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落とされたくなかった火蓋

 夏休み以降桐生の家に行く頻度は下がっていた。理由は簡単で服のストックが無いからだ。いくら桐生の実家が金持ちだといっても息子のとんでもない趣味に加担する筈もなく、今まで集めていた衣装は全て桐生の口座から支払っているものらしい。


 聞かされた時はそうなのかと思ったが家に帰ってゆっくり思い返してみたらそもそもそれらを購入できる財力がやばいなと思って真面目に引いた。

 撮影が無いと桐生との接点も減るかと思ったが案外そんな事はなく、マメな性格なのか日常の取り止めもないことをよく連絡してくれる。ちなみに連絡先を交換して今日まで桐生とのメッセージが24時間以上途絶えた事がない。


「ねえ雪穂、ここは?」

「んー…?」


 そんな連絡がマメな桐生と今日はテスト勉強中だ。もはや居心地の良さすら感じる桐生の部屋でローテーブルに教科書やプリントを出してお互いが好きな様に勉強をしている。やっぱり僕は数学が苦手で、桐生も現代文や古典が苦手だ。僕はそんなに賢い方じゃないけど、現代文とかそういうのは得意だ。


「…で、こんな感じに答えとけば良いと思う。錦山先生こういう言い回し好きだし」

「はー、なるほど。さすが」

「いーえ」


 お互いに教えやすいからという理由で隣に座っているからか少し体を寄せるとすぐに肩が触れる。でも桐生は女装をしてない僕には全く興奮しないから身構える必要も無い。

 それで良い筈なのに少し悲しく思ってしまうのもまた惚れた弱みなんだろう。


「雪穂ってさ、人の事よく見てるよね」

「? なに、急に」

「なんとなく。ただこういう先生の癖とかよく気付くなーって」

「別に、過去問とかと照らし合わせたら傾向がわかっただけだし」


 自分が取り掛かっているプリントに視線を落とす。数学の文章問題ばかりが載っているそれに思わず眉間に皺を寄せ、まずは理解しようと読み始めた。


「俺のことも観察してる?」


 きっと難しい顔のまま桐生を見たせいだろうか、楽しそうに笑う桐生が僕の眉間に深く寄った皺を解すように撫でてくる。


「…してる。お前がいつボロを出すかひやひやしながら見てる」

「ええ! 俺そんな信用ない?」

「むしろ信用されてるって思ってる事の方が驚きだよ。自分のした事胸に手を当てて考えて」


 これ見よがしに溜息を吐いてまた視線を数学のプリントに戻す。だけど僕の心臓は嫌な速度で駆けていて、背中に冷や汗も伝っていた。「観察」というのは僕にとって戦いみたいなものだ。より『普通』でいるために様々な人を観察して情報を集めて周囲と自分との相違点を潰す、地味だけど大切な戦い。


 だけど桐生に対してはそうじゃない。1年の時、まだ好きだって自覚する前から無意識に桐生を目で追っていた。桐生というパズルのピースを一つ一つ集めるみたいに、新しい事を発見しては空白を埋めてきた。沢山見てきたから多分僕はきっと学校の誰よりも桐生の些細な変化に気が付けると思う。だからこそ、桐生もまた人の事をよく見ているというのを知っている。


 もしかしてバレたのだろうか。僕の気持ちというより、僕が桐生をずっと見ているという事に。

 ああ、喉が乾く。居心地が良いと思っていた桐生の部屋が今は拷問部屋のような気さえしてきた。そんな僕の気持ちを知ってか知らずか桐生は素直に僕の言った通りの行動をしている。

 つまり手に胸を当てて考えているのだ。お前は呑気で良いな、そんな八つ当たりに近い感情さえ覚えた。


「心当たりがあるとすれば」


 だけど僕はもう『普通』を装う事に関してはプロレベルだと自負している。だから今も意識は桐生に向けつつも数学の問題を読みながら気の無い返事で「んー…」と適当な相槌を打つなんて芸当も出来る。あ、この問題もしかしてこうか。

 ふと閃いてシャーペンをノートに走らせた。


「キスした事かな」


 バキン、と芯が折れて白いノートに転がる。

 視線は芯が折れた衝撃で粉々になった箇所から動かず、重たくも軽くもない沈黙が落ちた。

 恐る恐る顔を上げると、そこには見た事がない顔をした桐生がいた。


 意図的に避けていた。あの日の出来事を口に出すのを。

 口に出さなければ都合の良い夢として自分の中で思い出として取って置けると思っていた。僕は桐生もそれを望んでいるんだと思っていた。

 だって桐生はあれからも驚くくらいにいつも通りで、桐生自体があの日の出来事は夢なんだよと教えてくれている気さえしたから。


 それなのに桐生は今口火を切ってしまった。

 大切な思い出として昇華しようとしていた事を、残酷なくらいに生々しく思い出させてしまった。

 弾ける火花、視界に広がった桐生の整った顔と僅かな汗の香り、柔らかくてでもかき氷を食べたせいで少し冷たかったくちびるの感触、離れた時の、甘いいちごの匂い。


 あの時の感覚が鳥肌が立つくらい一気に蘇る。


「雪穂」

「──帰る」

「ぇ」


 いま僕はどんな顔をしているんだろう。きっととんでもなく情けない顔をしているに違いない。だって全身が熱くて、目の前が滲んでいる。みっともないくらい情けない顔を晒している自信がある。


 桐生が困惑した声で僕を呼んでる。

 桐生の声で呼ばれる僕の名前はまるで僕の物じゃないみたいに綺麗に聴こえて特別だった。でも今は呼ばれる度に心臓が締め付けられてるみたいに痛くてしょうがない。

 広げていたノートも参考書もプリントも勢いのまま鞄に詰め込んで立ち上がろうとテーブルに手を着いた。


「待って雪穂!」


 こんな桐生の声は聞いた事が無い。

 手首を掴む手が熱い、火傷しそうだと思った。この手に触られるどの瞬間も特別だった。


「はなして」


 ああやっぱり声も震えている。

 僕の様子がわかった桐生の手から力が抜ける。そうなると逃げるのは簡単で、僕はすぐに部屋から出た。階段をなるべく早く降りるとリビングの扉が開いた。今日家に来た時初めて桐生の母親に会った。桐生は母親に似ているんだなってすぐにわかるくらいその人は美人で、来た時に挨拶した僕をとても綺麗な笑顔で出迎えてくれた。


「あら斉藤君もう帰るの?」

「っぁ、はい、おじゃま、しました…っ」


 桐生のお母さんが驚いたのが気配でわかる。でもそれを気にする余裕なんてある訳なくて僕は逃げるように靴を履いて外に出た。外は明るくてまだ暑い。日差しまあまあ強いけど少しでも遠くへ逃げたくて走り出す。

 頭の中はどうしようもないくらいぐちゃぐちゃだ。


 こんないかにもな態度を取ってしまったら僕が『普通』じゃない事がバレたかもしれない。きっと余計なストレスを与えてしまった。意味がわからないって怒っているかもしれない。

 いくつもの可能性が頭の中を堂々巡りして、乱れる呼吸の音が遠くに聞こえる。


 ただ一つはっきりしているのはもう桐生と会えない。それだけだった。


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