第65話 佐竹奪還計画素案
「おい犾守ぃ。今頃登場たぁ良い度胸じゃねぇか?」
案内されたその部屋は、いつものVIPルーム。
恐らくココは北条君のお気に入りの部屋って事なんだろうな。
と言うか、完全に私室として使っていると言っても過言では無さそうだけど。
「主役かぁ? 主役気取りなのかぁ?」
「……」
僕は終始無言のまま部屋の中を見渡してみる。
いつもは壁際に黒服連中が待機しているはずなんだけど。……今日はいない様だな。
正面右側のソファーに座っているのは北条君。
その向かい側に真塚さん。
そして北条君の後ろに立っているのは車崎さん。
部屋の中にいるのはこの三人だけ。
主要メンバー以外は全員席を外していると言う訳か。
「犾守君、こっちへ……」
僕が入り口付近で立ち尽くしているのを見て、戸惑っているとでも思ったのだろうか。
真塚さんが自分の座るソファーの隣へと手招きしてくれたんだ。
「主役が来んのが遅ぇから、もう話しは終わっちまったよ。なぁ、真塚ぁ、そうだろ?」
「いいえ、話は全然終わってませんよ、北条君。繰り返しますけど、今回の件で冬桜会には何の落ち度もない。それにこれは上が禁止しているチーム間でのモメ事です。北条君の態度如何によっては、僕の方から上に報告する事だって出来るんですよ」
真塚さんがこんなに声を荒げるのはめずらしいな。
少し意外だったけど、真塚さんも言う時は言うって事か。
「だぁ、かぁ、らぁ! 何度も言ってるだろぉ、俺は何も知らねぇって。コイツぁ、あくまでも個人の恨みつらみの話だ。チームは全然関係ねぇ。単にお前の所から移籍して来た佐竹と、ほれ、お前の横に座ってる犾守。その二人がモメただけの話だ。ただそれだけさ。そんなしょうもない事で義兄弟の俺とお前が話し合うなんざ、時間の無駄ってもんよ」
真塚さんの追求などどこ吹く風。
余裕の表情を見せる北条君。
「はぁ……。本当に話は平行線ですね。分かりました。今回の件はあくまでも個人の問題であると言われるのであれば、佐竹が所属するチームのリーダである北条君にお願いです。佐竹には、これ以上僕のチームにちょっかいを出さない様に言って下さい。ただでさえアイツが抜けてチーム内に不安が広がっている所なのに、このまま何度も幹部が襲撃されたりしたら、チームの屋台骨が揺らぎかねませんからね」
とここで北条君は椅子に座ったままの格好で、真塚さんの事を下から見上げる様な態度を取ってみせる。
目が据わってるし。これ、完全に脅しの態勢だ。
「真塚ぁ、ウチぁよぉ。お前の所と違ってトップの俺が寛大な性格なもんでよぉ。兵隊個人が何処で何をしようが、どう暴れようが。俺ぁ全く関与もしねぇし、口を挟む気もねぇんだよっ!」
――ガシャーン!!
テーブルの上に置いてあったクリスタル製のグラスが真塚さんの頭上を飛び越え、背後の壁で盛大に砕け散った。
「それが分かったら、とっとと家に帰ってかーちゃんのおっぱいでも弄ってろ! このクソ野郎がぁ!」
だけど真塚さんだって負けちゃいない。
その視線は北条君を睨みつけたまま、微動だにしていない。
「……そうですか、分かりました。交渉決裂ですね。仕方がありません。窮鼠猫を噛むでは無いですが、私もチームを守らないといけませんから。この件、上に報告させて頂きます」
そう言うなり、携帯電話を取り出す真塚さん。
「上、上、上っ! お前はそればっかりだなぁ、おいっ! 上がナンボのもんじゃあ! 呼ぶんだったら呼んで来いやぁ! 何時でも相手になってやんぞぉ! コラァ!」
「フン……その威勢が最後まで続けば良いですけどね」
こうなったら真塚さんだって後には引けない。
着信履歴から目当ての人を探そうと、スマホの画面を覗き込んだその時。
真塚さんの後ろで砕けたグラスの破片を片付けていた車崎さんが何かに気付き、急にその手を止めて勢いよく立ち上がったんだ。
「……!」
そのまま戸口に向かい、直立不動の姿勢を取る車崎さん。
ん? どうした?
