薬は絶対駄目
胸糞表現があります。ご意見等ありましたら、感想欄にお願いします。
俺とした事が、迂闊だった。
どうして下級空間属性魔法の【空間画像保存(セーブ・シャッター)】を習得しておかなかった! あの魔法を習得しておけば、今頃はエレナの素顔を大量に激写していたというものを!
「別にすまないとも思わないが、その不愉快な視線をやめてくれないか?」
「さーせん」
駄目だ。謝罪は円滑な人間関係を築くのに大切な物だというのに、どうにも気持ちが篭らない。
今ではあの素顔も布に覆われ、しかも初対面の時以上にエレナの警戒心が上がっている。踏んだり蹴ったりだ。
俺はただ、世界の心理の一つを保存したいだけだというのに。
『んな事ばっか考えてたから浪人したんだよ』
浪人したのは、兄貴たちが毎日のように徹夜で変な実験に付き合わせてたからだろうが。断じて俺の怠慢が原因ではない。
「そういえば、【ソローリン商人組合】だっけ? それって、具体的にどんな事をしてる訳?」
とにかくコミュニケーション。会話を通して少しでも警戒心を緩めなければ。
でないと、俺の精神がこの重苦しい空気に耐えられない。このギクシャクした何とも言えない空気は最悪の一言に尽きる。
「……【ソローリン商人組合】がエスト教と繋がっている疑惑があるというのは話したな?」
どうやら会話には応じてくれるっぽい。しかも長話になる事を予期してか、赤い果実を投げ渡してくれる。感謝。
「あれは何も無根拠に言っている訳ではない。ラテリア神聖国家は排他的な色が強く、個人ならばともかく、商人ギルドのような資金力のある集団を他所から受け入れる事は少ない。が、現に【ソローリン商人組合】は本拠をバルスクライに置きながら支部をラテリアに置いている」
バルスクライ―――シエート連合の一角で、ソリティアの東側と国境を接している国家の一つだ。
「だけど、あくまで少ないってだけで、他にいない訳じゃないんだろ?」
「確かにその通りだ。裏でエスト教と繋がっているという理由としては弱い。もっと別の理由がある。
元々エスト教と言うのは、この大陸ではマイナーな部類に入る宗教だった。ところがおよそ百五十年前にラテリア神聖国家の台頭に併せて、今では大陸で最も勢力を持つ宗教となっている。だがこれは、客観的に考えれば非常におかしい事だ。
ラテリアは百五十年前までは、西大陸に無数にある小国家の一つに過ぎなかった。それが自分よりも遥かに大きな近隣国家を次々と併呑する事ができたのは、とある薬のお陰だとされている」
薬―――即ちドラッグ、麻薬の類か、もしくはドーピング剤といったところだろう。
しかし百五十年前というのが妙に引っ掛かる。グラヴァディガの現状については事前に調べていたが、歴史については殆ど知らないため今の話は初めて知ったが、その百五十年前と言うのに違和感を覚える。
「その薬っていうのは、麻薬かドーピング剤のどっちなんだ?」
「どちらかと言えば麻薬だな。中毒性があり、依存症も確認されている。だが、より厳密に言えば洗脳薬と言ったところだ」
「洗脳薬?」
「ああ。詳しい原理は未だ解明されていないが、その薬を摂取しても通常の麻薬とは違い、多幸感を齎す事も、幻覚が見える事もなく、健康そのものには何ら害は無い。通常の麻薬と共通するのは、依存症だけだ。その依存症も酷いものじゃなく、月に一度摂取すれば済む程度のものだ。
ただし、この薬を飲むと、意識が書き換えられる。書き換えられるのは信仰の方向性だ。例え他の神を信仰していようとも、その信仰の対象を強制的に最高神エストへとな。
最初は微々たるものだが、摂取回数を重ねるごとに意識の書き換えは進み、最終的には完全に信仰の対象が最高神へと変わり、それと同時に依存症も綺麗さっぱり消えてなくなる。これが実に厄介でな。大体完全に書き換わるのに半年程度掛かるのだが、月に一度摂取すれば済む程度なので、中々服用者を現行で捕らえる事ができない。その為、気が付けばエスト教の信者となった国民を身内に抱え込む事になり、開戦すれば戦力を大幅に削られた状態で始まり、結果として国家は次々と併呑されていった訳だ」
「それだけ大体的にやってるなら、他の国と共同で非難すればいいんじゃねえのか?」
