僕の好きなもの
期末テストはつつがなく終了した。きちんと苦手なところも克服出来ていたし、文系のテストは元々得意だから心配はしていない。これなら良い結果が期待出来そうだと思ったのが昨日の夜の出来事。
僕は今人通りの多い駅から少し離れた場所のベンチに座っている。
どこの学校もテスト明けだからか今日はいつもより学生が多い気がするなと思いながら僕は寒さに息が白く染まる中本を読んでいた。雑踏がいい感じのBGMになって本を読むのが捗る。たまには本を読む為だけに繁華街に来てみるのもいいかもしれないとまで思った。
でも如何せん空気が冷たい。ホットのドリンクでも買って来たら良かったなと思いながら本から顔を上げた僕はタイミング良くこちらに向かって来る人物と目が合った。僕がいる事に驚きに目を丸くして歩調を早めてやって来る桐生をただ見る。
「早くない…⁉︎」
「桐生もね。おはよう」
「お、おはよう」
サコッシュに本を背表紙側から入れていると桐生が隣に座ってきた。
「…今11時半なんですけど」
「うん、そうだね」
「待ち合わせ12時って言ったの雪穂なのに」
何やら声色が悲しそうで、隣を見てみればそこには声通りの顔をした桐生がいた。
「なに、待たされるより良いでしょ」
「待ち合わせ場所に来てくれる雪穂が見たかったんだよ」
「なにそれ」
吹き出すように笑うとしょぼくれていた桐生の表情が少しだけ明るくなる。
テスト明けの日曜日、今日は桐生と出掛ける日だ。
「とりあえず昼ご飯食べに行こう。まあ僕この辺で知ってるのマックぐらいだからそれ以外だと桐生に頼っちゃうけど」
「全然良いよ。雪穂って好き嫌いある?」
「辛過ぎるものとかは苦手、あと量が多過ぎるのも。焼肉もそこまで得意じゃないし出来れば油っぽくないのがいい。でも和食の気分でも無い」
「わがまま」
「じゃあ桐生の好きなので良いよ」
なんて事ない会話をして立ち上がると桐生も付いて来る。なんだかRPGのキャラクターみたいだと思ったけどその後は普通に横に並んだからそんな事も無かった。
休日の駅前は人がごった返している。耳を澄まさなくても判別が不可能なくらい色々な音に溢れていて色彩だって豊かだ。だから当然人も多く居て性別なんて関係無く人がひしめき合っている。人混みも苦手だけどこの何物でもない雑踏に紛れる感覚は少し好きだったりする。
「注文の難易度高くない?」
広い交差点で信号が変わるのを待ちながら隣に並んだ桐生がスマホを睨みながら言ってくる。そういえば外で食べるなんて初めてだなと思いながら「期待してる」なんて言えば桐生の口角が楽しそうに上がった。
信号が変わって人混みに紛れながら進み、いくつかに別れている道の中で飲食店が多いらしい方向を桐生が選んでくれてそっちに向かって歩いていく。時間が時間だからかどの飲食店からも良い匂いがしてきてそれだけで空腹を覚えていたがある香りを嗅覚が敏感に感じ取って思わず足を止める。
顔を向けるとそこには明らかに和風な暖簾が掛かっている。どこからどう見てもうどん屋なのだが軒先にある食品サンプルの中にあるものを見つけた瞬間僕は少し前を行った桐生に慌てて追いついて腕を掴んだ。
「! な、なに雪穂どうし」
「あそこが良い」
「…うどん?」
「鍋焼きうどんがあった…!」
僕は割と食事に我儘な方だと思う。量も食べられないし好き嫌いもそれなりにあるし気分によって食べたい物がころころと変わる。そんな僕が大好きなメニューが鍋焼きうどんなのだ。
「…雪穂それが好きなの?」
「うん、一番好き。夏でも食べれる」
「やっば」
