第92話 脳筋のひとでなし
「それじゃあ、適当に座ってくれや」
僕たちが通された部屋は、クラブハウスの一室。
そこそこの広さがあり、恐らく昔はパーティルームとして使われていた場所なのだろう。
建物自体はそんなに古くは無さそうだけど、あまり手入れはされて無いみたいだな。
実際、壁紙なんかはあちこちに傷や破れが目立ってるし。
とは言え、クラブハウスとして使われていた事を思えば、そこそこ豪華な部類なんだろうけど。
「何か飲むか? と言っても大したモノは置いてねぇしなぁ。向こうの冷蔵庫にビールやらなんやら入ってるから、適当に飲んでくれ」
来栖さん……だったっけか?
さっきは呂律が回らなくなるぐらいに、クロに殴られてたはずだけど。
いまは結構普通に話せる様になったよなぁ。
これって、獣人特有の治癒能力の所為なのかな?
なんて思ってみたけど。
そう言えばさっきから、濡れたタオルで自分の顔を押さえてるし。
単にそれが効いてるだけなのかもしれない。
グレーハウンドの自動治癒と、普通の獣人のソレとでは、治癒能力に大きな差があるに違いない。
実際問題、僕だったらあの程度の怪我、もう完治していてもおかしくないしな。
「お前達のおかげで、ほんとヒデェ目に遭ったぜ」
「何を言うか。お前が勝手に勘違いをして、私の奴隷たちに危害を加えようとしたのだろう?」
「あっ、えぇっと、はい……スミマセン」
クロの指摘に、来栖さんが速攻で謝罪を入れる。
ホント、この力関係は揺るがないな。
「あぁ、えぇっと、クロさん。それじゃあ、俺は色々と後始末をしてから、また戻って来ますんで。それまでは、ここでお待ち下さい」
「うむ。分かった。なるべく早くしろよ。いいかげん腹も減ったし、夜も遅い。その辺りの準備もたのむ」
「は、はい。わっ、わかりました」
なんか歯切れが悪いな。
そりゃまぁ、そうか。
ただでさえ、金づるのゲームは中止に追い込まれた訳だし。
狩人や、ボディガードを含め、運営側にもいくらかの死人が出ている。
後始末と言っても簡単には行かないないだろう。
そこに来て、メシを用意しろだの、寝床を用意しろだのって言うのは、酷な話だ。
少し項垂れたれた様子で、部屋の外へと出て行く来栖さん。
そんな幸薄い彼と入れ替わりになる形で、すっかり元気を取り戻した真衣が部屋へと入って来た。
「はぁぁ、ヤバかったわぁ。マジ、今日イチでヤバかったわぁ」
「ヤバかったって、何が?」
「武史。アンタ、ほんとデリカシーが無いよねぇ。うら若き乙女に、普通そんな事聞くぅ?」
「誰がうら若き乙女だよっ!」
いやいや、乙女がトイレ帰りに『ヤバかったわぁ』とか言わねぇし。
って言うか、ちょっぴりモレ〇郎だったって事も知ってるし。
「そんな事よりさぁ。そっちのお兄さん、結構ヤバそうじゃないの?」
僕のツッコミなど気にも留めず。
真衣が僕の肩越しに、部屋の奥を覗き込んだ。
確かに。
ついさっきまで気丈に振る舞っていた北条さんだったけど。
今は、大きめのソファーに横になったまま。
車崎さんからの問い掛けに、弱々しい返事を返すのみだ。
「どうする? 救急車とか呼んだ方が良いんじゃない?」
「いや、流石にそれはマズいだろう」
何しろここは来栖さんの隠れ家らしいし。
って事はヤクザの出先って事だろう。
しかもだ。
ココは例の殺人ゲームが開催されていた場所だ。
救急車を呼んだ事がきっかけで、警察が介入しないとも限らない。
「あっ……あのぉ……」
そんな途方に暮れる二人の後ろから、遠慮がちな声が聞こえて来た。
「ん? あぁ、竹内さん、何ですか?」
なんなんだろうなぁ、この人。
いつの間にやら、この場に溶け込んじゃってるけど。
まるで、最初っから仲間だったみたいに振る舞っててさぁ。
そういう所もちょっと、イラっとするんだよね。
「えっとですね。確かハリーさんとミックさんがお医者様でして。もしかしたら診ていただけるのではないかと……」
「ハリーさんとミックさんって……」
「あっ、さきほどコースでお会いした際に……あのぉ、裸でコースを歩いておられた方がハリーさんでして……」
「あぁ……」
アイツかぁ……。
アレは僕がBootで出したヤツなんだよなぁ。
それに、本人の方は壱號が噛み殺しちゃったし。
……って、そうかっ!
