第二十五話:<原初の炎>
今より時を遡ること15年、エインズワース家に新たな命が生まれた。
その玉のような女の子は、ニアと名付けられる。
「ふっ、はは……っ。ふはははははははは……ッ! 素晴らしい! なんという日だ! 300年と待ったぞ、この瞬間をッ!」
『大翁』ゾーヴァの狂ったような笑い声が、エインズワースの屋敷中に響き渡った。
ゾーヴァ・レ・エインズワースは、エインズワース家の現当主。
起源級の固有魔法を使い、肉体の老化を停止させることで、遥か悠久の時を生きる――まるで亡霊のような男だ。
長い白髪をたなびかせる彼は、身長2メートルを超す巨漢を誇り、細身ながらも鋼のような筋肉を搭載している。
皺だらけの顔はしかし精悍さを感じさせ、鷹の如き鋭い眼が強烈な威圧感を放つ。
「見ろ、<原初の炎>だ! ようやく生まれたぞ! 儂の<原初の氷>と対を為す、起源級の固有魔法がッ!」
エインズワースは、魔法の因子研究の大家。
『洗礼の儀』に依らない特殊な方法で、生後間もないニアの固有魔法を<原初の炎>と正確に判定した。
「これでようやっと『計画』に移れるわ! ふははっ、これから忙しくなるぞッ!」
ゾーヴァは、心の底から喜んだ。
ニアの誕生を――ではなく、彼女の肉体に宿る<原初の炎>の誕生を。
その後、エインズワースの英才教育を受けたニアは、スクスクと健康的に育っていった。
そして彼女が五歳になった頃、人生の転機となる大きな事件が起こる。
どんよりと曇ったとある朝、ニアは祖父ゾーヴァに連れられ、エインズワース領で最大の病院へ連れていかれた。
「これはこれはゾーヴァ様、ようこそおいでくださいました」
出迎えに参じた院長はそう言って、ゾーヴァの前に跪く。
「楽にせよ。それより、例の者たちは?」
「第四観察室でございます」
「案内を」
「はっ、どうぞこちらへ」
一般病棟から特別研究棟へ移動し、長い廊下をしばらく歩くと……透明なガラスで仕切られた、真っ白な小部屋に辿り着く。
その中には小さな子どもたちが十人ほど、ベッドの上で寝かされていた。
「状態は?」
「今は安定しておりますが、もう間もなくかと」
「ふむ、そうか」
ゾーヴァと院長が意味深な会話を交わす中、
「ねぇお爺様、この子たちはどうして、閉じ込められているの? 何か重たい病気なの?」
ニアの問いを受け、ゾーヴァが視線を流し、院長が代わりに答える。
「ニアお嬢様、ここにいる子どもたちはみな、『特発性魔力不全症』という病を患っているのです」
「とくはつせい、まりょく……?」
「原因不明の病で、多くは五歳までの若齢に発症します。魔力を生成する器官が委縮・壊死し、やがて死に至るという恐ろしいモノです」
「……えっ。あの子たち、みんな死んじゃうの……?」
「残念ですが、もう間もなく」
「そ、そんな……どうにかして助けてあげられないの!?」
ニアの質問に対し、院長は首を横へ振る。
「現代の医学と回復魔法では、手の施しようがありません。ただ……お嬢様の魔法因子があれば、あるいは……」
「私の魔法因子……?」
「はい。<原初の炎>は非常に希少な固有魔法でして――」
そうしてニアは、院長から簡単な説明を受けた。
起源級の固有魔法<原初の炎>は、『破滅』と『創造』を司る強大な力。
『破滅の焔』は万物を焼き焦がし、『創造の焔』は万象を回帰させる。
ニアの魔法因子を解析し、<原初の炎>の創造を司る部分のみを培養し、それを患者に移植すれば……もしかすると病気が治るかもしれない。
「お嬢様、この恵まれない子供たちのために、ご協力いただけないでしょうか?」