「それはそうなのだが、決定的な証拠が無いのだよ。その薬をラテリアが製造しているという証拠がな。そもそも、タウラスとディークディエレスは歴史的な事情もあり、壊滅的に仲が悪い。例え明確な共通の敵がいようとも、手を組むどころか、話し合いすらしようともしない。
そして、我々シエート連合の方もそちらに構っていられるほど余裕があるわけではない。月に一度発生する『大侵攻』の影響は、君が想像しているよりも遥かに大きな傷跡を残すのだ」
機を逸したのだと、エレナは言う。
「仮に、ラテリアのこの行為に気付いたのが早期の段階であったなら、まだ手の打ちようはあっただろうな。だが、気付いた時には既に、ラテリアは西大陸の七割を手中に収めていた。それ程に巨大化した国家を相手にするのは、シエート連合もディークディエレスも御免被るという訳さ。それが結果的に、自分たちの破滅を招くのであると分かっていてもな」
「……んで、長い話だったけど、要するにその薬をばら撒くのに【ソローリン商人組合】とやらが一枚噛んでいる、そういう認識でいいのか?」
「そういう事だ」
一息入れる為に、手に持った果実に齧り付く。
程よい甘味と酸味があり、一見すると林檎に似ているが、林檎よりも水分が大分多く、齧り付いた端から果汁が溢れ出てくる。美味い。
「つか、そこまで分かっているなら、さっさと潰せばいいんじゃねえの?」
「それができたら苦労はしない。【ソローリン商人組合】は本拠をバルスクライに置いてはいるものの、その規模は大陸でも屈指のものだ。当然だが、ソリティア内での市場のシェア率も一番多い。それをいきなり締め出せば、市井に出る被害は甚大なものになる。ただでさえ食料の供給や『大侵攻』の備えの物資の供給を【ソローリン商人組合】に頼っている状態だというのに、その上市井に影響が出るとなれば、上も二の足を踏まざる得ない。
それに、それほどまでに強大な組織に表立って反抗すれば、向こうもそれ相応の対応をしてくる。その際に出るであろう悪影響は、『大侵攻』の際に現れる悪影響と比べても遜色が無いだろうな。そして何より、明確な証拠が無いのが現状だ。その為国家としてできる事は、精々が口頭での遠まわしな警告ぐらいだ」
「なんでそんな組織を、国内に受け入れ―――って、違うか。それだけデカイから、ラテリアが目を付けたわけか」
「そういう事だ」
政治の話は専門外だが、それでもそれが面倒な事態だと分かる。ましてや専門家であるエレナの心労は尋常ではないはずだ。
しっかしなー、どうにも引っ掛かるんだよなー。
ラテリアが急に台頭してきた要因となる、服用者の意識を書き換えるという薬。それが現れたのは、大体百五十年前だという。
百五十年前は何をしてたっけな。【四哭獣】が出て来たのはその五十年後だし、翠華龍と交戦したのは三百年前だ。百五十年前……むぅ、デカイ獲物との戦いのインパクトがでか過ぎて、何があったのかが思い出せない。
「【ソローリン商人組合】の問題ってのは、それだけなのか?」
「いや、そうでもないな。一番大きいのはさっきも言ったエスト教との繋がりによる薬物のばら撒きだが、他にも大なり小なり色々とやっている。例えば今回もそうだが、横流しされた品を捌いたりとかな」
グチャッ、という音が手元から発生する。
「だ、大丈夫か?」
「おっと、ちょっと制御が甘くなった」
「気持ちは分かるが、怒りを抑えてくれないか?」
はっはっはっ、何を言うのだろうか。別に俺は怒ってなどいない。表情もいたって平静のはずだ。
しかし、この果物は水分を多く含んでいたお陰で、手で握り潰してしまった際に大量の果汁が撒き散らされる事になってしまった。お陰で手がベタベタだ。そういう意味では、多少不愉快だ。
イメージとしては柘榴を握り潰してしまった時のそれに近い。あれは後始末が大変だ。
「それで、横流しっていう事は、あのゴミは以前にも同じような事をやっていたのか?」
「そうなるな。といっても、それは今回君があの騒動を起こした事で発覚したのだがな。
