第87話 神と階級が支配する国へ
「ホテルのロビー……みたいな感じですかねぇ」
「そうだな」
天井はさほど高くは無い。だが、それでもこの部屋からは十分な解放感が感じられる。
まぁ、都内にあるビルの地下二階だって事を考えれば、十分に贅沢な空間だ。
部屋の中央付近には洒落た複数のソファーセット。
待ち合わせ用か? それとも待機用か?
これら調度品や家具の一つひとつが、ホテルのロビー感を彷彿とさせるポイントになっている様だ。
「って言うか、片岡。俺より先に部屋入んなよ」
「すみません。……つい」
なんだよ、つい……って。
「お連れ様は向かって左手にお進みください。ロッカールームがございますので、お召し物は全てそちらでお着替えいただきます。また、手荷物等は正面にございますフロントにてお預け下さい」
銀髪赤眼の少女は片岡に対して淡々とそれだけを伝え終えると、今度は俺の方へ涼やかな笑みを浮かべて見せる。
「それでは枢機卿猊下、猊下は私がご案内致しますので、どうぞこちらへ」
そんな紅麗ちゃんの言葉に、片岡が少し慌て始めた。
「あっ、あのぉ……すみません、紅麗さん」
「……はい、なんでしょうか?」
なんだ、この一瞬の間は。
って言うか、紅麗ちゃんは、片岡へのアタリが妙に強いな。
逆に、俺への扱いが尋常じゃないほどに丁寧だと言うべきか。
「手荷物は全部フロントに預けないと駄目でしょうか?」
まぁ、そうなるわな。
なんか、大切なモノが入ってるって言ってたし。
「……はい。ただいまご説明した通り、全てお預け下さい」
「どっ、どうしても持って行ってはいけませんか?」
「くっ! アナタは……」
とここで、紅麗ちゃんの瞳が一瞬だけ俺を捉える。
「……いえ、何でもございません。失礼致しました。大変申し訳ございませんが、私用品は一切持ち込めない決まりとなっております。また、お召し物も全て交換いただきます。詳細については、フロント内の使用人にお尋ねください」
「は、はぁ……」
片岡の野郎……だいぶ凹んでやがる。
「まぁ仕方がねぇやな。滞在は一泊か二泊と聞いてるし、今回が初めての本国渡航だ。皆さんにご迷惑をお掛けしちゃあ申し訳がたたねぇ。ここは我慢しろや、片岡」
「はい、……承知致しました」
しぶしぶ感、満載ではあるけれど。
どうにか納得はしてくれた様だな。
「枢機卿猊下、お手を煩わせてしまい、大変申し訳ございません」
「いや、なに。紅麗ちゃんには何の問題もねぇ。悪ぃのは我を通そうとした片岡だ。どっちかっちゅーと、こっちこそ謝らなきゃいけねぇやな」
そんな俺の態度に、紅麗ちゃんが急に慌て始める。
「おっ、おやめ下さい枢機卿猊下。滅相もございません。猊下のお優しい気持ちは十分に理解しておりますので、その様なコトはなさらないで下さい。お願い致します」
おいおい。逆に懇願されちゃったよ。
蓮爾 様の部屋には何度も足を運んでいる俺だが、そう言やぁ、侍女たちとまともに会話した事は無かったんだよなぁ。
「そっ、それでは猊下。こちらの方へ」
俺は片岡とは反対の右方向へ行くらしい。
女性は左、男性は右……って事なんだろうな。
……ん? どうやらそれも違う様だな。
確かに右手の奥には狭い通路が続いている。
恐らく男性用のロッカールームはその奥にあるんだろう。
だが、俺が連れて来られたのは右手は右手でも、フロント横にあるひときわ豪華な扉の前。
「えぇっと、紅麗ちゃん。ここは?」
「はい、司教クラス以上がご利用になるお部屋でございます」
ほほぉ、司教以上ねぇ……。
「でも紅麗ちゃん。俺ぁ司祭だけど」
「問題ございません」
少し、すまし顔の紅麗ちゃん。
そんな俺達が扉の前に立ち止まるやいなや、正面の豪華な扉が静かに押し開かれて行く。
ほほぉ、こりゃどうなってるんだ。
変わった自動ドアだな。
自動ドアと言やぁ、横にスライドするのが基本だが、この扉は普通の両開きドアの様に前後に稼働するタイプの様だ。
さぞ金がかかっているんだろうなぁ……って言うか、おいおい。
それぞれのドアの後ろには、ゆるやかなドレスを着た女性が二人。
なんだよこれ。
自動かと思ったら、思い切り人力じゃねぇか。
って言うか、この人たち。
パートさんか? それともアルバイト?
結構、キレイ目の人たちみたいだしなぁ。
モデル事務所からの派遣か?
