第八話:交渉
『禁書庫の番人』知欲の魔女エンティアは強い。
11歳の原作ホロウでは、逆立ちをしても勝てない相手だ。
でもそれは『怠惰傲慢ルート』の話。
今のボクは『謙虚堅実ルート』、きっと勝てるだろうと踏んでいたんだけど……。
(さすがは天才、たった二年でこれか)
研ぎ澄まされた剣術+攻防一体の固有魔法<虚空>。
地道に修業を続けてきたボクは、自分の想像以上に仕上がっていた。
そうこうしているうちに、エンティアの遺骸は光る粒子と化し、あっという間に元の健康的な肉体を取り戻す。
「ふぅ……驚いたわ。まさかあのゼノと同じ、<虚空>を使うだなんてね」
エンティアは不死だ。
正確には彼女の固有魔法により、『疑似的な不死状態』となっている。
原作を履修済みのボクは、『不死のネタ』を知っているため、いつでも殺せるんだけれど……。
エンティアの死は、禁書庫の消失を意味する。
さすがにそれはもったいないので、今回は器を破壊するだけに留めた。
「ホロウ・フォン・ハイゼンベルク、あなたの武勇をここに称え、魔女の叡智を授けましょう。さぁ、望む知識を言いなさい」
エンティアは、ゲームとまったく同じテキストを述べた。
こういうのいいよね。
自分がロンゾルキアの世界にいるってのが、ヒシヒシと感じられる。
「我が母レイラは、天喰の呪いに倒れ、寝たきりとなっている。彼女に掛けられた呪いを解く方法が知りたい」
「レイラ・フォン・ハイゼンベルクに掛けられた呪いを解く知識。すなわち、解呪の魔法を知りたいということね?」
「あぁ、そうだ」
「その願い、確かに聞き届けたわ」
エンティアがパチンと指を鳴らすと、奥の書架から一冊の本が浮かび上がり、彼女の右手に収まった。
「これは大賢者アムールが遺した魔法書。ここにホロウが求める解呪の魔法が記されてあるわ。あなたほどの魔法士なら、すぐに習得できるでしょう」
「感謝する」
古い魔法書を受け取ったボクは、
「では、また会おう」
エンティアにそう伝え、禁書庫を後にした。
その後、屋敷に帰ったボクは父の私室へ向かい、コンコンコンと扉をノックする。
「……なんだ?」
「ホロウです。父上にお伝えしたいことが」
「後にしろ、私は今忙しい」
すげなく断られてしまったが、ここは強気に押していく。
「恐れながら、母上の呪いを解く準備が整いました」
半ば無理矢理に用件を伝えた次の瞬間、椅子の倒れる音が響き、扉が荒々しく開け放たれる。
「ど、どういうことだ!? 詳しく説明しろ!」
「先ほど魔女の試練を突破し、解呪の魔法を授かりました」
「禁書庫を見つけ出し、魔女を討ち取ったと!?」
「正確には禁書庫を発見し、エンティアに力を認められた、というべきでしょうか」
「ホロウ、お前という奴は……っ」
父はわなわなと震えた後、すぐに母の方へ目を向けた。
「魔女より授かった解呪の魔法は、もう使えるのだな!?」
「はい、既に修めております」
「でかした! すぐに始めろ!」
「承知しました」
ボクは母の枕元に立ち、魔力を集中させる。
「――<聖浄の光>」
神聖な光が彼女の体を包み込み、悪しき呪いが打ち消されていく。
一秒・二秒・三秒……時計の秒針が静かに音を刻む中、母の目がゆっくりと開かれ、父は我慢ならぬと言った風に口を開く。
「レイラ! 私だ! わかるか!?」
「……ダフ、ネス……?」
「れ、レイラ……っ」
父の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
彼は母の手を取り、謝罪の言葉を述べる。
「すまなかった、本当にすまなかった……っ。くだらぬ仕事など放っておいて、お前と共に行くべきだった、どうか愚かな私を許してくれ……ッ」
「天喰に負けたのは、私が弱かったから。あなたは何も悪くないわ」
母は小さく首を横へ振り、こちらに目を向けた。
「ホロウ、天喰の呪いは、あなたが解いてくれたのよね?」