基本的に冒険者というのは、それなりに良い装備やアイテムを所持している事が多い。そして冒険者が捕縛された際、そういった装備や所持品は当然ながら没収され、目録を作った上で保管庫に保管される訳なのだが、どうやら目録を作る際にいくつかをくすねて横流しをしていたようだ。その主な横流し先が【ソローリン商人組合】であると、そういう事だ」
「酷いってレベルじゃねえなオイ。どれだけ腐ってやがる」
やっぱり過去にも同じ被害に遭った人たちの為にも、念入りに殺しておくべきだったか。今さらのように悔やまれる。
「あれでも人間性はともかく、能力は優秀だったのさ。だからこそ、見落としていた訳だが……っと、モンスターか―――」
「【魔力投槍(マジック・ランス)】」
遠方に妙な四足歩行の牛みたいなモンスターの群れが見えたから、とりあえず先手必勝で攻撃しておいたら、一匹一発で、一撃で全滅できてしまった。
「弱っ。初級の無属性魔法だぞ?」
「私の知っている【魔力投槍(マジック・ランス)】と違う。なんで一本一本があんなに太いのだ。何で一回にあれだけの数を生み出せるんだ。何であんなに離れた距離から寸分違わず命中させられるんだ」
どうやら俺はまた何かをミスったらしい。エレナの発言から推察するに、一応は熟練度の違いだと言い張れば誤魔化せそうだが。
遠距離から仕留めた牛モドキに近づく。転がっている死体の数は計二十六頭。その全てが頭が吹き飛んでいる。【魔力投槍(マジック・ランス)】は投擲スキルの補正が働くから便利だ。
「これは【暴突牛】だな。討伐証明部位は頭部の二本の角なのだが……」
討伐証明部位っていうのは、呼んで字の如しの物で、こういうモンスターを倒しましたという証拠になる部位の事だ。
死体を持ち帰れるのが一番だが、それができないケースが多い為に生み出された制度である。
「別に討伐依頼は受けてないし、問題ないだろ」
「それはそうなのだがな、角は薬の材料にもなる為、それなりの値段で取引される」
「マジか……」
だとしたら惜しい事をした。いくらで売れるのかは分からないが、二十六頭分ともなれば、そこそこの纏まった金額になったはずだ。
「他に売れる部位は無いのか?」
「いや、一応肉は食用だし、皮は素材として使われるが、これだけの数をどうやって運ぶ―――」
「売れる訳ね」
それだけ聞ければ十分だ。死体を纏めて【不思議で愉快な世界(ワンダーワールド)】の中に保管する。
「空間魔法の【便利箱(アイテムボックス)】まで使えるのか。レベルも合わせれば引っ張りダコだな」
厳密に言えば【便利箱(アイテムボックス)】でも【不思議な空間(ワンダーランド)】でもないのだが、わざわざ口にするまでもない。勝手に勘違いしてくれるのならば、それに越した事は無い。
「今日の晩飯も確保できたな」
「まさか、食べるつもりか?」
「たくさんいるんだから、一匹ぐらい良いだろ?」
「別に私は構わないが、誰が解体する? 解体というのはかなり手間が掛かるぞ」
「あ、そりゃ問題ない。勝手にやってくれるから」
「は?」
言っている意味が分からないと聞き返されるが、スルー。余分な事を口走ってしまったが、これ以上反すつもりも無い。
それよりも、俺としては箱庭では見た事もないモンスターであり、口にするのも初めてな為、どんな味がするのかと思いを馳せるのに忙しいからな。
エレナも俺が答えないでいると理解したのか、それ以上の追求がくることも無かった。
「腐っているといえば、彼は横流しの他にも報告書の改竄も行っていたな」
「ゴミの事か?」
「……その者の事だ」
なぜか疲れたような溜め息をついている。俺が何かをしただろうか。
「薬の服用者の検挙数が少ないという話しはしたが、その要因に一枚噛んでいた可能性がある」
「エスト教信者だったのか?」
「いや、そうではない。だが、横流しの件を皮切りに身辺調査を始めると、次から次へと不祥事の証拠が出てきてな。取引の禁止されている物品の搬入を、賄賂によって見逃したりなどだ」
「件の薬とは別の麻薬とかか?」
「麻薬ではないが、魔法を扱うものや錬金術師などが欲しがる、取り扱いの非常に難しい劇物や植物などだな。特に植物の中には周囲の者に対して甚大な悪影響を与える物も多く、今までそういった被害が出ていないのが不思議なくらいだ」
物騒な植物もあったものだな。周囲に対してというと、マンドラゴラとかか?
