第89話 三者択一の罠
「……」
んだよ、こんな時にシカトかよ、片岡ぁっ!
そんな暴発寸前の片岡に気を取られているうちに、今度は紅麗ちゃんがドスの利いた声で相手を威嚇し始めた。
「其方たち、これは何の狼藉か? ここはパルテニオス神殿の敷地内。其方たちの蛮行は見過ごす訳には参りませぬぞ」
ん? 其方たち?
俺の目の前に居るのは、いかつい大男が一人だけだが?
と思ったのもつかの間。
「控えよ、タロス!」
今度は俺の左側から、別の男の声が飛んだ。
その声が届くやいなや、目の前の大男は地に膝をつけ、素直に頭を垂れ始めたではないか。
「大変なご無礼を。何卒ご容赦いただけませぬか。司祭枢機卿猊下」
なんだ、コイツ。
俺の事を知ってやがるのか?
それにこの態度。
あの正面のヤツのご主人様ってところか?
「おっ、おぉう」
確かに多少は物腰も柔らかそうだし、話も通じそうではあるんだが。
それにしたって、コイツもデカいな。
しかも、身に着けているのは甲冑だし。
「其の方。司祭枢機卿猊下へお許しを請う前に、まずは名乗られるがよろしかろう。ただし、事と次第によっては、その責、其方たちの主人にまで及ぶと知れ!」
おぉ、紅麗ちゃんったら、容赦ねぇ。
っていうか、ご主人様って、まだ別にいるのか?
「はっ、大変失礼いたしました。まずはご無礼の段、重ねてお詫び申し上げまする。私はマロネイア家に仕えし侍従のサロス。正面の男は私と同じくマロネイア家に属します侍従のタロスにございます」
「なるほど、マロネイア家と言う事は、来賓としてお越しいただいている、マロネイア卿の手の者か」
「その通りにござります」
サロスと名乗る男も正面の大男同様、地に片膝を付けた格好で跪いている。
おそらくこれが、この世界における最敬礼の方法なんだろう。
「マロネイア家のサロスよ。それでは再び問おう。お前たちはココで何をしているのか。しかも、我々を司祭枢機卿猊下の一団であると理解した上で、何故狼藉に及ぶ」
「はっ、実は……ここから先にございます東屋の方に、我らの主筋が……」
東屋? 主筋?
あぁ、なぁるほど、なるほど。。
向こうの東屋でヤリまくってる男。
アイツが、コイツらのご主人様って訳か。
それで、ヤツを守るために、コイツらが周囲を警戒していたと。
「なるほどな。みなまでは話さずとも良い。其方たちの言い分はわかった。本件については司祭枢機卿猊下のご判断を仰がねばならぬゆえ。しばらくその場を動くな」
そう言いながら、紅麗ちゃんが俺の耳元へと顔を近付けて来た。
「加茂坂様、どうやら単なる警備の一環の様ですね。もちろん司祭枢機卿である加茂坂様への狼藉ですので、この場で即刻首を刎ねることも出来ますが」
いやいやいや、紅麗ちゃん。
それはやめようよ、紅麗ちゃん。
「それって、やっぱり首刎ねないとダメか? できれば穏便に済ませらんないもんかなぁ」
折角の本国渡航初日である。
しかも、入国してからわずか三十分足らず。
この段階で、いきなりの無礼打ちって、ちょっとソレどうなの?
「はい、承知いたしました。私もそう考えていた所でございます。相手側も侍従とは言え、マロネイア卿の戦闘奴隷と思われます。確かマロネイア卿の信仰対象はアレクシア神。我らとは異なる神であるとは言え助祭枢機卿の階位をお持ちのはずですし。また、それ以上に帝国エレトリア領における有力貴族の一人と聞き及んでおります。ここでモメるより、恩を売っておいても損はないかと」
なるほどな。
上流階級における駆け引きってヤツですか。
こんな俺にも、そんな高尚な事を気にする時が来るとは思いもしなかったぜ。
「よし、それじゃあ、そっちの方向で良い感じに話をまとめてくれや、紅麗ちゃん」
「承知いたしました」
俺へと見せる愛らしい笑顔とは対照的に、戦闘奴隷たちには、地に落ちたゴミや、虫ケラでも見るような蔑んだ目を向ける紅麗ちゃん。
まぁ、ある一定のコアなヲタク連中にとっては、それはそれで特別なご褒美になりえなくも無いような気がしないでもない。
「マロネイア家の侍従たちに申し渡す。此度の狼藉については、司祭枢機卿猊下のご温情により不問となった。その旨、早急に主人へと伝え、この場を立ち去られるが良かろう」
「ははっ、承知仕りました。急ぎ、われらが主人の元へ報告の上……」
と、サロスと名乗る男がまだ話をしている最中にも関わらず、俺たちの輪の中へと平気で割り込んで来る男が一人。
「おやおやおや。そちらにおわすのは、司祭枢機卿猊下ではござりませぬか」
うおっと、誰だコイツ。
コイツも俺の事知ってんのか?