俺が手前の女性二人に目を取られていると、更にその先。
部屋の奥にある別の扉が開き始めた。
おいおいおい。
ここが着替え部屋じゃねぇのかよ。
そんじゃあ、なんだ? この部屋は。
ははぁん。なるほど、なるほど。
ホテルのスィートルームなんかに良くある、エントランスルームってヤツか。
って事は、その奥が……。
「ほほぉぉ……」
部屋の中央に輝くのは巨大なシャンデリア。
ヨーロッパの宮殿もかくや……と言わんばかりの豪華なしつらえ。
かぁぁ……。
このゴテゴテした装飾品の数々。
こりゃあ、大司教の趣味だな。
俺は圧迫感のある調度品に気圧されながらも、部屋の中央付近へと進み出て行く。
「猊下。本来であれば、こちらのゲストルームで暫しご休憩いただいたのち、本国へとお渡りいただくのが通例なのですが、蓮爾 様も早々にお越しになるとの事。猊下にはお疲れの事とは存じますが、お着替えいただいた後、そのまま本国の方へとお渡り願えますでしょうか?」
「あぁ、分かった。問題無いよ」
疲れるって、いったいどこに疲れる要素があるって言うんだよなぁ、まったくよぉ。
まだ、教団のビルからただの一歩すら出ちゃいないんだぜ。
「それでは早速」
そう言うなり、俺のヨレヨレになったネクタイを取り外しに掛かる紅麗ちゃん。
「おぉっと。なんだ、なんだ? どうした?」
「はい、お着替えをはじめさせていただきたく……」
何キョトンとしてんだよ。
この娘は。
「いやいや、着替えぐらいは一人で出来るよ。俺ぁまだ介護が必要なじぃさんじゃねぇからな」
「ふふっ、ご冗談を。高貴なる方々は自ら着替えをなさる事などございません。全て侍女や使用人にお任せいただければと存じます」
いや、マジか。
しかし、流石にそれはなぁ……。
少し思案を重ねていると、何を思ったのか紅麗ちゃんが俺の耳元に桜色の唇を寄せて来て。
「猊下、本国へは初めてのお渡りと聞いております。恐らく本国の衣装であるトゥニカについてもご存じ無いかと。ここは私にお任せ下さいませ」
なんだ? そのトゥニカっちゅぅのは? 現地の服の名前なのか?
うぅぅむ。確かに現地の服装に着替えろと言われても、正しい着こなしが出来てないんじゃ、蓮爾 様に恥をかかせる事にもなりかねんしな。
ここは紅麗ちゃんに任せた方が得策か。
「そうか、そうだな。それじゃあ、お願いしようか」
と、言ってからが早かった。
紅麗ちゃんに加えて、使用人の女が三人。
女性四人がかりで、あれよ、あれよと言う間に、俺ぁ全ての服をはぎ取られ……。
あぁ、そうさ。
全部さ。
全部っつったら、全部だよ。
終いにゃ、尻の毛まで抜かれるかと思ったぜ。
でもまぁ、流石にスッポンポンになった時には緊張したな。
俺の自慢の息子がピンコ勃ちするんじゃねぇかと思ってヒヤヒヤしたもんだが。
女四人とは言え、あそこまでテキパキと進められちゃあ、そんな気分になる暇もありゃしねぇやな。
「猊下……」
「ん? もう終わったのか?」
ふと見れば、使用人の女たちが俺の服を抱えて、ドアの前で深々とお辞儀をしている。
そんな女たちを背に、紅麗ちゃんが俺の前へと進み出て来た。
「枢機卿猊下。本国へお渡りいただく前に申し上げたき儀がございます」
「おっ、おぉ……なんだ、なんだ? あらたまって」
かなり真剣な眼差しの紅麗ちゃん。
紅に輝く瞳が、更に怪しく光って見える。
「この後、特異門を経由して、本国へとお渡りいただく事になりますが、特異門を通りました後は、本国側の法や秩序が優先される事となります」
「まぁな、そうだろうな」
「そこでお願いがございます」
「あぁ、なんだ?」
「猊下はお優しい……」
「は? 何の事だ?」
「私の様な身分の者にまで、お声がけ下さいます」
「あぁ、そういう事か。そりゃそうだろう。別に侍女だからって言ったって、同じ人間なんだし」
とかいいつつ、コイツはエルフだがな。
「はい、ありがとうございます。今この場には猊下と私の二人しかおりません。また、この部屋は十分な防音がなされており、外に声が漏れ聞こえる事もございません。なので、あえて申し上げます」
おいおいおい、なんだよ、なんだよぉ。
その思いつめた瞳はよぉ!
告白か?
告白なのかっ?
紅麗ちゃんは、今ここでおじさんに告白しちゃうのかっ!?