箱庭にもそういった悪影響を与える植物は大量にあったが、この大陸にもあったりするのだろうか?
「……あっ」
思い出した。唐突に。
意識の書き換えに、百五十年前というキーワード。そこに植物を加えると、合致するのが一つだけあった。
「換憶草! あのクソ兄貴、そういう事か!」
「おおっと、いきなりどうした!?」
換憶草―――記憶を置き換える効果を持つ草だ。
この草を乾燥させた物に、特殊な方法で情報を記憶させると、服用した者の記憶に合致する情報と記憶させられた情報とが交換ないし書き換えられる。
例えば今回の場合だと、換憶草に信仰する神の対象は最高神であるという情報を記憶させる。そしてそれを誰かが服用すると、仮にその者が別の神を信仰していたとしても、その神の情報が全て最高神に書き換えられ、結果として最初から最高神を信仰していたというようになる。
複数回服用しなければならないのは、一回の摂取量では書き換える量に限界がある為で、中毒性があるというのは、書き換えられた記憶とそのままの記憶との間に整合性がなくなり、本能的に整合性を取る為に薬を求める為だ。
元はトラウマを克服する為だとか、そんな理由で作られた草だ。そして俺をモルモットに使って効果が認められて、その後ニューアースに投入された。それが今から大体百五十年ほど前の話。
最高神が人間を搾取の対象として見ていない云々の話に、この換憶草が一枚噛んでいるのもほぼ確実だろう。薬で強制的に信仰対象を自分へと換え、信仰を集めている。
つまりは―――、
「一から十まで、全部兄貴のせいじゃねえか!」
『ちっ、違うし! あの草作ったの、俺じゃなくてメロナだし!』
「責任転嫁してんじゃねえ!」
「お、おい。君は一体誰に話しかけているんだ?」
……しまった。思いっきりやらかした。
ギギギという幻聴が聞こえてきそうな動作で顔をエレンの方に向けて見ると、エレナは笑っているような、ドン引きしているような、可哀想な奴を見ているような、軽蔑しているような、とにかくそういったものが綯い交ぜになった表情を浮かべていた。
「………………」
「………………」
「……何を提供したら今のを忘れてくれるよ?」
「……前回のよりもさらに純度の高い氷属性の魔晶石だな」
交渉成立。約束通り前回よりも純度の高い、大体800レベル相当の魔晶石を差し出す。ついでのサービスで、大きさも握り拳大の物にした。
とりあえずその場はそれで終わりだったが、その後の旅路が気まずいものだったのは言うまでもなかった。
――――――――――――
出発してからいくつかの村や町を経由しつつも西に進んでいき、出発してから大体半月が経過した頃に国境を越え、そこから更にしばらく進んだところで、ようやく目的地のアラゴの街に到着した。
国境を越えてきたという事で、普段よりも大分長い取り調べの後に街の中に入る事に成功し、そこから更に宿を取ったり荷物を卸したりしているうちに日はすっかり暮れ、一段落したのは住民も寝静まった真夜中だった。
「どうする? もう遅い時間帯だし、目的のギルドに向かうのは明日にするか?」
「まさか。むしろこれからやる事を考えれば、夜中の方が都合が良いだろ」
目的は【ソローリン商人組合】から俺の装備の奪還と、エレナの言うところの軽い警告。どちらも人気が無い方が、遥かに好都合だ。
まあ俺としては、もう八つ当たりも含めて軽くで済ますつもりは無いのだが、それは置いておこう。