「竹内さん、ナイスアイデアですよ。そうそう、それそれっ! どうして気付かなかったんだろう!」
「ナイスアイデア……ですか?」
不思議そうに僕の顔を見つめる竹内さんと真衣。
そんな二人に向かって、僕はにっこりと微笑みながらこう言ったのさ。
「Change!」
――バシュゥゥゥゥ
掛け声とともに、部屋の中には白い蒸気が広がって行く。
そんな靄の中から、突然姿を現したのは。
「はっ、ハリーさんっ! どどど、どうしてココにっ!」
「あぁ竹内さん、気にしないで下さい。それより、ちょっとソコ退いてもらえます?」
「え? あのっ? 竹内さん? 竹内……さんっ!? こここ、これはまた、ご丁寧にどうもっ!」
え? 驚くトコって、ソコなの?
竹内さんって、このハリーさんって人に、よっぽどぞんざいに扱われてたんだろうなぁ。……まぁ、分からないでも無いけど。
「え? あの? もしかして、犾守君……なのか、な?」
車崎さんが驚いた顔で、僕の事を見上げて来る。
「えぇ、そうです。この人お医者さんだったらしいですからね。もしかしたら、僕でもある程度の事は出来るかもしれないので」
いまだに信じられない様子の車崎さん。
そんな彼の横合いから、そっと北条君の体に手を伸ばした。
体温は……心拍数は……。
時計が無いから正確には分からないけど。
それでも、自分がいま、何をすべきか? と言う事が、おぼろげながらに理解できる。
そう、これこれ。
これもChangeの効果の一つだよな。
Changeは核を利用して、核の持ち主に成り代わる事が出来る。
しかもだ。
その人が体得し、体に染みついている行動なんかは、特に意識しないでも踏襲する事が可能だ。
それは高度に訓練された行動や、技能であればあるほど、再現性が高い様に思える。
つまり、体が覚えている……と言う領域のモノほど、無意識のウチに実施できると言う訳だ。
僕はハリーさんの『無意識』に操られるがまま。
ただ黙々と北条君の容態を診察して行く。
その都度、僕の頭の中には複数の課題や選択肢が生まれ。
診察を進めるに従い、その選択肢が徐々に狭められて行った。
このハリーさんって人。
人間的には全然、駄目ダメな感じだったけど。
医者としてはすごく優秀な人だったんだろうな。
「ふぅぅ……」
一通りの確認を終えると、僕は大きくため息をついた。
「どっ、どうでしょうか?」
車崎さんが心配そうに僕の顔を覗き込んで来る。
「正直に申し上げます。北条君はかなり重篤な状況と言えます。MRIなどの検査をやってみない事には最終的な判断は難しいのですが、腹部から胸部にかけて、内出血の疑いがあります。急ぎ、手術が必要でしょう」
「どっ、どうすれば……」
「救急車を呼ぶしか方法はありませんね。救急車であれば、最寄りの病院まで運んでもらえるはずですし」
そうだ。
背に腹は代えられない。
北条君の命を助ける為には、一刻も早く設備の整った病院へ搬送する必要がある。
「とにかく、早く救急車を!」
「「……」」
僕の切羽詰まった声だけが、重苦しい部屋の空気に吸い込まれて行く。
くそっ! 分かってる。
そんな事、僕にだって分かってる。
この状況では、救急車なんて呼べやしないって言う事を。
でも、どうにかしないと。
早く、早くなんとかしないとっ!
「なぁ、針原先生よぉ……」
そんな、気まずい雰囲気の中。
北条君が、弱々しい声ながらも、話し始めた。
「はっ、はい。どうしました?」
針原先生?
あぁ僕の事か。
ハリーって、名字から来てたのか。そのまんまやな。
って言うか、どうして北条君がこの人の事知ってるんだ?
「とりあえず、先生の病院に運んでくれよ。それから、いつも通り、これは組には内緒で頼む。金なら心配するな。自分の命の事だ、言い値で払ってやるからよぉ」
え?
あぁっ?! そうかっ! そうだったっ!
僕も気が動転してて、全く気付いてなかったけど。
そう言えば、この人、見た事あるぞっ!
あの、僕が怪我した時に入院してた、個人病院の先生じゃないか。
しかも、金さえ払えば、飯田の遺体を預かっても良いって言ってくれた、あの先生だっ!
「あれ? 車崎さん、この針原先生って……」
「えぇ、ウチと取引のある個人病院の先生です。本人を目の前にして言うのもナンですが、金さえ払えば誰でも受け入れてくれると言う……」
「だったら、この先生の病院に連れて行きましょうよ。僕もこのままなら、きっと顔パスですよね。とにかく病院に担ぎ込めれば何とでもなりますよ」
「そっ、そうですね。でも、救急車は難しいと思いますので、僕が車で送ります」
うっ!