気付けば、あれだけ強気だった紅麗ちゃんも俺の目の前で跪き、頭を垂れているではないか。
おりょりょ、紅麗ちゃんったら、変わり身早ぇな。
って事は、この割り込んできた男ってぇのは……。
「ほっほっほっ。申し遅れました、私、アレクシア神、助祭枢機卿のアゲロス=コルネリウス=マロネイアと申します。以後、何卒お見知りおきくださいませ」
「あぁ、こりゃどうも、ご丁寧に」
俺は相手に合わせて、一緒にお辞儀をしようとしたんだが、ここでタイミングよく紅麗ちゃんの鋭い視線に気が付いた。
え? なに?
間違ってる? 俺、違ってる?
あぁ、挨拶ね、この挨拶じゃないって事ね。
はいはい。
あ? そう言えば俺、どっちの役?
あぁそうか。向こうは助祭枢機卿か。
って事は、俺のほうが偉いパターンのヤツか。
OK、OK。わかったよ。
「うむ、私はカモサカだ。ノリヒロ=カモサカ。こちらこそよろしく頼む」
半分倒しかけていた上半身を、ギリギリのところで緊急停止。
俺ぁ紅麗ちゃんにウィンクを返しつつ、マロネイアって言う野郎の目の前へと右手を差し出したんだ。
――チュッ、チュッ
うへぇ。
得体の知れねぇおっさんから、手にちゅーされちまったよ。
気持ち悪ぃ。
「いやはや、それにしても、面白い侍女をお持ちでございますなぁ」
いまだに俺の手を握ったまま、青姦野郎が面を上げて来る。
うぅぅむ。
中年っちゃ、中年だが。俺と同年代というよりは、もう少し若い感じがするな。
三十代半ば……から後半ぐらいか。
それで、アノ精力ってなぁ、なかなかに見上げたもんだな。
でも、俺だって五歳も若けりゃ、あのぐらいは……って、無理か。
「ははは。侍女と申しますと?」
そう言えば、侍女って何の事だ?
紅麗ちゃんは目の前で跪いてるしぃ……って、あっ!
分かった。片岡だっ! 片岡のこと忘れてた!
アイツの事だから、ぼーっと俺の後ろでつっ立ってるんだろう。
そんでもって、それを見たこの男も、侍女の躾が出来てねぇって事が言いたくて、面白い侍女って話を持ち出して……。
などと考えながら、何気ない風を装いつつ後ろを振り向いてみれば。
「かっ、片岡っ!」
なんと、あの片岡が、大の字になってひっくり返ってやがった!
しかも、女子にあるまじき、大股をおっぴろげたままでだ。
おっ、お前っ!
なんで寝てんだよっ、お前っ!
って言うか、お前っ!
パンツぐらい穿けよ、お前っ!!
「たはっ、たはははは。こっ、これはまた、粗末なものをご覧に入れてしまいましたな」
すまん、片岡っ。
粗末と言って、申し訳ない。
粗末かどうかは人それぞれ。
俺にお前のモノが粗末かどうかを判断する権利はもちろんない。
これは言葉のアヤと言うヤツだ。
ほんとマジ、許してくれっ!
「ほっほっほ。粗末だなどとはとんでもない。流石は司祭枢機卿猊下、良い楽器をお持ちじゃ。さぞや夜なよな良い音色を聞かせてくれる事でしょうなぁ」
青姦野郎も興味津々の様子だ。
自分の顎に手を当てながら、マジマジと片岡の股間を覗き込んでやがる。
まぁ、確かに他人様の目の前で大股おっぴろげて寝てるヤツなんざ、見た事ねぇわな。
って言うか、なんで片岡はこんな事になってんだ?
