第79話 清掃人の戯言(ざれごと)後編
「おおっと、動くなよ。動けば、お前の手足がどうなっても知らないからな!」
「えぇっ!」
今度は誰だっ!
俺はすぐさま声のする方へと振り返った。
するとそこには、なぜか全裸の少年が一人。
しかもその少年は、斎藤さんの首根っこを片手で鷲掴みにしたまま、軽々と持ち上げているではないか。
「ぐぬっ! ぐぬぬっ!」
「さっ、斎藤さんっ!」
更に次の瞬間。
「キシャァァァァ! グオォォォロロロロ!! キシャァァァァ!!」
両脇の木立の中から、突然躍り出る二つの黒い影。
「はうわっ! はわっ! わわわっ!」
――ゴキッ! ゴリゴリッ! バキバキバキッ!
肉が裂け、骨の砕ける音が闇夜に響き渡る。
「あがっ!」
叫びたい。
いま直ぐにでも大声で叫び出したい。
でも、声がっ、声が出ない!
「コラコラ、参號ぉ、まだ早いよぉ、コイツが動いたらって言っただろぉ! それに弐號もメッ! 参號が動いたからっていって、負けるもんか的に参戦しないのっ! あぁ、ほらぁ。もう死んじゃいそうじゃあん! って言うか、あぁぁあ、死んじゃったぁ! もぉぉ! この人には色々と聞きたい事があったのにぃ!」
何が……一体何が起こったんだ?
どうする?
逃げる?
とにかく逃げるしか……。
いや、うっ、撃つか?
そうか、拳銃、拳銃だ、拳銃を……。
俺が右のポケットに手を伸ばそうとしたその時。
――ポタッ……ポタッ。
え? 何? この液体……。
俺の頬を伝い、胸元へと落ちる大きな雫。
「おぉぉ、よしよし。流石は壱號だな。今回は良く我慢したねぇ。でもヨダレが垂れてるよぉ」
え? イチゴウ? 何それ? イチゴウって、何? ソレ?
俺は雫の原因を確かめるべく、ゆっくりと頭上を見上げてみたのさ。
すると、そこには不気味に輝く琥珀色の瞳が静かに俺の事を見下ろしていたんだ。
「グオォォォロロロロ……」
「ひぃぃぃぃ!」
その獣が発する咆哮は、俺のチンケな内臓をこれでもかと縮み上がらせる。
「よし、ココでは何だからな。少し移動しようか。壱號、そいつを咥えてこっちに連れて来てくれ」
「グオォォォロロロロ……」
「はっ、はうっ!」
俺は謎の獣に襟元咥上げられ、易々と運ばれて行く事に。
今は……駄目だ。
逆らっては絶対にダメだ。
とりあえず、この大きな獣は、この少年の言う事は聞くらしい。
まずはこの少年の言う通りにする事が最優先に違いない。
自分でも驚くほどの冷静な判断。
いや、逆にあまりの出来事が一度に起こりすぎたが為に、脳がこれ以上の情報流入を制限した結果だろう。
「さて、このぐらい離れれば問題は無いかな?」
――コクコクコク。
一体、何の問題があるのかさっぱり分からない。だけど、とにかくココは迎合しておくに越した事は無い。
俺はこの少年にの言葉に対して、とにかく頷き返してみせる。
「で、早速教えてもらおうか?」
「なっ、何を……ですか?」
「首輪の解除方法だよ。首輪を見たけど、自転車のキーロックみたいなのが付いてるからね。恐らくそれが分かれば、首輪を外せると思ったわけさ」
「なっ……なるほど。えっと、番号は……」
「あぁ、それは言わなくて良いよ。これからもう一度向こうに戻って、他の人の首輪を全部外してくれればそれで良い。ただ、忘れないで欲しい事があるんだ」
「なっ、何で……しょうか?」
「一つは、決して余計な事は話さない事。首輪にマイクが仕掛けられている事は知っているよ。まぁ、遅かれ早かれバレるとは思うけど。そうは言っても出来るだけ時間は稼ぎたいからね。あとそれから、変な動きは絶対にしない事。この子たちは僕の可愛い僕たちでねぇ。さっきも見た通り、僕が指示をすれば、いつでもキミの体をバラバラにする事が出来るんだ」
いやいやいや。
さっき指示もしてないのに、斎藤さんをバラバラにしてただろっ!
