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文化祭準備その1

 桐生との連絡を絶ってから一ヶ月くらい過ぎた。あの日から一度もメッセージが来ないという事はもう終わりだと思っていい筈だ。


 僕が耐え切れずに逃げ出してしまったあの日、正直に言えば僕は次の日学校に行くのが怖くてしょうがなかった。だってもしかしたら僕にあんな態度を取られた桐生が僕の事を誰かに伝えているかもしれない。もしそうなったら地獄が始まるなと思っていたのに、拍子抜けするくらいあっさりと日常が過ぎて行った。

 でも一週間くらいは気が抜けなくていつ何を言われても良いように身構えていたからか体は疲れたしテストにもそんなに身が入らなかった。


 それでも時間は過ぎて行くし、過ぎていけば気になっていたものも気にならなくなる。元々住む世界が違うから終わったと思えば僕達の関係は驚く程簡単に無かったことになった。僕が目で追わなければ僕の生活に桐生が入り込む事は無いし、それは逆も然り。

 あれは夢だったんだよって突き付けられてるみたいに僕の生活は元通りになった。


 寂しくないなんて事は無く、もちろん辛かったし苦しかった。でも僕はこれが正しい本来の姿だって知っているから受け入れるのに時間は掛からなかった。

 桐生と過ごしたあの非現実的な日常はこれから僕の人生において大切な宝物として残り続ける。どんな結果でも、好きな人と触れ合えたのは間違いなく現実だから。


 さて、そうして自分の感情に整理を付けて日々を単調に過ごしていた僕にとんでもない白羽の矢が突き刺さる。


「斉藤はー?」


 性別逆転喫茶なんて単純だが盛り上がりそうな文化祭での出し物、こういう企画でキャストとして選ばれるのはカースト上位組だと相場は決まっている。僕は精々調理側か設営側かまた違う雑用ポストに入るのだとばかり思ったから、自分の名前が出た時耳を疑った。

 発言したのは野球部の坊主だ。さすが野球部、やたら声もデカければ態度もデカい。頼むからもう何も喋るな、その口を閉じろと念じても僕の願いは聞き届けられずせめて自分の意思は示そうと口を開いた途端教室が歓声で揺れた。

 僕はたった今焼肉が嫌いになった。


「斉藤くん眼鏡外すね〜」


 いつの間にか隣に来ていた派手なギャル生徒が僕の眼鏡を取った。途端に視界が悪くなりやたら良い匂いのする手が僕の顔を触る。僕はもうこの時点で理解していた。


 ──これはもう抵抗しても無駄なヤツだ。


カースト上位の女子に逆らってもいい事なんて一つもない。百害あって一利なしというやつだ。だから僕はなす術も無く女装させられる事になったのだ。

 ずっと桐生が見て来ていた気がするけれど、多分気のせいだ。




 僕の学校の文化祭は11月の第一週の日曜日に開催される。

 その二週間前からが準備期間となり、その間は部活動も委員会活動も縮小されてクラス一丸となって出し物や展示物を完成させるのだ。もちろん文化祭での披露が大事な部活動もある為それに参加している生徒はそちらが優先される。

 それでも僕の学校の文化祭は盛り上がる。それはもう盛り上がる。


「衣装出来たよーーー!」


 普段は僕と同じくらい大人しい女子生徒数名が大きな段ボールを持って教室にやって来た。彼女達は服飾部に所属していて、クラスの出し物の為に急ピッチで衣装を仕上げてくれたらしい。うちの服飾部はレベルが高いらしい、去年のファッションショーもすごかった。


「ねー料理班がメニューの試作出来たってー! 誰か先生と食べてきてー!」


 数名の選ばれし調理班は連日メニューに協議を重ねてついに今日試作の日となっているらしい。目が本気のそれだった。


「外の工作班からメッセージ来てるよー! 実行委員確認してー!」


 出し物自体はこの教室で行う。でもこのままだとあまりにも教室過ぎるからと壁やらなんやらを作成しているのだ。文化祭に対してあまりにもガチである。


「はーい雪ぴ目閉じてね〜」

「…はい、ぅ」


 ぱふぱふぱふと顔に柔らかいものが叩きつけられている。少しでも鼻呼吸したらこの極小の微粒子が入り込むことを僕は理解している。

 教室の一角で何名か横並びになった男子数名。その側にはメイク道具を装備した女子が数名。そう、ここはメイクゾーンだ。僕は何故かクラスのギャルから雪ぴとか雪ぽよと呼ばれる様になり、2年の二学期中盤にして女子と会話を持つようになった。