車崎さんの気持ちは嬉しい。
本当に嬉しい!
だけどっ、だぁーけぇーどっ!
車崎さんの運転だと、心もと無いんだよなぁ。
正直、運転は得意じゃ無さそうだし。
それに、車崎さんの車は砕石場の更にその先に停めてある。
いまから取りに行くとなると、それだけでも結構な時間が掛かってしまう。
「ほっ、他に車を持っている人は?」
僕は真衣の方へと視線を送る。
「私は無理。免許持ってないもん」
それは残念。
次に竹内さんの方へと視線を向けたが。
「すっ、すみません。私、ペーパードライバーでして。ここにも乗り合いのワゴンで来たので」
くっ! 思った通りだよ。
竹内さん、アンタやっぱり、使えねぇよっ!
「仕方がありませんね。車崎さん、申し訳ありませんが、一度戻って車を取って来てもらえますか。もしくは、来栖さんに確認いただいて、一番近くにある車を借りてもらえないでしょうか」
「はっ、はい。わかりました」
そう返事をするなり、入り口のドアへと急ぎ駆け寄る車崎さん。
そんな彼がドアノブへと手を掛けたその瞬間っ!
――バァァァン!
突然、勢いよく開け放たれた入り口のドア。
ちょうど扉の前に立っていた車崎さんは、無情にもドアに弾き飛ばされ宙を舞った。
「ぐえっ!」
あぁぁ!
車崎さん大丈夫!
なんか、ウシガエルみたいな声が出てたけど、
車崎さん、本当に大丈夫ぅ!?
車崎さんを吹き飛ばした事など、全くお構いなし。
ドアを開けた張本人は悪びれる風も無く、颯爽とした面持ちで部屋へと入って来た。
「はぁぁぁい、遅れちゃってゴメンねぇ! だぁってさぁ。中間試験の丸付け、今日までに提出しろって教頭がうるさかったのよぉ! って事で車崎さんはドコ?」
うわぁぁ。
脳筋な人キター。
しかも、いまごろ?
でも……待てよ?
「さっ、真瀬先生。先生はどうやってココに?」
「えぇぇ? 車崎さんに呼ばれたから来ただけだけどぉ。って言うか、貴方、針原先生ですよね。あぁ、その節は、色々とお世話になりまして」
え? 真瀬先生も、針原先生の事知ってるんだ。
ん? いやいやいや。
今はそんな事はどうでも良くって。
「あぁ、えぇっと。お越し頂いた理由では無くてですね。真瀬先生はお車で来られたのですか?」
「えぇ、もちろん。私の愛車で来ましたけど、なにか?」
やったっ! ビンゴ!
この先生、学校では見かけによらず、GT-Rに乗ってるって有名だったけど。
いまだったら、良く分かる。
だってこの先生、めちゃめちゃ見かけ通りのイケイケなんだもの。
「先生! お手数ですが、私の病院まで急患を運んでは頂けないでしょうか?」
「それは構いませんけどぉ、私、車崎さんに呼ばれて来たのでぇ」
「だっ、大丈夫です。車崎さんの承諾は得ておりますので」
「えぇぇぇ、でもぉ」
このアラサー女は、なにカマトトぶってんだよぉ!
調子こいてんじゃねぇぞ!
「ほらほら、車崎さんも、そこで頷いてらっしゃるでしょ!」
「あら、車崎さんったら、そんな所で寝てたら、風邪を引きますよぉ」
おいおいおい!
ドアごと突き飛ばしたのは、お前だろうがっ!
筋肉付きすぎて、人ひとり突き飛ばした事すら、分からなかったってぇのか?
マジか? この人っ! マジか、マジなのか?!
「あっ、あのぉ……私からもお願いします。北条君が重篤な状態でして、急いで病院に運ばないといけなくて……」
突然開いたドアでしこたま顔面を強打したにもかかわらず。
車崎さんが気丈にも真瀬先生に訴えかける。
「えぇぇぇ。マジでぇ」
ナニ? この人。
どう言う事?
この期に及んで、まだそんな事言うの?
『ひとでなし』なの? この女、まさか教職の身でありながら、『ひとでなし』だって言う事なの?
「そっ、そこを何とか」
床に這いつくばったついで……とでも言うのだろうか。
車崎さんが誠心誠意の土下座を披露して見せるのだが。
しかし、この女。
「だぁってさぁ。今日は車崎さんがしこたま人を殴らせてやる! って言うからストレス発散しようと思って来たのにさぁ。単なる運転手だったら、他をあたってよねっ! 私、そんな安い女じゃ無いのよっ! プンプン!」
あぁぁぁ……この女。
間違い無く『脳筋』の『ひとでなし』だったわ。




