第71話 採石場
「へぇぇ……車崎さんって、元ヤクザ屋さんだったんですねぇ」
夜の中央自動車道。
延々と続く赤いテールランプが、この先の渋滞を予感させる。
目的地はかなり遠いって話だから、この分だと到着するのは深夜になるかもしれないな。
「とは言っても、早い段階で落ちこぼれましたけどね」
車内に流れるのは静かなジャズの音色。
この車を使う人間。
いや、後ろに乗るであろう人物の事を考えての選曲だろう。
まぁ、この車は悪夢の物……と言うよりは、狭真会の持ち物なんだろうし。乗せる人物もそれなりの人って事で間違いは無さそうだ。
ヤクザ屋さんの乗る車と言えば、高級外車とステレオタイプに思ってたけど。実際、国産の高級ワンボックスの方が後部座席に乗る分には快適だって事なんだろう。
「でも、ヤクザ屋さんに落ちこぼれってあるんですか?」
「そりゃあ当然ありますよ。人間、向き不向きってモノがありますからねぇ。でもまぁ正確に言えば盃をもらった訳でも無いですし、ヤクザにすらなり切れていないって言うのが本当の所ですけどね。ははは……」
そう言いながら、少し照れくさそうに笑ってる。
北条君の有能な片腕で、礼儀正しくて、いかにも荒事には向かなさそうな車崎さん。
それがどうして極道の世界なんかに……。
「車崎さんって真面目そうなのに、どうしてヤクザ屋さんになろうなんて思ったんですか?」
「……」
とここで、急に黙り込む車崎さん。
あれ? ちょっと失敗したかな。
目的地までの道すがら、会話の流れで思わず聞いちゃったけど。
そりゃ、言いたく無い事だってあるだろう。
「あっ、あのぉ……言いたく無ければ全然構いませんよ。ちょっと興味があったって言うか、そのぉ、少し意外だったって言うか……」
「あぁいえ。別にお話ししても問題は無いですよ。ただ、こんなどうでも良い話を犾守さんにお聞かせするのはどうなんだろう? ってちょっと思いまして。いや、逆に気を遣わせてしまいましたね。すみません」
車崎さんが少し吹っ切れた様子で、ハンドルを握り直す。
「いや、別に大した話では無いんですけど。僕には血のつながらない義理の妹が居ましてね」
いやいやいや。
十分大した話ですよ。
血のつながらない義理の妹……って前置き時点で、既に興味津々です。
えぇ、どちらかと言うと大好物のジャンルじゃないですか。
兄と義理の妹……そして禁断の恋っ!
なんだったらこのまま夜通しでお話しを伺っても構わないんですよ。
「でまぁ、色々ありまして、その時に僕を拾ってくれたのが今のカシラなんです。あはは。こんな話、どうでも良いですよねぇ」
「……」
ヘタクソかよっ!
お前っ、話が下手くそすぎんぞっ!
全部端折りやがったなっ!
どうでも良くなんかねぇんだよ。
って言うか、カシラの話はホントマジ、どうでも良いんだよ。
そんな事より、妹はドコ行ったんだよ。
お前の義理の妹はどうなったのか? って聞いてるんだよ。
最終的にお前を拾ってくれた話に持って行くつもりだったのなら、それはそれで良いんだよ。だったら最初に義理の妹の話出さなくても良かっただろっ!
あっ!
わざと出したの?
話のツカミに、わざと妹出したって事?
いや、絶対そうだわ。そうに違いないわ。
だってそうじゃないとおかしいでしょ?
おかしいもん。絶対におかしいもの。
嫌なヤツだわぁ。
わざわざ血のつながらない義理の妹だって前置きしておきながら、その伏線一個も回収しないなんて。
って言うか、血のつながらない義理の妹の方が本線なんだよっ!
どっちかっちゅーと、ソッチの話がメインディッシュだったんだよ。
今日のディナーのメインは何かなぁと思ってたら、まかないのカレーが出て来たぐらいの衝撃だよっ!
ディープインパクトだよっ!
って言うかアンタ、仕事が出来そうな割には話し下手だなっ!