誰か来たのか?
僕は車崎さんの視線を追う様にして、入り口の方へと振り向いたのさ。
すると、シルクで編み上げられた薄いレースのカーテンが無造作に撥ね退けられ、 その後ろから現われたのは、ダークグレーのスーツに身を包む大柄な男たちの集団。
なっ、何だコイツら!?
「おい、おい、おいぃぃ。エラく威勢が良いなぁ、北条ぉ。お前ぇ誰の相手をするんだってぇ?」
そんな屈強な男たちの背後から、少しくたびれた感のあるハスキーな声が聞こえて来る。
「チッ! 真塚ぁ、お前ぇ用意周到じゃねぇかぁ!」
北条君が怒りの矛先を再び真塚さんへと向ける。
ただ、真塚さん自身も半分腰を浮かせたままの格好で、携帯電話を片手に驚きの表情だ。
どうやら真塚さんとしても、この異様な集団の来訪は予想外だったに違い無い。
やがて、男たちの間を割るようにして現れたのは、光沢のあるスーツに身を包む中年の男性。
年の頃は四十台半ばと言う所か。
オールバックの髪型に、細面で神経質そうな眼差し。
更にその男の左頬には明らかに刃傷沙汰を思わせる深い傷が刻み込まれていて、一度その顔を見た人間は誰しも否応の無い恐怖感を感じてしまわずにはいられない。
「お疲れ様です。カシラ」
先ほどまで総革張りのソファーにふんぞり返っていたはずの北条君。
それが今は姿勢正しく、最敬礼の状態でお辞儀をしている。
「「お疲れ様です! お疲れ様ですカシラ!」」
振り返れば、真塚さんに車崎さん。二人までもが深々とお辞儀をしているではないか。
この部屋で茫然と立ち尽くしているのは僕ただ一人。
「おう、何か打ち合わせかぁ? 邪魔して悪かったな。ちぃっと伝えておきたい事があって寄らせてもらったんだがよぉ。そしたら、北条の元気な声が聞こえてきたもんだから、勝手に上がらせてもらったわ」
「……」
終始お辞儀をしたまま、無言の北条君。
「北条ぉ、跳ね上がんものいい加減にしとけよぉ。お前たち二人は俺の子飼いだぁ。兄弟は仲良くしなくちゃいけねぇやなぁ。そうだろぉ、北条ぉ……」
「……」
そう話しかけられても、北条君は依然無言のまま、動く気配すら見せ無い。
「ところで北条ぉ。お前の所に佐竹ってヤツが居るだろぉ?」
「……!」
突然の指名。
北条君の俯く姿に動揺が走る。
「アイツぁイカンなぁ。少々お痛が過ぎた様だわ。お前たちゃあ若人だからなぁ。血気盛んなのは良いが、人を殺しちゃあ流石にダメだ。そう言うのは俺達の仕事だからなぁ……なぁ、北条ぉ」
オールバックの男は未だお辞儀をしたまま固まっている北条君の横を通り過ぎると、彼の座っていたソファーへと大仰に腰掛けてみせる。
それって……飯田の事……だよな。
「ちょっとした情報筋から連絡があってなぁ。どうやら罪状が傷害から傷害致死に切り替わったらしい」
間違い無い、飯田の件だ。
病院を出る時に飯田のおばさんの所に来ていた、目つきの鋭い人たち。
あれって、私服警官だったに違いない。
「北条ぉ。悪夢が下手打つと、俺の所にも飛び火して困んだよ。そんでなぁ、この件がオヤジにバレてよぉ。オヤジからの指示で、佐竹はウチの事務所に連れて行く事になったから」
「組事務所……」
「お、ようやく喋ったじゃねぇか? 俺ぁ、てっきりお前が日本語忘れちまったのかと思って心配したぞぉ。あははは。って事で、今日中に佐竹をウチの事務所に連れて来い。今日中っつても真夜中じゃねぇぞ。オヤジが女ん家に行く前に始末しないとマズいからなぁ。一時間以内に来させるんだ」
「一時間……ですか?」
「あぁ、一時間っつったら、キッカリ一時間だ。それからもう一つ。今回の件、お前にも殺人教唆の疑いが掛けられてるらしい。多分お前の家にも令状持ったヤツが来るだろう。だからお前も一回家に帰っとけ」
「……」
「まぁ、心配するな。取り調べには知らぬ存ぜぬ、完全黙秘すりゃあそれで良い。弁護士は俺の所で手配してやるからよぉ」
「あぁ、そうだ。悪夢だが、トップが居ないと色々と困るだろぉ? 北条がいない間、悪夢は……」
とここで、真塚さんが勢いよく顔を上げる。
