第63話 三連単
「おいオヤジィ、本当に当たるんだろうなぁ?」
年の頃なら五十代半ば……いや、還暦はとうに過ぎているだろうか。
パチモンの野球帽をかぶり、何処で買ったのかは知らないが、薄汚いラメ入りのスカジャンを着込む痩せぎすの男。
そんな風貌にも関わらず、男の周りには十名程の人だかりが出来上がっている。
「旦那ぁ、冗談キツイっすよ。あたしゃこの競馬場でいったい何年飯食ってると思ってんスか? 今度のレースは鉄板、鉄板だよっ! 悪い事は言わねぇ、今すぐクレジットカードで限度額いっぱいまで借りて、全額このレースに突っ込むのが吉ってヤツさぁ! そうしたらアンタ、三十分後にゃ玉入り煮込みに、生ビールがたらふく飲めるって寸法よぉ! まぁアンタに使えるクレジットカードがまだあれば……の話ですがねぇ。げへへへ」
「チッ、良く言うぜぇ」
俺は右のポケットから百円玉を取り出すと、野球帽男にの左手にそっと握らせてやる。
すると、男は慣れた手つきで、俺に小さな紙切れを手渡してくれたんだ。
いや、紙切れだけじゃない。
紙切れに包まれていたのは……コインロッカーのキーだ。
ここは関東でも最大級の規模を誇る地方競馬場。
東京都内にあっても地方競馬とは少々複雑だが、まぁそう言う決まりだから仕方が無い。
近年の競馬ブームの後押しもあってか、昔にくらべてかなり垢ぬけた建物なんかに切り替わっちゃあいるが。
俺の周りに陣取っているヤツらをざっと見渡してみても、若いヤツラはチラリホラリ。
昔ながらの年季の入ったオヤジ共が、未だに跳梁跋扈するダークな世界だ。
平日の真っ昼間に賭博に精を出すヤツらなんざ、碌なモンじゃねぇよな。
ただまぁ、俺ぁそっちの方が気が楽なんだけどよぉ。
俺は何食わぬ顔のまま投票カードを記入してから、発払機コーナーの方へ。
「しっかしなぁ。8、11、5……本当に来るのかよぉ……これ?」
残念ながらどれも十番人気以降の馬ばかり。
とてもじゃないが、これでは獲れる気が全くしない。
俺はガチ本命の馬に千円。
そして予想屋に手渡された番号に百円をつぎ込んだ。
「さて、後はっと……」
俺は目的のレースを観戦する前に、建物二階にあるコインロッカーへ立ち寄る事にしたのさ。
目的のコインロッカーは直ぐに見つかった。
手渡された鍵を使ってロッカーを開けると、そこには小さな紙袋が一つだけ。
中に入っていたのは……。
なんだこりゃ? 何かの測定器か?
紙袋の中に入っていたのは、スマホ半分程度の大きさしか無い黒い機械に、見慣れた骨伝導タイプのイヤホン。
それに写真が数枚……。
って、おいおいおいっ! コイツぁ!
俺は平静を装いながら入っていた物をもう一度紙袋に押し込むと、同じビルの二階にある有料指定観戦席の方へと向かったのさ。
指定席券は紙袋の中に入っていたモノで事足りた。
案の定、俺の席の周りには誰もいない。
公安のヤツらがしっかり買い占めておいたんだろう。
ただまぁ、平日の昼間に有料指定席で競馬を見てるヤツなんざ殆どいない。
せいぜい居たとしても、年の離れた怪しい同伴カップルぐらいが関の山だ。
そこまで気を使う必要も無い様に思うが、まぁ注意するのに越した事は無い。
俺はスマホを操作するフリをしながら、紙袋に入っていた骨伝導型のイヤホンを耳に掛けたんだ。
『……先輩。お疲れ様です』
聞き覚えのある声。
「あぁ、そうだな。マジ疲れたよ。良い加減、この仕事も足を洗わないとだなぁ」
『何を言ってるんですか。先輩が弱音を吐くなんて珍しいですね。いや、冗談はさておき、時間がありませんので』
そうだな。
俺達は別に本気で競馬を観に来た訳じゃない。
この瞬間も誰かに監視されているかもしれない……いや、間違い無く監視されているだろう。余計なリスクを避ける為には、何事も迅速が肝心だ。
『それでは早速本題に入ります。ご報告頂いたビジネスホテル崩落の件。最終的にはビル建設時の手抜き工事による事故と言う形で収束させました』
マジか。
司教二名と侍従一名の三名が死亡。更に侍従一名が行方不明。
幸いにも一般人に被害は無かったが、ビジネスホテルの屋上から最上階にかけては大穴が開くと言う壊しっぷりだ。
あれだけの大事件をビル工事会社になすりつけるたぁ、国家権力もえげつない。
『ただ、事前に連絡は頂いていたものの、あれだけの損害を予見できなかった事については、上層部もかなり意見が分かれておりまして……』
それって、要するに怒ってるって事だろ?