「おわかりになるのですか?」
「えぇ、暗い闇の中で呪いと戦っているとき、あなたの優しい魔力を感じたの。――ありがとう。大きく立派になったわね。魔法の腕は、お父さん似かな?」
母は嬉しそうに笑い、父がボクの肩に手を置く。
「ホロウよ、此度の働き、実に……実に見事だった。お前は私の誇りだ」
「恐縮です」
小さく一礼したそのとき、母が「コホコホッ」と咳き込んだ。
「だ、大丈夫かレイラ!? もしや、まだ呪いの影響が……っ」
「うぅん、違う違う。ずっと寝た切りだったから、喉がちょっと弱っているみたい。何か飲み物をもらえるかしら?」
「おぉ、そうか! すまない、気が回らなかった!」
浮かれ切った父は慌てて廊下へ走り、扉から半身を出した状態で、大声を張り上げる。
「オルヴィン、何か温かい飲み物を持て! 急げ、大至急だ! レイラが目を覚ましたのだッ!」
「お、奥様が……!?」
その後はもう、てんやわんやの大騒ぎ。
父はもちろんのこと、オルヴィンさんや他の使用人たちも、母の回復を心から喜んだ。
彼女がどれほど慕われているのか、その人望が窺える。
(とにかく、これで一安心だ)
ボクは騒動を横目に見ながら、こっそりと部屋を後にする。
父が大魔教団と接触したのは、母に掛けられた天喰の呪いを解くため。
母の呪いが解かれた今、父と邪教が関係を持つことはない。
フラグは完全にへし折れた。
これでもう『断罪ギロチンEnd』に入ることはない。
(後は禁書庫を押さえたいな)
あそこには、この世のあらゆる知識が集まってくる。
あれを活用しない手はない。
ボクが右手を突き出し、<虚空渡り>を使うと、正面に黒い渦が現れた。
これは虚空の入り口、接続先は禁書庫になっている。
さっき向こうにマーキングを付けたため、妖精の帰り路を経由せずとも、直に飛ぶことができるのだ。
もっと虚空の練度を高めれば、位置情報だけで飛べるんだけど……。11歳のボクには、そこまでの技量はない。
まぁまだ時間は残っているし、おいおい詰めていくつもりだ。
虚空を潜って禁書庫に瞬間移動すると、分厚い本を読んでいたエンティアが、スッと顔をあげた。
「あら、何か忘れ物かしら?(正規の方法ではなく、直接ここへ現れた。やっぱりホロウは<虚空>の因子を持っている。魔法目録の情報は偽りか)」
「あぁ、禁書庫の知識をいただこうと思ってな」
「ふふっ、駄目よ。ここはお姉さんだけの書庫だから、あなたには読ませてあげませーん」
エンティアは立ち上がり、ボクの額を人差し指でツンと突いた。
(……完全に子ども扱いだな……)
まぁ彼女からすれば、ボクは<虚空>を使える腕の立つガキ。
この対応も郁子なるかな。
(……エンティアになら、バラしてもいいか)
彼女の口の堅さ――否、性格の悪さはよく知っている。
自分の知識をひけらかす癖に、肝心なことは絶対に教えない。
だからこそ、信用できる。
ボクが身元を明かしたとて、エンティアはそれを他言しない、と。
「交渉しよう、エンティア。いや、ロイと呼んだ方がいいかな?」
怠惰傲慢の演技をやめ、エンティアの本名を口にした瞬間、彼女の表情が固まった。
「あなた、どこでその名を……?(この子、急に雰囲気が変わった)」
「ボクはキミの全てを知っている。お互い隠し事はなしで、腹を割って話そうよ」
「お尻の青い坊やが、私の何を知っていると言うのかしら」
「うーん、そうだなぁ……。例えば、知欲の魔女は、『不死』であって『不滅』じゃない。原書を燃やせば、あっけなく朽ち果てる、とか?」
ボクはそう言いながら、星の数ほどある書架の中から、とある一つを指さした。
あそこには、エンティアの魂を写した『霊の書』が収まっている。
あれを燃やせば、彼女はこの世から消え去るのだ。
「……あなた、本当に何者なの?(私の本名だけじゃなく、原書のことまで……っ)」
エンティアの顔から、余裕の色が消える。
そりゃそうだろう。