「車崎ぃ、お前がしばらく店長代理だ。北条が戻るまで店コカすんじゃねぇぞぉ」
「……はっ」
車崎さんがもう一度深々とお辞儀をしてみせる。
「あっ、あのぉ。立花さん!」
「お? なんだ、真塚ぁ。どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」
「え? あぁ、いや。……そのぉ」
「おぉ、そうか。まぁな。お前でも良かったんだが、まだ少し早いわな。それに、北条はまだ使い道もある。お前はまだ高校生だろぉ? もう少し待て。どこの世界でも序列っちゅーもんは大切にしねぇとなぁ。あぁ、そう言えば、今月の売上なかなか良かったぞ。この調子で来月も頼むわ。それじゃあな。あはははは……」
そんな乾いた笑い声だけを残し。
オールバック男を筆頭に部屋を出て行く男たちの集団。
そして、最後の一人がドアの外へと消えたのを確認した後、やおら北条君が口を開いたのさ。
「車崎、お前知ってたのか?」
「いいえ、存じ上げておりません」
ようやく一息付いた感じの車崎さん。
ただ、そんな様子も束の間。
まるで何事も無かったかの様に、再びグラスの破片を拾い始めている。
「……だよな。ふぅ……」
――ボフッ
北条君もよほど緊張していたのだろう。
まるで崩れ落ちるかの様に、ソファーへと倒れ込んでしまったではないか。
「ねっ、ねぇ真塚さん」
「ん? あぁ、何だい?」
いつも温厚な真塚さん。
なのに、少しイライラしている様に思えるのは気のせいか?
「今の人って……?」
「あぁ、あれが僕たちのケツ持ちをしてくれている狭真会若頭の立花さんだよ。昔からの武勇伝は数知れず、武闘派の狭真会を実質支えているのはあの人らしいね。でもまぁ、仕方がない。立花さんが現れた段階でゲームセットさ。これ以上話をややこしくすれば、僕の身も危ういからね」
すでに達観した様子の真塚さん。
何だか雰囲気は既に諦めモードだ。
そのまま真塚さんもソファーに腰を下ろすと、依然ぐったりした様子の北条君へと話し掛ける。
「まさか僕が電話をする前に立花さんがお越しになるとは思ってもみなかったけど、まぁ結果は同じ。どうせ佐竹の居所は車崎さんが押さえてるんでしょ? あとは車崎さんに任せて、北条君も早く自宅に帰った方が良いよ」
「ちょちょちょ、ちょっと真塚さん。佐竹の身柄は僕の方に引き渡してくれるんじゃあ?」
真塚さんの言い草に、僕は思わずツッコミを入れてしまう。
「あぁ、犾守君。本当に申し訳無い。立花さんがあぁ言ったら誰もそれを覆す事なんて出来やしないよ。それはもちろん僕だけじゃなく、北条君だって同じだからね」
「えぇぇ。マジですか」
「マジもマジ。おおマジさ。この界隈で立花さんに盾突いて生きて行ける訳が……」
「おい、車崎ィ。佐竹に電話しろ」
「はい」
北条君に言われた通り。
車崎さんは胸ポケットから携帯電話を取り出すと、慣れた手つきで電話をかけ始めたんだ。
――プルルルル、プルルルル。……ガチャ
「北条さん、繋がりました」
車崎さんが自分の携帯を北条君に差し出してくる。
「おぉ。……おぉ佐竹か。よく聞け。いま立花さんが来られて、お前を組事務所の方へ出頭させろって言われたわ。……あぁ、そうだ。今すぐにだ。一時間以内に来いとよ」
電話口の佐竹の声は聞こえない。
でも何やら切々と訴えかけている様だが。
「あぁ、お前の言いたい事はわかる。だがなぁ、立花さんは一度言い出したら絶対に後には引かねぇ。……あぁ、そうだ。絶対にだ」
「……」
「と言う事で、お前には腹くくってもらうしかねェな。悪ィがお前、今からすぐに最寄りの警察署に駆け込め。細かい事は俺が渡したバッグの中に書いてある。……あぁ? 学校? そんなもん諦めろ。どうせ警察に出頭した時点で年少確定さ。運良く執行猶予が付いたとしても学校なんざ退学よ。それから、俺ぁこれからオヤジん所に行って来るわ。最後まで守ってやれなくて悪ぃな。じゃあな。切るぞ。おい、間違っても組事務所には行くなよ。確実に命取られんぞ。いいな!」
――ピッ!
