外に出る
俺は平和が大好きだ。
痛みも悲しみも苦しみも訪れないことに最高の幸福を覚える。
変わらない風景が好きだ。
平和であるはずの今が変わっていないことを自覚させてくれる。
静寂が好きだ。
心臓から爪の先まで平和の中生きていることを噛み締めさせてくれる。
たがらこそ『変化』が嫌いだった。
理不尽なこの世じゃ、変化なんて大抵のことが不幸の前兆。
金、社会、人間関係、世論、常識etc...
仮に最終的に状況が良くなったやつがいたとしても、この直後には俺含め、最悪の中生きているやつがいる。
生きているだけで責任を負わなければならないのに、理不尽な責任を押し付けられてしまう。
だから俺の夢は静かに平凡と朽ちていく事だった。
特別な幸福は願っていない。
ただ、愛もお金も人間関係でも、全ては最低限でいい。
そんな変哲のない平和の中、苦しまずに死ぬことを『夢』に見ていたのだ。
その思いはこんな世界になったからこそ、胸の内で強く、大きくなっていく。
だから、もしも、本当にもしもの話、過去に戻れるとしたのなら・・・・
「私を・・・助けてね。」
断言してもいい。あの女とだけは出会うことはしなかった。
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『現在、外の状況を確認しております!市民の皆様は今しばらくお待ち下さい!』
地下鉄のホームの中、寂れたスピーカーから男の声が響き渡る。
かれこれ一週間前からの同じ放送。
ぼろぼろな服を着たその他大勢は、こんなところに閉じ込められていることに腹が立つのか、小さく舌打ちをしていた。
「皆さん!これは政府の陰謀です!立ち上がりましょう!共に手を取り戦いましょう!」
でも人の性格は十人十色。中にはこの理不尽に、階段を上がった先にいる軍隊に立ち向かうため、仲間を集めようとする奴もいる。
「ちっ、戦ってどうなるんだよ。少しは頭使えってんだ馬鹿が。」
耳を澄まさずとも聞こえる隣からの文句。
確かに彼の考える通り軍隊は銃を保持しているフル装備の戦闘のプロ。
武器としても包丁しか持っていない一般市民に勝てる筋合いはないだろう。
「ここで幽閉させられていては私達は国に全てを奪われます!
私達は『私達の自由』を!奪われている地上の開放を!協力して、勝ち取りましょう!」
しかし、人の知能には差があるからか、悲しいことに賛同するものも現れる。
「そのためには武器が必要です!どうか皆様のご協力を!」
演説をかます男は狙い通りか、手元の箱に金を入れるバカもいる。
興味はないが嘆かわしいことこの上ない。
「どうするのよ、これからどうしたらいいってのよ、お父さんは?お母さんは?どうやってご飯を手に入れれば?」
「・・・ねぇ、お母さん、お腹減った。」
「・・・・どうすればっ!」
だが金を払える上に、無駄な戦略を考えられる所を見ると、まだ恵まれている方なのだろう。
このホームでは目の前にいるような子持ちの主婦こそ、一番の最悪の状況の元に立たされている。
なぜなら守るべきものがいる上に、守る力も、守ってくれる人もいないのだから。
「あひっ、ヒヒヒ、アハハハハ、皆、皆死んだ!イヒヒヒヒ。」
個人の考えでしかないが、可笑しくなっている奴は生者として数えない。
もう彼らにはあるのは生きるだけで、思考そのものは存在しないのだから。
「・・・すぅ〜っ、。」
影で薬物を吸っているやつも同様。
もう彼らの中に生きる事を目的としているものはいない。
「残りの金は・・・残った食材は・・・今後の生活は・・・。」
周りが阿呆ばかりだからだろうか、隣でブツブツと独り言を発しながら頭で計算する奴には好感が持てる。
だが俺とて余裕あるわけではない。
好感が持てるだけでそれ以上のことは何一つ手なんて貸さない。
ここにいる全員、誰一人例外なく赤の他人でしかないのだから。