もぉ! 思わず二回言っちゃったよっ!
「はぁ……そうでしたか」
「あぁ、すみません。くだらない話で。……あっ、犾守さん。そろそろインター降りますよ。そこから山道に入れば、後は割と近いですから」
その後も本当に聞きたい部分は聞けぬまま、失意の僕を乗せた車は暫くのあいだ市街地を走った後で、今度は人里離れた山間の細い林道へと分け入って行く。
しかし、林道とは言っても道路は十分に舗装されていて、生活道路と言うよりは、どちらかと言うと工事車両専用の道路と言った風情だ。
これはいったい……何処に向かってるんだ?
更にもう暫く走ると、ようやく目的地が近づいて来たのだろうか。
ハンドルを握る車崎さんからも、少し緊張した様子が伝わって来た。
「あのぉ、車崎さん。すみません。これから行く場所ってどう言う感じの所なんですかねぇ。本当に僕が行っても役に立つのかどうか」
「あぁ、すみません。急いでいたもので、あまり詳しくは説明して無かったですね。実はこの先に関連会社の採石場がありまして、今回の様な場合にはソコに連れて行かれる事になるんですよ」
「採石場……ですか?」
「えぇ。人里からも離れてますし、多少泣こうが喚こうが、誰にも聞こえる事はありません」
うわぁ……泣こうが喚こうが……だって。
「重機も常設されてますから穴を掘るにも好都合ですし、基本山自体が私有地ですから誰か部外者が来る事も無い訳です。あぁ、人を埋めるにはかなりの大きさの穴を掘る必要がありますし、それにある程度の深さが無いと野性の動物に荒らされたりして、あとからマズい事になりがちなんですよ」
うわぁ……めっちゃ事務的。めちゃめちゃ他人事だわ。
車崎さんって、こういう業務的な事になれば性能を発揮する人なんだろうな。
「で、これから僕たち二人がその場に行って、ヤクザ屋さん達と正面から喧嘩をするって事ですか? だいたい向こうは何人ぐらい居るんですかね?」
「そうですね。あまり気持ちの良い仕事では無いので、せいぜい二人か三人ぐらいだと思います。穴自体は重機で掘りますから、重機担当が一人に多くて監視が二人と言う所でしょうか」
なるほど……。
三人ぐらいであれば、僕と車崎さんの二人がかりで不意を衝けば、何とか制圧する事だって出来るだろう。
それに、怪我の具合や拘束具合にもよるけど、北条君だって戦力になるかもしれない。
それであれば、まず負ける事は無いはずだ。
まぁ、相手が生身の人間であれば、僕一人でだって無双する事は可能だし、何だったら参號をBootすれば瞬殺間違いなしだ。
いや、待てよ……。
車崎さんが見てる目の前で参號をBootするのは流石にマズいよなぁ。
それに、参號を出した時点で全員死亡が確定だ。
いくらヤクザ屋さんとは言え三人が一気に行方不明ともなれば、他の組員の人達だって黙ってはいないだろう。
ん……?