「雪ぴまじでえぐい程化粧ノリ良いんだけど〜。なんかケアしてんの?」

「…化粧水とかは、塗ってるけど」

「えっっら! 他の女装班も雪ぴ見習えよマジで〜。せめてスネ毛剃ってきて。あと髭、髭剃りマストだから! あとあと安くても良いから風呂上がり保湿して〜」

「けしょうすいって何ですか女子!」

「ウケる〜。スマホで調べな」


 賑やかな空間の中に自分がいる事に慣れなくて良く挙動不審になってしまう。だけど彼女達や運動部の男子達はそんな僕を邪険に扱わず慣れるのを待ってくれた。ああなんだ、みんな良い人なんだって気がつくと、このクラスになってからの数か月が何だか勿体無い気がした。


「…まつ毛なっが。えー、雪ぴってお母さん似―?」

「ぅ、うん。でも目は父さんに似てるらしい」

「まじー? つよつよ遺伝子じゃーん。 わたしももっとかわいく生まれたかったぁ」

「……? 楠木さんは、きれいだよ…?」


 眉毛を描いていた楠木さんの手が止まり、何なら他のメイク班や女装途中の人達の会話も止まった。生憎眼鏡がない為今周りがどんな顔なのか把握出来ず、ただ自分の発言で空気が止まった事は確かな為一気に緊張で心臓が騒ぎ出すけれど僕が咄嗟に謝るよりも先に楠木さんが細く長く息を吐き出した。


「…わたし今母性を感じた」

「うちも〜」

「うちの弟雪ぽよみたいになんないかな」


 無理だよね〜なんて言いながら彼女達の手がまた顔に触れる。目を閉じてと言われて素直に従うと瞼に何か塗られているのが分かった。


「俺たちに足りないのはあの素直さだな…」

「あんた達が素直になったところでああはなんないよ?」

「くぅっ!」

「はい目ぇ閉じて〜。待ってなんで瞼まで焼けてんのクソウケるんですけど! ねーこれやっぱ黒ギャルにしちゃダメー?」

「いいよー!」


 遠くから衣装のチェックをしているクラス委員の女の子の声がした。目を閉じれば余計に聴覚が敏感になってとても賑やかなのがわかる。去年の僕は無難な雑用係で居てもいなくても問題無い様なポジションだった。


 だからクラス一丸になって楽しもう、なんて空気に馴染めなくて居心地が悪かったのを覚えている。でもそれは僕が少しでも人と関わる数を減らすっていう人生の選択をした時点で決まっていた事で、想定内の感情だった。その時の選択を間違ったなんて思ってない。

 それでもこうしてほとんど無理矢理みたいな形だったけど文化祭っていうイベントの歯車の一つになろうとしているこの瞬間は、正直に言ってとても楽しい。どこか自分とは違う生き物なんだって思っていた彼らがちゃんと僕と似たような体温をしていて、それぞれの思考を持って生きている。そんな当たり前の事に、僕はきっと目を逸らしながら生きてきた。


「雪ぴー一回目開けて〜」


 言われた通りに開けると当然ながら視界はぼやけている。全ての輪郭が曖昧だし、かなりの近距離にならないと字だって読めない。それでも僕のメイクを担当してくれている楠木さんのテンションが上がっているのは結構わかりやすかった。


「さすがにわたし天才。和系メイク調べてきて良かったー!」

「まっっって斉藤和系なのに俺黒ギャルなの⁉」

「黙りなラグビー部」


 どうやら今の僕の顔は和系らしい。何がどうなっているのかさっぱりわからないけれど何だかみんなが楽しそうだからつい頬が緩む。


「雪ぴ当日までにコンタクトの準備よろ」

「あ、はい」


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