と思いつつ、紅麗ちゃんの方を見てみれば。
マロネイア卿に見えない様な位置取りに配慮しつつも、俺に向かって脇腹に拳を撃ち込む仕草をしてみせている。
あぁ、そう言う事か。
なるほどな。
片岡が言う事を聞かねぇもんだから、紅麗ちゃんが片岡の脇腹に一発ブチ込んだって事ね。
なるほど、なるほど。
それであれば、話は分かる。
まぁ、紅麗ちゃんも悪気があった訳じゃねぇだろうし。
相手もお偉いさんだ。
何か粗相があったとしたら、片岡が手打ちにされる事態だって考えられる訳だ。
そう思えば、片岡にとって紅麗ちゃんは命の恩人。
どこぞの馬の骨とも分からねぇおっちゃんに粗末なモンを見られたとしても、まぁ減るもんじゃねぇし、命に比べりゃ安いもんだよなぁ……片岡。
……
いや、やっぱりウソウソ。
本当にスマン。片岡っ。
「ところで、カモサカ卿。この様な場所で巡り合うのも何かの縁。ぜひとも一つお伺いしたい事があるのですが、よろしいですかな?」
んだよ、この男。
まだ若そうな割には、えらく貫禄があるな。
そこはやはり、貴族様って事なのか?
「聞きたい事とは?」
「いやいや、立ち話も何でございますからな。もしよろしければ、向こうの東屋の方でハーブティなどは如何ですかな?」
えぇぇぇ。
だって、ついさっきまで、お前がナニに使ってた場所じゃあん。
俺、そんな所に行きたくねぇなぁ。
でも断るのも大人気ねぇしなぁ。
「そっ、そうですな。それでは参りますか。それに、私の侍女が茶の準備をすると言っていたはずでして」
「いやいや、ご安心めされよ。茶の準備は既に整ってございますれば」
既に整ってる?
どう言う事だ?
一抹の不安が俺の胸を過ぎる。
しかし、乗り掛かった船だ。
俺はマロネイアとか言う野郎の後に続いて、東屋へと向かう事にしたのさ。
その途中。
「加茂坂様」
紅麗ちゃんが小声で話しかけて来た。
「何かイヤな予感が致します」
「そうだな。何か怪しいな。どうだ? 紅麗ちゃんならアイツらの事をヤレるか?」
俺からの無茶振りに、彼女の瞳が微かに揺らぐ。
「正直に申し上げます。もし用意周到に準備された罠の場合、脱出するのはかなり難しいものと思われます」
「そうか、やはりな」
俺はもう一度周囲を見渡してみる。
先頭を行くのはサロスとか言う戦闘奴隷。
その後ろにマロネイア卿が続き、更にその後ろに俺達。
あぁ、移動を始める前に片岡は俺が叩き起こしておいた。
紅麗ちゃんは、他の侍女を呼んで休憩室の方で休んでいてもらった方が……とか言ってたが、片岡がどうしても行くと言って聞かなかったんだよな。
そんな片岡は自分の脇腹を片手で押えつつ、何とか俺の後ろに付いて来ている。
そして、更にその後方にはタロスとか言う戦闘奴隷が、俺達の動きに目を光らせている様だ。
まぁ、本当にマロネイア卿の護衛がこの二人だけであれば、俺と片岡の持つ拳銃でどうにかなりそうな気もする。
しかし、流石にそんな事は無いだろう。
多少離れてはいるが、周囲には木立や割と背丈の高い植木等も多く配置されている。護衛を潜ませておくには十分だ。
「さて、カモサカ卿。どうぞこちらへ」
東屋の入り口付近では、先に到着していたマロネイア卿が手招きしながら待っていた。
俺はマロネイア卿に促されるまま、建物の中へと入って行ったのさ。
おぉぉ。こりゃかなり広いな。
外から見てたのと、中に入ったのとでは、感じ方が全然違う。
中央には大人八名が着席出来る、大きな丸テーブルと椅子が配置され。
壁や扉は無いものの、柱や天井には手の込んだレリーフや絵画が埋め込まれていて、華やいだ雰囲気を醸し出している。
しかも、つい先ほどまで、どこぞの女が押し倒されていたはずのテーブルの上には、色とりどりのフルーツや焼き菓子が所せましと並べたてられているではないか。
「カモサカ卿、どうぞ一番奥の席にお付き下さい」
マロネイア卿がそう俺に勧めて来る。
この国に席次ってヤツがあるのかどうかは知らねぇが、パッと見、一番の上座と言える場所の様だ。
