すきはめんどくさい
スマホが震えてメッセージの着信を教える。
休み時間で少し騒がしい教室の中で僕はスマホを取り出して画面を見た。初期設定のまま変えていない待ち受け画面にメッセージアプリの通知が表示されている。
『今何してるの?』
「……」
よく分からないスタンプと一緒にその文を送ってきたのは桐生だ。
自分の眉間に皺が刻まれるのがわかり、少しささくれだった気分を落ち着ける為に細く長く息を吐き出した。
『見えてるだろ。何もしてないよ』
『俺が見えてないだけで何かやってたかもしれないじゃん』
授業間の休み時間は短い。それなのにその時間の度に集まって騒ぐ連中のほとんど中心に桐生はいる。カースト上位組の声は大きいがその中に桐生の声は聞こえないからきっと今は意識をスマホに向けているのだろう。
『人が邪魔で顔見えないけど多分今すごい眉間に皺寄ってるに100円』
『くたばれ』
騒がしいのは桐生達のグループだけでそれ以外は気にならない程の音量だ。そんな状態だからこそ僕の返信を見たらしい桐生の吹き出すような笑い声がよく聞こえた。
「何急に笑い出してビビるんですけど」
「桐生クンさっきからスマホ見てニヤニヤしてたよ」
「──彼女だろ」
「はああ⁉︎」
休み時間が終わるまで後数分というところで見た目が派手な女子数名の悲鳴のような声が上がった。彼らは常に自分達が世界の中心だから気が付かないだろうが、そうじゃない僕達みたいな人種は気配を消す。だから今教室は彼ら以外しんと静まり返っていた。
「聞いてないんですけど! てかどこ情報よそれ⁉︎」
「田中―」
「じゃあガチじゃん! ええうそうそー、次はあたしと付き合うって言ったじゃん桐生〜」
「記憶に無いですね」
「クズ!」
桐生の体に寄り掛かる学校でも美人だと噂の女子に心臓が嫌な音を立てて軋む。
「てかいつからなの。オレらも知らなかったんですけど」
「黙秘権を行使します」
ワイワイガヤガヤ、そんな言葉がこれ以上ない程似合う騒がしさにまた眉間に皺が深く寄る。なんの関係もない話題なら流せてしまえるがこの件に関してはそうも行かず、何も気にしていない振りをして次の授業の準備をしつつも聴覚はしっかりと賑わいの方に向いている。
頼むからこのまま黙秘し続けていてくれ。それ以上深掘りしないでくれ。
何故なら多分その彼女と言われている人物は女装した僕だ。あまりにも心臓に悪過ぎる状況に胃がむかむかする。
「写真とかないの?」
「無い。あっても見せない」
「え、以外。桐生クン今までの彼女とかさらっと見せてたじゃん」
「すんごいかわいいから誰にも見せたくないんだよね」
一瞬、教室が無音になった。
女子のかしましい声と次の授業を知らせるチャイムが鳴ったのはほとんど同じタイミング。先生が「うるさいぞー」とハリのない声と共に前側の扉から入って来て、カースト上位組は渋々といった様子で席へと戻っていく。
またスマホが震えた。
日直の号令が終わった後、先生にバレないように画面を見た。
『顔赤いよ』
「っ!」
反射的にスマホの電源を落として引き出しの奥へとしまい込む。ばくばくと心臓がうるさくて、顔が熱いのが自分でもわかる。長い前髪で極力顔を隠してまだ夏の熱い風を運んでくる窓側に顔を向けた。
夏真っ盛りの8月よりかは多少和らいだ気のする風に吹かれながらふと視線を僕よりも前の席に座る桐生の方にやる。そこにはいつも通りのそいつが居て、僕はちょっとむかついた。
夏休みも終わって2学期が始まった9月の中旬だか下旬だか曖昧な頃、相変わらず僕たちの秘密の関係は続いていた。夏休みに起きたキスだったり面倒臭いだったりは個人的にストレスがとんでもない事案だったが、桐生がなんとも思っていない以上僕が気にし過ぎるのも変だなと思ってそのままだ。
撮影をしている時の僕達の距離感はおよそ友人同士ではないと思う。だって普通に物理的に距離が近いし、桐生が僕に触る事が多くなった。流石にキスは無いけど、抱き締めたり頭を撫でられたりはもう日常になりつつある。
この前なんてなんでか知らないけど桐生の膝の上にも乗った。流石に叫びながら飛び退いたけど、僕の両脇に手を入れて簡単に抱き上げるから本当に驚いたし、不覚にも心臓が高鳴ってしまった。
……詰まるところ、惚れた方が負けというやつだ。
来月の中旬には中間テストが始まるからかいつもより人の多い放課後、随分と陽が落ちるのが早くなったと感じながら僕は文庫本のページを捲った。
微かな息遣いとペンがノートを走る音、日中とは打って変わり秋が始まろうとしている夕方の心地良い風がカーテンを揺らして夏の終わりの香りを運んでくる。1ページを読み終わって次のページへと目線を動かした時、ある単語が目に入ってぷつりと集中が途切れた。
「愛玩」その二文字に心がざわめくのと同時にすとんと何かが落ちていく。
それが納得だと気がつくのに時間は掛からなかった。
しっくりくるなと思った。何よりこの言葉が当て嵌まると思った。お気に入りの玩具なのであれば、今の扱いにも全然納得が出来る。
ポケットに入れたままのスマホが震えて、本を閉じて取り出す。画面には桐生からのメッセージを知らせるアイコンが表示されていた。
『今日も図書室?』
『そうだよ。桐生は助っ人終わったの?』
テスト期間入るのはもう少し先で、だから桐生は今日も部活の助っ人に行っている。助っ人というか次の試合の時に円滑にコミュニケーションが取れるように普通に練習に参加しているらしい。
『終わったー。今からファミレス行く』
『いってらっしゃい』
『ありがと、行ってきます』
またよく分からない動物のスタンプが送られて来て僕は少しの間その画面を眺めていた。
まるで恋人みたいなやり取りだと思う。桐生にとってはなんの意味もないやり取りでも、僕にとっては明日も頑張ろうって思えるくらい嬉しいやり取りだ。
時間経過で画面がブラックアウトしたのをきっかけに僕は細く息を吐いて帰り支度を始める。なるべく音を立ない様に邪魔にならない様に最小限の動作で荷物をまとめるとそのまま図書室を出た。
まだ吹奏楽部の音が聞こえる夕方の校舎がなんとなく好きだ。きっと青春という物語の1ページを切り取った様な景色だから。ノスタルジーって、きっとこういうことなんだろう。
またスマホが震えた。この時間なら母さんから晩御飯の連絡だろう、そう思って見た画面にはまた桐生の名前。どうしたのだろうかとアプリを開くと書かれていた言葉に僕は足を止めた。
『来週一緒にテスト勉強しよう』
『わかった』
嬉しさと虚しさが一緒に襲ってくる、どちらかといえば虚しいけれど、最後には嬉しさが勝つんだ。
「……すきって、面倒くさいなぁ」