でも待てよ。……って事は。
「車崎さん、これ、北条君を助けるのは良いですけど。助けた後ってどうする気なんですか? もう悪夢には戻れないでしょ? 僕はともかく北条君や車崎さんは顔が割れている訳ですし」
「……」
僕の問いかけには無言のまま、車崎さんは林道の脇に設けられた少し大きめの空き地に車を駐車させたのさ。
「ふぅ……。ここから先は歩きましょうか。車のヘッドライトで相手に気づかれるかもしれませんし」
「あぁ、はい。わかりました」
僕も車崎さんに倣って、シートベルトを外しに掛かる。
「犾守さん……」
「はい? なんでしょう」
真剣な表情の車崎さんは、車のダッシュボードから小さな紙封筒を取り出すと、それを僕へと手渡して来た。
「ここに百万入ってます。それから北条君と僕はこのあと、狭真会から追われる立場になると思います。もしもの場合を想定して行き先をお話しする事は出来ませんが、少なくとも関東からは離れる事になるでしょう」
「あっ、えぇっと」
「いえ、これは今回の報酬だと思って受け取って下さい。後でこの場所に戻って来れるかどうかも分かりませんので、もしよろしければ、リュックの中に入れておいて頂ければと思います。それから万が一、北条さんと僕が戻ってこれない事態になった場合は、封筒の中にブラッディマリーさんの携帯電話の番号が入っています。大変申し訳ありませんが彼女に救助を要請して頂けますでしょうか」
流石に車崎さんだ。
やっぱりこの後の事まで考えていたみたいだな。
「それから、この目出し帽を被って頂けますか? いくら顔が割れていないとは言え、後から狙われる様な事になっては元も子もありません。ただまぁ、この暗闇ですから人相はおろか、背格好だって相手には分からないとは思います。ただ一応用心のためだと思っていただければ」
そう言いながら、黒いニットの目出し帽を手渡して来た。
「あ、ありがとうございます」
「それでは、準備が整い次第、参りましょうか」
「はっ、はい」
――ガチャ……バムッ、バムッ
車から降りてみれば、外は完全な真っ暗闇。
多少の月明りはあるけれど、林道にはその光すら届かない。
微かに見えるガードレールを手掛かりに、大きく湾曲した山すその道をゆっくりと歩いて行く。
すると、距離にして二、三百メートルほどは進んだろうか。
いや、暗闇での錯覚も考慮すれば、実際には百メートルも歩いてはいなかったのかもしれない。
「犾守さん、見えますか? ほら、あそこ」
ガードレールの向こう側。
木立の奥の方に小さな二つの光点が見える。
「重機のライトだと思います。林道と採掘場の間には木々が多い上に、場所がすり鉢状になっているのでここまで音は聞こえて来ませんが、恐らく間違い無いでしょう」
山の中と言えば静寂に包まれているものと思っていたけど、さにあらず。
木々の間を抜ける風や、草木が擦れる音など、想像以上に騒々しい。
そのせいもあってか、いくら耳を澄ませても、重機の音など微塵も聞こえてはこない。
確かにこれであれば、いくら大声を出した所で、誰も助けに来てはくれないだろう。
「もう少し進んだ所にガードレールの切れ目がありますので、そこから林の中に入って行きましょう。大丈夫です。道路は採掘場の近くまで舗装されていますから、道に迷う事はありません」
「えぇ、分りました。とにかく車崎さんの後に付いて行きます」
僕は車崎さんから離されない様、細心の注意を払いながらも暗闇の中を進んで行く。
ガードレールの切れ目から林の中へ。
そこからはかなりの急勾配で谷の方へと下って行くのが分かる。
しっかし、道路が舗装されていてホント助かったよ。
もしこれで道路が砂利道にでもなっていようものなら、歩く速度は今の半分以下に制限されただろうし、何か大きめの石にでも躓こうものなら、簡単に転んでしまった事だろう。
僕たちは舗装された坂道を下り終え、更に大型のダンプカーが何台も駐車できる程の大きな広場へと進み出て来た。
――ドッドッドッ……。
ここまで来れば、流石に重機のエンジン音もしっかりと聞こえて来る。
どうやら重機は広場の反対側。
更に奥へと広がる深い森の境目あたりにいる様だ。
「車崎さん、どうしましょう。このまま広場を突っ切りますか? それとも広場を迂回して行きますか?」
「そうですね。広場を真っ直ぐ突っ切ったとしてもこの暗闇です。相手にバレる可能性は少ないとは思います。ただ、そのまま近付いたとしても隠れる場所がありません。それであれば多少遠回りになるでしょうけど、広場を迂回して進みましょう」
「えぇ、分りました」
僕と車崎さんは、広場と木立との境目にある大きめの木に身を隠しながら、ゆっくり重機の方へと近づいて行ったのさ。
――ドッドッドッ、ドッドッドッ……!
