第二話 それぞれの放課後
二階の美術準備室の隣にある生徒会室に、三人の生徒が居残っていた。
こちらも文化祭の準備に追われる、生徒会長の室井和希と書記の小高優、そして執行委員の一年生金城恵である。
各クラスの企画書に目を通し終わった和希が、ふう、とため息を吐いて書類をばさりと机に置いた。 今年はどのクラス、どの団体も積極的で、それは嬉しいのだがその分企画書は多くなる。
「大変だね、会長。お茶飲む?」
和希の親友、書記の優が生徒会用の急須にお湯を入れていった。他のメンバーはとうに帰ってしまったのだが、彼と後輩の恵だけは一緒に残って仕事をしてくれていたのである。
「ああ、もらおう。金城、もう遅いから帰っていいぞ。付き合ってくれてありがとうな」
和希はそう恵に声を掛けた。恵の家は少し遠いところにある。これ以上残っていると家に着くのが大分遅くなってしまうだろう。
「すみません、先輩。それじゃ先に失礼させていただきます」
会長自ら言ってもらえて、恵はカバンをとるとぺこりと先輩二人に一礼して生徒会室を出た。
「いい子だよなあ、よく働くし。恵がいてくれて助かったよ」
優がそう言って、和希専用の湯飲みをとん、と机に置いた。香るのは、和希の好きな玄米茶の芳香だ。
「そうだな。素直だし、真面目だし」
「そうそう。あの二年生の文化祭副実行委員長といい、今年は役員に有能な人材がいて、いい文化祭になりそうだよね」
二年生の文化祭副実行委員長とは、吉川潤のことである。潤はその明るく、人懐っこい性格から学年を問わず人望があった。そんな彼が文化祭副実行委員長として、今年の文化祭を大いに盛り上げてくれるだろうと期待されている。
もう少しで生徒会の任期も終わる二人が、数週間後に迫った文化祭に想いを馳せ、お茶を一口飲んだ、その時。
「きゃああーっ!」
と、一階の正面玄関の方から、先ほど見送ったはずの恵の悲鳴が聞こえてきた。
どこか女の子じみた悲鳴に、二人は驚いて危うく湯飲みを落としそうになる。
そして生徒会室のドアの向こうからだだだだだだだだだっと、誰かが走ってくる音がして、泣きそうな顔をした恵が息を切らして駆け込んできた。
「ど、どうしたんだ? 金城」
呆気にとられていた和希が、涙目の恵に声を掛ける。優も、和希の隣でこくこくと頷いていた。
「せ、せんぱ……、ド、ドアが………」
はあ、はあ、と呼吸を整え、恵が必死で言葉を紡ごうとする。
「ドアが?」
優が尋ね、今度は和希がうんうんと頷いた。
「ドアが……」
「「ドアが……?」」
「開かないんですーっ!!」
「「…………」」
涙をぽろりと零して、恵が叫びへたりと床に座り込んだ。
一方、二人はというと「なんだ」、と椅子に座りなおし、
「大方、先生が施錠してしまったんだろう。誰かまだ残っているはずだ」
「そうだね。恵、一緒に先生探してあげるから。もう泣かない泣かない」
と後輩を慰める。
「ち、ちが……。出ちゃ、ダメ……っです」
恵の言葉に、和希と優は揃って首を傾げた。
「落ち着いて、恵。ゆっくりでいいから、何があったかちゃんと言ってごらん」
優が床にへたり込んでいる恵の前に膝を折り、優しい口調でそう尋ねた。
先輩にそう言われて、恵はぐっと涙を拭い深呼吸する。恵が落ちつくために深呼吸するのはいつものことなので、和希と優は特に急かさず彼の言葉を待った。
「…ドアが開かなくて、おかしいなと思って、外を見たんです」
うんうん、と和希と優が揃って相槌を打った。
「そうしたら、人影みたいなのがいっぱいいて、それで、まだ残ってる生徒がこんなにいたんだぁ、って思って。そうしたら……」
「「そうしたら?」」
意味ありげに言葉を切った恵に、二人は揃って身を乗り出す。ごくりと唾を飲む音が響いて、しばらくの沈黙の後、恵が叫んだ。
「それ、ゾンビだったんですうーっ!!!」
「「ゾンビぃっ!?」」
予想外の後輩の言葉に、二人は声をそろえて素っ頓狂な叫び声を上げた。そしてお互いの顔を見ると、堪え切れなかったようにぷっと吹き出す。
「ほ、ホントですっ!! ウソじゃないです!!」
ぎゃはははははと笑い出した先輩二人に、恵は顔を赤らめて反論する。
それでも、生徒会室からはしばらく二人の笑い声が響き続けた。
三階の空き教室。もはや物置と化し教材が乱雑に置かれた部屋の窓際。並べられた机の上で、一人の男子生徒が寝そべって煙草を吸っていた。彼が持ち込んだ灰皿の、その脇には数冊の本が転がっている。それらは全てこの学園の図書室の蔵書。不良と呼ばれ恐れられている彼が実は大の読書家であることを知っているのは、彼の幼馴染でその図書室の主と呼ばれている図書委員の少女以外いなかった。
名を桐山風馬と言う彼は、いつものように煙草を吸いながら読書中である。しかし、ふいに目を向けた窓の外がすっかり暗くなっているのに気付いて、今手に持っていた本を置いて煙草をすうーっと吸い込む。一気に火は走り、風馬はそれを灰皿に押し付けた。
「あー、つっまんねえ」
風馬は新しい煙草を取り出すと、独り言のように呟いた。
それはいつも彼が思っていたことである。なんのおもしろみもない現実。それに嫌気がさして、周りと同じ行動をするのが嫌で、風馬はいつも一人でこうしている。
風馬は心の底から願っていた。
本に描かれているようなスリルが、自分にも訪れたらいいのに、と。
ダン、ダダダン、とボールが床に跳ねる音がする。とうに部活は終わっていたが、薄暗い体育館に残る二人の人影があった。
一人はバスケ部二年の小林千秋。彼は隣に立って自分のシュートフォームを見てくれている先輩の近野勇騎の指導を受けて、ひたすらにシュートを打っていた。
「千秋、肩開いてる。もっと閉じて」
「うぃーっす」
言われて、千秋はトン、と飛び上がってシュートを放つ。一年の頃から世話になってきた先輩のアドバイスだ。千秋は素直に頷く。
言われた通りに意識してみると、スパーンと見事にシュートが決まった。
「やっりい。さあっすがセンパイ」
ガッツポーズを決め、無邪気に笑う後輩に勇騎の目元も和んだ。
一年の頃から目をかけてきたバスケ部次代のエースだ。自分を慕ってくれる後輩の、その成長が嬉しく、頼もしかった。
「じゃ、あと十本決まったら帰るぞ」
「うっす!」
ボールを千秋にパスして勇騎が言った。千秋はいつもの人懐っこい笑みでボールを受け取る。
十本なんて、一つのミスもなく決めてやる。そして、そのご褒美に肉まんでも奢ってもらおうと、千秋はいししと笑った。
「いーっち」
ひょいっとボールを放つ。綺麗な曲線を描いて、ボールがすとんとゴールに落ちた。
カリッ
どこかから、床を引っ掻くような音が響いた。
千秋は不思議に思って振り返るが、別段異変はない。
「? にーいっ」
結局気にしないことにして、千秋はシュートを打ち続けた。隣の勇騎をちらりと見たが、彼は何も感じなかったらしい。
そのまま、もうしばらく二人の自主練は続いた。