第十七話:トゥンク
極悪貴族ホロウ・フォン・ハイゼンベルクに敗れた挙句、あまつさえ許しを請うて見逃してもらったニアは、かつてない敗北感を抱えたままエインズワースの屋敷に戻る。
「……」
浮かない顔で玄関の大きな扉を開けると、ちょうど屋敷の清掃をしていた執事が目を丸くする。
「お嬢様、学校はどうなされたのですか……?」
「……ごめんなさい、今日はちょっと具合が悪いから休むことにしたの」
「なんと、すぐに医者をお呼びしましょう」
「うぅん、大丈夫。横になっていればよくなると思う」
「左様でございますか」
「ちょっと一人になりたいから、私の部屋には誰も入れないで」
彼女はそう言って自室に入ると、制服のままベッドに倒れ込み、シーツをギュッと強く握り締める。
「……負けた……っ」
まさかここまで大きな差があるなんて、想像だにしていなかった。
ホロウは第一位、自分は第四位。
序列はたったの三つしか離れていない。
しかしそこには、天と地ほどの差があった。
「……なんなのよアレは……ッ」
ニアがまず驚かされたのは、ホロウの神懸かった魔法技能だ。
自身の誇る固有魔法<原初の炎>が、ただの一般下位魔法に――誰でも使える<障壁>なんぞに完封されてしまった。
(<原初の炎>は最高位の起源級、魔法性能ではこちらが圧倒しているはずなのに……まるで歯が立たなかった……っ)
ホロウの魔法士としての力量は、ニアを遥か後方へ置き去りにしている。
彼我の実力差はあまりにも掛け離れており、<原初の炎>を以ってしても、埋めることはできなかった。
ホロウの魔法は、恐ろしく出が速い。
魔法の構築・魔力の充填・現象の改変、一連の流れが異常なほどに速く、それでいて正確だった。
彼はまるで息をするかのように魔法を行使するのだ。
(あれほどの魔法技能、いったいどうやって手に入れたの……?)
純粋に疑問だった。
魔法技能は一朝一夕で身に付かない。これは毎日の小さな積み重ねが、地道な努力がモノを言う領域だ。
(まさか……いや、あり得ない。あの怠惰傲慢の化身が、努力なんてするわけない)
ホロウの神懸かった魔法技能は、地味で退屈な修業の賜物なのだが……。
そんなことは、ニアが知る由もない。
(とにかく、ホロウはまるで本気じゃなかった、まだ何か『奥の手』を隠している……)
脳裏に浮かぶのは、終盤に見せたあの瞬間移動。
(私の背後を取った謎の魔法、アレは絶対に<屈折>なんかじゃない。もっと上位の……空間支配系の固有魔法。もしかして、1000年前に世界を滅ぼした『厄災』ゼノの――)
そこまで考えたところで、小さく首を横へ振る。
ホロウのことは詮索しない。
他でもない自分が、そう約束したのだ。
勝負に負けた挙句、約束まで違えては、自分で自分を許せなくなる。
ニアの心は純潔にして清廉、どこぞの『借金馬女』とはモノが違うのだ。
(……忘れよう……)
静かに頭を振る。
何故エインズワース家の暗部を知っているのか、どこで自分の体の秘密を聞いたのか、神懸かった魔法技能も、謎に満ちた固有魔法も、最後に感じた悍ましい大魔力も、全て記憶の奥へ仕舞い込む。
(ホロウは……あの化物は『異質な存在』なんだ)
世界には時々、ああいう『特異点』が生まれる。
あんなのと比較しては、自分が酷くちっぽけな存在に思えてしまう。
(でも、このままじゃ間に合わない……)
白いシャツを少しはだけさせ、柔らかな胸にそっと手を当てた。
(……また成長している……)
彼女の体に眠る<原初の炎>の魔法因子は、日ごとにその強さを増していた。
魔法因子の成長、これは決して悪いことじゃない。
因子の成長は、魔法士の強化と同義。
一般的には、むしろ喜ぶべきことだ。
しかしニアの場合は、大きく事情が異なる。
彼女の体に魔法因子が馴染み、<原初の炎>が覚醒したそのとき――『器の完成』と見做され、即座に『計画』が実行される。
(それまでに祖父を、『大翁』ゾーヴァを倒さなきゃ、みんな殺されてしまう……っ)
頼れる人はいない。
親も執事も教師も、誰も祖父には、現当主ゾーヴァ・レ・エインズワースには逆らえない。
それもそのはず、ゾーヴァは御年300歳を超える老爺。
彼の存在、それ自体がエインズワース家の歴史となっている。
ニアはたった一人で、この化物に立ち向かわなくてはならない。
――ゾーヴァを殺し、自分の『罪』を償う。
ニアはただそのためだけに生きてきた。
体を鍛え、剣を振り、勉学に励み、魔法書を読み――ひたすらに努力し続けてきた。