「だから、余計な真似はせず、まずは首輪を全て外す事。あとそれから確認だけど、首輪って外したらマイクの機能とかって働かなくなるの?」
「えっ、えぇ。そうです。首輪は外すと電源が切れますので、内蔵されているGPS機能も含めて全て停止します」
「よし、分かった。それじゃあ、早速頼むとしようか」
それから俺は、少年に言われるがまま……いや、謎の獣に脅されるがまま、全ての首輪についてロック解除したんだ。
「はぁぁ! これでやっと普通にしゃべれるわね! タケシ」
「そうだね。ただ、さっきの会話も、はじめの部分は運営側に聞かれてるだろうし、この異常事態がバレるのも時間の問題だと思うんだ。まずは逃げる算段をしようか」
「そうねぇ。でも、そしたらこの男どうするの? コイツ置いてったら、速攻でバレるわよ?」
え? 何を言い出すんだ? この女っ!
「いっ、いや。ぜぜぜっ、絶対に誰にも話しませんし、こここ、この場からも動きもしませんので!」
「うぅぅん。どうしようかなぁ。北条君、どう思います?」
「そうだな。身ぐるみ剥いだ上で、その辺の木にでも縛り付けておくのが良いかもな。とりあえず俺達が逃げられる時間が稼げればそれで良い」
「そうですね。無駄な殺生もどうかと思いますし」
「それじゃあ、私が縛り付けておきますよ。ちょど狩人が身に着けていたベルトがありますので」
「あぁ車崎さん。是非それでお願いします」
たっ……助かったぁぁ。
とりあえず身ぐるみ全部奪われはしたけど、命だけは何とか見逃してもらえたぁ。
その後、ヤツラは俺を近くの木に縛り付け、さっさと俺たちの乗って来た軽トラを奪って走り去ってしまったのさ。
……
……ふぅぅ。
もう、良いかな。
ヤバかった。あれは本当にヤバかった。
とにかく本部に知らせないと。
でないと俺の責任問題になってしまう。
いや? よく考えたら、俺の責任じゃなくって、斎藤さんの責任って事になるんだよな。でも、斎藤さん、もう死んじゃってるし。
あぁぁっ、もぉ! とにかく連絡だっ!
俺は縛られていたベルトを何とか取り外し、早速避雷小屋の中へと移動。
この中には確か非常電話が……あっ! あった、これだっ。
――ピ、ポ、パ、ポ、ピッ! ……プルルルル、プルルルル……
早く、はやくっ! 何してるんだよっ! 早くっ!
――ガチャッ
『はいっ? 誰だ、オメー?』
「あっ! あぁ、来栖さんですか? 私です私っ! 竹田です。いつもお世話になっております」
『おぉ、竹田か、どした? 今日はゲームの日だぞ、お前、死体の回収やってんじゃねぇのか?』
「はっ、はい。今日も稼がせて頂いております! 実はその件で大変な事態に……」
『大変な事態ぃ? なんだ、そりゃ……』
――ガタッ! ガタガタッ! ゴトゴトッ!