自慢の固有魔法<禁書の庭園>のネタが、初見で割れているのだから。
「結論から言うと、ボクは『転生者』なんだ」
「……なるほど、そういうことね」
エンティアは一瞬目を丸くしたが、すぐさま得心が言ったとばかりに頷く。
「実物を見るのは初めてだけど、転生者の存在は知っているわ。遥か古の時代より魂を飛ばし、現代に蘇った異端の者。私のことをそれだけよく知っているということは、あなたとはいつかどこかの時代で深い関係を持っていたのね。そういうことなら、この状況にも納得でき――」
「――いや、違う」
「え?」
「ボクはこことは異なる世界――『異世界』から転生してきたんだ」
「……はぁ……?」
エンティアはポカンと大口を開け、素っ頓狂な声を漏らした。
「まぁ簡単に説明すると……」
そう切り出し、自分の身の上話を掻い摘んで話す。
日本という島国で生まれ育ち、この世界に転生してきたこと。
転生先の体は、ホロウ・フォン・ハイゼンベルクだったこと。
ここはロンゾルキアというゲームの中の世界で、ボクは各キャラの情報と大まかな未来を知っているということ。
大雑把に伝え終えたところ、
「……ちょっと待って、少し考える時間をちょうだい」
彼女はそう言って、ゆっくり目を閉じた。
さすがの魔女様も、衝撃を隠せないらしい。
(ホロウが言うには、ここは『げーむ』とやらの中の世界で、シナリオのような筋書きが存在する……? 俄かには信じ難い)
彼女は器用に片目を開け、こちらをチラリと見る。
(嘘をついているようには見えないし……あまりにも突拍子がなさ過ぎて、逆に真実っぽく感じる。事実として彼は、私の本名も<禁書の庭園>のネタも知っていた。そもそも、普通の子どもが禁書庫へ辿り着けるはずもない……)
考えが纏まったのか、エンティアは口を開く。
「今の話が本当だとして、何故ホロウは禁書庫を求めるの? 原作知識とやらを持っているのなら、必要ないんじゃないの?」
「ロンゾルキアを舐めちゃいけない。このゲームには無数のルートが存在し、膨大なキャラ設定が付されている。確かいつだかのインタビュー記事では、『開発陣でも全てを正確に把握している人はいない』って書いてあったっけか」
「つまり、あなたの原作知識は完璧じゃないから、禁書庫の情報で不足部分を補いたい、そういうことね?」
「そっ、理解が早くて助かるよ」
ひとまず情報共有は完了。
そろそろ本題に入ろう。
「ボクは禁書庫の本を自由に読ませてもらう。その代わりエンティアには、月に一度異世界の知識を教える。これでどうかな?」
「残念だけど、それじゃ話にならないわ」
彼女は呆れたとばかりに肩を竦めた。
「そう? 悪くない取引だと思うけど?」
「私の禁書庫には、この世のあらゆる情報が収められている。あなたはそこへ好きなだけアクセスできるのに、こっちの見返りは月に一つの知識だけ? まるで釣り合いが取れていないわ」
「なるほど、確かに『量』という面では、圧倒的にこちらが得かもね。でも、禁書庫の情報は、この世の内に散らばっているものに過ぎない。一方で異世界の情報は、正真正銘この世の外に在る。『質』という面では、そっちに旨みがあるんじゃないかな?」
「確かに、異世界の情報は魅力的よ。でも、あなた以外に『異世界の転生者』がいないとも限らない。加えて私は不死だから、次の転生者が現れるまで、ゆっくり待つことだってできる。つまり何が言いたいかというと――私の禁書庫は、そこまで安くない」
エンティアは毅然とした態度で拒絶した。
質の優位性を主張するボク、量の優位性を主張するエンティア。
お互いの主張は平行線を辿っており、妥協点を見つけるのは難しそうだ……っと、普通なら考えるところだろう。
しかし、ボクの――ホロウの鋭い観察眼は見逃さない。
長いスカートに隠れたエンティアの右足が、カタカタと小刻みに揺れていることを。
