第70話 仇か命の恩人か
「あぁぁ、クロぉ! 大丈夫だった? 心配したんだぞぉ!」
ビルの外へと放り出されたその直後。
僕は慌ててリュックの中のクロの様子を確認したんだ。
『おぉタケシ。私の方が心配したぞ。お前が部屋の中に連れ込まれた後、全く思念が通じなくなってな』
やっぱりそうか。
クロの方も繋がらなくなってたんだな。
となると、やっぱり部屋の構造に何か秘密があるって事なんだろうか。
「ところでクロ、僕がいない間、何か変わった事は無かった?」
そう言いながらも、早速リュックの中身を確認してみる。
すると中には、僕の携帯やクロが人型になった時に着る服など、元々入っていた物が全て残されている様だ。
まぁ、ヤクザの方だって、こんな金にもならない物を盗ったって、面倒事が増えるだけだろうしな。
『うぅぅむ、特に変わった事は無かった……かな? そう言えば腹いっぱいミルクを飲ませてもらったし、受付の女が美味そうなネコ缶まで買って来てくれてなぁ。これが意外に美味で……』
「いやいや、そう言うの要らないんだけど。でも、ホント? 大丈夫? 何か嫌な事とかされてない?」
僕はクロの体を抱き上げると、足の付け根から尻尾の先まで、丹念に怪我や傷が無いかを確かめてみたのさ。
『こっ、コラコラ。そんなにあっちこっちと撫でまわすな。変な気分になるでは無いか。どうしてもシタイんだったら人の姿に戻るから、どこか人目の付かない場所に移動してくれ』
おいおい、何を言ってるんだよ、この娘は。
しないよ。こんな所で。
しかも今はネコの姿じゃん。全然そんな気分じゃないよ。
『いやいや、お前は良いかもしれんが、私の方はそうも行かんぞ。この借りは今夜たっぷりと回収させてもらうから覚悟して……』
「あ、すみません。犾守さん」
とその時。
僕の背後から遠慮がちな声が。
「え? あ、はい」
今の状況をよくよく考えて見れば。
高校生ぐらいの少年が路上に漫然と座り込み、黒ネコに向かってブツブツと独り言を呟いていた訳である。
流石に声を掛けるには、かなりの勇気を必要とする事だろう。
でも待てよ。僕の名前を知ってるって事は……。
早速、振り向いてみると、そこに居たのは。
「あぁ、車崎さん! どうしたんですか? こんな所で?」
「いや、どうしたもこうしたも。ココ、ウチの店の前ですし」
少し困惑した表情の車崎さん。
「えへへ。そっ、そうですね……あぁっと! そうそう。病院の件では色々とお世話になりました。本当にありがとうございました。費用の方は電話でご相談した通り、とりあえず次回のファイトマネー分全額前借りって事で何とかお願いしますっ!」
「えぇ、分りました。病院の方では既に手続きは終わっているそうなので。でも、既に遺体となった患者の受け入れと言う事で、一時はどうなる事かと思ったのですが、話を聞いた所によると息を吹き返されたそうで」
「えぇ、そうなんですよ。元々前の病院の医者はヤブ医者だって噂がありましてね。それで、どうしても転院させたかった訳なんですよ」
「はぁ……そうですか。ただ、今の病院は金さえ積めば秘密厳守と言う事で悪夢でも良く使ってはいますが……そんなに腕が良いかと言われれば、特にそんな話も聞きませんし……」
「まっ、まぁ……ソコの所は蛇の道はヘビって事で。あははは」
やっぱり訝し気な様子の車崎さん。
「はぁ……まぁ。その件はもう病院の方に任せてありますので、後は犾守さんの方で進めて頂ければと思います。それよりも、一点急ぎでご相談したい事が」
先程の表情とは打って変わって、突然、車崎さんの瞳に真剣な光が宿る。
「実は北条さんの事なんですが……」
あぁ、北条君ね。
知ってますよ。知ってますとも。
詳しい事は言いませんけどね。
このビルの12階にある組事務所で、ヤクザのカシラのボコボコにされて伸びてましたよ。
あの様子だと、今頃病院に担ぎ込まれているんじゃないですかね?