「うん、いいよ。私の因子が力になれるのなら、いくらでも使ってちょうだい!」
「おぉ、ありがとうございます」
そうしてニアは、自分の魔法因子を提供した……提供してしまった。
その後、実験は見事に成功。
<原初の炎>の力は凄まじく、培養因子の移植を受けた子どもたちは、目覚ましい回復を遂げた。
「ニアおねえちゃん、ありがとー!」
「ニア姉のおかげだよ!」
「ニアねーちゃん、大好きー!」
元気になった子どもたちは無邪気に喜び、ニアに感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとうございます、ありがとうございます……っ」
「ニア様のおかげで、うちの子があんな元気に……ッ」
子どもの保護者たちも涙を流して喜び、ひたすら感謝の言葉を繰り返した。
「え、えへへ……どういたしまして……っ」
嬉しかった。
誇らしかった。
自分の固有魔法は、困っている人たちを助けられる。
その事実が、とても幸せだった。
しかし……これが『地獄』の始まりだった。
数日後、
「熱、ぃ……熱い、よ……っ」
「ニア、おねぇ……ちゃ、ん……助け、て……ッ」
<原初の炎>の魔法因子を移植された子どもたちが、突如として苦しみ出したのだ。
一人また一人と倒れていき、
「……えっ……?」
ニアが呆然と固まる中、
「<原初の炎>、『収奪の力』を確認! 魔力の遠隔吸収に成功しました!」
「ゾーヴァ様、おめでとうございます!」
「これで『因子融合』の研究は、新たな段階へ進みますね!」
医者たちは次々に賛辞を述べ、それを受けたゾーヴァは重々しく頷く。
「うむ、みなもよく働いてくれた。しかし、これはまだ計画の第一段階に過ぎぬ。気を引き締めて、第二段階へ移れ。それから……この被検体たちは貴重な実験試料であり、有用なエネルギー源だ、生かさず殺さず保管せよ」
「「「はっ!」」」
とんとん拍子でコトが進む中、
「……なに、が……?」
ニアは一人、完全に置いてけぼりだった。
<原初の炎>には『破滅の焔』と『創造の焔』の他にもう一つ、『収奪の力』が備わっている。
これは、自身の炎を相手に分け与える代わりに、その者の魔力をいつでもどこでも好きなときに強制徴収するというものだ。
本来、収奪の力の主導権は、素体であるニアに宿るはずなのだが……。
彼女がまだ赤子の頃に『因子改造手術』を施され、ゾーヴァに奪われてしまっていた。
「お、お爺様……これは、いったい……?」
「なぁに、気に病むことはない。こやつらは元より欠陥品。束の間の夢を見させてやったのだ。感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはない」
『大翁』ゾーヴァはそう言って、邪悪に嗤った。
「ち……違う……っ。この子たちは欠陥品なんかじゃありません! お爺様は間違っています!」
幼いニアは必死に抗った。
しかし、
「ふむ、どうやら仕置きがいるようじゃな」
片や5歳の子ども、片や300歳の大翁。
どちらが勝るかなど、敢えて言うまでもないことだ。
幼いニアは殴られ・蹴られ・打たれ、酷い折檻を受けて、屋敷の地下牢に閉じ込められた。
「よいかニア、お前は儂の所有物なのだ。儂のために生き、儂のために死ぬ。これを肝に銘じておけ」
日の差さぬ昏い檻の中、ボロ雑巾のようになったニアは、一人静かに涙を流す。
(……死にたい……。もう、嫌だ……死んじゃいたい……っ)
この世界から消えてしまいたくなった。
だけど……自分が今ここで死ねば、あの子どもたちはどうなる?