『おい、竹田……どうした? おいっ、竹田ぁ』
「……あぁ、すみません。お電話変わりました。私、竹田さんの友達です」
『竹田の友達だぁ? 何だよお前ぇ、おいコラ、竹田を出せ、コラッ!』
「いやいやぁ、そうも行かないんですよ。竹田さん真面目そうだから、余計な真似しそうなんでね?」
『余計な真似だとぉ! コラッ! もういっぺん言ってみろコラァ!』
「まぁ、まぁ。僕は逃げも隠れもしませんから。とりあえず、ゲーム会場のクラブハウスにまで来てもらえますかねぇ」
『何だとコラぁ! お前誰だよっ!』
「って事で。もしゲーム終了までに来なかったら、こちらから出向く事になっちゃいますけど、そうしたら、もっと事態が大事になりますよ。あはははは。それじゃ、また」
『おいコラッ! 待てコラッ!』
――ガチャン
「……はぁぁ。竹田さん」
「はっ、はいっ!」
「僕はとても失望しているんですよ」
「しっ、失望と申しますと……」
「だってアナタ言いましたよね。絶対に誰にも話さないし、この場からも動かないって」
「あぁ……いやっ……そのぉ……」
「嘘つきは嫌いだなぁ……」
「え? でも……あのぉ!」
「言い訳はいりませんよ。って事で、本当は壱號に任せるつもりだったんですけど、弐號が発散し足りないみたいだし。弐號に任せる事にしますねっ」
「えっ、あのぉ……その弐號さんだと……俺……いや、私はどうなるんでしょう……か?」
「そうですねぇ。さっきの人の様になるのがオチ……いや、もっと酷いかなぁ。弐號は好奇心が強くてね。獲物をいたぶりながら殺すのが大好きなんですよ。ときどき微妙に生かしたままの状態で僕の前に持って来たりするものだから、ホント困っちゃうんですよねぇ。まぁ、本人に悪気は無いのでしょうし、どちらかと言うと自慢をしに持って来てるのだと思いますから、僕は毎回ちゃんと褒めてあげてるんですけどねぇ。それからぁ……」
「あぁ、もう。結構です。……えぇっと……それじゃあ、もし壱號さん……の場合だったら……」
「そうですねぇ、壱號だったら、あまり苦しまずにイケたと思いますよ」
「イケた……?」
「えぇ、逝けたでしょうね。何しろ壱號はひと思いに頭蓋をかみ砕くのが好きですから」
「あっ……あぁぁ」
どっちにせよ、俺は助からないって事か。
クソ野郎がっ!
「それじゃ、竹田さん。二度と会う事はありませんが、お元気で!」
「お元気でって……おいっ!」
「弐號、好きにして良いぞ! ただ、先に行ってるから遊ぶのも大概にして、早く帰って来いよ。あとそれから、上半身だけとか持って来なくて良いから。遊び終わったらそのままここに置いておけば良いからねっ!」
「キシャァァァァ! グオォォォロロロロ!」
あっ、あぁぁぁ!
少年と入れ替わりに小屋へと入って来たのは、例の巨大な獣。
そいつは興味深そうに俺の肢体の臭いを嗅ぎ始めたかと思えば、今度はゆっくりと時間を掛けて、俺の指先を一つ一つ、丁寧に舐め始めたじゃないか。
巨大な体とは打って変わって、その繊細な舌使いがなんとも。
「へっ……へへっ……おっ、俺に……懐いてくれてるの……か?」
右手の親指を舐め、人差し指を舐め。
中指を入念にしゃぶったかと思うと、今度は薬指へ。
「グロロロロ……」
まさに猫なで声。
大きさは虎よりもデカいが、所詮は動物か。
俺は元々動物には好かれるタイプだ。
このままこの獣を懐かせて、頃合いを見て逃げ出すか?
いや、動物は逃げるモノを追うと言うからな。
このままここで待っていれば、きっと誰かが助けに来てくれ……。
と言う思いは所詮、俺の願望でしか無かった。
――バキッ! ボリ、ゴリ、ボリッ!
「うっうぅぅわぁぁぁ! コイツッ! 俺の小指を、オレの小指をぉぉぉぉ!」
「キシャァァァァ! グオォォォロロロロ!」
「キシャァァァァ! キシャァァァァ!!」
闇夜に響き渡る猛獣の咆哮。
それは、この獣にとっての悦楽の叫び……だったに違いない。
――バキッ! ボリ、ゴリ、ボリッ!
「うわっ、うあっ! うわぁぁぁぁ!」
――ボリッ! バキッ! ボリ、ボリ、ボリッ!
「止めろぉ! 止めてくれぇぇ!! うわぁぁぁぁ!」
――バキッ! ボリ、ゴリ、ボリッ!
「キシャァァァァ! キシャァァァァ!!」
……
……
……
叫び続けた声帯は完全に張り裂け。
肢体からの感覚はとうに消え去ってしまった。
唯一、おぼろげながらに見えるその光景は。
あぁ……すげぇな。……小屋の天井まで、赤く染まってやがる。アレ……俺の血……かなぁ……。ははっ、結構綺麗なもんだな……はははっ、娘にも見せてやりたいなぁ……ははっ……はは……は……。
それが俺の、最後の想いだった。




