夢の終わり
宣伝のおかげか僕達のクラスはかなり盛り上がっていて想定よりも早いペースで料理の在庫が尽きそうになっていた。だから今は副担がメモを握り締めた生徒と一緒に材料を買いに走っている最中で、その中で僕達は喫茶店を営業していた。
けれどそんな盛況ぶりでは表通りの休憩を取るなんてとてもじゃなくて出来なくて僕が休憩に行けたのは予定より一時間程過ぎていた頃だった。丁度隣のクラスを荷物置き場兼便利スペースとしている為僕は早速椅子に座って長く深い息を吐き出す。
「……つかれた…」
言葉にし尽くせない程楽しいのは間違いないのだがいかんせん僕には体力が無い。正直気合と根性で乗り越えていると言っても過言では無い程僕はすでに虫の息だ。でもこの休憩が終わったらまた接客に戻らないといけないし、この休憩は有意義に使いたい。
寝るか、それとも少しでも腹に何かを入れるべきかと考えたところではたと思い出す。そういえば誰かがいい店あったら共有すると言っていたのを。
この学校の文化祭は盛り上がる。僕達みたいに飲食店をやるクラスもあればお化け屋敷を作るクラスもあるし、外で祭りさながらの屋台を展開するクラスだってある。それに体育館ではバンド演奏や服飾部のファッションショー、演劇部や吹奏楽部による発表だってあるのだからイベントは目白押しだ。
去年僕は特に何のイベントも見に行かなかった。裏方としてやる事をして後は静かに文化祭が終わるのを過ごしただけだったのに、一年後にこんな事になるなんて誰が想像しただろう。
「えっと、スマホは…」
ゆっくりと立ち上がって鞄の中に仕舞い込んでいたスマホを取り出す。きっと画面にはグループの通知が沢山あるんだろうなって予想したのに、結果は違っていた。
いや、ちゃんとグループの通知は沢山ある、遡るのが大変な程にある。だけど、見慣れたアイコンが並んでいるのを見て僕は呆然とその場で固まった。
「…なんで…」
喧騒が聞こえなくなった。
アイコンは部屋に置いてある妙にアンティーク感の強い地球儀。どうしてそれなんだって聞いた時「顔以外なら何でも良かったんだよね」そう言っていた顔を思い出して一気に心が掻き乱された。
桐生からの連絡だった。グループで発言しているんじゃない。僕宛に、いくつかメッセージが送られて来ていた。読むべきじゃない、心の中で冷静な僕が言っているのがわかる。僕は概ねそれに賛成だった。だって、今僕は桐生を忘れようとしている最中だ。
だからこの前の日から僕は徹底して桐生を見ないようにして来た。声だって聞かないようにして来たし、兎に角僕の意識の中から桐生を消そうとして来た。
それくらい、僕の中で桐生の存在は大きい。
でも、ともう一人の僕が言う。緊急事態だったら? もしかしたらそんなに気にするような内容でも無いかもしれない。それにここで無視して教室で話し掛けられる方が、逃げ場が無くなるんじゃない?
