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【短編集】癖強め(検索除外作品等)

女騎士アビゲイルの失態

「アビゲイル……ここは何処なのでしょうね」



 人里離れた森の中。こんな場所にそぐわない、高貴な身なりをした少女が声を震わせる。


 360度見渡す限り広がる緑。最後に通った町は、どのぐらい離れた場所にあっただろうか?


 長いプラチナの髪の毛をポニーテールに纏めた女騎士――――アビゲイルは少女の側に跪くと、勢いよく頭を下げた。



「申し訳ございません、王女様!私がついていながら、こんなことに……」



 アビゲイルは眉間に皺を寄せ、涙を流した。


 二人の周りに転がる、見知らぬ顔をした人間の亡骸。今しがたアビゲイルが弑したものだ。



「謝る必要はありません。アビーは私のことを守ってくれました」



 そっとアビゲイルの頭を上げさせながら、少女は微笑んだ。


 少女の名はロゼッタ。この国の王女である。


 一国の王女がどうしてこんな森の中にいるのか。それは、彼女がもうすぐ結婚を控える身であることが理由だった。



 この国には、姫君は結婚が決まると、1か月間廟に籠って禊をする、という決まりがある。ロゼッタとアビゲイルは、その廟へと向かう最中だった。


 けれど、道すがら現れた暴徒が二人を襲った。


 当然、アビゲイル以外にも従者や護衛は付いていたのだが、皆殺されてしまった。


 アビゲイルは敵が乗っていた馬を何とか奪い取ると、ロゼッタを連れて必死に逃げた。逃げて逃げて、見知らぬ森に迷い込んで、そこで追手と応戦し、辛くもロゼッタを守った――――それが、現在二人の置かれた状況である。



「それにしても、これからどうしましょう。ここが何処かもわかりませんし、他にも追手がいるかもしれません」



 ロゼッタはそう口にしながら、小さくため息を吐いた。気丈に振る舞ってはいるものの、彼女は城の中で大事に育てられた姫君。本当は不安で堪らないはずだ。


 ロゼッタ達を襲った暴徒が誰なのか、何が目的なのかもわからない。本当は一度城に戻りたいが、暴徒がまだ潜んでいたら……そう考えると下手に動くことも躊躇われる。アビゲイル一人ではロゼッタを守り切れる気がしなかった。



「しばらくはこの森に身を隠しましょう。どこかに身体を休められる場所が有れば良いのですが」



 風に乗って漂ってくる血の匂いを避けるため、アビゲイル達はひとまずこの場を離れることにした。


 ロゼッタを馬に乗せ、アビゲイルは道なき道を歩いた。

 空に向かって枝を広げる木々のため、太陽の光も届かない。このため、まだ昼間だというのに、辺りは薄暗かった。ついつい気持ちまで沈んでしまいそうになる。



(いけない。私がしっかりしなければ)



 アビゲイルは必死に首を横に振りながら、心を奮い立たせた。



「王女様、私このような素晴らしい自然、見たことがございません。我が国にこのような場所があったのですね」



 ロゼッタの心が少しでも救われてほしい。そんなことを思いながら、アビゲイルは笑う。ぎこちない笑顔だったかもしれない。けれどロゼッタは優しく笑い返してくれた。



「そうね。こんなことがなかったら、私はこんな場所があることを一生知らぬまま、祖国を旅立つことになってました。そう思うと、これは神が私に与えてくれた幸福だったのかもしれません」



 まるで神の祝福を受けたかのような美しい顔立ちに、清らかな心。主君の優しさに心から感謝しながら、アビゲイルは先へ進んだ。


 何時間ぐらいそうしていただろう。段々と木漏れ日が薄れ、夜が近づいてきたことが分かる。


 未だ、身体を休められそうな場所は見つかっていない。


 いつでも入り口に戻れるよう、アビゲイルは木に切れ込みを入れてきた。けれど、夜になればそれも難しい。手持ちの水も明日には無くなってしまいそうだ。



(どうしよう)



 その時、アビゲイルは目を疑った。


 ここからそう遠く離れていない森の中。一ヶ所だけ木々の途切れている場所がある。

 そこから薄っすらと煙が上がっているのが見えるのだ。



(人だ!人がいるんだ!)