俺の言葉にエレナも納得したようで、目的の場所まで先導してくれる。代わりに俺は、俺と彼女に対して【透明化(インビジブル)】と【静寂(サイレンス)】の魔法を掛け、ついでに俺自身は【隠密Ⅹ】のスキルをフルに発動しておく。これで余程の事がない限り、俺たちの姿が見つかる事はないだろう。
途中で数人の住民と擦れ違うも、やはり気付かれる事なく、悠々と目的地に到着する。
倉庫が並ぶ区画の一画にある、周囲の建物と比べても桁の違う大きさを誇る建物の壁には【ソローリン商人組合】と書かれている。
場所を確認してその場を離れ、今度は街の外壁の上に登り、その場を上空から俯瞰すると、その桁の違う敷地の広さが余計によく分かった。
イメージとしては、海外のショッピングモールが一番近いだろうか。よくゾンビ映画とかで立て篭もりに使われるあれだ。あれを二周りほど小さくしたものが【ソローリン商人組合】の使っている建物だった。
小さいといっても、周囲の建物と比較すればその何倍、何十倍もある。周囲に乱立する倉庫の中身を全て【ソローリン商人組合】の建物に詰め込んでも、まだ余裕があるだろうという程だ。
エレナの説明によれば、バルスクライにある本拠はあれよりも更に大きいというのだから呆れる。そして同時に、そんな建物を建てる資金の出所に、理由も無くムカついておく。
「それで、わざわざこんな場所に登って来た理由はなんだ? なぜ私まで登らなければならない?」
「登った理由はこれから分かる。あんたが付いて来なければいけなかった理由は、巻き込まれるのを避ける為だ」
「……まさかとは思うが、魔法を撃ち込もうとか考えていないだろうな?」
「もしかしなくとも、そのつもりだ。何か問題でもあるのか?」
「問題というか……君の横流しされた品がどこにあるのか分からないのだぞ? 万が一君の撃ち込んだ魔法が命中してしまったら、どうする?」
「それについては問題ない。他に問題は無いな? 問題が無いならやるぞ」
「いや待て。根本的に―――」
【墜落する天壌劫火球(エル・ディゼルエルベルグ)】
名称を聞かれると面倒そうだったので無詠唱にした古代級火属性魔法が発動。限界まで魔力を絞った筈だったが【奇襲Ⅹ】の補正が働いたらしく、【ソローリン商人組合】の敷地の上空に想定していたよりも大分大きい火球が現出。そのまま落下し、巨大な火柱が発生する。
火球が落下した瞬間、腹に打撃を喰らったような重たい音と爆発が周囲に炸裂し、続いて上がった巨大な火柱によって衝撃波と圧倒的熱波が撒き散らされる。
最初の爆裂で【ソローリン商人組合】の敷地は壊滅し、続く衝撃波で周囲の倉庫も軒並み倒壊していく。熱波は遠く離れた位置にいるはずの俺たちの元まで届き、皮膚をじりじりと焙り、服をはためかせる。
火柱はたっぷり十秒以上上がり続け、収まった跡には一瞬前までは倒壊した建物だった灰が残るだけだった。当然ながら、仮にそこに誰かがいたとしても、生き残っていたはずが無い。
『お前、容赦ないなー。最低でも宿直とか警備の人間とかがいただろうに、お構いなしかよ』
「そういう風にしたのは、兄貴たちの方だろうが」
兄貴のからかうような言葉を、俺は鼻で笑い飛ばしてやる。
俺に殺人に対する忌避感など、とうの昔から存在しない。兄貴たち主導による矯正プログラムによって、そういったものは全て木っ端微塵に砕かれたからだ。
ある日唐突に密室の空間に閉じ込められ、延々とモンスターと戦わされた事があった。
最初はコボルトやガーゴイルといった人型のモンスターの相手に始まり、次いで悪魔の中でも人間に限りなく近い姿かたちをしたモンスターに代わり。