「……」
驚いた表情で北条君の事を見つめる車崎さん。
「……北条さん」
「いや、良いんだよ車崎。どう言う経緯かは知らねぇが、一度俺の配下になったヤツぁ、俺の家族も同然だ。家族だったら俺が守らないでどうするよ。カシラにゃ悪ィが、ここはオヤジに直談判するしかねぇな。まぁ、佐竹だって命ァ取られるよりゃあ、年少入った方がまだマシだろ。過失が付きゃあ、執行猶予の線だって十分にあるしよぉ」
「……」
そんな北条君の事をじっと見つめる車崎さん。
「承知いたしました。それでは佐竹君の方は誰かに警察まで送らせるよう段取りましょう」
「悪ぃな、車崎。もし俺が戻って来れたら、また一緒に頼むわ」
「はい、北条さんもお気を付けて」
「あぁ、それじゃあ、行って来るよ」
さっきまでの脱力具合からは想像も出来ない程軽い足取りで、部屋を颯爽と出て行く北条君。
「あぁ~あ。ホント、北条君って我儘だよなぁ。車崎さん、良くあんな人に付いて行けますねぇ」
隣にいる真塚さんが、心底呆れ果てたとばかりに両手を広げてみせる。
「でも車崎さん。あの様子だと北条君もかなりヤバいですよね。うぅぅん。この後は車崎さんが悪夢を引き継ぐ訳だからぁ……僕の戦略も考え直さないとだなぁ……ん!」
突然何を思いついたのか?
真塚さんは急に明るい笑顔を浮かべたかと思うと、車崎さんに向かって右手を差し出したのさ。
「まぁ、とりあえず休戦って事で良いですよね。私は車崎さんとっても大好きですよ。将来的に私が上に登ったとしても、車崎さんには今まで通り働いてもらいたいと思ってます。えぇ、本当ですよ。安心して下さい!」
真塚さんはそう言うと、むりやり車崎さんの手を取って両手でしっかりと握りしめる。
うん? どうなるんだ? これ。
とりあえず、真塚さん達を潰そうとしていた北条君がいなくなって、真塚さんと車崎さんが仲良くなったって事で、とりあえず良かった……のかな?
『タケシ!』
あぁ、クロ。これって、この後どうすれば……。
『いや、タケシ。どうするもこうするも無いだろう。このままでは佐竹の身柄は警察に保護されてしまうと言う事だ。それではお前の復讐が成し遂げられん。ヤルなら今、佐竹が警察に逃げ込む前に攫うしか無い。と言う事で私にアイデアがある。まずはそれを聞け』
マジか!
確かにクロの言う通りだ。
組事務所に連れて行かれるよりも、警察に捕まる方が確実にハードルが高い。
その後、僕とクロは思念を駆使して、綿密、かつあまりにも無謀で杜撰な佐竹奪還計画を急遽立案するハメになったのさ。




