3.少女の名前は――
本当に一瞬だった。
向こうの景色が見えるほどの穴が、赤髪の男の腹に開いていた。
少女の拳は血に染まり、服にも返り血が付いている。
――貫き、殺した。
あんな小さな少女が。
「――ラブヂィ!!!」
男は、生きていた。
腹を貫かれてなお立ち、手に持った大きな斧を少女めがけて振り下ろす。
少女はそれに応えるように、再び拳を突き出した。
赤髪の男が振るう斧は、空気を切り裂く低い唸りを上げて迫る。
重い。
速い。
あの一撃を、あの細い腕で受け止められるはずがない。
拳と斧が、真正面からぶつかろうとした、その瞬間――
俺の背筋を、冷たいものが走った。
今度こそ少女がやられてしまう。
疑いようもなく、そう思った。
だが、違った。
砕けたのは、斧の方だった。
男の最後の抵抗も、容易く止められてしまった。
「……ジャルド、ベッチィ、ラォトス!!」
「――ベナ。」
赤髪の男の言葉に反応したように、左右の黒髪の男たちが逃げ出す。
少女から少しでも距離を取ろうと、武器を捨てて。
「ばいばーい。悪いひとたち!」
また殺すのかと思ったが、
少女は本当に別れの挨拶をしただけみたいだった。
男たちの姿は森の奥へと消え、
やがて、森に静寂が訪れる。
……もう、何が起こっても驚かないぞ。
改めて見ると、本当に小さい。
小学生ぐらいか?
服は血で真っ赤だ。
とりあえず……話しかけてみるか。
「――大丈夫か? あんな斧に当たって、怪我とかないのか。」
「うん。平気だよ。」
「ああ、なら良かった。」
平気って!!
あんなに戦って、平気だなんて。
あんたは兵器ですかって。
……ふぅ、落ち着こう。
とりあえず、日本語は通じるみたいだ。
なら、ここがどこなのか聞いてみるか。
「ここがどことか、君、わかる?」
「えーっとね……僕もわかんない。」
わからないのか。
もしや、同じ境遇だったりするのか?
「じゃあ、君はどこに住んでたとか、わかる?」
「うーん、思い出せないや。」
住んでいた場所さえわからないとなると……
記憶喪失ってやつか?
全部忘れてしまっているなら、正直困る。
「何か覚えていることとか、ないか?」
「僕は、てっぺんに帰らないといけないってこととか~」
天辺……何の天辺だろうか。
覚えているというより、使命感に近い気もする。
「うーん、思い出せないから、思い出したら教えるね。」
「ああ、わかった。」
今のところ、ここには俺とこの子しかいない。
一緒に行動するのがいいだろう。
……俺より強いみたいだし。
「一人じゃ互いに不安だ。ついてきてくれるか。」
「いいよ! 助けようとしてくれたでしょ? 優しい人は好きだよ。」
まぁ、実際は驚いて何もできなかったが。
「俺の名前は東上神一。よろしく。」
「僕の名前は……」
「もしかして、名前も思い出せないのか。」
「うん。」
不便だし、俺が仮の名前でもつけるか。
よく見ると、本当に整った顔立ちだ。
青い瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいる。
……返り血で台無しだが。
「思い出せないなら、俺が名づけよう。ディナとかどうだ?」
「ディナ……うん、僕にピッタリな名前!」
ネーミングセンスは皆無なんだが、
気に入ったみたいでよかった。
よし、心機一転だ。
まずは……森からの脱出だな。
俺たち二人は、森から抜け出せるよう、とにかく歩き続けている。
この子について聞きたいことは山ほどある。
なぜあんなに強いのか。
というか、剣が折れるほどの頑丈さって意味がわからない。
そして、あの山賊みたいな奴ら。
見るからにファンタジーな格好だった。
日本ではないと、薄々わかってはいたが……
このことから察するに、ここは恐らく地球ですらない。
別の世界、といったところだろう。
あの路地裏と、ここが繋がっていたのか?
ただ、直前に誰かの声が聞こえたのが気になる。
日本語を喋っていたし、日本人がこの世界にいるのか?
……というか待て。
なぜディナは日本語を知っているんだ?
「ディナ、ちょっといいか。」
「うん。なーに。」
「今話している日本語は、誰から習ったんだ?」
「ニホンゴ? はわからないけど……誰からも習ってないよ。」
……どういうことだ?
「でもね、お話をする前に、頭の中で相手の言葉に合わせてくれるんだ。」
合わせてくれる?
言ってる意味が、よくわからない。
「それって……どういう仕組みなんだ?」
「うーん、わかんない!気づいたらそうなってたから。」
ますます意味がわからない。
ただ一つ確かなのは、この子は本当に普通じゃないってことだ。
「ね、しんいちにもかけてあげよっか。」
「かける?」
「うん。おまじない。」
おまじない?
魔法か何かだろうか。
「い、いや……危ないものじゃないのか?」
「だいじょうぶ! みんなと仲良くなれるよ!」
そう言って、ディナは無邪気に笑った。
「いくよー。らるぎす、えるぎあ、ぐるのあす!」
……終わり?
特に光が出たわけでもない。
身体に違和感が走ることもない。
「……これで、終わりか?」
「うん!」
正直、何が起きたのかさっぱりだ。
本当におまじないなんて、かかったのか?
体感的な変化も、何一つ感じない。
俺とディナは、そのまま森を歩き続けた。




