第三十一話:虚空の王
帝国南部のリーザス村は、長閑で穏やかな場所だ。
広大な牧場では牛がのんびりと草を食み、青々とした畑には鮮やかな作物が実り、そこかしこから子どもたちの元気な声が聞こえてくる。
帝都の喧騒から離れ、牧歌的な時間の流れるそこには今――恐ろしき『魔の手』が迫っていた。
まるで地鳴りのような大きな足音が響く中、銀影騎士団の面々が一般市民の避難誘導を行う。
「――みなさん、急いで寄合所へ!」
「荷物は持たないで! 命が最も大切です!」
「危険なので、この建物から絶対に出ないでください!」
リーザス村よりさらに南、外界と呼ばれる魔境から、亜人の軍勢がやってきたのだ。
巨獣、成体の平均身長が十メートルを優に超す、茶色の体毛に覆われた直立二足歩行の化物である。
これを迎え撃つは皇帝直属の銀影騎士団、歩兵80・騎兵50・魔法士20、合計150からなる帝国の精鋭だ。
「ふぅー……っ」
一団の先頭に立つのは、銀影騎士団団長ダンケル・ライディッヒ、38歳。
身長187センチ・赤褐色の短髪・彫りの深い顔立ち、鋼のような筋肉を搭載した、『帝国最強の重騎士』と謳われる大男だ。
巨獣の軍勢が目前にまで迫る頃――鈍色の鎧を着たダンケルは、大きく息を吸い込み、号令を発する。
「――総員、戦闘準備! これより相対するは百の巨獣! 相手にとって不足はないだろう! 陛下の期待に応え、帝国臣民を守り抜くのだッ!」
「「「うぉおおおおおおおおおおお……!」」」
銀影騎士団が一斉に行動を開始した。
先陣を駆けるのは、団長のダンケルだ。
「ハァアアアアアアアア……!」
右手に大剣・左手に大盾、重騎士の基本姿勢で、敵の軍勢に向かっていく。
「――オォオオオオン!」
巨獣の放つ蹴りに対し、
「ぬん!」
左の大盾を完璧に合わせた。
「ぐ、ぬ……っ」
尋常ならざる衝撃を受け、左腕が悲鳴をあげる。
身長差は10倍。
体重差は1000倍。
単純な力勝負なら、ダンケルの負けは必然だ。
しかし彼には、磨き抜かれた『技巧』があった。
「ハァ゛!」
大盾を斜めに滑らせ、大質量の蹴りをいなし、
「ゴォ!?」
敵のバランスを崩した。
その隙にダンケルは力強く跳び上がり、
「――ズェリャァアアアアアアアア!」
大剣の斬撃を以って、その首を刈り取った。
「ぃよぉしっ! 次ぃイ゛イ゛イ゛イ゛ッ!」
野太い声が空気を揺らし、騎士団の戦意が向上する。
その後、どれくらいの時間が経っただろうか。
中央の歩兵が正面から斬り合い、両翼の騎兵が敵の注意を乱し、後方の魔法士部隊が火力を押し付ける。
銀影騎士団は、『対亜人』の教科書的な戦法を実践した。
しかし、
(……マズいな……っ)
戦局は劣勢。
巨獣という『絶対強者』に対し、『個』として応戦できるのはダンケルのみ。
帝国の誇る精鋭たちは、一人また一人と捕食され……既に全体の三割が、戦闘不能となっていた。
本来であれば、すぐにでも撤退すべき盤面だが……。
(ここで引けば、リーザス村の人々が喰われてしまう。なんとしても、奴等を討つほかない!)
