処刑台にて
うどん屋から出てたくさんの人が歩く通りから少し外れた場所に目当ての映画館はある。最新作ばかりが上映される映画館よりずっと小さくて、まるで時代に置き去りにされたみたいな佇まいが好きだ。こういう映画館はチケットだって予約制じゃないところが多くて受付で注文する。
僕は別に映画が好きって訳じゃないけど、たまに無性に見たくなる。それは大抵最新作じゃなくてリバイバル上映されているものだ。今日見に来たのは高校生男子が見るには多分重たい内容のやつ。片側の人がデートだって認識してる場面にはまず選ばない物だけど、僕は出掛ける予定を立てる時見る映画の内容を大して迷わなかった。
だってこのイベントは桐生が僕を知るためのものだから。だから僕は桐生の好みなんて全く考えずに今日は動いている。
そんなに広くない映画館にはちらほらと人がいるだけできっと満席にはならないし、むしろほぼ貸切状態って言ってもおかしくないと思う。桐生はこういう場所には慣れないのか新鮮なのかたまにあちこちを見ている。でもそれを見て笑っている僕に気がつくと少し拗ねたみたいな顔をして画面を見るからそれもまたおかしくて小さく息を吹き出した。
照明が落ちると少しだけ人の音があった空間が一気に静寂に包まれる。そうして放映された映像は約二時間。とても有名な曲が使われていて、正直その曲がどこで使われるのかを見るためだけにここにいる。
予めあらすじも読んできたし動画投稿サイトに上がっていたかつての予告も見た。重たい内容なんだろうと理解はしていても、やっぱり全編見てみると心に来るものがある。でも僕はこういうあんまりすっきりしない後味が結構好きだった。
「…桐生、大丈夫?」
エンドロールまでしっかりと見終わってから隣を見ると桐生は少し疲れている様だった。
「大丈夫。あんまり映画見ないから多分情報の見過ぎで目が疲れてるだけ」
「あー確かに、そういう時もあるかも。こういう映画は頭使うし見た後何かしんどいしでちょっと疲れるのわかるよ」
体に残るしんどさを落とす様に席から立って出口に向かう。
映画館に入る前は明るかった空も今の時間だともうすでに空が夜になる支度を始めている頃合いだ。マフラーをしっかり巻き直して特に寒さを感じ易い鼻先を埋め、ポケットに両手を入れて桐生と並んで歩く。
「…あの曲だけ聞いたことある」
「有名だもんね。あれがどこで使われてるのか知りたくてこの映画にしたんだ」
「…映画って言われた時ラブロマンス系かなってちょっと思ってたよ俺」
「はは、馬鹿だね桐生は」
この先の予定は決めてない。多分僕という人間を知って貰うにはこの時間だけで十分だって思ったから。二人で映画の感想とか学校の話とか、それから進路の話なんてしながらあてもなく歩いていたらいつの間にか夏祭りの時の神社の近くにまで来ていた。
あの時は長い屋台の列が出来ていたから狭く見えた道も今見れば十分な広さがある。
「…あそこ行こ」
「え」
少し驚いている桐生を尻目に僕はまず近くの自販機で温かいミルクティーを買った。
「桐生は何か飲む?」
「…コーヒーにしとく」
二人で温かい飲み物を持って夏祭りの時と違って人のいない道を進む。それまであった会話は自然と少なくなって本殿の横にある小さな道を歩く時にはもう二人とも話さなくなっていた。
階段を上り切って見えたのは夏祭りの時にははっきりと見る事が出来なかった小さなお社があって、その側には並んで座った岩がある。誰もいなくて静かな場所では僕達の歩く音や岩に座る時の衣擦れの音が良く聞こえた。
「桐生、顔が死刑執行される寸前の囚人みたいだけど大丈夫そう?」
「あんまり大丈夫じゃないかもしれない」
桐生は膝に肘を置いて両手で顔を覆って項垂れている。まあそうなる気持ちがわからないでもない僕は特に何も言わずにペットボトルのキャップを開けた。ふわりと上る湯気と柔らかな甘い香りを少し楽しんだ後に口をつけて温かいそれを飲む。
「…今日一日桐生を連れ回した訳だけど」
息を吐くと温度差が出来たからか濃い白色に染まった。
「結構楽しかったよ」
ばっと音がするくらいの速度で桐生が顔を向けて来た。捨てられる寸前のような、迷子のような、兎に角不安そうな目を見て、あーあって僕は思った。
「そりゃ楽しいに決まってるでしょ。僕桐生の事好きなんだよ?」
今度は泣きそうに顔を歪ませた。案外桐生は表情が豊かだ。
「…それで、桐生の方はどうですか」
桐生の言葉から始まった奇妙な関係で、僕が耐え切れなくなって離れて、でも何でか桐生が食い下がってまた繋がった関係。でもチャンスが欲しいって桐生が言って、それを了承したあの瞬間から全ての決定権は桐生にある。
こういうのは惚れた方が負けなんだ。
「女装してない僕でも触りたいって思いましたか」
桐生に死刑執行寸前って聞いたけど、それは僕だって同じだ。こんな何でもないみたいな感じで聴いてるけど心臓がすごく痛くて怖くてしょうがない。
綺麗な形をした眉が情けなく下がっているし、もしかしたら目も潤んでいるかもしれない。きゅ、と唇を噛んで一度短く息を吐き出して、覚悟を決めるけどやっぱり怖くて、、でもこの問題を長引かせたってしょうがないって、僕達はわかってる。
「……触っても、いいの」
「覚悟が決まってるなら」
意地悪な言い方だけどこれが一番合ってる気がした。
一瞬体を強張らせたけど深呼吸して僕を見た桐生の目はあんまりにも真っ直ぐだった。焦ったいくらいゆっくりと手が伸びてきて僕の頬に指先から順に触れて行く。
「…桐生って、馬鹿だなぁって思うよ」
冬のせいで触れた指先は冷たくて、手のひら全体で頬を包まれてからやっとあたたかさを感じる事が出来た。
「なんで…?」
「普通でいられたのに僕を選んだから」
浮かべた笑みはきっと自嘲的な物だったと思う。でも桐生は少し焦った顔をして僕の目元を親指で拭った。
「雪穂、泣かないで」
「泣いてない」
「泣いてるよ。嘘下手だね」
今度は桐生が笑って僕の眼鏡を取った。途端に視界が悪くなるけど冷えた指先がもう片方の目元も拭ってくれた。
「……確かに、俺って馬鹿なのかも」
目元を拭った手がそのまままた僕の頬を包む。
「雪穂が何もしなくてもかわいいなんて事、ずっと前からわかってたのに」
すぐ側に桐生の目があった。遠くても近くてもぼやける視界だけど、息が触れるほどの距離にいることは流石にわかった。
「…好きだよ、雪穂。遅くなってごめんね」
額が触れて、鼻先が触れて、唇が重なる直前に聞こえた言葉にもうダメだって思った。
「っ、おそい、このクソバカ!」
「うん」
「ほんと、おまえ…っ」
「うん」
今度こそ誤魔化せないくらい泣いている僕は自分から腕を伸ばす。
初めて自分から触れた桐生の温度は服のせいでよくわからなかったけど、それでもあたたかかった。




