずに、立ち上がれた。全身の倦怠感は残っているし、体調も相変わらずだったが、先ほどまでとは違い、体自体の重さは大した程でもない。
【不思議で愉快な世界(ワンダーワールド)】から刀―――さっき回収した龍刀《朧弦月》を取り出し、鞘から引き抜く。
現れたのは、金属感を感じさせない真っ白い刃と、蒼穹を連想させられる澄み切った蒼い峰。龍革の柄や龍鱗の鍔も含めて、贔屓目を抜きにして美しく、それ一つで究極の美を体現したような刀。鞘から引き抜く、ただそれだけの動作だけで、空気を斬り裂く澄んだ音が響き渡る。
龍刀《朧弦月》―――7種の龍の素材を惜しみなく使用して打ち上げた、最高品質にして、俺の最高傑作の刀。
抜く段階から一定以上のステータスを要求するこの刀は、俺がローブを着ている状態では絶対に抜く事はできない。
四哭獣の素材を使って作り出した四哭獣のローブには、とあるスキルが付与されている。ある意味では龍刀よりも貴重な、完全ランダムで超々極低確率で発現するそのスキルは【能力抑圧】。早い話が、装備者の能力を最大で十分の一にまで低下させるスキルだ。
戦闘の補助をする防具に、そのスキルは致命的―――そう思う奴は多いかもしれない。だが俺は、このスキルを何よりも重宝していた。
俺のステータスは、どれも1万越え。中には2万を越えているものもあるのだが、考えて欲しい。果たして日常生活に、それ程のスペックが必要だろうか?
ニューアースのレベル1の一般人の平均ステータスが10であり、これは俺のレベル1の時の能力を数値化したときの値を基準にしている。
筋力を例にとってみると、当時の俺の握力は20キロで、早い話が青白もやしっ子である。これを筋力値の1辺りの値に直すと、筋力のステータスが1上がると握力が2上昇する事になる。
そしてそれを今の俺のステータスに当てはめると、今の俺の握力は3万を優に越す。勿論実際はもっと複雑なんだろうが、どっちにしろ、強大な事に変わりはない。
ぶっちゃけた話、当時の俺だったら素手で岩盤を掴み、引っ繰り返せていた。
そんな力は、日常生活においては害悪でしかない。箱庭生活でもよく家具を壊したし、力加減を誤ってモンスターを木っ端微塵に粉砕してしまい、素材が手に入らなかったこともあった。
このニューアースでも、務めて慎重に力をコントロールしていたが、ものの弾みでグラスを砕いてしまったり、あるいは果実を握り潰したりしてしまったりと、色々と大変だったのだ。
だからこそ、このローブは必要だった。ちょっとの誤差で、とんでもない被害を生み出しかねない為に。
だが、今この状況において、その心配はない。どうせ何があろうとも、被害を受けるのは敵なのだから。
【加速(アクセル)】
【百歩騨】
手始めに、近い少女へと突貫。蹴った地面が爆ぜ、地面を蹴った左足が負荷に耐え切れずに折れるが無視。まだ右足が残っている。
それは疾駆ではなく、跳躍に近い。地面擦れ擦れを一跳びで滑空し、瞬時に少女の眼前に移動。龍刀を一閃。最初に両足を腿から切断する。
両足を失って倒れる少女が、そこでようやく俺に気付く。そして滞空中に紡いでいた【重力斬(ガテーラ)】を放ってくる。
右足を地面につけて踏みしめて着地。そのタイミングで左腕の治癒が完了したのを確認し、刀を瞬時に左手に持ち替えて後ろで振り下ろし、重力波を少女の左腕ごと切断する。
龍刀は箱庭最強種である龍種の素材を用いて作り出された刀。その刀身は龍の牙と同じであり、爪と同じであり、鱗と同じだ。生半可な魔法など通さず、最強の矛となると同時に最強の盾となる。たかだか上級程度の魔法を斬り裂くなど、造作もない。
斬り裂かれた重力波が雲散霧消するよりも早く、刀の切っ先を反転。下から掬い上げるように、少女の背面を背中から首筋にかけて斬りつけ、悪趣味な【傀儡の首輪】とやらを肉ごと断つ。