『特発性魔力不全症』は、死に至る病だ。
あの邪悪な院長の説明に嘘はなかった。
<原初の炎>の力がなければ、半年と持たずに死亡してしまう。
みんなを苦しめているのは、この炎。
しかし、みんなの命を繋ぎ留めているのもまた、この炎。
誇らしかった自分の炎が、どんどん嫌いになっていった。
(私は……罪を償わなきゃいけない……)
自分がこんな力を持って生まれたから、自分が安易に因子を提供したから、大勢の子どもたちが苦しむことになった。
ニアはそんな風に考えているが……当然、彼女に責はない。
大翁ゾーヴァという邪悪がいなければ、彼の内に底知れぬ野心がなければ、そこにほんの僅かな人間性があれば、こんな悲劇は起こらなかったのだから。
しかし……人一倍真面目で人一倍責任感の強いニアは、全ての責任を背負い込んでしまう。
聡明な彼女は、その明晰な頭脳で考えた。
(お爺様の暴走を止めるには、いったいどうすれば……)
ゾーヴァは四大貴族エインズワース家の当主であり、広大な社会的影響力と凄まじい権力を握っている。
自分のような幼い子どもが、ゾーヴァの悪行を世に訴えたところで、彼の行う残酷な人体実験を告発したところで――きっと闇の力で捻じ伏せられてしまう。
(誰かに助けを求めることは……できない)
このエインズワース家は、ゾーヴァの城だ。
父も母も家庭教師も執事も使用人も、誰一人として大翁に逆らえる者はいない。
彼が白と言えば白、黒と言えば黒となる世界。
加えて聖騎士協会の上層部には、エインズワースの息が掛かった者もいる。
こうなれば、聖騎士の力を頼ることも難しい。
(<原初の炎>は、私の固有魔法……。それなのに、力の一部がお爺様に使われている感覚があった。多分この体に――魔法因子に何かされているんだ……)
ニアの推測は当たっており、本来彼女が持つ『収奪の力』は、ゾーヴァに握られている。
現状、完全に八方塞がり。
ニアのような子どもにできることは、何もない。
(お爺様を説得するのは……無理だ)
あの邪悪に改心は不可能、あれはもう心の根が腐っている。
(このままお爺様を放っておけば、きっともっとたくさんの子どもたちが酷い目に遭う……)
ゾーヴァは特発性魔力不全症に掛かった子どもを呼び集め、とある『壮大な実験』のエネルギー源にせんと目論んでいる。
誰かが彼の暴走を止めなければ、今後さらに数百人単位の子どもたちが、その毒牙に掛かるだろう。
(もう……お爺様を――ゾーヴァを殺すしかない)
追い詰められたニアは、昏い決心を固めざるを得なかった。
それから一か月が経ったある日、地下牢にゾーヴァが降りてくる。
「どうじゃニア、少しは頭が冷えたか?」
「……はい、申し訳ありませんでした。私が間違っていました。今後はお爺様の道具として、慎ましく生きていきます」
「ふっ、偉いぞニア、よく理解してくれた」
ゾーヴァは優しくニアを抱き締め、ニアは強く固く拳を握り締めた。
(ゾーヴァは強い。今の私じゃ、天地がひっくり返っても勝てない……っ)
今はこうして、従うしかない。
しかし、この服従は表面上のこと。
心までは屈していない。
(私は強くならなくちゃいけない、一年でも一日でも一秒でも早く……ッ)
悲愴な決意を胸に、彼女は必死に努力した。
誰よりも早く剣を握り、誰よりも早く魔法を学び、誰よりも過酷な日々を過ごした。
全てはゾーヴァを殺し、自分の罪を償い――子どもたちを助けるため。
そして三年後、『運命の悪戯』が訪れる。
よく晴れたとある日、ニアは『そろそろ見聞を広げるべきだ』と言うゾーヴァに連れ出され、王都で開かれる『武闘会』に出場した。
十歳以下のジュニア部門に出場した彼女は、その圧倒的な強さで連戦連勝、瞬く間に決勝の舞台へコマを進める。
決勝戦の相手は――同じ四大貴族の一角ハイゼンベルク家の長子ホロウ・フォン・ハイゼンベルク。
(この人が、ホロウ……)
彼の名前は、何度か耳にしたことがあった。
曰く、天賦の才能を持つ神童。
曰く、怠惰にして傲慢の化身。
曰く、神と悪魔が作りし最悪の子ども。