しかし、そんな事言われたって、あんな人智を越えた戦いに、一介の人間がどうやって手を出せって言うんだよ。お前ら本気でやるなら自衛隊でも持って来いってんだ。
『次回、同等の被害が予想される場合には、自衛隊の防衛出動も視野に……』
おいおい、本気かよ。嘘だよ。嘘。冗談だよっ!
「防衛出動なんてしようものなら、内乱勃発だぞ!?」
『はい……いや、しかし……』
「しかしも、へったくれもあるかいっ! お前ら日本国内で大砲ぶっぱなそうって言うのか? 絶対にそっちの方が被害がデカくなるに決まってるじゃねぇか!」
『ナナヒトフタヨン、これはあくまでも上層部の決定でして』
チッ!
上層部、上層部、上層部、上層部っ!
元はと言やぁ、全てその上層部って言うヤツらが使えねぇから、こんな変な教団がのさばる事になったんだろぉがよぉ。ヤルんだったら、もっと早くやっておけって言うんだよっ!
……ふぅぅ。
そんな事、コイツに言っても始まんねぇかぁ。
「……あぁ、分かった。分かったよっ! 極力、被害が広がらねぇ様に気を付けるからよぉ!」
『ありがとうございます。それから、袋の中身の件ですが』
「あぁ、何か小型の機械が入ってたな? ありゃあ何だ?」
『はい、先日貸与頂いた手袋ですが、鑑識及び中央研究所の方での解析が終了致しまして』
「ほほぉ、それで? 何か分かったのか?」
『はい、全てが解明された訳では無いのですが、あの手袋からは未知の放射性同位体、要するに放射性物質が検出されました。そこから放出される放射線が、周囲に分布している類似した放射性同位体と反応する事で発光現象を引き起こしているものと推測されるそうです』
「放射性物質ねぇ……」
『教団側が説明する魔力と言うモノも、その類なのではないかと思われます』
しかし、そう言うんじゃあねぇんだよなぁ……。
俺がこの目で見たのはホンマモンの『魔』だった。
そんな、放射線だの放射能だの、そんなモンじゃねぇ。
完全に人智を越えた、神の領域。
いや。これは見たヤツにしか分からねぇ。
ましてや、安全な会議室から顎で人をこき使う様なヤツらにゃあ、絶対に理解出来るはずも無ぇ。
『今回お渡しした機器は、この特殊な放射線を測定する放射線測定器でして』
「あぁ、コイツかぁ」
俺は紙袋の中から小さな機械を取り出して見る。
『電源を入れてからスタートを押しますと、周囲の未知の放射線量を測定してくれます。指向性も確認できますので、放射線の放射されている方向等もある程度であれば判断できる様です』
スマホの様なその機械は、電源を入れるとレーダーチャートの様なグラフが表示され、最大値と最小値の放射線量が数値としてデジタル表示される仕組みらしい。
「おいおい、放射線って事ぁ、放射能って事だろぉ? 人体に影響はねぇのか?」
『研究所の見解では人体に対する影響は軽微だとの事です。また、この未知の放射線ですが、半減期がノーベリウム259とほぼ同等の約一時間程との事ですので、数日経つと検出自体もほぼ不可能との事でした』
結局の所、詳しい事は分からないって話か。
ただまぁ、少なくともこの機械があれば、魔力を持つヤツらを見分ける事が出来るって事だな。
それはそれで、使い道はある。
「あぁ分かった。それからこの写真の事だが……」
紙袋の入っていた写真は全部で三枚。
一枚はかなり画質が荒く、恐らく防犯カメラか何かの映像だと思われる。
残り二枚はかなりの高画質だが、相手がこちらに気付いている様子が無い所を見ると、隠し撮りをしたモノだろう。
『はい、例の事件の前後で付近の防犯カメラを全てチェックしました。そうした所、報告のあった少年と少女を見つける事が出来ました』
「少年と少女? 二人か? 確かヤツら三人居たはずだが?」
『はい、三人目は柱の影に隠れていて人相が判別出来ておりません。現在判別出来たのは二人だけです。この少年と少女の二人は、例のビジネスホテルにも偽名にて宿泊手続きをしていた模様です。これはビジネスホテルの防犯カメラでも確認が取れました。しかもこの二人については身元も判明しております』
「マジか! 身元が分かったのか?」
『はい。ビジネスホテルでの防犯カメラ映像がかなりクリアでしたので、顔認証システムを使ってテロリストや過去の犯罪者履歴、更には警察署内に設置されている防犯カメラ映像とをマッチングさせました。その結果、類似と判断される映像が十名程みつかりまして、更に公安の方で当日の行動を内定した所、この二人と断定致しました』
「はぁぁ……顔認証システムねぇ……」
近頃の技術は凄いもんだな。
確かに写真に写る二人は、俺が目にした少年と少女で間違い無い。