『現在、外の状況を確認しております!市民の皆様は今しばらくお待ち下さい!』
再度、スピーカーから聞き慣れた言葉が辺りに響く。
幾ら聞き慣れた音であっても、俺含めホームにいる生者全員はやはりどんな形でも反応せざる負えない。
「皆さん!配給のお時間です、お並びください!」
そんな時に響く、軍隊からの飯時間だという報告。
周りは生きるためにぞろぞろと蟻のように動き始めた。
「「・・・。」」
全員が少しでも体力を消費しないようにと、静かに軍隊の指示に従い並び始める。
食事を受け取った者は夢中に、貰った消しゴムのような食感の非常食を口へ運ぶ。
ここで奪い合うことはしないのはさすがの国民性といえるだろう。
「・・・お母さん、これ美味しくない。」
「駄目、残さず食べなさい。ご飯はそれしかないのよ。」
「んぅ〜。」
いや、他人から奪う余裕すらないというべきか。
子供の我儘を一言で制する親を見てそう考える。
「おい、おっさん、ちょっと顔貸してよ?」
「え?な、何なんだ?君達は?」
「いいからいいから。」
・・・国民性は関係無いな、どんな集団でも隠れた屑は存在するらしい。
ホームの男子トイレに50後半の男性を連行するガラの悪い男どもを見て結論づけた。
「なぁなぁ、そこのお兄さん、左腕のないお兄さん。」
環境が最悪になっても人間は度し難いな、そう思いながら呆れていると、隣からヘラヘラとした中年の男が話しかけてきた。
「お兄さんは配給に行かないのかい?」
「・・・。」
だんまりを決め込んで、関わりたくない意志を示す。
「だったらさ、私に配給くれないかな?なぁ?なぁ?」
しかし、無視しても揺すられる体。
「・・・ちっ。」
舌打ちでもすれば怖がって離れていくだろう。
「頼むよ、元々大喰らいなこともあって、こんなスティック一本では物足りないんだ。」
こんな非常事態に赤の他人を頼るなんて、よほどの馬鹿か、肝っ玉がでっかいのか。
俺はさっさとこいつの要望に応えたほうが静かになるだろうと思い、腰のポーチから一つのお菓子を取り出す。
「チョ、チョコレートっ!?い、いいのか!?こんなの貰っちゃって!?」
少し黙っていてくれるなら、そう言おうとするがうなずいた瞬間に飛びつかれる。
いい年こいたおっさんは上機嫌に大きな声でお礼を言いチョコを奪った。
「いや~、ありがとう!菓子は実に3日前に食べきって久し振りなんだ!」
そしてたったの3口で板チョコ一枚を平らげる。
美味そうに食う表情は和むものではあるが、大人なら少しぐらいは綺麗に食べてほしい。
こんな常識なんて求めちゃいないが、大人なら大人らしくしてほしいものだ。
チョコの最後の欠片がおっさんの口に放り込まれていく。
その瞬間・・・
『え~、この場にいる市民の皆さんにお伝えします。』
スピーカーから軍人の声が響いてきた。
『今から約12時間後、都市東京から避難便の電車が来ます。優先順位として子供連れのご家族からの搭乗となりますのでご了承ください。』
その放送は怯えた人たちからしたら救いの一報で、はたまた上級国民の傲慢な年寄りと強欲な若者からしたら最悪な一方。
後ろの方から階段上にいる軍人に向かってふざけるなと言う声が聞こえてくる。
どうやらこの非常事態にでも、俺は~だぞ!と、未だに権力なるものが生きていると思っている奴がいるようだ。
「ははっ、必死だねぇ〜。」
呆れると同時に隣から嘲笑う声が聞こえた。
このおっさんは図々しくも自身の価値観をもっているらしく、聞いてもいないのに口を開く。
「爺婆より若者を優先するのが国の利益になるのは当たり前だろうに。
この非常時ときこそ特にだってのに、ご苦労なこった。」
誰に向けたわけでもない素晴らしき自己満な演説をしてくれた。
俺は鼻で笑うこともなく、その言葉を聞き流す。
「お兄さんは今いくつなんだい?」
つもりだったが、どうやらそうもいかないらしい。
「・・・16。」
