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青いパッケージのボディクリーム

 そうして普通の休日を過ごすと思っていた土曜日の夜に事件は起こった。

 否、実際に事件が起きるのは日曜日になるのだが起爆スイッチが押されたのは土曜日の夜だ。起爆剤はもちろん桐生である。


 僕達の撮影会にこれと言った決まりは無い。あるのは僕の顔を写さない事、それと学校では極力話しかけないこと、この二つくらいだ。その決まりの中に休日は撮影会をしないという決まりはない。決まりは無いが、わざわざ休日にまで撮影会をするという選択肢がそもそも僕の頭には無かった。

 けれど桐生の方は違ったようだ。


『明日家来て』


 短いメッセージの後に添付されたのは一眼で女物とわかるふんわりとしたシルエットのワンピース。おまけに靴やバッグまで映り込んでいてトータルコーディネートだってばっちりだ。だが問題はそこでは無かった。問題はむしろその後だ。


『メイクもしたい』

「ばっっかじゃないの…!」


 ご丁寧にやって来たもう一枚の写真にはメイク道具を抱えた桐生の姿が。自撮りでも無加工でも顔が良い事にもう感心すらするのだが、今はそんな事をしている場合では無い。僕は激情のまま通話ボタンを力任せにタップした。


「もしも」

「馬鹿じゃないの⁉︎」

「あはは、思った通りの反応で良かった」

「何にも良くないんだけど! ていうかメイクって何。そこまでやるなんて聞いてない」


 大きくなりそうな声を潜めて電話口の桐生に抗議する。


「だって今言ったもん」

「お前興味あるのは女装じゃねえのかよ」

「いずれはメイクもって思ってたんだけどさ、一昨日斉藤の写真見返してたらもっと可愛くなった格好見たいなって」

「きんもっ」

「すごい、電話でも斉藤のきもいってなんか興奮する」

「ど変態が…!」


 僕はもう薄々わかっていた、こうなった桐生はもう止められない。何を言っても返されるしほぼ確実に丸め込まれる。だけどすぐに折れるのは癪だし、メイクだってしたくないのは本心だ。僕は男で、女装願望なんて無い。ただ桐生に付き合っているだけなのに、服は愚か顔まで弄られるのは抵抗がある。


「……メイクしたって写真撮らせないんだから意味無いだろ」

「俺の目の保養になる」

「………大体男の化粧なんて」

「知らないの? 最近男でもメイクするんだよ。はいこれ見て」


 カチャカチャとのキーボードを操作する音が止まったと思ったら今度はマウスをクリックする音が聞こえた。言葉尻からしてきっと何かを送って来たのだろうと思い僕もパソコンの前に言ってメッセージを確認する。

 ポン、と軽い音で表示されたトーク画面には動画のU R Lが送られてあってなんだか嫌な予感がしつつも僕はそれを開いた。1分もしない動画の中で始まる男性のメイクアップ動画なのだが、あまりにもクオリティが高すぎる。

 性別どころか国籍まで変わっているのではと思うようなその技術に僕はあんぐりと口を開けた。


「ね、すごいでしょ。だから斉藤にもやるね」

「これを⁉︎」

「もっと可愛いの」

「お前が?」

「俺が」


 じゃあそういうことだから、また明日ね。決定事項として伝えられた言葉に反論する余地もなく切られた通話。耳からスマホを離すとまた桐生からメッセージが届いていた。


『楽しみ』


 やけに可愛らしい名前も知らないキャラクターのスタンプと一緒に送られた単語にこめかみに青筋が浮かぶ。奥歯を噛み締めつつ、苛立ちのまま考えつく限りの暴言を書くのだが後は送信するだけとなった段階でやはり怖気付いて全文を消す。

 結局既読無視という形をとって僕はスマホをベッドに投げ捨てた。


「雪穂―、お風呂入っちゃいなさーい」


 やり場のない苛立ちと自分自身に対する呆れで深く溜息を吐いていれば階段を上がってくる音が聞こえてそのまま母親から声が掛けられる。


「わかったー」


 もうそんな時間かと椅子から腰を上げてリビングに向かう。

 桐生とは違い一般家庭の僕の家は平凡で特に目立って高級な物は無いが母が植物が好きな事もあって母がよく居る部屋には観葉植物やドライフラワーがセンスよく飾られている。リビングのソファに腰掛けて洗濯物を畳んでいる母と、その下で手伝いをしている父。うちは父親も積極的に家事を手伝っていてこの光景も日常だ。


 父は風呂上りなのか首から白いタオルを掛けていて白のランニングシャツから覗く腕からはまだほこほことした湯気が立っているように見えた。


「寝巻きちょうだい」

「はいこれね」

「ありがと」


 もう畳まれていたらしいもう随分と前から寝巻き代わりにしているTシャツとハーフパンツを受け取る。リビングから出て浴室に向かい、脱衣所の扉を閉めて服を脱ぐ。

 風呂は好きだ。僕はあれこれ考えてしまう癖があって、しかもそのどれもが結構陰気臭くて、つまりネガティブで、正直気分が重くなる。だけど風呂に入っている間はそんな思考から抜け出せて何も考えずにいられる。


 無心でいつも通りのルーティーンをこなして湯船に浸かる。目が隠れるくらいにまで伸ばした前髪もこの時ばかりは邪魔でオールバックにして、肩まで丁度良い温度のお湯に沈んで息を吐き出した。

 夏でも僕は湯船に長時間浸かる事をやめない。というか気がついたら結構な時間が経っているのだ。今日も今日とて体の芯まで温まってから風呂から上がり、立っているだけでも汗が出る状況の中脱衣場にある扇風機を起動する。


 夏は好きじゃない、けどこの瞬間の扇風機の爽快感は好きだ。

 濡れた髪を雑にバスタオルで拭いて体についた水滴も拭き取っていく。さて着替えるかとなった段階で僕の息抜きバスタイムは終了するのだ。


「………」


 何故なら急速に現実に戻されるから。

 僕の目の前にあるのは有名な青いパッケージのボディミルク。これは両親の物ではなく、正真正銘僕が購入した物だ。

 ちなみに僕は乾燥肌などではない。ではなぜ購入したのか、その理由はたった一つだ。


「…クソ、なんでこんなの買ったんだ僕は…!」


 悪態を吐きながら蓋を開けて手のひらにミルクを乗せる。それを体に塗り付ける行動のなんと矛盾している事か。

 体温に馴染んだクリームが皮膚の上を滑っていく。

 僕がこれを買ったのは、桐生と初めて撮影会をした次の日だ。


 無駄だってわかってる。こんな事をしたところで何の意味も無い、虚しい行為だなんて事はわかってる。だけど僕はこうして風呂上がりに毎日クリームを体に塗っている。

 そして今日はきっとこの後こっそり母の化粧水にも手を出すんだろう。

 桐生は「普通」だ。僕と同じなんかじゃない。

 だけど僕は、少しでも桐生にとって価値のあるモノだと思われたかった。


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