『最近西東京の方で暴行未遂事件がありまして、少女の方はその時の被害者として、そして少年の方は加害者として警察への出頭履歴がありました。ですので、身元の方も直ぐに判明した次第です』
「え? コイツら、事件の被害者と加害者なのか?」
『あぁ、いえ。実際には少年は加害者では無く、たまたま暴行現場を通りかかって、少女の方を助けようとした第三者の模様です』
なるほどなぁ。それでコイツらツルんでるって訳か。
しかし、そうなるとこの二人が本国の方から来た魔導士だって説は間違いだって事だな。
つまり本国の方から来た黒幕は他に居るって事かぁ。
コイツぁ先が長ぇなぁ。
『あともう一つお伝えしたい事が』
「あぁ? 何だ?」
『その少年の事では無く、その親御さんの事なんですけど』
「親? 親がどうかしたのか?」
『はい、少年の名前は犾守武史、十七歳。現在は西東京にある私立高校の二年生です。その両親はともに健在で、現在神奈川の方に住んでいる事が分かりました』
「ん? それの何処に問題があるんだ?」
『はい、父親は犾守彰、四十四歳。中堅の貿易会社に勤めています。その妻は綾子、四十二歳。専業主婦です。この二人なんですが、両者ともに戸籍上判明しているのはここまでで、その両親、つまり少年の祖父母に関する情報が一切登録されていません』
「ん? 祖父母? って事はじーちゃん、ばーちゃんの話だろ? その頃だと戸籍もいい加減……って事は無いのか?」
『いいえ、それは考え辛いかと思います。父である彰の両親となりますと、せいぜい七十歳前後。十分戦後生まれです。しかも両親共々祖父母の情報が無いと言うのは少々偶然が過ぎるかと……』
ふぅぅむ……。
どう言う経緯かはわからねぇが、複雑な家庭だって事は間違いねぇなぁ。
「よし、分かった。そっちの方はもう少し詳しく調べてみてくれ。それから、俺の方からも一点報告がある。ついに俺も本国の方へ顔を出す事になった。まだ期日は確定してねぇが、蓮爾 司教枢機卿のお供として行く事になりそうだ。その間、教団の方はかなり手薄になるが、この機会に乗じて踏み込むんじゃねぇぞ。もしヤルんだったら、俺が戻って来てからだ。わかったな、お前の大好きな上層部ってヤツらに、必ず伝えておけよっ、良いなっ!」
『はっ、はい。承知しまし……』
――ウゥワァァァァァァ!!
丁度その時。会場全体を揺るがす程の大歓声沸き起こった。
何だ? 何事だっ!?
驚いて辺りを見回してみれば、会場中の全員が総立ちで何やら叫んでいるではないか。
「うぉぉマジかぁぁ! これ万馬券出たわぁぁ!」
前方の人混みの中から漏れ聞こえる叫び声。
その一言で、俺は一気に現実世界へと引き戻されたのさ。
あぁ、競馬の事かぁ。
んだよ、アイツの予想、意外と当たるモンだなぁ。
丁度潮時だ。もうこれ以上話す事は何も無い。
俺は耳に掛けていた骨伝導マイクを競馬新聞にはさんでゴミ箱の中へ投げ捨てると、払い戻しを受ける為に発払機コーナーの方へと移動を始めたんだ。
しかし、発払機コーナーの前には、早くも長蛇の列が。
犾守武史かぁ。
珍しい名前だよな。
しかもどう言う流れかは分からんが、本国の魔導士と組んで俺達に逆らおうとする。
一体、どう言う了見なんだろうなぁ。
でもまぁ、既に身元も割れた事だし、あとは本人に会って、ゆっくり話を聞けば良い。
しっかし、どうやって会うかだよなぁ。
二人きりで会うか?
いや、それは危険だ。例の魔導士と思われる黒幕が出て来ないとも限らねぇ。
それじゃあ、公衆の面前。人の多い都会で会うか?
いや、それもダメだろう。
それはそれで、大勢の一般人を巻き込む危険性がある。
他人の命を博打の質にする訳には行かねぇ。
くっ……どうしたものか?
「おい、アンタ。アンタの番だよ。後ろがつかえてるんだ。早くしてくれよ!」
「あっ、あぁ……悪ぃな」
気付けば、俺は発払機の前に立っていた。
色々と思案している間に、順番が回って来た様だ。
へへへ。久しぶりの万馬券だぜぇ。
わずか百円とは言え、万馬券と言うのはやはり別格だ。
俺はニヤつく顔を強靭な精神力で押さえ込みつつ、予想屋の親父に教えられて買った馬券をそっと発払機に入れたのさ。
……すると。
――ピピー!
「……え?」
ゼロ円!? なんで? どうして!?
良く見ると、三連単の着順が微妙にズレているではないか。
「えぇい! チクショウッ!」
――ガコッ!!
俺は人の目も気にせず発払機を盛大に蹴り上げると、そのまま何事も無かったかの様に場外へと向かって歩き出したんだ。
あんのクソ野郎ぉ!
あんなデカい口叩いておきながら、結局ハズレてんじゃねぇか!
絶対にぶん殴ってやるっ!!




