第85話 祖父からの教え
「達也よ。これは我が一族のみならず、同胞全ての悲願なのだ。分かるな」
「はい、おじい様」
来栖達也、それが俺の本名だ。
諏訪湖にもほど近い、山間の集落。
小学生の頃、松本のわりと中心部で暮らしていた事を思えば、ここはかなり辺ぴな地域だと言える。
その中でもお屋敷……と言っても過言じゃない、重厚そうな古民家の一室。
上座に陣取るのは母方の祖父。
俺は部屋の中央に座したまま、己が一族、己が同胞そして、己が持つ力の根源について聞かされる事になったんだ。
そう言えば、小さな頃からその予兆は確かにあった。
それが何歳の時だったのか……正確には思い出せないのだが。
とある夕暮れ。
集団下校による帰り道。
俺は小学校低学年の児童を含む行列の一番後ろを歩いていた。
先頭を行くのは上級生の少女。
あぁ……名前は全く思い出せないが。
そんな彼女が時折振り返り、俺の方をみて軽く微笑む何気ない仕草。
いま思い返してみれば、当時幼いながらも、俺は彼女に対して淡い恋心を抱いていたのかもしれない。
そんなありふれた日常を過ごす俺たちの元へ、すべる様に迫り来る一台の乗用車。
「あっ!」
当然、俺たちの手前で曲がるか、止まるものだろう……そう思っていた。
だが、その乗用車は何の躊躇いもなく車道側の縁石を乗り越え、そのまま行列の先頭を歩く彼女へと覆いかぶさって行ったんだ。
――グワン! ゴツッ! メキョメキョッ!
はっきりと覚えている。
大きく跳ね上がった自動車のバンパーが彼女の後頭部に直撃。
その優しい笑顔は、みるみるうちにひしゃげ、鮮血をまき散らしながら潰されて行く。
――グシャグシャ、グシャ!
二トン近い乗用車にとって、小学生の少女など、なんの抵抗にもなりはしない。
更に後続の小学生を次々と跳ね飛ばし、死神の鎌となりし車は当初の勢いをそのままに、俺の眼前へと迫って来たのさ。
「はぁぁっ!!」
――ガウゥゥン!
俺の目の前で更に大きくバウンドする乗用車。
天空より振り下ろされるヤツのバンパーは、俺の脳天を粉々に粉砕し、脳髄を脳漿を、この古ぼけたアスファルトの上へとブチまけてしまう事だろう。そう、たったいま見た、彼女と同じ様に……。
彼女と同じ……?
なんだそれ?
いやだ。
いやだ、いやだっ!
俺はそんな死に方。
絶対にしたくないっ!!
って言うか、コイツ!
彼女をあんな酷い目に遭わせやがってぇっ!
チクショォ!
「お前なんかっ! お前なんかっ、消えちゃえぇぇぇっ!!」
――バリッ! バリバリバリッ!
そう叫んだ瞬間。
俺の眼前に突如として現れた青白い閃光。
更にその光の先では、七色に輝くの放電現象が巻き起こる。
――バリバリバリッ! バリッ! バリバリバリッ!!
やがて、プラズマ荒れ狂う中央付近では、時空の割れ目とも言うべき、暗黒の空間が広がり始めた。
――ガウゥゥン!! バババ、ババッ! バシュゥゥゥゥ……!
「……」
突然、訪れた静寂。
何も……聞こえない。
俺は、死んだのか?
――ドクン、ドクン……
頭の中で脈打つ鼓動。
いや、俺は死んじゃいない。
耳が……よく聞こえないだけだ。
「……うぇぇぇん……うえぇぇぇん」
遠くの方で子供の泣き声が聞こえる。
俺は恐るおそる、固くつむっていた両目を開き始めたのさ。
地獄絵図。
小学生ながらも、その言葉しか思いつかない。
歩道上は轢き潰された子供たちの鮮血で埋め尽くされ、その傍らでは、比較的軽傷の子たちが倒れ込んだままの姿勢で泣き崩れている。
「おいっ! 坊やっ! 大丈夫かっ! キミは大丈夫なのかっ!」
ようやく近所の大人たちが駆け寄って来たのだろう。
しかし、俺はその言葉には何の反応もせず、ただ茫然とその場で立ち尽くす事しか出来なかった。
やがて、俺は何人かの大人たちの手によって抱きかかえられ、その場を後にする事となるのだが。
その時見た光景が今でも忘れられない。
交通事故の惨状がかって?