……そうだ、この連絡は、きっと大して意味が無いかもしれない。取り留めもない文章か、もしかしたら宛先を間違えた可能性だってある。それに無視をするのは、相手にとって失礼だ。
そんな自分への言い訳を沢山して、僕はそっとメッセージをタップした。
『雪穂、もう休憩入った?』
『ごめん結構忙しそうだね、平気?』
『休憩入ったら教えてほしい』
『会いたい』
『屋上で待ってる』
息が、苦しかった。
最後の連絡があったのは30分前、最初に連絡が来たのは表にある僕の休憩時間の開始時刻だ。
理性が僕に行っちゃダメだって言ってくる。そんなの僕にだって分かってるのに、気が付いたら僕は教室から出ていた。生徒も一般客も入り乱れる廊下を人にぶつからない様に進んでいく。客引きの声や談笑する声、放送委員からの落とし物の報告の声、どこかのクラスのお化け屋敷の叫び声、いろんな音と声が錯綜する中、僕は真っ直ぐに屋上を目指す。
行って何になるんだろう。きっと何にもならない。
そんなの分かりきってるのに、人混みから抜けた途端僕は走り出していた。
着物がパタパタとひらめいて、動きやすい様にと着せられた袴だけど走るとなるとさすがに少し邪魔になる。コンタクトのおかげで視界が広く、屋上までの道がクリアに見えた。
一段飛ばしに階段を登って、肺が痛くなるくらい苦しい中僕は重たい屋上の扉を開けた。蝶番が錆びた扉は開けたら金属の擦れる様な嫌な音がする。その音と僕の息の乱れた音が重なって不協和音みたいに広い屋上に響いた。
「…っ、は…、つか、れた…」
もう11月、走ったところで汗は出ないけど疲労はする。僕は三歩ほど進んだところでその場に座り込んだ。
思えば、走らなくても良かった筈だ。でも一分一秒でも早く到着したかったのは、やっぱり僕がこの男のことが好きだからだ。
「……幽霊見てるみたいな顔、やめてくれる…?」
客寄せパンダ用に作られた衣装は全身が黒。一見するとスーツっぽいけど、マント見たいな上着や全体的なシルエットが大正っぽくてお洒落で、桐生はそれを難なく着こなしていた。でもその表情はやっぱり迷子みたいで目が自信なさげに揺れている。
「…本当に来てくれるって、思わなくて」
「呼んだのは桐生でしょ」
「そうだけど…」
珍しく歯切れの悪い桐生がゆっくりと僕に近付いてくる。その様子を伺うような挙動はどこか警戒心の強い動物を思い出させる。そうして僕のすぐ側にまで来た桐生はこれもまたゆっくりとした動作でしゃがんで僕と視線を合わせた。
「……ほっぺた、赤い」
「走ってきたからね」
「…かわいい」
「みんなの努力の結晶だね」
「…俺、雪穂と仲直りしたい…」
消え入りそうな声で呟かれた言葉に僕は何を返せなかった。
桐生は沈黙が苦しいのか目を伏せて下を見ている。思えば人の目を見て話さない桐生を見たのはこれが初めてだ。
目を見て話せないのは自信がないとか、不安だとか、そういう心理状態の現れだって僕は思っていて、それと同じだとするならあの桐生が僕に対して不安を抱えているという事になる。
教室を出るまでは、屋上に着くまでは、顔を見たところでどうしたらいいんだって思っていたし自分だって不安だったのに、今は不思議な事に落ち着いている。きっと桐生が僕よりもずっと深刻そうな空気を背負っているからだ。
僕が取れる選択肢はいくつかある。
どれを選んだらいいのかも、何となくわかる。
だけどいつになく冷静な僕は、もうオモチャは嫌だって思った僕は、どの選択肢を選んだらいいのかを判断していた。
手を伸ばして桐生の右手を握った。それまで泣きそうなくらい沈んでいた桐生がぱっと顔をあげたのに、僕を見てまた迷子みたいに目を揺らした。
「桐生」
フェンスの外から、校舎の開いた窓から、体育館の方から、今日という日を楽しんでいる音が沢山聞こえる。その音が、空気が、僕の背中を押してくれた気がした。
「僕、桐生の事が好きなんだ」
ゆっくりと僕の言葉を咀嚼した桐生の目が見開かれて、信じられない物を見るような目で僕を射抜く。桐生はきっとこの学校の誰よりも僕の性格を知っている。だから僕が冗談でこんな事を言う人間じゃないって、きっと桐生が誰よりも分かってる。
「だから、仲直り出来ない」
握っていた手を離すと、力が入っていない桐生の手がぶらんと揺れた。
桐生の目は変わらずに僕を見ている。困惑と、動揺と、何を言ったらいいのかわからない、そんな表情だった。
「…じゃあね」
立ち上がって重たい屋上の扉を開けた。重く閉じる扉の音を背中に僕は漠然と夢から覚めたんだなって、そう思った。