一連の動作の間に掛かった時間は刹那の間。最初の跳躍の勢いは死んでおらず、その全てを無駄にする事無く次の跳躍のエネルギーに変換。次のターゲットへと迫る。
右足もこれで折れたが、問題ない。これで決着をつけるのだから、この後動けなくなろうが何の問題も無い。
最初に紫頭の右腕を切断。左手に持っていた刀を再び右手にスイッチし、左腕は着地地点へ。
跳躍のエネルギーを完全に殺す際に負荷に耐え切れず、直った直後に左腕が再び砕ける。それを対価に、俺は左腕を始点に空中で反転し、右腕を振るいちょうど眼の高さにあった両足を切断。
砕けた左腕をさらに酷使。バネのように片腕だけで地面から跳躍。ちょうど地面から水平になるように倒れていく男の上体の真上に移動。龍刀を胸部中央から斜め上方向に斬り上げ、鎖骨、肩へと抜け出て、無骨な首輪を切断。
飛び散った血がそこでようやく俺の腕に付着し、瞬時に腕の感覚が消えるが、もう問題は無い。目的は達したからだ。
紫頭の男の上体が地面に落ちて血溜まりを作り始めたところで、俺も落下。落下の衝撃で息が詰まるが、幸いにも骨が折れたりはしなかった。
代わりに襲い掛かってきたのは、右腕を除く四肢からの猛烈な痛みと倦怠感。そして胸部の圧迫感と苦痛に咳き込み、大量の血塊が口から零れ落ちる。
ちょうど仰向けに落ちてしまった為に、喉元からせり上がってきた血が詰まり、苦しくなる。窒息しそうになってもがき、何とか体をうつ伏せにする事で、口内の血を吐き出すことに成功する。
「ゲホッ、ウェホッ、ゴホッ……!」
咳き込みながら、ちらりとエレナの方を見る。相変わらず意識を失ったままだ。一安心。
実力を隠している事は半ばバレているとはいえ、確証まで持たれている訳ではない。それまでは俺としてもあがくつもりだし、確証を持たせるわけにもいかなかった。だからこそ、意識を失ってくれた事に感謝した訳だが、仮にあのまま意識が保ったまま事態が進行していけば、すぐにでも自分の実力を隠す事とエレナの命を天秤にかけるという、どっちを選んでも面倒な事になる事請け合いの事態に陥っていたはずだ。エレナが途中で意識を失ってくれて、本当に良かった。
「ポー、ション……」
左腕が再び動くようになったのを確認して、ポーションを取り出す。
残念な事に、術者を倒したからといって魔法の効果が消えるなんていう都合の良い事はない。例え術者が死んだとしても、受けた魔法の効果は持続する。だからこそ、一刻も早い回復が必要だった。
ところが……、
「回復、しねぇ……」
いくら自分に所持していたポーションを使用しても、症状が改善される気配は一向にない。
これはもしかしなくとも、病に対してはそれに適したアイテムを使わなければいけないという事ではないだろうか。そうなると、非常にマズイ。
今まで箱庭では病を発症した事がなかった為に、これは完全に盲点だった。それが分かったところで、どうしようもない。
『まったく、仕方がない奴だ』
ふと、頭上から苦笑するような、そんな声が聞こえてきた。
『今回は見ていて結構楽しめたから、特別サービスだ。おまけでそっちの子も治してあげよう。ただし、今回だけだ。次回からは、ちゃんと自分の力だけで解決しろよ』
パチンと、指を弾く音が聞こえる。途端に、全身を蝕んでいた症状が消えてなくなる。
さすがは神。なんでもアリだ。
『お疲れのようだし、少し寝ていろ。人払いはしてやる。それぐらいなら、エストの奴にも気付かれないだろうしな』
その言葉と共に、急速に目蓋が重くなってくる。
自分は見学ばっかして、最後に美味しい所だけを持っていく。まったくもって、良い身分だと思う。
ただ、今回ばかりは少しだけ感謝しよう。
ありがとう―――不本意だがそう礼の言葉を口にして、意識を手放した。
次回からは『大侵攻』についてぼちぼちと。