いや、まぁ。それもあるが……それだけじゃない。
大人の腕で抱きかかえられ、空を見上げる格好となった俺の目に映るのは、すぐ隣に立つ大型のマンション。
その四階部分の壁には、まるで悪趣味なオブジェか何かの様に、アノ乗用車が突き刺さっていたんだから。
「我らが故郷、我らがふるさと。それら全てを奪った全能神。ヤツらを根絶やしにするまで、この戦いは続けねばならん」
「わかりました。おじい様」
曽祖父の時代。
俺たち一族はこの地へと移り住んだ。
遠く、故郷の国を離れて。
もっとも人に近い外見を持つ我らは、この異国の地で普通の営みを続け、人知れずヤツらの中に紛れ込む事で、様々な情報を本国へと送って来た。
そして分かった事。
それは……。
我らが神界と呼ぶこの世界は、我らの想像をはるかに超える広さと、強さを持ち合わせていると言う事実だった。
曽祖父たちは焦った。
どうやら当初は、数名の猛者により特異門を制圧。ゼノン大王の元へと集結した精鋭一個大隊により、神界を制圧する予定だったらしい。
いま思えば完全に笑い話だ。
いくら魔獣を含む混成一個大隊を投入したところで、この世界を制圧する事など出来ようはずもない。
日本一国どころか、品川区一つすら占領する事も出来ないだろう。
本国側は未だにこの世界の強大さを理解せず、『早く制圧しろ!』との一点張り。
こちらはこちらで具体的な方針も定まらず、いたずらに時間を浪費するばかり。
それ以降。
いったいどれほどの年月を費やしたと言うのだろうか。
最近ではようやく本国の方でも神界の状況が理解され始めたのか。独自に構築した特異門を使って、少しずつではあるが、先遣隊となる魔獣を送り込む作戦に切り替えた様だ。
来るべき日に備え、少しずつ、少しずつ。
◆◇◆◇◆◇
「しっかしグレーハウンドかぁ……。爺ぃに聞いちゃいたが、生で見るのは始めてだな……」
現存する史上最高、最恐の魔獣。
一頭だけで城塞都市一つを壊滅させると聞くが……。
「へへっ……形勢逆転……だなぁ。はぁ……はぁ……。アンタの言う通り、僕の体の治りが遅いのは……そのレッサーウルフの仕業なんだろ?……そうとわかれば……そこにいる……レッサーウルフ……全部殺せば……僕の勝ち……だあっ! 壱號ぉ! その狼モドキを全て血祭にあげろぉっ!」
おぉっと、こんなバケモノとまともにヤリ合ってちゃ、命がいくつあっても足りやしねぇ。しかも、いま呼び出してるのは、精鋭のレッサーウルフたちだ。こんなトコロで同士討ちさせる訳には絶対に行かねぇ。
俺はグレーハウンドとの距離を保ちつつ、ヤツの側面へとゆっくり回り込んだ。
ヤツは確か夜目が利かねぇ。
だが、嗅覚と聴覚は絶品のはずだ。
このぐらいの距離があったとしても、ヤツは十分に俺の事を認識してるに違いねぇ。
その証拠に、ヤツの首は俺の動きに合わせて、ゆっくりと追随して来る。
よしよし。良い娘だぁ。
コイツぁメスだな。しかも、なかなかの美人さんとみた。
毛艶も良いし、まだ若そうだな。
「キシャァァァァ! キシャァァァァ!」
おぉ、よしよし。
そう怒るな、怒るな。
俺はお前の敵じゃねぇ。
お前の本当のご主人様が誰なのか、俺がしっかりと教えてやるからよぉ。
「エイブランデエィウム ゴズメイルラ ウル サムディリオ……」
「キシャァァァァ! グワァオロロロロ……」
よぉしよし、良い娘だぁ。
もう少しで、お前の奴隷契約が解除されるぞぉ。
お前だって、人間にこき使われるなんざ、本意じゃなかったんだろぉ?
大丈夫、だいじょうぶ。
俺に任せておけって。
こう見えても俺ぁ、一流の召喚士だからよぉ。
しかも俺ぁ、お前達の同郷だぁ。
そうは言っても、俺ぁ生まれも育ちもコッチの世界だが、心根は一つ。お前達と一緒なんだからよぉ。
「……ヴァイルダン コム クワイオルディン ザルィウグ……」
ははっ。ほら、解除したぜぇ。
俺と契約するかどうかは、もう少し仲良くなってからで構わねぇ。
お前も長旅で疲れてんだろう?
今日の所は、俺の隠れ家に案内してやるから安心しな。
そこで暫く休むと良い。
新鮮な肉だって沢山ある。
今日も結構な人数潰したからなぁ。
「さて、お前の名前はイチゴウ……だったか? こりゃまた、代わった名前を付けられちまったもんだなぁ。前の主人のセンスを疑っちまうぜぇ。とりあえず、お前はそこで待っててくれ、俺ぁ、ちょっとこの小僧に用事があるからよぉ」
「おっ……お前っ……」
「ふん。小僧ぉ、空いた口が塞がらねぇって顔してやがんなぁ。だがまぁいい。お前は良くやった方だぜぇ。流石の俺も、お前の最後の“すかしっぺ”には驚かされたが、それでもまぁ、俺の想定範囲内だったってこった。もともと本国からもグレーハンドが来るって聞かされてたしよぉ。それが一向に姿を現さねぇって事で、心配してたところだったんだ。まさか、教団に取っ掴まっていようとは思いもよらなかったが、それも含めて、終わりよければ全て良し。俺の手元にコイツが無事届いたのなら、それはそれで万々歳さ」
「まっ、待ってくれ。僕は教団とは……」
「あぁ、もう良い。命乞いの言葉は無用だ。一瞬だけだが、お前がアナスタシア神系統の術者じゃねぇかって思ったんだが……どうやら違った様だしな」
――ゴリッ、ゴリゴリッ!