(エンティアは知識欲の権化。異世界の情報なんて、喉から手が出るほど欲しいはず……)
次の転生者が現れる保証なんてどこにもないし、ここで話を纏めたいというのが本音なはずだ。
彼女の強気な態度は、こちらの譲歩を引き出すための演技。
それを裏付ける証拠が、あの貧乏ゆすり。
口では強がっていても、肉体は正直なものだ。
(これは交渉。主導権はこちらにある。ここは強気に押すのが吉だな)
ボクが黙り込んでいるのを見て、そろそろ頃合いと判断したのだろう。
エンティアは上擦った声で、交渉を持ち掛けてきた。
「ま、まぁ? 異世界の情報は確かに価値があるし? こちらにも譲歩の余地がないわけじゃ――」
「――そうか、残念だ」
「えっ?」
ボクは踵を返し、屋敷に帰る用の虚空を開く。
「邪魔したね、エンティア。もう二度と会うこともないだろう」
別れの言葉を口にし、虚空界へ片足を踏み入れたそのとき――。
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
魔女の縋り付くような声が響く。
「どうしたの、まだ何か用?」
「……わかっているくせに、意地悪……っ」
エンティアは悔しそうに拳を握り締め、キッとこちらを睨み付けた。
「ボクは神様じゃないんだから、ちゃんと言葉にしてくれないとわからないよ?」
「く、くぅうううう……っ。……わかった、負けた、負けました!」
目尻に涙を浮かべた彼女は、半ばやけくそに叫んだ。
「禁書庫の本は、好きに読んでいいわ。その代わり、異世界の情報を教えてちょうだい……月に一度でいいから」
さすがは知欲の魔女。
その大き過ぎる知識欲には、逆らえなかったようだ。
「エンティアならわかってくれると思ってたよ。早速だけど、<契約>を結ぼうか」
ボクが右手を前にかざすと、何もない空間に魔法陣が浮かび上がる。
そこに記された条文を読んだエンティアは、苦虫を噛み潰したような表情で頷き、スッと左手を伸ばす。
互いの魔法因子が魔法陣に刻まれ、ここに契約が成立する。
「はぁ、まさか魔女を嵌めるだなんて……。『極悪貴族』とはよく言ったものね」
「あはは、誉め言葉として受け取っておくよ」
ボクというよりは、この肉体が極悪なんだけどね。
「それじゃ、異世界の知識を教えようか」
「……!」
エンティアの曇った顔がパァッと輝き、六枚の黒翼がファッサファッサと小刻みに揺れる。
ほんと、欲望に正直な体だ。
「ボクのいた世界には、『掃除機』というものがあってだな」
「そ、そそそ……『ソウジキ』!? 何それ!? 生物? 無機物? そもそも物質なの? もしかして現象だったり!?」
目を爛々と輝かせたエンティアが、興奮した様子で詰め寄ってくる。
「掃除機はゴミを吸う家電製品で――」
「『カデンセイヒィン』!?」
彼女は頬を紅潮させ、さらにズズィと迫ってきた。
近い。
柔らかい。
いいにおい。
やめてくれ、ホロウの肉体は、あらゆる『欲』に弱いんだ。
エンティアのような美女に詰め寄られたら、うっかり押し倒しそうになってしまう。
ボクは鋼の理性を導入して、必死に邪心を抑えつつ、異世界の知識を教えるのだった。
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
下のポイント評価欄【☆☆☆☆☆】から、1人10ポイントまで応援することができます!(★1つで2ポイント、★★★★★で10ポイント!)
この『10ポイント』は、冗談抜きで本当に大きいです……!
ほんの少しでも、
「面白いかも!」
「続きが楽しみ!」
「陰ながら応援してるよ!」
と思ってくださった方は、この下にあるポイント評価欄を【☆☆☆☆☆】→【★★★★★】にして、『ポイント評価』をお願いします……っ
今後も『毎日更新』を続けていく『大きな励み』になりますので、どうか何卒よろしくお願いいたします……っ。
↓この下に【☆☆☆☆☆】欄があります!