どこか面白そうに笑う桐生の腕を掴んだまま僕は足を進めた。店の前には開店中の札が掛けてあって入る前に腕を離すとスライド式の扉を開ける。店内はそんなに広くは無くて小ぢんまりとしており個人的にはとても好きな雰囲気だ。出てきた年嵩の男の人に人数を伝えて二人席を指定して貰うと僕達は上着を脱いでから向き合うように座った。
「……すごい。桐生とうどん屋ってなんか不思議な組み合わせだね」
見慣れてしまっていたから忘れていたが、そうだ桐生は歩く電光掲示板みたいな男だったと思い出した。ただそこに座っているだけなのに何故か光の粒子が舞っているんじゃと思うくらい顔も雰囲気も派手な男とこのうどん屋は中々のミスマッチで思わず笑ってしまった。
「そう?」
「うん。僕はもう食べるの決めてるから桐生メニュー見て良いよ」
「俺も雪穂と同じのにする」
「いいね。じゃあ注文よろしく」
桐生が店員を呼んで鍋焼きうどんを二つ注文する。届くまで少し時間が掛かるのも鍋焼きうどんの醍醐味だ。
「この後って映画だよね」
「うん。最新のやつとかじゃないからあんまり面白くないかもだけど」
「雪穂と一緒の時点で楽しいよ」
僕達以外は休日出勤のサラリーマンとか多分この辺りに住んでる常連のお爺さんしかいない中で優しい声を出す桐生を殴りたくなった僕は多分悪くない。それから数分待ってやってきた鍋焼きうどんを前に僕は目を輝かせた。
「ねえ待って雪穂その顔写真撮りたい」
「無理却下いただきます」
両手を合わせてから端と木製のレンゲを持つと食事を始める。じんわりと沁みる出汁に完璧な見た目の具材達が僕には輝いて見えてしょうがない。特に焼き餅が入っているのが高ポイントだ。そこからちょっとした香ばしい香りが出汁や麺に滲むのが僕は好きだ。
「うまぁ…」
でも困ることがあるとすれば眼鏡が曇るところだ。それもまあ慣れた物で眼鏡をさっさと外して再びうどんと向き合うと桐生が座る方向から何かを耐える音が聞こえた。
「ごめん僕今なにも見えないんだけど何かあった?」
「…何もないよ」
僕は適当な返事をしてぼやけた視界でもちゃんと認識出来る海老天を頬張った。ちゃんと身がずっしりと詰まった美味しい海老天に僕のテンションは鰻登りだ。
桐生もどうやら気に入ってくれたらしくて「うま」と呟く声に何故だか僕が作ったわけでもないのに勝ち誇った気持ちになってしまう。寒い時期の鍋焼きうどんは本当に美味しくてあっという間に食べ終わるとその頃には鼻先に汗が滲んでいた。
「ごちそうさまでした」
滲んだ汗を紙ナプキンで拭き取ってからようやく眼鏡を装着する。途端に輪郭のはっきりとした世界に安堵しつつ桐生の方を見れば多分僕と同じような満ち足りた顔をしていて僕はまた得意げに笑う。
「美味いでしょ、鍋焼きうどん」
「うん、ちょっと舐めてた。でも夏に食ったらやばそう、普通にチャレンジメニューじゃん」
「原理的には夏にカレーと変わらない気がするけどね」
「…なるほど?」
熱くなった体にはお冷やが心地よくて一気に飲み干す。時間を見たらまだまだ余裕はあるけどゆっくりと歩いていけば腹具合も丁度良くなる気がした。桐生は少し不満げだったけどきっちり割り勘にして店に挨拶をしてから外に出る。
途端に冬の冷たい空気が頬を刺すけど熱が残っている今じゃ心地良い。それは桐生も同じみたいでマフラーに口を埋めながら笑うとまた桐生の方から変な音がした。
「…さっきから何か変な音するけど大丈夫?」
「大丈夫。全然大丈夫」
「…そう? じゃあゆっくり行こっか。途中気になる店あったら言ってね。俺も桐生がどんな店に興味あるのか知りたいし」
「……はぁー…、どうしよう。パンクしそう」
「は?」
「独り言」
片手で顔を覆った桐生が深呼吸をしている。この時期の深呼吸は冷たい空気が鼻の奥を突き刺してくるから僕は苦手なのに、それを何回も繰り返すなんて桐生は猛者だなと思った。