なるべく失礼なことはしたくない意志が働き、思わず正直に答えてしまった。
「はぁ〜、若いねぇ〜、となるとお兄さんは生き残らなきゃならない側な訳だ。」
「・・・。」
「これから若者は大変だよぉ〜?他人の命まで背負わされて、そして自分の生きている場所も守らなきゃならない。
重荷を背負わせている私世代が言うのも何だけど、それなりに頑張ってね?」
おっさんの言葉は無責任にも極まりないが、その表情からは諦めている事が見て取れる。
笑っていながら悲しい顔されるものだから、苛つくことさえ出来ない。
無意識に疑問に思ったことが口に出た。
「もしも、俺が上に立ったとして・・・年老いた人を殺せと命令したのなら・・・あなたはそれを受け入れると?」
おっさんは俺が喋ったことに驚いたのか、目を見開いて見せて、その後すぐに朗らかな表情で笑った。
「勿論、逆らって追放されて無惨に死ぬより!そっちのほうが何倍かマシに思えるからね。
それに私がお兄さんのような年頃なら、仕方なくそうするだろうし。」
その言葉が真意かどうかは分からない。
けど、少なくとも目の前のおっさんからは嘘を付く人間から感じる不快感は訪れなかった。
「・・・結構、諦め早いんですね。」
おっさんはクククッと面白そうに喉を鳴らす。
「いやいや、私はお兄さんが最初に感じたように意地汚い人間さ。」
両手を開き指を一本づつ折り曲げていく。
「食欲、睡眠欲はできる限り優先する。
性欲と自己顕示欲は身を滅ぼさない程度に程々に。
生存欲と安全欲は道徳や倫理概念ガン無視で。
私はただ予測を話してるだけでスキあらば他人なんてすぐに蹴落とすさ。
こんな非常事態なら尚更ね。」
にへらと悪人顔相応しい笑みを浮かべる。
俺は興味なさそうに相槌をうった。
「なら、俺の善意は無駄だったわけか。」
「残念、もうその善意は私の胃袋の中で消化中さ。損したね?」
これからは気を付けよう、甘さは為にならないと胸に刻んだ。
俺がフンっと喉を鳴らすと、おっさんは豪快にハッハッハと笑う。
「冗談だよ、そんなに怒らないで。お礼と言っちゃなんだがいい情報を2つあげよう。」
周りを気にするような素振りをして、俺だけに聞こえる音量で話す。
「国の上層部はこの混乱に乗じて、腐った有権力者や老人や犯罪者を加えた国の腫瘍を排除することを決定した。」
流石に疑わざる負えない情報。聞いたところで確信は持てないし、証明する方法もないが、おっさんの狂いのない健やかな表情が気にかかる。
「・・・判断材料は?」
取り敢えず、その情報が真実だと仮定して少しでも多くの詳細を知ることにする。
「学生なら学歴に加え、素行やボランティア活動による貢献度、大人なら犯罪歴や所持資格数に職務内容。取り敢えず上層部は独断と偏見で目に見えての害を取り除くらしい。」
「・・・勝手だな。」
「人間らしくていいじゃない。犯罪はばれなければ犯罪ではない。」
となると、俺は危ないな。今すぐここから立ち去らなければならない。
軍隊に向け数々の非難が飛び交う中、おっさんはへらついた顔を止め無表情でこう告げた。
「・・・2つ目は?」
「・・・元凶である『娘』の居場所を突き止めた。」
全身の毛が逆立つのが分かる。
心が躍動し始めたのを自覚する。
己を形成する『細胞』の全てが、完全に目覚めてしまった。
「政府は急遽、特殊部隊を結成。準備が出来次第、攻略に当たる。」
冷静にならなければ、冷静にならなければと、どうにか自分を自制する。
今すぐにでも駆け出したい衝動をどうにか抑え込む。
「場所は・・・何処だ?」
おっさんはポケットから一つの手のひらサイズのデバイスを取り出す。
「ここから北に約500km先、詳細はこの中に。」
それを受けとると同時に頭上から爆音が響いた。
ぱらぱらぱらと天井の埃が舞い落ちる。
『緊急事態発生!緊急事態発生!戦闘員は直ちにホーム入り口に!』