正義の心を持つダンケルが、剣を握る手に力を込めると、
「――エイミー!」
戦場に甲高い声が響いた。
そちらに目を向ければ――二十代半ばの女性が寄合所から飛び出し、厩舎の前で震える、小さな女児のもとへ駆け寄った。
(あれは……なるほど、子どもが逃げ遅れていたのか)
ダンケルが状況を理解すると同時、
「――オゥオ?」
とある巨獣が母子に狙いを定め――周囲の騎士には目も暮れず、猛然とそちらへ駆け出した。
(これはいかん……ッ)
ダンケルは迷わず自身の切り札を――伝説級の固有を使う。
「――<獅子奮迅>ッ!」
自身の魔力を膂力に変換し、三分の間に限って、獅子の如き剛力を手にした彼は、
「どけぇえええええええ!」
周囲の巨獣たちを斬り伏せ、母子のもとへ走り出す。
しかし、ダンケルは重騎士。
(ぐっ、間に合わん……ッ)
腕力と耐久力に極振りしたビルドであり、俊敏な巨獣に追い付くことはできない。
「エイミー、ここは私に任せて、寄合所へ逃げなさい!」
「い、いや……お母さんも一緒がいい!」
「馬鹿、どうして言うことを聞かないのよ……っ」
抱き締め合う母子のもとへ、血に濡れた巨腕が伸ばされる。
「に、逃げろォオオオオオオオオッ!」
ダンケルの警告も虚しく――『ぐしゃり』と血の華が咲いた。
(くそ、守れなかった……っ)
彼がグッと奥歯を噛み締めた次の瞬間、
「オォオオオオオオオオオオオ……!?」
巨獣の凄まじい絶叫が響いた。
見れば、右手の拳がなくなっており、おびただしい量の血が噴き出している。
(い、いったい何が……!?)
ダンケルが混乱を極める中、土煙が晴れるとそこには――漆黒のローブを纏った謎の仮面が立っていた。
「――大丈夫ですか?」
彼が優しい声で問い掛けると、
「は、はい……ありがとうございます……っ」
「お兄ちゃん、ありがとう……!」
命を救われた母子は、感謝の言葉を口にする。
「いえいえ、当たり前のことをしたまでですよ」
突如として現れた仮面は、品位と余裕に満ちている。
血生臭い戦場にありながら、どこか浮世離れした存在だ。
「ここは危険なので、あちらの建物へ避難を」
ボイドが紳士的にそう言うと、
「グォオオオオオオオオオオオ!」
右の拳を失った巨獣が、憤怒の形相を浮かべ、左腕を振り下ろす。
「あ、危ない……ッ」
「お兄ちゃん、後ろ……!」
母子の悲鳴が飛んだ直後、『信じられない現象』が起こる。
――ヌポン。
「「……えっ……?」」
消えた。
15メートルを超す大型の巨獣が、まるで手品のように忽然と姿を消したのだ。
「危ないので、消えていただきました」
「え、えっと……?」
母は小首を傾げ、
「お兄ちゃん、すごーい……!」
娘は目を輝かせた。
その一方、銀影騎士団に大きな緊張が走る。
「おいおい、今のってまさか……!?」
「起源級の固有<虚空>……っ」
「ってことは、アイツが例の……ッ」
あちこちで動揺が生まれる中、ダンケルは驚愕に目を見開く。
(何故、こんなところにボイドが……!? 奴は今、陛下と『極秘会談』を行っているはず……っ)
彼が瞬きをすると、正面にいたはずの仮面が消え、
「――どうやら苦戦しているようだな」
背後から、涼しげな声が響く。
「なっ!?」
大慌てで振り返るとそこには、巨獣を見上げるボイドの姿があった。
(今のが伝承に残る<虚空渡り>!? いや違う、魔法を使った形跡はない。おそらくは、単純な膂力による『超高速移動』。強い、桁外れに、恐ろしいほどに……っ)」
冷や汗を流すダンケルに対し、ボイドは僅かに肩を竦め、小さな声で耳打ちをする。
「そう警戒せずともよい。皇帝の――『友』の頼みでな。キミたちを助けに来たんだ」
「こ、皇帝陛下の……!?」
ボイドは小さく頷き、悠々と最前線へ躍り出ると、大きく両手を広げた。
「巨獣諸君、まずは話をしよ――」
「――ラァアアアアアアアア!」
興奮した巨獣が拳を振り下ろし、
「まぁ落ち着け、そう気を立て――」
「――ゴォオオオオオオオオ!」
強烈な酸の唾を吹き掛け、
「どうだろう、私の家族に――」
「――ブォオオオオオオオオ!」
周囲の木々や家屋を投げ付ける。
平和的な解決を求めるボイドに対し、巨獣たちはひたすら攻撃を繰り返した。
その異様な光景を前に、銀影騎士団は言葉を失う。
(おいおい、巨獣の猛攻を受けて無傷かよ!?)
