追想
ひたすらに白い雪の道に、光が反射している。目線は低いのに、目を開けられないくらいに眩しい。冬の晴れた日は、いつもそんな感じだった。
休みの日でも部活はあって、そんな時は大体、昼下がりから登校する事になる。最寄り駅までの道には、ほとんど人が通らない。途中公園の脇を通り抜ける際、親子が雪遊びに興じているのを見かける程度だ。
イヤホンから流れる曲は、時期によって移り変わる。気に入った曲があれば、延々一曲リピート再生するのが私の趣向で、飽きるか、別な曲に気が変わるまで(と言っても数ヶ月単位だが)、環境音と同化するほどに、耳に流し込む。なので私の中では、音楽と季節はセットで管理されている。音楽に季節が結びついているし、季節に音楽が結びついている。関係の矢印は双方向だ。
今聞いている曲も、いずれは今の「冬」に結びつく。この眩しさや、深呼吸して吸い込んだ鋭い空気や、ほのかに温まる日差しや煌く雪に足跡をつける感触が、いずれはこの曲に結びつく。私の感覚が、ちょっと篭っていて、でも広がりのあるタムの音に重なって、どこと無くインドっぽい爽やかな弦楽器が、青と白のコントラストに変わる。それが嬉しかった。これでいい、と言うよりは、これが良かった。自分がそのとき確かに持っていたものを、音楽をキーに記憶へアーカイブしていくのが、私には幸せだったのだ。
と思ったのが、確か中学生のときだった。そのとき聞いていた曲は今でもプレイヤーの中に入っているし、時々聞いてはそのときを思い出す。当時の精神はバリバリ現役で、今でも音楽と季節の関係性は変わらない。アーカイブの単位に一曲だけでなく一アルバムも導入されたのは、一つの変化ではあった。
視線を感じてイヤホンを外すと、
「何聞いているの?」
と、隣にいる彼が言った。
季節は夏だった。私と彼は、木陰に入っている公園のベンチに座り、緑色の芝の上でサッカーをしている子供たちを眺めていた。
ヘイ、パス。ナイッシュー。ちゃんとやれよー。イエーイ。
と言った感じの、熱中した変声期前の声が、揺らめく空気の層に減衰され、曖昧になって届いて来る。
「パット・メセニー・グループのサード・ウィンド」
と私は答えた。今聞いているアルバムは、ずっと昔のライブを録音したものだ。メセニーの奔放なギター、笛のようなボイスとシンセのハモり、三段ある展開、鋭いドラム、他ほか、この曲を構成するどれもが、爽やかな突風を思わせる。メセニー・グループは天才の集団だと思う。私の中でこのアルバムを超えるものは無い、と思っている。
「情熱的だよ」
何となく、添える様に、私は加えた。
「いいね」
そう何かを認めてくれた彼に、メセニーの素晴らしさについて力説したくなったが、一言、力強く、名曲、とだけ言っておいた。イヤホンを着けると、ちょうど拍子が変わって、笛シンセから力強いタムに変わるところだった。
さあ、と、私たちの周りを「サード・ウィンド」に似た心地よい風が通り抜ける。ブラジル音楽に通じる熱を耳に感じながら、私は目を閉じ、なびく髪を片手で抑え、このときをゆっくりと圧縮していく。平和だな、と思った。世界は、子供たちのように、今の様に、穏やかで、情熱的であるべきだった。
ふと、これがいくつ目のアーカイブファイルとなるのかな、と私は思った。このアルバムは、間違いなく「夏」になる。「サード・ウィンド」を聴く度、この日差し、この風、この熱を思い出す事になる。ただ、それだけではない、とも思った。今、私の隣には、彼がいる。「パット・メセニー・グループ」は、「彼」という環境も組み込んで、「夏」をキーに圧縮されていくはずだ。解凍の際に、私は彼との何らかを思い出すのだろう。
演奏が終わり、大歓声がフェードし、曲がランダムに変わる。「ソロ・フロム・モア・トラベルズ」。メセニーのアコースティック・ギターのソロだ。とても静かなこのバラードで、アルバムは締めくくられる。数時間のライブを覆っていた確かな熱狂は、四分弱のこの曲で終わったのだ。
その際、と私は思った。当時の観客は、間違いじゃない何かを抱えていたのだろうか。感動の一言に抽象化出来る何かを、私が生まれる前の、何十年も前のこのライブで得た何かを、誰かは今でも持ち続けていたりはするのだろうか。
思い出は降り積もる日常に埋まるし、入れ物には容量が付きまとう。記憶にロードヒーティングが付いていれば、とか、電脳化してNASに繋ぐ、だとか、出来たら良いのに、等と無駄な事を考えるが、そこまでは科学技術の進歩に期待出来ないな、と思った。私はそれに、アーカイブ化という手段で対抗するしかない。恒久的な地球のシステムを利用して、ガベージをコレクトされないようにしていくのだ。実に効率的ではないか、と思った。どや、と言いたくなった。
「どことなくどや顔になってるけど」
と、半笑い、と言うか、愉快な雰囲気を察したから、とでも言うような興味をこちらに向けて、彼が言った。
「メセニーを聞けば分かるよ」
と私は答えた。彼は、なるほど、と言って、活動的な少年たちへと視線を戻した。
シュート。ゴール。今の一点で、サッカーの試合は終わったみたいだった。八対九の接戦。子供たちは、上気した顔で、芝に座り込んだり、笑いながら友達の背中を叩いたり、顔をしかめながら空を見上げたりしている。激熱な空間だった。情熱とほのかな青春が、サッカーを通して刹那的に彼らを満たしていた。
曲が変わった。「ベター・デイズ・アヘッド」。夏にふさわしいこの曲を聴きながら、やはり世界はピースフルかつパッショネイトであるべきだ、と思った。
初投稿です。自分が精神的に死なない程度に、感想やアドバイスを頂けたら幸いです。