 見間違いかもしれない。敵の可能性だってある。


 けれどアビゲイルはグッと手綱を強く握りなおすと、真っ直ぐにそちらの方へ歩いて行った。



「――――まさか森の奥にこんな場所があるなんて」


「ビックリですね」



 煙が上がっていた場所にあったもの。それは大きな塔だった。とても古い建物だし、蔦が巻き付いているものの、中には灯りが灯っている。



「王女様、如何しましょう」



 そう尋ねるが、アビゲイルの心は決まっていた。



(塔の中に入ろう)



 剣の柄に手を掛け、アビゲイルは塔の入り口を睨みつける。


 もしも中にいるのがロゼッタを襲った手のものであれば、殲滅する。違えば事情を隠して、しばらく身を寄せさせてもらう。こちらへ向かったときからそう決めていた。



「――――お前に任せるわ」



 ロゼッタはそう言って優しく微笑んだ。


 幼いころから仕えているこの姫君は、アビゲイルに全幅の信頼を寄せてくれている。だからアビゲイルはその信頼に答えたかった。



「王女様は身を隠していてください。十分経っても私が戻ってこなかったら、この子に乗って逃げるんですよ」



 アビゲイルはロゼッタに馬を任せると、深呼吸を一つ。塔へと向かった。


 塔の入り口は埃をかぶっていて薄汚い。もしかしたら、塔の主が到着したのもつい最近のことなのかもしれない。

 耳をそばだてて中の様子を探ろうと試みるが、何の物音もしなかった。


 もう一度深呼吸をし、心を落ち着かせてからアビゲイルは塔の扉を叩く。



「ごめんください」



 けれど、待てど暮らせど反応は返ってこない。



(もう一度)



 ゴクリと唾を呑み込んでから、アビゲイルはもう一度、大きく手を振り上げた。



「あっ……!」



 けれど扉に向けて振り下ろした筈の手は空を掻き、アビゲイルは大きくバランスを崩してしまう。



「おっと……お前、女か?」



 気づけばアビゲイルの身体は、見知らぬ男に抱き留められていた。驚いて顔を上げれば、男の右手には短刀が鋭く光る。


 アビゲイルは素早く男の腕から逃れると、手にしていた剣を構えた。けれど男はアビゲイルを見つめたまま、切りかかってくる様子はない。



(…………あいつらの仲間ではない、のか?)



