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第一話 逢魔刻



     幾日、幾夜を数えたことだろう。

     理由も思い出せぬまま、私はこの地に残っている。

     ただ胸に残る、貴方の微笑だけが、

     私の心を、痛いほどに締め付ける。

     その痛みだけが、私が私である証。




「アーキっ、そのハサミとってぇ」

 西陽差す教室、友人の吉川潤よしかわじゅんに言われて、森永明治もりながあきはるは自分が座っている床のすぐ傍に転がっていたハサミをちゃんと刃の部分を自分に向けてから渡した。

 文化祭実行委員の二人以外、この二年六組の教室には誰もいない。明治は数日前この私立八津峰学園に転入してきたばかりで、仲良くなった潤と共に面倒な委員を任されてしまった。まだ文化祭まで日があるため、彼ら以外のクラスメイトは皆帰ってしまっている。

 机を動かしてスペースを作った床に座り込み、大判紙にマジックで書き込んだり切ったりと地味な作業を続け、やがて外がすっかり暗くなった頃、あーっと背伸びした潤が自分の肩をとんとんと叩いて言った。

「そろそろやめにして帰るかぁー」

「だな。もう暗いし」

 明治もマジックを片付けて肯定する。もう陽は長くないこの季節、窓の外はすっかり宵の色に。わずかに茜色の残る空の天井には、ちらほらと星が輝き始めていた。

 道具類を片付け、よけていた机を元に戻す。大判用紙を後ろのロッカーの上にのせて、二人は自分のカバンをとった。

「アキ。帰り、コンビニ寄って行こうぜ。俺ジャンプまだ買ってなくてさ」

「じゃあついでに肉まんの一つも奢ってくれる?」

「なぁに言ってんだよ!」

 けらけら笑って、潤が教室の扉を開けた。が、潤の動きはそこでぴたっと止まる。

「ん? 何立ち止まってんだ?」

 明治が、どうしたんだよと立ち止まったままの潤に声を掛ける。

 潤は怪訝そうな顔で、廊下をじっと見つめていた。

「なあ、アキ…」

「だから何だよ?」

「…廊下って、こんなに暗かったっけ…?」 

 言われて、明治は潤の後ろから廊下を見渡してみた。確かに、まだ照明が点いているはずの廊下は薄暗く、どこか息苦しい感じもする。

「そういえば、暗いな」

「だろ? あー、なんか気味悪いな。早く帰ろうぜ」

「ああ」

 苦笑して明治が頷き、二人は肩を並べて歩き出した。

 時々、冷ややかな風が体を撫でるような感覚が二人を包む。不気味な夜の校舎に、二人の歩調は自然と速くなった。



「…!?」

 階段に差し掛かり、正面のガラス窓から外を見た潤が、また足を止めた。

 不思議に思って明治も窓の外を見つめると、そこには、

「な、なんだ…? これ……」

 明治がそう呟き、ばっと隣の潤の顔を見つめる。

 潤は蒼白になった顔で、窓の外を見つめていた。

 その先には、赤みがかった雲。そして紫がかった雲が蛇のようにぐるぐるととぐろを巻いていた。

 あきらかに、これは尋常ではない。

 二人は何も言わず、階段を下りずに廊下を駆けた。三回の廊下をだだだっと進み、屋上へ通じる階段を駆け上る。

 わずか先にいた潤が、ばん! と勢いよく屋上の扉を開けた。



 時は少し遡る。

 私立八津峰学園の屋上に、二人分の人影があった。

 一人は黒髪。そしてもう一人は金髪の、鏡に映したように同じ顔をした少年達である。

 二人はそろって、屋上のフェンス越しに怪しく渦巻く雲を見つめていた。生暖かい風にはたはたと制服のブレザーがはためく。

逢魔刻おうまがときだ……」

 金髪の少年が口を開いた。

 明らかに尋常でない空に、それでも二人の表情は変わらない。人形めいた二人の視線が、ゆっくりと上空に向けられる。

 そこに、一人の少女がいた。

 空に人が浮いている時点ですでに普通ではないのだが、それでもやはり二人の表情は変わらない。

 少女は、長く伸ばされた漆黒の髪に漆黒の瞳の、美しい顔立ちの少女だった。紅い振袖姿で、視線は哀しげに宙を彷徨っている。

 まるで、誰かを探しているように。

「……誰かが、こっちに近付いてくる」

 そう口を開いたのは黒髪の少年。

 二人の視線の先の少女は、一筋の涙を零し、そして…、

 ばんっ! と、屋上の扉が開かれた。



「…あれ?」

 明治は少し呆気にとられたように、息を切らして呟く。

 明治と潤、二人の眼下に広がる空は、ごく普通の夜空に戻っていた。まるで先ほど二人が見た空がただの幻だったかのように。

 そして、屋上のコンクリート製の床に足を踏み入れた二人は、そこでようやく先客がいたことに気付く。

 明治にはその二人の名前を挙げることができなかった。なにせ転校してきてから間がない。最近ようやくクラスメイトの名前を覚えてきた明治にとって、夜の屋上に佇む一対の少年達は、どこか現実離れした幻のように感じられた。

「なんだ、柊兄弟じゃん」

 潤はそう言って、首を傾げる明治にも説明した。

「アイツら、三組の柊碧衣ひいらぎあおいと四組の柊翠ひいらぎあきら。双子なんだ。黒髪のほうが弟の碧衣で、金髪の方が兄貴の翠。あの通り美形だからな、ウチの学校の有名人」

「ふうん。でも、なんでこんな時間にこんな所にいるんだろう…?」

 明治は口ではそう言ったが、この奇妙な夜に、この双子が揃ってこうして立っていることがやけにしっくりくるように思えた。奇妙な感覚だ。

「そういえば変だな。アイツら、確か実行委員じゃなかったはずだ」

 文化祭副実行委員長の潤が言うのだから、柊兄弟は文化祭の準備で残っているわけではないのだろう。

 二人は目で頷き合い、柊兄弟へと近付いていった。


「なあ、」

 最初に声を掛けたのは潤だった。

 ずっとフェンス越しの夜空を見つめていた二人の少年は、ゆっくりと振り返る。その動作がそっくり同じタイミングで行われ、その恐ろしいほど揃った対称的な動きに、明治と潤は思わず一歩後ずさった。

「…、さっき、空が変じゃなかったか? なんて言うか…、変な雲が出ててさ」

 明治がそう言うと、二人の少年、翠と碧衣は互いに目配せし、意味ありげな視線を明治に向ける。

「早く、帰ったほうがいい」

 言ったのは、碧衣だった。

「戻れなくなる前に、帰れ」

 今度は翠が言う。こちらの質問に答えずに、いきなりそんなことを言う二人に明治は少しむっとした。

「だからさ、」

 明治に代わってもう一度尋ねようとした潤の言葉を遮って、碧衣が言った。

「…だめだ」

「もう間に合わない」

「一体、何が」

 またもわけのわからない言葉を発した二人に、いらいらと明治が呟く。

 その時だった。


 校舎の一階の方から、きゃああーっと、誰かの悲鳴が響いたのは。





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