ホロウの噂は、どれも碌なモノではなかったが……。
ただ一つ、『デタラメに強い』ということだけは共通していた。
「それではこれより、ホロウ・フォン・ハイゼンベルク対ニア・レ・エインズワースの決勝戦を執り行います! 両者、準備はよろしいですか? それでは――はじめっ!」
開始の合図と同時、ニアはすぐに剣を抜いた。
しかし……ホロウは棒立ちのまま動かない。
「ふわぁ……っ」
なんとも気怠げな顔で、大きな欠伸までする始末。
「ねぇ、もう始まっているわよ……?」
「で?」
「いや、だから……隙だらけなんだけど」
「はぁ……その小さな頭でよぅく考えろ。羽虫を叩き潰すのに、わざわざ構える奴がいるか?」
「……そう」
噂通り、ドブのように腐った男だった。
周囲に天才と持て囃されているが、所詮は温室育ちの馬鹿貴族。
地べたを這いつくばり、必死に修業してきた自分とは、比べるべくもない。
その無駄に整った顔面をボコボコに凹ましてやろうと思った。
しかし……世界は残酷だった。
「よっと」
「が、はっ!?」
「おいおい、寝るにはまだ早いぞ?」
「きゃッ」
「どうしたどうした、もう終わりかァ!?」
「あ゛ぅ」
「そぉら、無様に醜態を晒せッ!」
「うぐッ」
殴られ、蹴られ、叩かれ、投げられ、完膚なきまでに打ち負かされた。
大衆の面前で、これ以上ないほどの辱めを受けた。
このあまりにも一方的な展開を受け、観客席に小さくないざわめきが起こる。
「お、おい……これはいくらなんでも……っ」
「あぁ、やり過ぎだよ……」
「ホロウ・フォン・ハイゼンベルク……噂通り、なんと邪悪な男か」
「ふんっ、これだからハイゼンベルクは好かんのだ……」
「しーっ! 旦那様、声が大きいですぞ!?」
武闘会が不穏な空気に包まれる中、
「くくっ、なんてみっともない姿だ。おい見ろよ、この場に集まった観客全員が、お前の醜態を嗤っているぞ?」
ホロウの言葉攻めを受け、
「ぅ、ぐ……っ」
ニアは羞恥を噛み締めた。
ホロウは『人間の壊し方』を知っている。
どう殴れば骨が折れるか、どう蹴れば内臓に響くか、どう投げれば筋を断てるか。
だからこそ、理解している。
どれぐらい加減すれば、相手の意識が飛ばないか。
邪悪なホロウは、ニアを気絶させぬよう、細心の注意を払って痛め付けた。
そして……彼女はプライドが高く負けん気が強く、自分から降参を申し出るタイプじゃない。
サンドバッグのように打たれ、ひたすらに嬲られる中、それでも必死に勝ち筋を追う。
「……っ」
ニアが下手に戦う意思を見せるため、審判も試合を止められずにいた。
「まだ、ま……だ……っ」
震える手で剣を握り、反撃に出ようとしたそのとき――カクンと膝が抜ける。
(……あっ……)
散々痛めつけられたダメージが、脚に来てしまったのだ。
「くくっ、派手に終わらせてやる!」
眼前に迫るは、悪魔の拳。
(……駄目、やられる……っ)
ニアは恐怖に目を瞑った。
しかしいつまで経っても、そのときは訪れない。
「……おぃ゛、これはなんの真似だ、オルヴィン?」
ホロウの魔手を受け止めたのは、ハイゼンベルクの老執事だった。
「恐れながら、既に坊ちゃまの勝利は揺るぎないかと。どうかこの辺りでお収めください」
「ちっ……興が冷めた」
ホロウが大きく舌打ちを鳴らすと同時、ニアはバタリと倒れ伏した。
その瞬間、審判が勝敗を告げる。
「そこまでッ! 勝者ホロウ・フォン・ハイゼンベルク!」
こうして武闘会の優勝者が決定した。
「しっかし……こんな愚物が、俺と同じ四大貴族だと? まったく、不愉快極まりない話だな」
頭上から降り注ぐ侮蔑の言葉に対し、
「……っ」
ニアはポロポロと涙を流しながら、奥歯を噛み締めることしかできなかった。
会場が異様な空気に包まれたまま、今年度の武闘会は終幕。
この件を機に、『怠惰傲慢な極悪貴族』ホロウ・フォン・ハイゼンベルクの悪名は、クライン王国全土へ轟くのだった。
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