と言う事などおくびにも見せず。
「はい? 北条君が……どうされましたか?」
「えぇ、実は先程組事務所の方の友人から聞いたのですが、なんでも北条君がカシラに意見をしたらしくって……」
あぁ、意見ね。意見。
まぁ、意見って言うか、あれって完全に歯向かった感があったけどね。
「それで……ちょっとマズい事になりまして」
そりゃマズいわなぁ。
あれ、半殺しじゃなくって、ほぼ全殺し状態だったと思うよ。
早めに病院に連れて行った方が良いなぁ。
うんうん。
「えぇっと、そのぉ……何と申しますか……」
おぉ、沈着冷静な車崎さんとは思えない困惑した様子。
ここはひとつ助け船を出す事にしましょうか。
「車崎さん。大丈夫ですよ、そのまま包み隠さずお話し頂いても。狭真会の件だって、真塚さんに大枠聞いてますので、僕だっていまさら驚きもしませんし」
僕のその言葉を聞いて、少しホッとした表情を浮かべる車崎さん。
「あぁ、それであれば……。実は、北条君、このままですと埋められてしまう事になりそうでして……」
「埋められる……ですか?」
「えぇ、埋められます」
「比喩的な?」
「いいえ、物理的に」
「あぁぁ……物理的にねぇ……」
え? それって、生き埋めにされるって事?
って言うか、それって、殺されちゃうって事?
「マジですか? それ、めっちゃヤバいじゃないですかっ!」
「えぇ、そうなんです。それで、お願い事なんですが、一緒に北条さんを助けに行っては頂けないでしょうか?」
「え? ぼっ、僕が?」
「えぇ、犾守さんが」
「なんで?」
「いや、なんでと言われましても……単純にお強いから」
「いやいやいや、強いって事なら他にも居るでしょ? 他の神々の終焉ファイナリストに当たって下さいよ!」
「えぇ、そうしたいのは山々なのですが、他のメンバーは狭真会の方に顔がバレておりますし……それに」
「そっ、それに?」
「ブラッディマリーさんとミスターTさんは、北条君に借りがあるはずですし……」
くっ! ここで持ち出して来たかあっ!
車崎さんったらお人が悪いっ!
えぇ、あの時は助かりました。
本当に命拾いをさせて頂きましたよ。えぇ、それは本当に、ホントです。
とても北条君に足を向けて寝られませんからね。
でも、それとこれとは話が……。
「話は違いませんよ」
「えぇっ!」
車崎さんったら、僕の心が読めるの?
テレパスなの? 超能力者なのっ!
「あははは。そんなに驚かないで下さい。犾守さんの顔に、それとこれとは別の話だって、思い切り書いてありましたので」
うぉぉぉぉ!
なんてこったい。
どんだけ素直な顔してんだよ僕はぁぁぁぁ!
「はぁぁ。そうですか。そうですよね。あの時助けて頂いたのは間違い無いですもんね」
しかしなぁ。確かに命の恩人ではあるけれど、その後佐竹を使って飯田の事や、冬桜会の幹部を襲わせたのって、北条君の仕業なんだよね。
それを思うとなぁ。
命の恩人とは言え、北条君は飯田の仇って事になるし……。
うぅぅん。
確かに今日北条君と話してみて、ちょっと違和感があったのは間違い無いんだよなぁ。やっぱりそこの所をハッキリさせないとだよなぁ。
まぁ、仇だろうがなんだろうが。
一回命を救ってもらってるって事には変わりはないからなぁ……。
とここで僕は気持ちを切り替える事にしたのさ。
「仕方がありませんね。お手伝いしますよ。……いいや、言い間違いました。是非とも北条君救出作戦に参加させて頂ければと思います!」
チクショウ。
こうなったら乗り掛かった船だ。
最後まで付き合うしか無いかぁ!
「あっ、ありがとうございます。なんだか無理やり脅したみたいで、本当にすみません」
「いえいえ。このまま本当に北条君が埋められちゃったら、マジ寝覚めが悪いですからねぇ。でもその前に一つお聞きしたいんですけど、僕なんかよりブラッディマリーを呼び出した方が戦力的に高くないですかね? あの先生、メチャメチャ強いですよ?」
「えぇ、そうなんです。一応お電話で連絡しまして、ご了承頂けてはいるのですが……」
「いるのです……が? どうしました?」
「いや、実は学校の方が忙しいそうで、仕事が終わり次第来てくれるそうでして……」
おいおいおい。
あの女教師めぇ。
命の恩人を救い出すより、学校の仕事を優先しやがったぞ。
マジか。アイツ、そんなに仕事熱心だったっけ?
いや、そうじゃないな。
きっといつも通り保健室でぐーたら寝てたもんだから、仕事が山積みになっているに違いない。
あぁ、そうだよ。
あの超ドS女は所詮、その程度の女なんですよ。
その時。
僕の脳内には、ピンクのパジャマに身を包み、血塗られた肉棒を片手に高笑いを続ける超ドS女教師の姿が思い出されていたんだ。