とりあえず、今の時点で俺を邪険に扱うつもりは無さそうだな。
俺が席に着いた途端。
俺の目の前にガラス製のカップが音も無く置かれ、何処から現れたのか、給仕を行う女性たちが甲斐がいしくテーブルの周りを往復し始めた。
――コポコポコポ。
目の前のカップに注がれる薫り高いハーブティ。
その良い香りが開け放たれているはずの東屋の中へと充満して行く。
「うぅん。やはり良い香りですな。私はこのラスティ茶が特に好みでしてね。是非カモサカ卿にもお試しいただきたいと考えていたのですよ」
早速自分のカップを持ち上げなら、その香りを楽しみ始めるマロネイア卿。
俺も彼のマネをしてカップを持ち上げてみるのだが。
香りとしては、カモミールだったか……に近い様な気がする。
なんだかリンゴの様な芳醇で甘い香り。
「あぁ、確かに良い香りの様ですな」
ハーブティの所為なのか。
それとも俺自身が多少吹っ切れた所為なのか。
なんだか少し落ち着いて来た様にも感じられる。
余裕の出た所で再び周囲を見渡して見れば。
中央のテーブルに腰掛けているのは、俺とマロネイア卿の二人だけ。
紅麗ちゃんと片岡は、壁際に特別に用意してもらった席に座って、同じ様にハーブティを楽しんでいる様だ。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか」
本題?
本題って?
――パンパン
マロネイア卿が軽く手を叩いた。
すると、今のいままで甲斐がいしく働いていた給仕を行う女性たちが、一斉に東屋の外へと引き上げちまいやがったんだ。
丘の上に建てられた瀟洒な東屋に急な静寂が訪れた。
コイツぁ……マズいなぁ。
「さて、人払いも済みました。早速ですが、私は貴方をお待ち申し上げていたのですよ、カモサカ卿」
「ほほぉ、待っていた……と申しますと?」
「えぇ、実は、単刀直入にお伺いしたい事がありましてね。いえ、簡単な話です。結局、アナタは誰の味方なのですか?」
「誰……ですか。難しい質問ですな」
「東京教区の司祭でありながら、本国大司教の枢機卿としての位階をも併せ持つ。さらに、東京教区大司教の信任も厚く、蓮爾 司教枢機卿の子飼いだとも伺っている」
ここでマロネイア卿は自身のティーカップにゆっくりと口を付けた。
ほほぉ、完全に調べが付いてるって訳か。
ターゲットは間違い無く俺って訳だ。
こりゃ、完全に嵌められたパターンだな。
となると、どこの段階からハメられたんだ。
テラスのあたりか、それとも、もっと前……あっ!
俺は持ち上げたカップを口に運ぶフリをしながら、壁際の方へと視線を向けた。
すると……。
やっぱりか。
ぐったりとした様子で壁際にもたれ掛かる片岡。
それを無言のまま介抱する紅麗ちゃん。
そんな彼女の赤い瞳が、怪しく輝いて見える。
つまり、紅麗ちゃんもソッチ側……って事かぁ。
「マロネイア卿、単刀直入と言っている割には、少々お話しが長い様ですな。もしくは、私の理解能力に問題があると言う事なのかな? アナタの話は私にはサッパリ理解できない。そこでだ、もっと本質についてお互い、腹を割って話をすると言うのはどうだろうか?」
マロネイア卿の左の口角がゆっくりと持ちあがって行くのが見えた。
俺はそんな変化を決して見逃さない。
「それは良い。是非そうしましょう。こう見えて、私も結構忙しい身なのでね。それではもう一度お訊ねしますよ、カモサカ卿。貴方は本国大司教であるヴェニゼロスⅠ世を推すのか、それとも東京教区の大司教であるニアルコスを助けるのか、それとも蓮爾 司教に追従するのか。はっきりとこの場でお答えいただきたいものですな」
海沿いの爽やかな風が東屋の中を吹き抜ける。
本国の方ではこの時期、とても過ごしやすい季節であると言われているらしい。
しかし、そんな良い気候であるにも関わらず、俺の背中は氷の様に冷たい汗が滴り落ちて行くのをいやも応もなく感じ取っていたんだ。