「うぐわぁっ! がぁぁっ!」
俺はまだ治りきっていないヤツの右腕を、革靴の踵で思い切り踏みつけてやったのさ。
「あはは、痛ぇか? そりゃ痛ぇだろうなぁ。でもなぁ……手前ぇのお陰で一体何人の獣人が苦しんだと思ってんだ?」
「なっ……何の事……!?」
「しらばっくれるんじゃねぇよ。お前は人間だ。にもかかわらず、お前の腕は徐々にではあるが回復してる。俺の目は節穴じゃねぇ。ソイツぁ、獣人特有の自動治癒ってヤツだろ?」
「……」
「おぉっと、今更隠し立てしたって無駄だぜ。お前だって既に分かっちゃいると思うが、俺ぁ召喚士でかつ魔獣使い。つまり、お前達で言うところの獣人さぁ。俺にだって僅かだが、自動治癒は発動する。だが、お前はどう見ても人間だ。なのに、なんで自動治癒が発動するんだぁ? おかしいじゃねぇか? なぁ、オカシイだろぉ?」
「……」
「へへっ、黙り決め込もうって腹かよ。まぁ、それでも良い。だがなぁ、最後に一つだけ教えてくれ。お前の捕まえたグレーハウンドは何頭居たんだ? それでもって、お前はそのグレーハウンドを何頭喰らったんだ? なぁ、教えろよぉ。どう考えたってオカシイんだよ。いくら適正があったとしても、人間が獣人の能力を発動するはずがねぇんだよ。となれば、考えられるのはただ一つだ!」
俺はヤツを踏みつけるその足に、全体重を乗せて行った。
「ぐわぁぁぁぁぁっ!!」
「痛ぇか? このクソガキがっ! お前に喰われたグレーハウンドの恨み、この俺が晴らしてやるぜ!」
――チャキッ!
俺は迷わずクソガキの眉間へと銃口を突き付ける。
「早く吐けっ! 何頭だっ! お前は何頭喰った?! 絶対に一頭や二頭じゃねぇはずだ。捕食によるスキル継承の確率は恐ろしく低い。まさか、お前はたった一頭でそれを引き当てた強運の持ち主だって言うんじゃねぇだろうな。それだけの強運を持ってるんだったら、こんなトコロで俺に殺される事もねぇだろうによぉ!」
「ぐっ……!」
「どうした、少年よぉ! もう降参か? もう降参なのかっって聞いてんだよぉ! どうした? 泣けよっ! 叫べよっ! 命乞いしろよっ! 俺が聞いてやるよ。お前に殺された魔獣たち、獣人たちの代わりによぉ! お前の無様な姿をこの俺がしっかりと脳裏に刻んでやるからよぉ!」
――ボクッ、ガッ、ガッ、ドガッ!
蹴る、蹴るっ、更に蹴り上げるっ!
「こんのクソ野郎っ! 人間の分際で、人の分際で、俺達の国を荒しやがってよぉ! お前みたいなクソ野郎が居るから、いつまでたっても戦争が終わらねぇんだよ! お前みてぇな! お前みてぇな無責任なクソガキが大人になって、将来、事故を起こして、俺の大切なっ、大切な人の命まで奪う事になるんだよぉ!」
――ボクッ、ガッ、ガッ、ドガッ!
「はぁ……はぁ……はぁ……」
顎の先から滴り落ちる大きな雫。
それは、噴き出した汗か、それとも溢れ出した涙なのか。
「もう良い……ここまでだ。悪かったな。俺とした事が、私情が絡んじまった。お前にだって言い分はあるんだろうが、いまの俺にはそれを聞き入れるだけの度量がねぇ。まぁ運が悪かったと思って諦めてくれ……。いや、お前が強運の持ち主だってんなら、いまここからでも助かるかもしれねぇしな。お前ぇの信じる神ってヤツに、祈ってみるって言うのも、手っちゃあ、手だわな」
俺はもう一度少年の眉間に照準を合わせると、静かに引き金へと指を乗せた。
「それじゃあな。クソガキ……」
――ツゥゥゥゥ……
引き金に乗せた指へと力を加えようとしたその瞬間。
首筋に感じる冷たい感触。
「よくもまぁ、私の奴隷に好き勝手な事をしてくれたもんだなぁ。まさかお前がタツヤだったとはな。流石の私も気付かなかったよ。なんにせよ、私への迎えが遅れた非礼については、後でゆっくりとお前の体で支払ってもらう事にしよう……なぁ……タツヤよ」
「うぐっ!」