 警戒心は解かぬまま、アビゲイルはゆっくりと剣を下ろした。



「私の名はアビゲイル。わけあってこの森に迷い込んだ」



 金色に輝く男の瞳を真っ直ぐに見つめながら、アビゲイルは口上を述べる。男は品定めをするかのようにアビゲイルを上から下まで眺めると、不敵な笑みを浮かべた。



「女騎士様が迷子、ねぇ?」



 男は不敵な笑みを浮かべながら、そっとアビゲイルの顎を掬う。アビゲイルは眉間に皺を寄せつつ、けれど男から顔を逸らさなかった。



「それで?何をお望みなんだ?」


「しばらくここに身を寄せさせてほしい。報酬は弾もう」



 淡々とそう述べるアビゲイルだが、先程から緊張で心臓ははち切れそうだし、踏ん張った足は小刻みに震えている。けれど表情だけは、凛々しくて強い女騎士を演じた。



「……生憎と金には困ってないんだよなぁ」



 男はそう言って目を伏せたかと思うと、ややして意地の悪い笑みを浮かべた。



「まぁ良い。泊まらせてやるよ」


「………っ、恩に着る!」



 アビゲイルはほっと胸を撫でおろしながら、笑顔を浮かべた。




 塔の中は広く、想像よりもずっと美しかった。造りも、設置された調度品の類も、一つ一つが洗練されていて無駄がない。



「おまえ、着替えは持ってるのか?」



 階段を先導しながら、男が尋ねる。すぐ後ろを歩くロゼッタではなく、アビゲイルに尋ねているらしい。



「そんなもの、持っているわけがないだろう」



 荷物は全て、捨て置いた馬車の中だ。アビゲイルも、ロゼッタも、今着ているものしか持っていない。



「その恰好では主が警戒してしまう。挨拶の前にその鎧は脱いでほしい。明日以降の着るものは、俺が何とかしよう」



 男はそう言って、自身の襟元をそっと引っ張って見せる。



「おまえ、主がいるのか?」



 アビゲイルは思わず疑問を口にした。


 男の着ているものは肌触りも質も良いし、立ち居振る舞い一つとっても、誰かに仕えているより、仕えさせる側の人間に見える。


 おまけにアビゲイルたちの滞在を許可したのはこの男自身だ。なにやら腑に落ちなかった。



「――――――まぁな」



 何やら含みのある返答だが、男が詳細を語る気はなさそうだ。アビゲイルは心の中でため息を吐いた。




「こんな所に迷い込むなんて大変だったね」



 男の主は穏やかで紳士な、美しい男性だった。未だ18歳という若さなのに、落ち着きと貫禄があって、懐も深い。アビゲイルはホッと胸を撫でおろした。



「突然のお申し出にも関わらず、私達を受け入れて下さったこと、心より感謝申し上げます。私はロゼリア。こちらは侍女のアビゲイルです。よろしくお願いいたします」



 アビゲイルはロゼリアと一緒になって頭を下げる。


 嘘を吐かせることは心苦しかったが、ロゼッタには偽名を使ってもらうことにした。こうすれば簡単に身元を割りだせないだろうし、余計な詮索は避けられるだろうとの考えからだ。



「僕はライアン、こっちはトロイだよ」



 ライアンはそう言ってニコリと笑う。従者とは異なり、裏表のない、とても清々しい笑顔だった。

 




****



 それからしばらくは穏やかな日々が続いた。


 ロゼッタとライアンは馬が合うらしい。気づけばいつも行動を共にしていた。

 部屋で本を読むにも、森を散策するにも、何をするにも二人一緒。傍から見ていて微笑ましいくらいだ。


 本当は結婚を控える身であるロゼッタが、他の男性と仲良くすることは問題がある。けれどアビゲイルは、こんなにも楽しそうなロゼッタを見たことが無かった。


 幸いここにいるのは、アビゲイルとトロイの二人だけだ。たまにライアンの従者が食材を届けに来たり、何某かの報告をしに来るものの、決して長居はしないし、詮索もしない。ならば今しか許されぬ幸せに主が身を投じることを見逃すべきなのではないか。そう考えた。



「なぁ、アビゲイル。おまえ、一体いつまでここに隠れるつもりなんだ?」



 ある時、トロイがそう尋ねてきた。今はトロイと二人きり。読書を楽しむ主たちのために、茶を準備している所だ。



「――――――必要なだけ。あの方の安全が保障されるまでだ」



 小さくため息を吐きながら、アビゲイルが唇を引き結ぶ。


 恐らくあの日、ロゼッタ達を襲ったのは敵対国の刺客たちだ。

 ロゼッタはもうすぐ隣国の王子と結婚する。共に敵国へ対抗するため、同盟を結ぶための政略結婚。


 刺客たちはロゼッタを亡き者にし、二人の結婚を防ぐことで、同盟を白紙に戻したかったのだろうというのがアビゲイルの考えだった。



(王女様が襲われたことはどこまで伝わっているのだろうか)



 あの時の従者たちは皆、殺されてしまった。残っているのはロゼッタとアビゲイルの二人だけだ。


 もしかすると今頃、ロゼッタが廟に到着していないことを神職者たちが報告している頃かもしれない。



(どうやって確認する?どうやって……)


「そんな難しい顔するなよ」



 顰め面をして押し黙ったアビゲイルの頭を、トロイがクシャクシャと撫でた。



「別に、早く出ていけって言ってるわけじゃない。あんなに楽しそうな主を初めて見たし、俺たちはあと1ヶ月はここにいるから」



 はじめの方こそ掴みどころがなく、意地悪に見えたトロイだが、一緒に過ごしていくうちに案外優しい人だと分かってきた。


 男の中に混じって対等に騎士をしてきたアビゲイルは、人に優しくされ慣れていない。こういう風に甘やかされると、何だか心がむず痒かった。



「って、あと1ヶ月でここを出るのか?」


「あぁ。ここには一応禊に来ているんだ。……形だけだけど」


「そうか」



 アビゲイルたちに残されたタイムリミットは思ったよりも長くないらしい。

 用意の終わったティーセットを盆に載せ、アビゲイルは一人、重い足取りでロゼッタたちの元に向かった。


 アビゲイルが部屋に入ると、ロゼッタとライアンは神妙な面持ちで何かを話していた。



(一体どんな話をしているんだろう?)



