ラストチャンス
「チャンスって、何…?」
「? そういう機会が欲しいって意味だけど」
「違うそうじゃなくて」
自分の額を指で押すように僕は思考を巡らせた。けど巡らせたところでなんの答えも浮かばない。それも当然だ。だって僕には桐生が何を考えているのかさっぱりわからないんだから。
「…なんでチャンスが欲しいの」
「雪穂の事が知りたいから」
「なんで知りたいって思うの」
「それを知るためにチャンスが欲しい」
「はあ?」
理解する為に聞いたのにもっとわからなくなって僕の眉間に皺が寄った。そんな僕とは反対に桐生の顔は大真面目で、そこに揶揄いとか嘘の気配は感じられなかった。でもそれから一拍置いて桐生の顔が悔しげに歪む。
「…田中曰く、俺はポンコツらしくて」
「んん…?」
急に出て来た田中の名前に首を傾げた。
「俺が今まで雪穂にして来た行動は、俺が雪穂に好意を持ってないとしない行動だって教えて貰った」
「ん?」
「文化祭の準備中、クラスのグループに雪穂のかわいい写真載せられたり、俺にはさせてくれないクセに他のやつらとは顔写った写真撮らせたり、学校で触らせたり、そういうのが全部すごく苛ついた。それで俺はそれを、その、お気に入りのおもちゃを盗られたって、感覚だと思ってて」
酷く言いづらそうに紡がれた言葉は、理解していた事だとしてもずしりと重たく心刺してくる。やっぱりそうだったんだなぁって、したくなかった答え合わせに僕は視線を桐生から逸らした。
「でも、そうじゃないって田中が気付かせてくれて」
落ち込みそうになった僕を止まらせたのは田中だ。また出た田中の名前に僕は嫌な予感がして顔をロボットみたいなぎこちなさで再び桐生に戻した。
「あのね、雪穂」
「まさか田中に喋ったの」
「なんで今田中の名前が出るの」
「最初に出したのはお前だよ!」
途端に桐生の顔が顰めっ面になり面白くなさそうに唇を尖らせた。その理不尽さに僕はどうにか落ち着こうとするけど出来なくてびしっと桐生を指さした。
「おまえ、お前まさか田中に僕の事喋ったの…⁉︎」
「雪穂の事は隠してたよ。でもバレた」
「なんでぇ⁉︎」
驚愕に震えている僕とは対照的に桐生は呆気からんとしている。
「俺がグループに上がった雪穂の写真見てキレたの見てたから」
「は、ぇ…? はああああ?」
もう僕には理解不能だった。僕は今度こそ頭を抱えてうずくまった。
「終わった…」
「大丈夫だよ、田中はそういうの言いふらすやつじゃないし」
「そりゃあお前はダメージ無いだろうな!」
「え? 女装とかの事も全部話したよ」
「どっちみち僕も大ダメージじゃん! もうHPレッドゾーン突入してるんだけど!」
「…田中もかわいいって言ってた」
「そもそも女装褒められたってなにも嬉しくな、……なんて顔してんの桐生」
僕とっては一大事でも桐生にとってはそうでないらしく認識の差に苛立つし歯痒いしでどうしてやろうと思いながら顔を上げれば、そこにいたのは形容し難い表情をした桐生だった。多分僕が同じ顔をしたら目も当てられないけど、桐生の顔からはなんだか複雑な感情が読み取れるような気がした。
「雪穂の事かわいいって知ってるのは俺だけで良かったのに」
「…またおもちゃ理論?」
「違う」
複雑な顔のまま桐生はじっと僕を見ている。
「嫉妬してるんだよ、田中に」
というか雪穂の可愛さを知った奴ら全員。そう続けられた言葉に僕は瞬きを繰り返した。言葉は聞こえているし理解はしているが意味がわかって納得できるかと言われたらそうじゃない。まさに頭ではわかっていても体がついていかない状態になっていた。
意味がわからない事の連続でもう驚くというリアクションすら取れない、というか今どんな反応をすれば正解なのかがわからなくて僕は固まった。それはもう石のように。
「…雪穂だってすごい顔してるよ」
それまで複雑だった桐生の顔がふっと和らいだ。嬉しそうに目を細めてゆっくり開く花みたいに笑って、僕の方に手を伸ばす。桐生の長い指が僕の頬に触れた。冷たいと感じる温度が僕の輪郭をなぞって顎のラインを包むみたいに大きな手のひらが触れる。
「りんご飴みたいでかわいいね」
悔しくて唇を噛んだ。でもそれを叱るみたいに桐生の指先が口元に触れるから僕は言うことを聞くしかなくて、でもやっぱり悔しくて睨むと桐生は嬉しそうに笑った。
「…なんで僕に触るの」
「触りたいって思ったから」
「僕は、お前に好きだって言ったんだよ」
「うん」
「…こんなことされたら、忘れられない」
まるで宝物みたいに桐生が僕に触れるからどうしようもなく心臓が痛い。どれだけ忘れようとして僕が頑張っても、これじゃ努力が水の泡だ。無神経なやつだって腹立たしいのに、それでも僕の心は今嬉しいって叫んでる。
「忘れないで、覚えててよ」
「…お前本当に自己中だな」
「うん、それで雪穂の事沢山傷付けた。本当にごめん」
するりと手が離れる。謝罪の言葉を吐いている桐生の顔は笑っているけど、目は少しだけ陰っている。
「…俺は本当にポンコツらしくて、未だに自分の気持ちがわかんないところがある。雪穂の事知りたいって思うし、独り占めしたいって思うし、今文化祭の雪穂の格好思い出しただけで見たやつ全員許さないって思うくらいには嫉妬してる」
一つ一つ言葉を置いてくるみたいにゆっくりと桐生が喋る。
「多分俺は雪穂の事が好きなんだ」
ぽつん、と落ちた言葉。考えるよりも先に口を突く。
「……なんで多分…?」
「自発的に人を好きになった事ないから自信持って言えない」
「ぇ」
「今まで告白されたら付き合うってやってたし、付き合ってるから形だけでもって大切にしてたけど、それでその人達を好きになるって事なかった。だから、今俺の中にあるこれが好きなのかどうかわからない」
ぽかんと口を開け間抜け面を晒す僕を見て桐生は眉尻を下げた。
「でも多分、きっと、雪穂の事が好きなんだよ。でも自信を持って言えないから、もっと雪穂と一緒にいたい。そうしたらきっと多分じゃない好きを伝えられると思う」
「……それが勘違いとか、考えないの」
「多分違うから大丈夫」
無性に笑いたくなった。
「っ、ふふ」
声を漏らすと桐生が不思議そうにする。だけど僕は気にせずに笑った。
「あははっ、…ふ、くく、はー…桐生って馬鹿なんだなぁ」
きっと僕も大馬鹿者だと思う。
曖昧過ぎる告白はこの先僕を殺すナイフになるかもしれない。でも、それでも良いかもしれないって思ってしまったから、恋ってやつは本当に面倒臭い。
「いいよ」
目尻に滲んだ水を拭って桐生を見た。
「チャンスをあげる」
どっちに転んでもきっとこれが互いにラストチャンスだ。