ドキドキしちゃうぞ。
おじさん、アラフォーなのに、ドキドキしちゃってるぞっ!
「猊下、本国では身分の差と言うのは、猊下のお考え以上に……いえ、恐らく猊下が思い描かれた事も無いほどに、特別な意味を持っております。ですので、決して身分低き者にはお声を掛けませぬ様、また、現地におきましては、なるべく小声で、しかも私を呼び寄せた上でご下命下さい。たとえそれが、手ぬぐいを落とした……と言うレベルでもです。ご自身で拾うなど、決してなされませぬ様に」
「わっ、わかったよ」
なんなんだ、この娘の気迫は。
って言うか、本国ってヤツぁ、そこまで人権問題が酷い所なのか?
日本の近くで、そんな所って言やぁ、あのあたりしか思いつかねぇが……しっかし、参ったねこりゃ。
「あと、それからもう一つ」
「おっ、おぉう。まだあるのか?」
「先ほどのお連れ様の件でございます」
「片岡か、アイツがどうかしたのか?」
「残念ながら、お連れ様は階位をお持ちではございません。ただ、教団の信者となりますので、本国では一等市民と同格の扱いとなります。となりますと、身分の差がありすぎて、猊下とご同行いただく事ができません」
マジか、それは困ったなぁ。
「そこで、お連れ様については、猊下の奴隷として周囲の者達に説明いたします」
「奴隷……かぁ」
これが日本国内であれば、速攻で事案モノの話だよな。
「補足致しますが、本国の奴隷制度は現在の日本人が考える深刻さはあまりなく、そのほとんどが師弟関係、あるいは従者や侍女、果ては愛妾と言う様な位置付けでございます。本国の市民内でも、奴隷に対して悪い印象を持っている者は多くございません。その証拠に、貴族クラスの奴隷の中には、高名な画家や彫刻家、哲学者や医者などもおり、当人の身分と能力とは分けて考える気風がございます」
「なるほど、そう言う感じなんだな」
「猊下は今回、神殿の外に出られる事は無いと思われますので、そこまでの問題は発生しないとは思いますが、あまり、目下の者に優しくしますと、高貴な方々より、軽んじられる可能性がございますので……」
ははぁん。なるほどな。
そうか、そう言う事か。
この娘、なかなか一筋縄では行かないな。
つまりこう言う事だ。
俺が余計なマネをして、他の司教連中に舐められる様な事があれば、その主人とも目されている蓮爾 様が舐められる。だから、お前には気を付けてもらわないと困るぞっ! って事が言いたいんだろ。なるほどなぁ、流石は蓮爾 様の侍女って所か。
「あぁ、分かったよ。この部屋から外に出た後は、他の連中には舐められない様にするからよぉ。紅麗ちゃんには申し訳ないが、何か問題があったら、都度教えてもらえると助かるな」
「はい、承知致しました。何卒よろしくお願い致します」
その後、更に何点かの注意事項を聞かされた後。
再び紅麗ちゃんに促されるまま、フロントのある大きなロビーへと戻る事に。
「しかしなぁ……」
本当にこの姿で行くのかぁ。
正直、かなりキツイものがあるな。
日数的に考えて、空港経由が妥当だよな。
にしても、誰にも会わずに、本国まで行けるとは思えない。
国外へ出ると言う事になれば、いくらプライベートジェットであっても税関は通る事になるはずだ。
うぉぉ、結構恥ずかしいな。
「それになぁ……」
職業柄、ある程度体は鍛え上げているつもりだが。
なんて言うかなぁ。
この衣装?
トゥニカだっけか?
ほら、良くあるだろ?
古代ギリシャの人たちが着てる様な、マントっちゅかーか、コートっちゅうか。
とにかく、俺には似合わねぇんだよなぁ。
俺はロビーの壁に設えてある少し大きめの鏡の前で、二度、三度とポーズを決めてみるが……。
やっぱり、似合わん。
こういうゆったりとした衣装って言うのは、ある程度恰幅が良くねぇと似合わねぇんだよな。
和服だってそうだ。
貧相な……とまでは言わねぇが。
俺程度の細マッチョ具合では、全然しっくりと来ない。
しっかし、ここからこの格好って……。
この先がかなりおもいヤラレ……。
「お待たせしました」
「おぉ、片岡ぁ」
片岡が着て来た衣装は、ストラと呼ばれるものらしい。
ギリシャ神話なんかで、女神のたぐいが身に着けているフワフワとしたドレスっぽいアレだ。
もともと片岡は俺とそう変わらねぇ身長の持ち主だし。
しかもスタイルだって、あの侍女たちと比べても決して見劣りするもんじゃねぇ。
これまであまり気にした事も無かったが、まぁ、これなら及第点をやったとしても、誰からも文句は出ねぇだろう。
「馬子にも衣装とは良く言ったもんだな」
「あっ、ありがとう……ございます」
なに照れてやがんだよ。
片岡のくせによ。
「って言うか、なに猫背になってるんだよ。これから任務だぞ、シャキッとしろ、シャキッと!」
「はっ、はひっ!」
――バルルン!