 アビゲイルは首を傾げながら、ゆっくりと二人に近づいていく。



「――――――はい。私はまだ、結婚相手にお会いしたことが無いのです」



 ロゼッタは困ったような表情で、そんなことを口にしていた。どうやらまだ、アビゲイルの存在に気づいていないらしい。



(えぇっ……!)



 アビゲイルはロゼッタの口を塞ぎたくなった。



(王女様のことだから、身分は明かしていないだろうし、お相手のことも話してはいないだろう。でも、でも!)



 ロゼッタはきっと、ライアンのことを慕っている。決して叶うことのない初恋だ。


 けれど今、婚約のことを打ち明けなければ、ロゼッタは少しでも楽しい時間を引き延ばすことができたはずだ。


 甘い恋の思い出を宝物にして、隣国に嫁いで行けた。それなのに、どうして打ち明けてしまったのか。


 ライアンは悲しげに笑いながら、黙ってロゼッタの話を聞いている。

 ロゼッタは、切なげに目を細めると、とんでもないことを口にした。



「ライアン様が私の結婚相手だったら良かったのに」


(え……?)



 その瞬間ガシャンと盛大な音を立てて、ティーセットが宙を舞った。


 アビゲイルはとてもじゃないが、己の聞いたことが信じられなかった。開いた口が塞がらず、ただ呆然と立ち尽くす。



「アビゲイル!」



 ようやくアビゲイルの存在に気づいたロゼッタは、頬を紅く染め、恥ずかしそうに顔を逸らす。ライアンは少しだけ驚いたような表情をしたものの、困ったように笑っている。



(私ったら何を……)



 アビゲイルは気を取り戻すと、ティーセットを片付け、急いで部屋を後にした。




 その晩。ロゼッタがアビゲイルの部屋を訪れた。



「アビー、私よ。少し話しをさせてほしいの」



 あれからアビゲイルは、誰とも会話を交わしていない。あまりにも気まずく、顔を見ることも憚られて、逃げるように自室に籠っていたからだ。


 アビゲイルはロゼッタを中に入れると、そっと視線を彷徨わせた。



(どうしたら良いんだろう)



 先程の発言から、アビゲイルにはロゼッタがこの恋を思い出にしたくないのだと分かった。だからこそ、婚約者がいることを打ち明けたし、気持ちを言葉にした。


 国に仕える人間としては、ロゼッタの行動を諫めるべきなのだろう。


 この婚約がなくなれば、同盟は立ち消え、国の平和が脅かされる。ロゼッタの背には何千万人もの人間の命が託されているのだ。


 けれど、それと同じぐらい、アビゲイルはロゼッタの恋を応援してあげたかった。主の幸せを守りたかった。



(いっそのこと――――このまま私たちの無事が伝わらなければ、王女様は自由に生きられるのかもしれない)