どうやら『奴」が地下に侵入しに来た様。武器を持った軍人が慌ただしくなった。
周りにいる民間人も不安に駆られ、慌ただしくなる。
おっさんと俺はその混乱に乗じて腰を上げた。
「競争だ。我々は先に行く。精々、頑張ってくれたまえ。」
おっさんは不気味な笑みを浮かべ、ホーム奥へと足を進める。
その背中は群衆の中に紛れて瞬き一つで簡単に消えてった。
「・・・。」
俺はおっさんとは逆の方向、武器を持った軍人が向かう外への出口へと向かう。
ホームの中は相変わらずの混乱状態。
小さな子供を抱きしめる母親。
少しでも安全を確保するため奥へと走り込む爺。
怒号にビビり、逃げ出す若者。
いつの日もこの世が混沌なのは変わらない。
「'私達は進化する'」
鳴り響く爆音。市民の全員を驚かせる銃声音。恐怖を具現化した金切り声のような悲鳴。
いつの日もこの世が騒がしいのは変わらない。
「'罪を、そして罰を持って、進化する'」
軍人が混乱する市民をどうにか抑えようとする。
が、しかし言葉では何百と越える人々を抑えられない。
「'過去を糧とし、未来を創造する'」
銃声で抑えることも不可能。もう単なる音では誰の耳にも届きはしない。
「'私たちの道に壁は無し'」
唯一、群衆を静寂と化すことが出来たのは、階段上のホール入り口に包まれた砂埃と爆音だけだった。
「'だが、恐れることなかれ'」
砂埃が晴れる。途端に、群衆は戦慄した。
「'私たちは制約を持って自己を成す'」
一週間前、住民全員を絶望の淵に叩き落し、その上こんな地下暮らしを強要した元凶。
銃をも通さない白い外皮を持ち、地下を通れなくするほどの巨大な体躯の化け物が、その姿を現した。
「'my life is for you'」
四方に分かれた口で軍人を噛み砕き、その眼力で人々を恐怖に染める。
「今行くよ、『マリア』」
俺はその中で人々が恐れる化け物の前までたどり着いた。
「っ!?おい君!状況が見て分からないのか!?さっさと逃げなさい!」
後ろで額に血を流し、尻餅をつく軍人が俺に向かって叫ぶ。
しかし、化け物はそんな声を遮るように、新しく生やした手で俺を上から叩き潰そうとした。
その威力はコンクリートの壁を簡単に壊すほどのもの。
生身で受けたのなら人間の肉なんてあっという間にぐちゃぐちゃだ。
だから、俺は左胸から丈夫な左腕を生成する。
「馬鹿・・・っ!?」
俺に避難勧告をした軍人が、化け物の拳を止める俺の腕を見て驚愕する。
いや、その顔は恐怖と言った方が差し支えないだろう。
だってその腕も、俺の左胸も、化け物と外皮と同じ白色なのだから。
さらに俺は彼の表情を怯えさせることになる。
「邪魔だ。」
左手の手のひらから一つの細胞を切り離し、生み出したのは一つの歪な刀。
俺はそれを右手で持ち、包丁や刀でも傷つけることのできない化け物の腕を切り裂いた。
そして切り裂いた腕は後方へ投げ捨て、行く先を邪魔する化け物の体を真っ二つに切り裂く。
ホームはその光景によって静寂に包まれた。
「・・・。」
化け物の肉塊は灰のように崩れていく。
その光景もここにいる全員にとっては初めての光景で、情報過多のせいか思考の混乱を招く。
「お、お前は・・・っ!?」
だが、軍人のうち、一人が震える体をどうにか抑え込み、俺の存在を明確にしようとした。
個人的に勇気ある行動にはそれなりの敬意を持って答えることが礼儀。
俺はそれに答えるために被っていたフード脱ぎ、自前の生体情報を晒してこう答える。
「俺の名は『ヨセフ』、お前ら人間が作り出した化け物の一匹だ。」
地上への出入口から一筋の光が差し込む。
まるで先へ進めと神様がアドバイスをくれているようで・・・
「人間、せいぜい生き延びろよ。」
生成した刀を左手ごと左胸に取り込み、きびつをかえす。
「俺同様、お前らが怒らせた者たちは皆、全員お前たちを恨んでいる。」
雨が降っていたのか、外はとても空気が澄んでいた。