おぉぉ!
すげぇ揺れだなぁ。
ばるん、ばるんしてやがる。
「なんだ片岡。ブラは付けてねぇのか? ブラはよぉ? お前ぇのその体格だと、それじゃちょっと厳しいだろ?」
「それ、セクハラですよ」
「何がセクハラだよ。なんか嬉しそうに顔を赤らめて言うセリフじゃねぇよ」
「そっ、それもセクハラっス」
「なんだかなぁ。とにかくそれじゃあ任務に支障があるだろ? って俺ぁ言ってんの。紅麗、これ何とかしろよっ」
「承知いたしました。予備のストロフィウムがございますので、そちらをご用意いたします」
「ん? なんだ、そのストロフィウムって言うのは?」
「はい、本国の方で使われているブラジャーだとお考え下さい。主に労働や運動を行う際に着用するものなのですが、常時着用いただいても、問題はございません」
「おおそうか。それじゃあ、そいつを一つ頼む」
とここで、片岡が俺の背後へとやって来た。
なんだよ。
なんで後ろに回るんだよ。
正面に来いよ、正面によぉ。
面倒臭ぇな。
「加茂坂さん、すみません」
「なんだよ」
「どうして紅麗さんを、呼び捨てにしてるんですか? いつの間にそんな事になったんスか? もしかしたら、別部屋で……ヤッちゃった……スか」
なんでちょっと寂しそうなんだよ。
お前ぇはよぉ。
って言うか、ツッコみ処が細けぇな。
「違ェよ。紅麗ちゃんから叱られたんだよ。本国って所は階級社会なんだとよ。だから、俺が侍女の紅麗に“ちゃん”付けなんかしようもんなら、他のヤツらから舐められんだと。だから、本国に居る間は、この感じで行くからよ。お前ぇもそのつもりでな」
「なっ、なんだ、そうだったんですかぁ。承知しました」
今度は何だよ。
めちゃめちゃ嬉しそうな顔しやがってよ。
謎が解けたって事がそんなに嬉しいもんなのかねぇ。
ホント、理系女子ってわからねぇんだよなぁ。
「それからよぉ」
「はい、なんでしょうか」
「向こうでのお前の立場を明確にする為に、お前は俺の奴隷って事になったから」
「ドドド、奴隷ですかっ!」
「あぁ、そうだ。でもまぁ、向こうに居る間だけの方便ってヤツだ。ほら、なんだ? ウソも方便ってよく言うだろ? それだよ、それ。だからまたセクハラだぁ、なんだって騒ぎ立てんなよ」
「そそそ、それって言うのは、性奴隷って事ですかっ!」
「なんで性奴隷一択なんだよ」
っていうか、めちゃめちゃそこの所に喰い付いて来やがったなぁ。
やっぱ、奴隷って言うのは、ちょっと気分が悪いか。
人権意識の高ぇ今時の若いヤツらには、我慢がならねぇって事なんだろうな。
「俺の奴隷って位置づけになってりゃ、他の誰からもグダグダと文句を言われる事は無ぇみたいだからな。まぁ、本国に居る間だけだし、これもお前の立場を守るためだ。勘弁してくれ」
「しょしょしょ、承知致しました。せせせ、性奴隷の件、精一杯務めさせていただきますっ!」
「だから、なんで性奴隷一択なんだよ。って言うか、めちゃめちゃ嬉しそうだな、お前」
「ぜっ、全然嬉しくないっス」
「って言うか、めちゃめちゃ、ヨダレ出てんぞ」
――じゅるり。
「で、出て無いっス」
なんだよ、袖口がヨダレでテカテカじゃねぇかよぉ。
汚ぇなぁ。
「猊下、そろそろよろしいでしょうか?」
俺は紅麗ちゃんの言葉に、静かに頷いてみせる。
「特異門の準備を!」
紅麗ちゃんの澄んだ声がロビー中に響き渡った。
とここで、紅麗ちゃんの手が俺の左手の裾へと入って来る。
「猊下、こちらだけはお持ち下さい」
掌に伝わるのは、いつもの感触。
そうだよなぁ。
俺たちゃ、べつに遊びに行く訳じゃあ、ねぇんだよなぁ……。
「ふぅぅ……」
俺は小さな溜息とともに、相棒とも言うべきGlock17のグリップを力強く握りしめていたんだ。