 いけないことと分かりつつ、アビゲイルはそんなことを考える。


 その時、部屋に入って以降、ずっと黙っていたロゼッタが、徐に口を開いた。



「あのね、ライアン様にも私と同じように……婚約者がいらっしゃるんですって」



 消え入りそうな程、小さな声。ロゼッタの身体が小刻みに震えている。アビゲイルは思わず息を呑んだ。



「心配しないで、アビー。私、ちゃんと姫として生まれた責務を果たすわ。でも、でも……」



 静かに涙を流しながら、ロゼッタは顔をクシャクシャに歪めた。



「あの方もね、私が婚約者だったら良かったのにって。そう仰って下さったの。私はそれが嬉しくて……悲しくて」


「王女様……」



 ロゼッタはアビゲイルの胸に顔を埋め、涙を流す。

 まるで自分のことのように心が痛くて堪らない。


 その晩二人は一緒になって涙を流しながら、眠れぬ夜を過ごした。





 それから数日後のこと。


 アビゲイルは買い出しと称し、最寄りの町で国や敵国の情報を集めていた。荷物持のトロイも一緒だ。


 本当はロゼッタを一人森に残すことに不安はあったが、ライアンはああ見えて相当な手練れらしい。安心して任せることにした。


 あの後もロゼッタとライアンとの関係は変わらなかった。二人はとても仲睦まじく、いつも楽しそうに笑いあっている。


 けれど互いに二度と、婚約者について打ち明けることは無いし、二人の関係がそれ以上進むことも無かった。



「この国って案外栄えてるのな」



 町を見回しながら、トロイがポツリと漏らす。



「どうだろう?私もこの町を訪れるのは初めてだから――――」



 言いながらアビゲイルは、妙な違和感を覚えてその場に立ち止まった。



「おまえ、この国のものではないのか?」



 思わぬことにアビゲイルが首を傾げた。



「あぁ……っていうか、あの森は――――――」



 トロイが徐に口を開く。


 けれどその時。アビゲイルの耳に、もっと重要な情報が飛び込んで来た。



「うちの姫様、婚約を破棄されそうなんだってよ」


「は?姫様の婚約のお相手ってのは確か、隣国の王子だろう?そりゃまたどうして?」



 アビゲイルたちのすぐ側で、少し年配の町人たちがそんなことを話している。


 うちの姫様というのは言わずもがな。ロゼッタのことだ。



(まさか……どうして王女様が)



 隣国にロゼッタが行方不明なことが伝わったのだろうか。だとしても、生死不明なだけでこんなにも早く婚約破棄されるとは思えない。



「それがな、なんでもお相手に、添い遂げたい女性ができたとかで……」


「おいっ!その話は本当か!?」



 気づけばアビゲイルは、町人に詰め寄っていた。その恐ろしい剣幕に、町人たちが後ずさりする。



「おい、落ち着けって」



 トロイはアビゲイルを宥めながら、平然とした表情を浮かべている。



「落ち着けるわけがないだろう!婚約破棄されたのは王女様なんだぞ!」



 アビゲイルは興奮していた。


 ロゼッタが王女であることはトロイにも、ライアンにも打ち明けていない。こんな風に取り乱しては主人が誰なのかバレバレではないか。頭のどこかでそう思っているはずなのに、止められなかった。



「私の王女様が!婚約を破棄されるだなんて!あの方が国のため……どれほどの想いで、自分の気持ちを押し殺す決心をしたと――――」


「アビー」



 我を失ったアビゲイルを、トロイがそっと抱き締めた。ふわりと漂う甘い香りに心が落ち着きを取り戻す。途端に目の奥がツンと熱くなって、アビゲイルはトロイの胸に顔を埋めた。



「大丈夫だから。絶対、全部丸く収まる。俺を信じろって」



 トロイはポンポンとアビゲイルの背を叩きながら、ニコリと微笑む。



「だけど、だけど――――」



 その時、二人の側を一台の馬車が通りがかった。


 とても造りの良い、高級感溢れる馬車だ。幾人もの従者が馬車の周りを取り囲み、護っている。まるで、王家の人間が乗っているかのように――――。



「アビゲイル!」



 馬車の中からそんな声が聞こえた。聞きなれた、主の声。馬車に乗っていたのはロゼッタとライアンの二人だった。



「おっ……ロゼリア様?」



 目を丸くして驚くアビゲイルを、ロゼッタは困惑の眼差しで見つめた。



「悪いけど、二人も後から付いてきてくれるかな?」



 そう口にしたのはライアンだった。アビゲイルとトロイに目配せをしながら、優しく微笑む。



「――――ナイスタイミングです、殿下」



 トロイはそう言ってニヤリと笑うと、颯爽とアビゲイルの肩を抱き、移動を促した。



(は?殿下?)



