第十五話 覚醒
ばっさばっさと斬り倒し、腐った肉が刃に付いて斬りにくくなってもなお、ゾンビ達は襲ってくる。おかしい、見た限りそんなに数はいなかったはずだと明治が目の前のゾンビを斬り伏せた後、ふとした拍子に床を見て唖然とした。
腐り落ちた肉片がぐじゅぐじゅと動き、再生している。その醜悪さに、押し込めていた恐怖が一気に膨れ上がった。
(このままじゃ…やられる…っ)
「…っ」
再生して再び襲い掛かってきたゾンビの爪から逃れる。そして、恐怖心を堪えながら明治は必死にこの状況を打開する術を模索した。
(そうだ…、先輩や柊兄弟が使っていた呪文…っ。くそっ…なんだっけ…、思い出せ! 先輩は、何て言ってた!?)
目の端に、頭に鍋を被って泣きながら奮闘する潤の姿が映る。呪文を唱え疲れて、それでも包丁を振り回し誰よりも勇敢にゾンビに立ち向かう風馬。それに並んで自分達を庇うように戦う勇騎と水城。そして千秋も、小さめのフライパンをめいいっぱい振り回して戦っている。
(なんとかしなくちゃ…なんとか…っ。確か…呪文はっ…)
「ふ…布留部布留部、由良由良と。布留部布留部息吹の狭霧!」
明治が必死に呪文を唱えた瞬間、眩いばかりの閃光が辺りを白く染めた。
「…ん…」
額に冷たい感触が走る。
その冷たさに、明治はがばっと身を起した。薄暗い、どこかの部屋の床に寝ていた自分の前には、心配そうに見つめる水城がいる。
「え!? ええ!!?? 何で!? ここドコ!!??」
混乱する明治を安心させるように、水城が微笑む。
「ここは職員室だよ。君が呪文を唱えた後、まぶしい光が溢れて、ここの前の廊下まで吹き飛ばされたんだ。まだ危険かと思って、ここに隠れていたんだけど…」
「そ…うだったんですか」
「吹き飛ばされたとき、頭を打っていたみたいだけど、今も痛むかい?」
「あ…そういえばちょっとだけ…。って、先生は? どこか怪我…」
「ううん」
意外にもきっぱりと、彼は答えた。
立ち上がり、職員室の窓の向こうに浮かぶ月を背に、彼はまだ座ったままの明治に手を差し伸べた。
月光を浴びて、その白い手がやけに鮮明に映る。ふわりと揺れるさらさらの黒髪からは、甘い匂い。眼鏡の奥の穏やかな双眸が、今はやけに艶めかしい。
「かえって、すっきりした」
「先…生…? …あ、他の皆は? 潤や千秋…、先輩達は…?」
しかし、水城は答えず意外にも強い力で明治の手を引き立ち上がらせると、そのまま手を引いてゆっくりと窓辺に向かって歩き出す。
(先生なんか変だ…。でも…でもなんで俺…)
カラカラ…と音がして、窓が開けられる。外に広がっているのは、学校が建つ前に在った邸宅の庭園だ。あまりの見事さに、創立者がそのまま残しておいたのだという。
(…抵抗しようって、…思わないんだろう…)
何故か知らない切なさで、胸が苦しい。今までかすかに感じていた気持ちが、水城と二人きりの今、徐々に高まっていくようだった。
いったん手を離し、水城は軽々と窓枠に上り外へ降り立った。明治も、黙って後に続き外に出る。
ゾンビや化け物、幽霊達の気配は今微塵も感じられない。ただ月と、庭園と、自分達が存在する静かな夜。
水城は明治の手を離すと、そのまま振り返りもせずに、庭園の中央にある松の根元に屈み、汚れるのも厭わず手で地面を掘り返した。
その光景が、あの地学室で見た幻に重なって、明治はただ息を飲んでそれを見守った。いや、目が離せなかった。
どれくらい時間が経ったのだろう。深く掘り下げた穴の中から、水城がようやく何かを見つけ出した。
「…見つけた…」
嬉しそうな、でもどこか淋しげな声が静かな夜に響く。
水城はその何かを、愛しげに胸に抱きしめた。
「あ…」
それは、月の光の下でくすんだ輝きを放つ、漆塗りの赤い櫛だった。