同い年の友達が遊んでいるときも、家族の団欒を楽しんでいるときも、温かいベッドで眠っているときも、がむしゃらに修業を続けた。
ずっと独りで、誰からも褒められず、ただ黙々と、牙を研ぎ続けた。
(大丈夫、きっと大丈夫……。これだけ頑張っているんだから、きっと全て上手く行く……っ。私ならあの化物にだって勝てる。いや、絶対に勝たなくちゃいけない……ッ)
何度もそう自分に言い聞かせた。
強い言葉を使い、挫けそうになる心を奮い立たせた。
そうしなくては、どこかでポッキリと折れてしまいそうだった。
残された時間は、もう後わずか。
こんなところで泣き言を零している暇はない。
そんなことは、自分が一番よくわかっている。
だがしかし、ニアが背負っているモノは、15歳の少女にはあまりにも重く……。
「……誰か、助けてよ……っ」
悲惨な運命に囚われた彼女は、一人静かに涙を流した。
■
ニアとの摸擬戦に勝利したボクは、地下演習場を出て、特進クラスへ移動する。
教室の後ろ扉を開け放つと同時、クラスメイトの視線が津波のように押し寄せた。
「あー、やっぱりホロウの勝ちかぁ……」
「ニアさん、まだ帰って来ないけど、大丈夫なのかな……」
ボクはそちらに目も向けず、無言のままツカツカと歩き、窓側の席に腰を下ろす。
それと同時、フィオナさんから<交信>が飛んできた。
(あのぅホロウ様、一つお聞きしてもよろしいでしょうか……?)
(どうした)
(ニアさんの姿が見えないんですけれど……まさか殺しちゃったりなんて……?)
(馬鹿なことを言うな。そんな簡単にクラスメイトを殺すわけないだろう)
(で、ですよねー。……ふぅ、よかった。ホロウくんはちょっと強くなり過ぎて、手加減が手加減になってないんだよね……。うっかり殺っちゃってたらどうしようって、内心けっこうヒヤヒヤして――)
(――おい、まだ繋がっているぞ?)
(う゛ぇ゛っ!? あっ、これは、その……し、失礼しましたぁ……っ)
フィオナさんは大慌てで念話を切断した。
(まったく、ボクのことをなんだと思っているのか……)
そうしてため息をついていると、クラスメイトの注意がずっとこちらに向いていることに気付いた。
「おい見ろよ、あの第四位と戦ったのに無傷だぞ……?」
「マジかよ……同じ四大貴族でも、ここまで差があんのか」
「さすがは序列第一位、『極悪貴族』の名は伊達じゃねぇようだな」
うーん、ちょっと悪目立ちしちゃってるかも……。
でもまぁ、これは仕方がない。
もしもあのときアレンとニアの言い争いを止めていなければ、極々自然な流れで二人の決闘が始まり、メインルートと全く同じ展開になってしまう。
(原作メインルートは、悪役貴族の死という形で収束する……)
それだけは、絶対に避けなければならない。
(少し悪目立ちする代わりに、主人公の強化イベントを壊し、ニアに釘を刺すことができた。プラスマイナスで考えれば、間違いなく大幅なプラスだ)
そうしてボクが、いつものように頭の中で損得勘定を働かせていると、後ろから背筋の凍るような声が響いた。
「あの……ホロウくん、だよね?」
「~~ッ」
細胞が悲鳴をあげ、全身が総毛立つ。
今にも口から飛び出しそうな心臓をなんとか抑え込み、ゆっくり振り返るとそこには――我が生涯の天敵アレン・フォルティスがいた。
「……なんだ」
平静を取り繕っているが、内心ガクブルが止まらない。
アレンは原作ホロウの天敵of天敵。
今やり合えば、まず負けない。
十中八九、ボクの勝ちだ。
(しかしそれでも、『絶対』とは言い切れない……っ)
何せアレンは、世界の寵愛を一身に受けた存在。
どんなご都合主義が起こるか、わかったものじゃない。
主人公に対する最適解は――とにかく関わらないこと。
好印象も悪印象も持たず持たれず、ただただ『無』であり続けることだ。
「さっきの件なんだけど……ボクのこと、庇ってくれたんだよね?」
「はっ、おめでたい奴だな。あれはただ、あの女が煩わしかっただけだ。お前なぞ、気にも留めておらん」
「そっか……。でも、嬉しかったんだ。だから、その……ありがとう」
アレンはそう言って、その中性的な顔で、柔らかく微笑んだ。
「どうしてもそれだけ伝えたくて……それじゃまた」
彼は気恥ずかしそうに小さく手を振り、自分の席へ戻っていった。
――トゥンク。
心が跳ねた。
(何だよあいつ、めちゃくちゃいい奴じゃん……っ)
ボクが現実世界にいた頃、もしもこんな友達がいれば……きっと楽しい人生が送れたんだろうな。
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