 何故ライアンに対し、そのような敬称を用いるのだろう。これまで全く、そんな素振りは無かったというのに。



(わけが分からん)



 そう頭を抱えつつも、アビゲイルは黙ってロゼッタの乗っている馬車の後に続いた。





「お初にお目にかかります。隣国王太子ライアンと申します。以後お見知りおきを」



(何故。どうして。何がどうなって、こんなことに?)



 アビゲイルは表向き凛と佇まいながら、頭の中で叫び声を上げていた。


 ライアンたちに導かれるまま向かった先は、ロゼッタの帰るべき場所。王城だった。


 城に到着するなり、四人は謁見の間へと案内され、現在に至る。



「それで、隣国の王太子殿がどうしてここに?」



 国王は1か月間安否の分からなかったロゼッタの無事を喜び、側近くへ置いている。


 けれど、ロゼッタを城に送り届けてくれたライアンに対する瞳は、どこか厳しいものだった。



(あぁ……きっと噂は本当だったのね)



 町で聞いた噂話――――ロゼッタが婚約破棄をされたというのは真実だったのだ。



(トロイの奴……何が大丈夫、だ)



 アビゲイルの隣にはトロイが涼しい顔をして立っている。無性に腹が立って、アビゲイルは唇を噛んだ。



「僕は我が国の慣わしに則り、結婚前の禊のため、森の奥にあるとある塔に身を置いておりました。そして、そこで僕はロゼリアと名乗る、素晴らしい女性と出会ったのです」


「ロゼリア――――?」



 国王はそう呟きながら、娘の顔をチラリと見る。ロゼッタは頬を紅く染めながら、そっと父親へと耳打ちした。恐らくは己のことだと説明しているのだろう。



「ロゼリアは誰よりも美しく、心根の優しい、僕の理想の女性でした。一緒にいて、こんなにも楽しいと思える女性はいない。幸せだと思える人はいない。――――僕が彼女を恋い慕うまでに時間はかかりませんでした」



 ライアンはそう言って真っ直ぐにロゼッタを見つめると、うっとりと目を細めた。



「けれど、僕と彼女にはそれぞれ婚約者がいました。人生でこんなにも遣る瀬無さを感じたことは無い。ロゼリアが結婚相手だったら良かったのにと――――僕は心からそう思いました。そして、己がどうしようもない馬鹿だとは承知の上で、僕は陛下に婚約破棄を申し入れました。僕は廃太子となり、こちらの姫君には僕の弟と改めて婚約をしていただく、そう思っていました」



 先程まで険しかった国王の瞳は、穏やかに細められている。ロゼッタは今にも泣き出しそうな表情をしていた。


 傍から見ればライアンの行動は決して褒められたものではない。


 彼等王族の一挙手一投足は国を揺るがす。人々の命を救いもするし、脅かしもする。王族が誰に、何のために生かされているのか。それらを全て無視する行動だ。


 けれどアビゲイルは、ライアンを責めることはできなかった。きっと国王も、ロゼッタも同じ気持ちなのだろう。



「時を同じくして、僕はこちらの姫君が行方不明になっていることを知りました。僕が身を寄せていた森のすぐ側で暴徒に襲われたこと。供に銀髪の美しい女騎士を連れているはずだということ――――それを聞いた時、僕は運命の巡り合いに打ち震えたのです」



 ちっともそんな素振りを見せていなかったというのに、ライアンとトロイの二人には、アビゲイルたちの正体がバレていたらしい。



(それならそうと早く言ってくれれば良いのに)



 そんなことを思っていると、アビゲイルの手のひらを何かがそっと包み込んだ。顔を上げれば、トロイがこちらを見ながら穏やかに微笑んでいる。



(なに?なんなの?)