(<虚空流し>、あらゆる攻撃を透過する、『厄災』ゼノの力……っ)
(もはや強いとかそういう次元じゃない、これが『虚の統治者』ボイド……ッ)
一方のボイドは、
(ふむふむ、やっぱり『設定の強制力』は凄まじいな……)
こんなときでさえ、抜かりなく『データ』を取っていた。
(ボクの原作知識によれば、巨獣は生物を喰らうだけの存在。その知性は非常に低く、ただ食べるために生きている)
実際に今も、
「「「ガラァアアアアアアアア!」」」
巨獣たちは大きな口をこれでもかと開き、目の前の人間を貪り食わんとしていた。
(うーん、さすがにこれはいらないかなぁ……っ)
巨獣は、ボイドの好む珍しい種族じゃない。
外界を歩けば、そこかしこで目にする亜人だ。
暴力性が高いうえ、知性も低過ぎるため、教育を施すのも難しい。
(まぁでも、せっかくの機会だし……とりあえず捕まえておくか)
あらゆる『無駄』を嫌うボイドは、巨獣の確保に舵を切った。
(皇帝たちは、魔水晶を通じてこの状況を見ている……。よし、ここは『映える魔法』を使おうっと!)
彼が右手を前に伸ばすと、
「――<虚空沼>」
巨獣たちの足元に漆黒の大渦が生まれ、その巨体をゆっくり飲み込んで行く。
「「「オ、オォオオオオオオオオオオオオ……!?」」」
彼らは脱出せんと両手両足をばたつかせるが……動けば動くほどに体は沈み、やがてヌポンを迎える。
(これは……『戦い』、なのか? 俺は何を見せられているんだ……!?)
ダンケルの前に広がるのは、一方的な蹂躙劇。
たった一発の魔法が引き起こした、未曽有の大災害。
この情景を一言で表すのなら――きっとそれは『厄災』だろう。
ボイドという『絶対強者』の前では、暴虐の化身に思えた巨獣たちも赤子同然。
『弱肉強食』という原初の摂理が、これでもかというほどに強く現れた瞬間だ。
「「「……っ」」」
銀影騎士団の面々が、恐怖に体を強張らせる中――巨獣たちを『足場』に使い、<虚空沼>から逃れる者がいた。
赤い眼光を煌かせる、白銀の体毛を持つ個体だ。
(確かアレは……この群れのボス、『ルオー』だっけ?)
巨獣を統べる者ルオーは、
「ルォオオオオオオオオオオオオオ!」
けたたましい雄叫びをあげながら、この場で最も強き者へ、ボイドへ襲い掛かる。
(ギャラリーもたくさんいるのに、魔法一辺倒ってのは、ちょっと味気ないよね)
彼がそんなことを考えていると、
「ルァアアアアアアアアアアアアア!」
ルオーは天高く跳び上がり、右の拳を振り下ろす。
身長差は10倍。
体重差は1000倍。
単純な力勝負なら、ボイドの勝ちは必然だ。
ルオーの放った渾身の一撃は、
「ルォ!?」
ボイドの人差し指によって、いとも容易く受け止められる。
「る、ルァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」
パニックに陥った『巨獣の王』は、口を限界ギリギリまで開き、目の前の人間を喰らわんとする。
しかし次の瞬間、
「――伏せ」
神速の拳が振り下ろされた。
「ぁ、ご……!?」
山を砕いたかのような轟音が鳴り、凄まじい衝撃波が吹き荒れ、大地が激しく揺れ動く。
まさに『一撃必殺』。
魔力も纏わぬただの拳骨によって、巨獣の王は沈んだ。
「ルオー、確かキミは……『変異種』だったな?(『巨獣襲来』のイベントボス、名前付きキャラだし、他の個体より知性が高いかも……。よし、駄目元で教育してみよう!)」
ボイドは嬉しそうに呟き、ルオーを家族へ迎え入れた。
「ふむ、まぁこんなところか」
ボイドの現着より僅か一分。
『虚空の王』が、全てを蹂躙した。
【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
「面白いかも!」
「早く続きが読みたい!」
「執筆、頑張れ!」
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この二つを行い、本作を応援していただけないでしょうか?
ランキングが上がれば、作者の執筆意欲も上がります。
おそらく皆様が思う数千倍、めちゃくちゃに跳ね上がります!
ですので、どうか何卒よろしくお願いいたします。
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