第三十話 封印
「…っ、このっ!!」
明治は渾身の力を振り絞って、潤を捕らえた桜の根に果物ナイフを振り下ろす。
「アキっ! いいから逃げろ!」
「そんなのできるわけないだろ! 潤は俺を助けようとしてくれた! 俺だって…っ、俺だって潤を助ける!!」
ガッガッと刃を突き刺すが、根はびくともしない。
このままではダメだ、ラチがあかない。諸悪の根源を叩かなくては。
「待ってて! 潤! 必ず助けるから!!」
そして明治は桜の根元へと走り出す。蠢く根の中心にある朽ちた小さな社は今、その中から何かが出てこようとするようにガタガタと揺れていた。
「「森永! それが女郎蜘蛛の封じられた社だ!! その中に本体がある!!」」
「ど、どうすればいいの!?」
それぞれ根に捕まった恵や和希を助けるべく根と格闘していた柊兄弟が叫ぶ。明治は沸き起こる恐怖を必死に堪えて、社に一歩近付いた。
「これ…お札…?」
ガタガタと扉を揺らし出てこようとする社の中の何か。それを封じるように、社の扉には古びた一枚のお札が貼られていた。
『ボウヤ、さあアタシを出しておくれ。そうすればたっぷり可愛がってあげるよォ。あははははははははははは!!!』
「…っ!!」
(どうすれば…、どうすればコイツを倒せるんだ…っ)
窺うように柊兄弟達に視線を移すが、彼等は根をなんとかするので精一杯のようだ。
焦り、戸惑う明治。
そんな彼の傍に、すっと近付いたのは意外な人物。
「せ、先生…?」
水城はじっと、目の前の社を見つめた。
「どうして…」
水城はあの日、あの殺戮の日、最期をこの木の根元で迎えた。
『あはははははははははははははははははははは!!』
血に酔って狂喜する女郎蜘蛛の笑い声を聞きながら。
「もう一度、眞一郎に会えるなら…、眞一郎が帰ってくるなら、俺…なんでもできると思ってた…」
そのためなら、この妖怪に魂を売ってもよかった。
蜘蛛の糸と八本のおぞましい足でもって人間を捕らえ、喰らう蜘蛛の妖の手足となって永劫縛られることも、辛くはなかった。
…でも…、
「会えなかった。どんなに人を殺したって、どんなにあなたに血を捧げたって、眞一郎は…」
水城の白い頬に、ツウと一筋の涙が零れる。
「戻らない…」
『だからなんだと言うんだい? 今更。自分の望みのために多くの人間を犠牲にしてきた人殺しが。愚かなボウヤ…。でも、これまでのようにその美しい容姿でアタシの餌を誘い込めば、楽しい夢を見続けさせてあげるよ…。愛しい男に抱かれる、幸せな夢を』
「夢って…なんだよ…」
拳を痛むほど強く握り締め、明治が呟く。
「ずっとずっと独りで、一番会いたい人にいつまでも会えない。幸せな夢? ふざけんな!! そんな嘘で先生を利用して、騙して!!」
『おお怖い怖い。ボウヤのように力の強い人間は、よくよくこの子に引っ掛かるのさ。そうしてアタシに喰べられる…。そりゃあ使える餌だったよ』
くすりと笑う、耳障りな声。
「黙れ!!」
激昂する明治。
そして水城は、そんな明治に囁く。
ありがとう……、と。
「…君なら、きっとアイツを倒せる…」
忘れかけていたもの、失いかけていたものを取り戻させてくれた君なら…。
この、おぞましい夢の中から救い出してくれた君なら。
「…森永!! 言の葉に力を乗せろ!!」
翠の声が聞える。
『!!??』
ありったけの力を、
『やめろ…』
ありったけの想いを込めて。
『やめろおおおおおおおっっ!!』
「「「「「「「「「「「「森永!!!!」」」」」」」」」」」」
皆の呼ぶ声。
「アキーっ!!」
そして潤の声に励まされ、明治はその言葉を叫んだ。
「布留部布留部、由良由良と!! 布留部布留部息吹の狭霧!!!」
『ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!!!』
木霊す絶叫。
荒れ狂う桜吹雪に襲われながらも、明治はしっかりとその姿を捉えていた。
白光に揺れる社。
その中に見える、黒い蜘蛛の影。
「「捕らえたな!! 森永、離れろ!!」」
柊兄弟が叫んだ瞬間、明治はばっと水城の手をとって社から離れた。
「「ノウマクサンマンダバザラダンカン!!」」
刹那、雷撃が社に落ちる。
轟音 閃光 無音 一瞬の闇
蠢いていた桜の根が雷光に焼かれぼとぼとと地に還り、そして、
最後の、桜吹雪…。