 まるで慈しむかのような温かい眼差しに、アビゲイルは動悸を隠せない。全身が燃えるように熱いし、先程から指先も手のひらも、一ミリだって動かせずにいる。汗ばんだ手のひらから、アビゲイルの心臓の音が聞こえてしまうのではないか。そんな心配を本気でしてしまう。



「ロゼリア―――――いや、ロゼッタ王女。どうか僕と結婚していただけませんか?僕はあなたと共に幸せになりたいのです」



 凛と響くライアンの声。

 返事なんて聞くまでもない。ロゼッタは至極幸せそうに微笑んでいた。





「本当はいつから気づいてたんだ?」



 アビゲイルはチラリと後を振り返りながら、そう尋ねる。夜風がとても心地よい。足取りもとても軽やかだった。



「そういうお前はいつだと思うんだ?」



 トロイは質問を質問で返した。アビゲイルは唇を尖らせながら、そっと視線を逸らす。



「……最初から。私が鎧を身に着けていた時点で気づいていたんだろう?」


「御名答。まぁ、さすがにあの時点では推測の域をでなかったけれど」



 トロイはそう言って不敵な笑みを浮かべた。


 一般人ならばまだしも、相手は王太子の側近だ。存在自体が希少な女騎士が守護するものが誰かぐらい、瞬時に見抜けていたのだろう。



「ならばどうして殿下に伝えなかった?わざわざ私に着替えまでさせて」



 アビゲイルはそう言って小さく首を傾げる。


 最初から互いが婚約者だと分かっていたら、ライアンもロゼッタもあんな風に苦しまずに済んだ。国王や国民に変な誤解をさせずに済んだというのに。



「――――敢えて言うなら報酬が欲しかったから、かな」



 トロイはそう言って悪戯っぽく微笑む。



「は?」



 アビゲイルは目を丸くすると、トロイを真っ直ぐに見つめた。



「けど、俺のおかげで王女も殿下も婚約者というフィルターなしに互いを想い合えたんだ。普通に政略結婚するより、絆はずっとずっと強固だよ。結果オーライだと思わない?」


「――――――たまたま上手くいっただけだろ?」


「まぁね。だけど、俺は策士だから」



 そう言ってトロイはアビゲイルの頬を手のひらで包み込む。



「……最初の狙い通り、報酬はきっちりいただくよ」



 何故だか熱を帯びた声音に、アビゲイルの心臓がトクンと跳ねた。



「ま、またその話?報酬の件なら陛下に交渉してからになるから――――」



 一国の王女を保護した。その報酬は当然大きい。

 国王への交渉次第で、金額はさらに跳ねあがるだろう。



「ううん。その必要はないよ」



 トロイはそう言って笑うと、アビゲイルの唇をゆっくりと撫でた。アビゲイルの頬が真っ赤に染まる。



(何か……何か言わなきゃ)



 アビゲイルが口を開きかけたその時、柔らかな何かが唇を塞いだ。唇から全身に広がっていく痺れるような甘さと熱。吐息まで奪われて、頭がクラクラした。


 どのぐらいそんな状態が続いただろう。気づいたらアビゲイルはトロイの腕の中にいた。



「これが報酬――――?」



 初めての口付けの余韻に浸りながら、アビゲイルが問いかける。普段は凛々しい女騎士も、こういう時は乙女になってしまうものだ。



「え?違う違う。こんなんじゃ全然足りないよ」


「はぁ!?」



 先程までの余韻はどこへやら。アビゲイルは険しい表情で、トロイを睨みつけた。



「俺と結婚してよ、アビー」


「…………え?」



 全く予想だにしていないセリフだった。時が止まったかのような感覚。ビックリし過ぎて、アビゲイルは固まってしまう。


 けれど、甘やかな優しい笑顔に真摯な瞳。トロイが本気なことはすぐに分かった。



「アビーはさ、王女様についてうちの国に来るんだろう?」


「えっ?まぁ、それは……そうなる筈だが」


「だったら猶更。俺は良い結婚相手になると思うよ」



 断らせる気なんてサラサラないのだろう。トロイは少しずつ少しずつ、アビゲイルの退路を断っていく。何を問いかけても、笑顔でそれを否定する。


 その度に優しく頬に口付け、満足気に微笑む様が腹立たしいが、同時にドキドキしている自分が――――喜んでしまっている自分がいるのも事実で。



「――――いや、報酬高すぎだろう?」



 顔を真っ赤にしたアビゲイルが呟くと、トロイは声を上げながら、幸せそうに笑ったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 素敵なお話でした
[一言] アビーさんが可愛すぎました。 トロイさん側のお話も読んでみたいなと思いましたので、もし機会がありましたら是非
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