それらを躊躇無く倒せるようになったら、次に登場するのはドッペルゲンガーだ。
ドッペルゲンガーが人間とまったく変わらぬ姿に化け、襲い掛かってくる。当然ながら生き延びる為には殺すしかない。そうやって相手をするうちに、ドッペルゲンガーの取る姿は見知らぬ人間ではなく、記憶にある同級生の姿も混じるようになる。
そいつらも殺して、殺して、殺して、殺し続けて、大体一年が経過した頃には、俺の中にあった殺人に対する忌避感は消え失せていた。
そもそも、俺と他の奴らでは根本的に種族が違うのだから、忌避感など抱きようが無い―――そう自分に対して自分から錯覚するようになった。
そんな事を強制した兄貴たちは、狂っているのだろう。だが一番狂っているのは、そうと分かっていながら自分の意思で肯定している自分だ。
狂っていることを自覚する。それさえできてしまえば、殺人に対して何かを抱く事などなくなる。
「……これは、上級火属性魔法の【落下獄炎球(エル・ヴォルフェルム)】か? だが、あれほどの威力が出るはずが……」
ふと隣を見ると、エレナが自失呆然としたような空気で惨状を眺めていた。
エレナが目の前の惨状を引き起こしたのが【落下獄炎球(エル・ヴォルフェルム)】ではないかと疑うのも、無理はないだろう。【墜落する天壌劫火球(エル・ディゼルエルベルグ)】は【落下獄炎球(エル・ヴォルフェルム)】の完全な上位置換なのだから。
「……今のはメ○ではない。メ○ゾーマだ」
何故だかはよく分からないが、そう言わなければいけない気がした。だから口にしておいた。
「……今のが警告か」
「警告だな」
「つまり、やろうと思えば今以上の惨劇を引き起こせる訳か……」
「そうなるな」
「……なるほど。確かにこれは警告になるな。十分過ぎるほどだ」
やがて我に返ったのか、声には意思が感じられるものになっていた。
「まあ、強大な味方が手に入ったと納得する事にしよう」
「精神的にタフだな」
「そうでも思わないと、やっていられないだけだ。万が一君が敵に回ったらなんて思うと、胃がたちまちの内に痛くなってくる。それよりは、どうやったら敵に回らないかを考えた方が建設的だ」
そう言いながら腹部に手を当てる。見ようによっては、生理痛に苦しんでいるようにも見えなくもない。
「それよりも、物の見事に全てが破壊されて焼却されたようだが、いいのか?」
「問題ないっての」
起き出した人たちが遠目から何事かと騒ぎ始めた為、余り時間はない。
【透明化(インビジブル)】と【静寂(サイレンス)】に【隠密Ⅹ】を維持したまま、外壁を蹴って【ソローリン商人組合】建物跡地まで跳ぶ。そして瓦礫の上に着地し、周囲に気を張り巡らせる。
横流しされて遠くに行ってしまった時はさすがに感じ取る事はできなかったが、この辺りにあると言う事が分かっていれば、俺の漠然とした感覚で大よその魔力を探り、どこにあるのか位は感じ取れる。
「……こっちか」
位置的には敷地の外れの辺りまで移動し、適当に積み重なった瓦礫を撤去する。
瓦礫が地面に落ちる耳障りな音が響く中、途中で追いついてきたエレナに協力を要請するも却下されて一人で撤去作業を続けていると、ようやく目的の物を見つける。
「あったあった」
瓦礫の下から、傷一つない刀とローブを回収。当然俺の装備である龍刀《朧弦月》と四哭獣のローブだ。
「まさか、本当に無事だったとはな」
「あの程度の魔法じゃ、どっちもビクともしないさ。素材が素材だしな。それよりも、さっさとズラかるか」
