これはきっとファン心理
斉藤雪穂を観察してわかった事は少ない。少ないけれどきっとこの学校では一番俺が斉藤雪穂の事を知っているんだろうなと思う。
読む本は結末が暗めな物が多い事、ちゃんと真面目で授業中寝ない事、日直の仕事を片側の奴が投げ出しても文句一つ言わない大人な性格な事、そしてどうやら一人でいるのが好きらしい、という事。
斉藤雪穂は基本一人だ。たまに友人と話している所を見るがその友人達も暗めの奴らだし類は友を呼ぶというのか、そいつらもまた一人を好んでいる様だった。常に周りに人がいた自分とは全然違う生態に最初は驚いたし、その生き方は不安にならないのかなと疑問にも思った。
だって人間は無条件に群れを作りたがる生き物だって思っているから。
孤立していたら周りから変な目で見られる。あいつは友人一人作れない可哀想なやつだと勝手なレッテルを貼られ、腫れ物のように扱われる。高校に上がってすぐの頃中学時代の友人がクラスのみんなで集まろうなんて話をした。だけど実際に集まったのは当時グループで表すのであれば三角の真ん中から上だけ。下に分類された人は一人として参加していなかったし、多分集まるという話があったことすら知らされていないのだろう。
孤独というのは、きっと円環に入れない事を言うのだ。
その人が自ら孤独になりにいっているとしても、周りはそれを『哀れなもの』として見て選民意識か何かなのか自分たちの意にそぐわないものを平気で排除して先に進んでいく。
俺は漠然とそれが不安だった。
経験上自分がその円環から排除される可能性は低いと知っていても、その漠然とした不安はいつでも俺の足元に居た。だからこそ斉藤雪穂がすごいと思ったのだ。
淡々と、黙々と、静謐に日々を過ごす彼がすごいと思った。
「日誌書くの、変わろうか?」
鮮やかだった緑が赤とか黄色に色付いてそして徐々に散っていく季節のある日の事、個人的に聞き覚えしかない声に話しかけられて俺は一瞬フリーズした。
「…ぁ、急に、ごめん」
彼は慣れない人に話しかける時言葉を単語で切る癖がある。きっと頭の中でたくさんのパターンを作っている筈なのにいざ言葉に出すと情報が多くてパンクしそうになっているんだと思う。
「──いや、べつに」
俺史上最大にダサいかつスカした返答だったに違いない。
何がどう別になんだと胸ぐらを掴んで問いただしたい衝動に駆られたけれど、今はそれどころじゃなかった。あの斉藤雪穂が俺に話し掛けてきたのだ。
必要最低限人と会話をする事のない、冬みたいに冷たくて静かな彼が、俺に話し掛けてくれた。
素直に俺は舞い上がっていた。嬉しさと緊張が同時に沸き立つ感情はきっとアイドルや芸能人とかを間近で見た時の感情に近い気がする。
「…ぇっと、じゃあ、いい。急に話しかけて、ごめん」
俺の別に、という言葉をよくない方で受け取ったらしい彼の目が苦しそうに左右に揺れたのを見て、気道がきゅっと締め付けられた心地がした。
「まっ、て」
ああダサい、どれほどダサさを重ねれば気が済むんだ俺は。
「なんで、」
突然の事すぎて頭が状況に追い付いていない。話すべき事はあるのに言葉がまとまらなくてまるで童貞みたいな詰まり方をしてしまった。いやいくらなんでもダサすぎる。
それでも彼は俺の言わんとするところを汲み取ってくれた様でまた少し視線を彷徨わせた後に静かな海みたいな目で俺を見た。
「……今日の部活、大事なんでしょ」
雫みたいにこぼれた声に俺は目を丸くした。
俺は特定の部活に所属してない。けど中学の頃と同じ様に色々な部活に助っ人として参加していた。今回はバスケ部の助っ人として誘われていて、今度ある試合に向けて外部の人を呼んだ練習があるのだ。助っ人を頼まれたからには実力の部分でもチームワークの部分でも少しでも多く時間を共有したい。
でもそういう日に限って日直で、そういう日に限ってもう一人の日直が無責任だったりするのだ。だから俺は少し焦っていたし苛ついてもいた。その負の感情は斉藤雪穂に話し掛けられたおかげで消え去ったけれど、代わりに驚きが俺の全身を占拠している。
「…休み時間、話してるの聞こえた。先生にもちゃんと言っとくから、変わろ」
どうやら俺の感情は全部顔に出ているらしい。
聞くまでもなく答えをくれる彼に俺はもう頷くしかなくて、それを是と取ったらしい彼の口角がほんの少し上がるのを見て心臓が何かに撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
でもその衝撃を整理する余裕もなく机の上に置いたスマホが震え始めると画面にはバスケ部の友人からの着信で、俺は慌てて画面をタップして耳に当てた。
「ごめん日直で、いやでも」
「大丈夫だよ」
俺にしか聞こえない声量で呟いた彼が日誌を持って自分の席へと座る。さすがにここまでして貰って食い下がるのは失礼だと思って「今から行く」と電話口の相手に伝えて俺は慌てて荷物をまとめてドアに急いだ。
廊下に出る手前で勢いのまま踏み止まって振り返る。
「──ありがとうっ」
「…うん、がんばってね」
背中を押されるみたいに俺は廊下を走ってバレー部が使用している体育館に急いだ。
頑張って、今まで飽きるくらい言われた言葉の筈なのに彼の言葉にはとてもあたたかな気持ちになった。それはきっと、彼が俺の努力に対して激励してくれたからだと、割と簡単に思い至った。
いやでも今までもきっと同じシチュエーションは数え切れない程あった筈だ。それなのにどうして斉藤雪穂の言葉だけこんなにも心に響いたのだろうか。仮定として上げるのであれば彼が俺の観察対象だから。常に見ていた人からの急な接触で舞い上がったのは確かだし、ファン心理で言えばこの答えで間違っていない気がする。
追うことよりも追われることの方が圧倒的に、というか追った事がない俺の人生において斉藤雪穂という人物は結構なイレギュラーだ。
なるほど、これがファン心理かと思いながら俺は体育館の扉を開けるのだがこの感情がファンとしてではないのかもしれないと気がつくのはそれから約一年後のことだった。