近付くにつれ、重機のエンジン音が大きくなって行く。
やがて。
「うおぉぉい、重機止めろぉ! うるさくて話も出来やしねぇ!」
突然聞こえて来た怒鳴り声。
恐らく重機の向こう側に誰かがいるのだろう。
残念ながら、こちら側からはその人影すら見る事ができない。
――ドルルルゥゥン。
突然、重機のエンジン音が止んだ。
ただし、バッテリー稼働させているのだろう。
重機のライトだけは点いたままだ。
僕は少し背伸びをする要領で重機の向こう側を覗き込んでみる。
するとそこには自動車一台がまるまると埋められそうなぐらいの大きな穴が掘られていた。
人を埋める穴ってあんなに大きなモノを掘るんだぁ。
知らなかったなぁ。
って言うか、あこまで掘らないと野生動物が掘り返すって、いったい野生動物ってどんだけ食い物に困ってるんだよって話だよな。
更に体を左右にズラしながら重機の向こう側を覗き込んでみるけど、肝心の人の姿は見る事が出来ない。
「よぉぉし北条ぉ! お前も準備は良いか?」
またもや大きな怒鳴り声。
ただ今回は重機のエンジンも止まっていた事から、その声は林間に軽く響き渡る勢いだ。
「あっ! あれって」
「えぇ、北条さんですね」
ちょうどその時。
重機の影から姿を現したのは、光沢のある派手なスーツに身を包む北条くん。
しっかり自分の足で立っている所を見ると、暴行された事によるダメージも思ったほど深刻なモノでは無かったのかもしれない。
「いやぁ、北条くん、まだ埋められる前で良かったですねぇ。どうします? このまま突っ込みますか?」
僕は後ろで周囲を警戒していた車崎さんにそう話しかける。
「でもまぁ、まだ相手が何人いるか分かってませんからね。とりあえず、もう少し様子を見ますか?」
「犾守さん……」
「はい? それより車崎さん、北条くん見えました? 何とか無事そうですよね。まずは一安心って所ですかねぇ」
「犾守……さん」
さっきから色々と話しかけてるのに何の返答もなく、僕の名前だけを呼んでくる車崎さん。
「どうかしましたか?」
「犾守さん、ちょっとオカシイです」
「え? 何がです?」
「まず第一に、これから埋められる人間は全裸のはずなんです。何しろ物証を残す訳には行きませんし、服を着たまま埋めると腐敗が遅れたりして良い事が無いんです」
「はぁ……」
まぁね。
確かに生き埋めの証拠になる様なモノは一切入れない方が良いって言うのには納得が行く。でも、これから脱げって話になるんじゃないのかな? 別に今服を着ていたからって、そんなに気にする事なのか?
「それに、駐車場に止められた車……」
「車……ですか?」
暗闇に慣れた目で広場の方を見渡してみると、事務所と思われるプレハブ製の建物の前には確かに数台の自動車が止まっている様だ。
「あの車が何か?」
「えぇ、この採石場には泊まりの人間はいないはずなんです。なのにあれだけの数の車が停まっているなんて、少しおかしくありませんか?」
まぁね。泊まりの人間がいないとなれば、あの車で来た人達は何処に行ったのか? と言う話だ。
「車崎さん、これって思った以上にヤクザ屋さんが多いって話ですかね?」
「えぇ、その可能性もあります。でも、北条さん一人にそれだけの組員を動員する必要がありません。 ここはもう少し様子を見てか……」
「おいっ、お前達っ! そのまま両手を頭の上に乗せてゆっくりと立ち上がるんだ」
突然、車崎さんの言葉が何者かの恫喝により遮られた。
え……?
背後で車崎さんがゆっくりと立ち上がって行く気配がする。
僕は周囲を伺いつつも、観念した体で両手を頭に乗せ、ゆっくりと立ち上がりはじめた。
すると、僕の行動に合わせて前方の茂みの中から一人、また一人と人影が現れ、僕たちへと近づいて来るでは無いか。
ひー、ふー、みー……。
重機のライトに照らし出された人影は三人。
恐らく背後にも同数以上のヤツらが居るに違いない。
ヤツらは全員がお揃いのコンバットスーツに身を包み、その手にはライフル銃の様なモノが握られている。
しかも、その目には……。
「暗視ゴーグルか……」
どうやら敵は完全武装の様だ。