刀を腰に提げて、ローブの方は軽く水で洗ってさっと乾かした上で着込む。なれた重さと感覚に満足してから、あわてて駆けつけてくる自警団だか騎士団だかから逃げる。
「まったく、君といると驚きの連続だな。ここまで来ると、ちょっとやそっとの事では驚かなくなる」
「意図的に驚かせた覚えはないが……まあいいじゃねえか。商人としては図太い方がいいだろ?」
「君の中にある商人に対する偏見について、一度でいいからきっちり話し合いたいと事あるごとに思っているよ」
野次馬たちを掻い潜り、あらかじめ取って置いた宿の下へと急ぐ。とっくに宿の門限など過ぎているのため、急ぐことに取り立てた意味はないのだが。
「……なあ」
「なんだ?」
「どっちがいいよ」
「……右だな」
人通りの少ない路地に入り込んだところでT字路に差し掛かり、曲がるべき方向を雇い主に尋ねると、人気のまったくない方角を示される。
「左の方がいいんじゃね? 人目についていれば、わざわざ襲い掛かってこないだろ」
「それで市民に被害が出たらどうする?」
「ソリティアの者としたら、敵国に被害が出てラッキーじゃないのか?」
「無関係の者まで巻き込むなと言う事だ。それに、いつ襲い掛かられるかも分からなくなるぐらいなら、わざと誘って叩いた方が建設的だろう」
「ちなみに戦うのって?」
「君に決まっているだろう。まだ契約は続投中だ」
「……めんどいな」
今俺たちは、つけられていた。それも複数からだ。
自慢じゃないが、俺は尾行に関してはかなり敏感な方だと思う。箱庭で生活していた頃は【ナイトストーカー】という、寝床にまで追跡してきて、寝静まった頃を見計らって寝首を掻こうとしてくるようなモンスターがわんさかいた為、自然とそういった行為に慣れていったのだ。
その為今回の尾行にはすぐに気付けたのだが、問題なのは、その追跡者たちが俺たちの事を感知できている事だ。
今は【隠密Ⅹ】こそ解除しているものの、【透明化(インビジブル)】と【静寂(サイレンス)】の魔法は継続中だ。それも、それらを発動しているのは他でもないこの俺だ。にも関わらず、一体どうやって看破したというのか。
「まっ、直接聞けばいいか」
エレナの希望通り路地裏に入り込み、そこで待機する。
程なくして追跡者たちが二手に分かれ、建物の屋根を走りながら俺たちの退路を塞ぐように前後に現れる。
現れたのは、黒いローブを被った長身の人影と小柄な人影。どうやら追跡者はこの二人だったらしい。
「何の用だ?」
「………………」
試しに目の前の長身の人影に声を掛けるが、返答はない。だが、用件は理解できた。
声を掛けたことを皮切りに両者から放たれるのは、紛れもない殺意。しかもその殺気は、俺ではなくエレナに対して向けられていた。
「どこかで恨みでも買ったか?」
「心当たりがないとは言わないが、それが動機ともかぎらんだろう、私自身は、狙われる理由には心当たりが多すぎる」
「俺、実はとんでもない依頼を引き受けたんじゃねえのか?」
「残念ながら、途中での依頼の放棄は認めない」
きっぱりと宣言される。良い度胸だと言わざる得ない。
とりあえず、脳内で俺がこんな目に遭う羽目になった元凶―――ゴミを三回ほどいたぶって殺しておくことにした。
モンスター図鑑
・暴突牛
二本の鋭い角を持った、草食性のモンスター。群れを作り、一箇所に留まらず一年中移動し続ける習性を持つ。
草食ではあるものの、人間を始めとした他の生命体を見ると凄まじい勢いで突進して角で串刺しにしてくる為、非常に危険。暴突牛の突進は自分と同程度の大きさの岩は容易く砕く威力を持つ。