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斉藤雪穂、17歳

 自覚したのはいつだっただろう。違和感というか、自分が周りと違うんだと朧げに理解したのは小学生の頃だった。学年が上がるにつれて女子は大人びて行き、男子はそれよりもゆっくりではあるがあからさまに女子を意識し始める。

 それまで一日ゲームや漫画、アニメの話で盛り上がっていた友人が目に見えて女子の方に目線を向けるようになった。やめたら良いのに大きな声で話したり、体育の時に無駄に張り切ったり、女の子にちょっかいをかけるようになった。


「…あの子かわいいよな」


 幼馴染に当たる友人からそう耳打ちされて視線を巡らせた先にいた女の子は確かに可愛かった。ふわっとした色素の薄い茶色の髪も、高学年になって急にすらっとした白い手足も、鈴が転がるような声も、笑った時に少し見える八重歯も、全部が可愛かった。


「…うん、可愛い」

「だよな! ああいう子ってさ、もうカレシとかいるのかな」


 カレシ、かれし、彼氏。小学生だった僕はその言葉を理解するのに時間が掛かった。でもその言葉がレンアイを指すのだというのを僕はぼんやり理解していた。


「カレシになったらさ、やっぱ、すんのかな。き、キスとか!」


 頬を紅潮させて問いかけてくる友人を見ながら僕はその時自分が想像した事に背筋が凍ったのを今でも覚えている。


「……するんじゃないかな」


 僕はその時、男の人とキスをする自分を想像した。





 それが『普通』ではないなんて事小学生ながらに理解出来た。

 だから僕は自分の異常をずっと隠しておこうと思った。でも自分の事を知らないままにしておくなんて出来なくて、僕は細心の注意を払ってネットで調べた。

 すると、僕と同じような人が沢山いる事が分かった。

 僕は同性愛者らしい。


 漠然とした理解に僕は開いていたタブを閉じた。そうか、僕は同性愛者なのか。そう口の中で呟くけれど心の奥底には響いてはこない。現実味が無かったんだと思う。

 だって僕の家には僕の両親が居て、長期の休みになれば祖父母が会いに来たり会いに行ったりする。親戚の集まりだってある。


 そこでは当然のように男女が愛し合って、その結果僕達子供が生まれている。

 それがきっと正しい世界の姿なんだろうなと思っていたし、女の子に恋愛感情なんて抱いた事も無いのに、ただ漠然と「僕もいつかこうなるんだろうな」と思っていた。

 でもそれが打ち砕かれたのはある日の夕飯時にテレビから流れてきたニュースだった。


『本当に嬉しいです』

『こういう形もあるんだって、少しでも世間の人に知って貰えたら』


 画面に映ったのは白いタキシードを着て、言葉通り嬉しそうに笑っている男性が二人。テロップには『同性婚に密着』の文字。

 あまりの衝撃に持っていた箸を落としたのを覚えている。


 男同士でも結婚できる! インターネットだけの言葉じゃなくて、今こうして、僕の目の前で、男性同士が愛を誓い合っている!


 幸せそうな二人の姿は宗教画みたいだった。それくらい神聖で、綺麗なものだった。

 こうやって結ばれる二人がいる。現実にいるのなら、きっと僕だって──


「理解出来ん。母さんチャンネル変えてくれ」

「素敵な事だと思うけど、自分に置き換えると複雑な問題よねー」


 あら今日歌番組の特集があるわ、どうしたのお箸新しいのに変えて来なさい。

 その日どういう風に両親と会話をしたのか覚えてない。

 だけど僕はその日もう一度再認識したんだ。

 僕の性的嗜好は『普通』じゃないんだって。



 斉藤雪穂(さいとうゆきほ)、17歳。高校2年、男子。


 自分の性的嗜好を理解して、そして死ぬまで隠し通すと決めて数年が経った。

 早い段階で自分が同性愛者だと気が付いて、それを隠そうと躍起になったおかげで今でも友人はおろか家族にもバレていない。

 だけど出来るだけぼろが出ないように喋る回数を減らして、友人達との付き合いも減らした。元々活発な性格じゃないから特に怪しまれる事もなく、人間関係よりも趣味を大切にする友人達のおかげで学生生活も大きなストレスを抱える事なく過ごす事が出来ている。


 季節は夏、外は雨。夕方の空はどんよりとした黒と灰色で、この季節のこの時間にしては外が暗く感じる。

 少しだけ開けた窓からは雨の降る音が聞こえる。黄ばんだようなカーテンが風に揺れてたまに窓の隙間から雨粒が入り込んでクラスの誰かの席を濡らす。

 濡れたところで席の所有者は今日はもうこのクラスには帰って来ないだろうし、放っておいたら明日の朝には乾いている。


 風と一緒に入り込んでくる雨の匂いが割と好きだけど肌にまとわりつくような湿気と夏の暑さは好きじゃない。だけど雨のお陰で気温は少しマシ。

 湿気は兎も角として、気温はずっとこうだったら良いのに。

 夏は好きじゃない。薄着になる事も、プールの授業がある事も、夏休みがある事も、僕は好きじゃない。


「ねーちょっと雨やばいんだけど!」


 昇降口の方から雨の音に紛れて聞こえた高い声に意識が向く。

 その声には聞き覚えがあった。高過ぎず低過ぎない、それでいて良く響く運動部の女子の声だ。その後からの声は聞こえないが、偶に女子の声が聞こえるからきっと誰かと会話をしているのだろう。

 友人かな、それとも部活の後輩かな。今日は雨だからきっと部活も早く終わったんだろうな。そんな事を思っていたら正門に向かって一つの透明な傘が歩いてくのが見えた。


 透明の傘の下に見える人影は二つ、所謂相合い傘というやつ。

 髪が触れる程の距離なのに男子生徒の肩は少しだけ傘からはみ出ていて濡れているのがわかる。女子生徒の体はすっぽりと傘の中に入っていて濡れている様子は見られない。

 雨のせいもあるのだろうか、二人はゆっくりとした足取りで進んでいく。

 こんな雨なんだから早く帰りたいはずなのに、二人はあえてゆっくり歩くのだ。


 ──ああ、うらやましいな。


 僕もそんな風に愛されたい。誰の目も憚らず相合い傘をして歩いてみたい。そんな親密な距離で、足が濡れることも厭わずに下らない話をしながら帰ってみたい。

 そういうしあわせを、感じてみたい。

 だけどそれが無理だなんて事は僕が一番良く知っている。僕には縁の無いもの、諦めたはずの景色。だけど、たまにどうしようもなくなる時がある。

 どうしようもなく、欲しくなる時がある。


「…僕もああなりたい」

「斉藤好きなやついるの?」

「⁉︎」


 誰にも拾われる事なく消える筈だった言葉なのに、全く予想しなかった返答が来たことに目を見開いて声のした方へと勢いよく顔を向ける。そこにいた人物に僕は今度こそ絶句するのだった。


「あーあの子、可愛いよね。彼氏出来たってなった時割と失恋したやつ多かった」


 なんの躊躇もなく僕の座っている席を追い越して窓際に行った男はまだ正門を抜けてなかった二人組を見て納得したように頷いた。その後思い出したみたいに僕に意識を向けたその人に、喉が狭くなるのを感じた。


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