第62 冬桜会《ゆらら》への誘い
「しっかしさぁ、クロぉ。あの微に入り細に入り説明するの、ホント、ヤメてくれるぅ?」
春の優しい風が髪の間をすり抜けて行く。
昨日まで降り続いていた雨はまるで嘘の様に晴れ上がり、水を十分に含んだ木々や花々が暖かな陽光にキラキラと輝いて見える。
愛車のクロスバイクも絶好調。
住宅街の狭い路地を抜け、今は国道沿いの自転車レーンをソコソコのスピードで快走中だ。
『いやいや、逐次教えてくれと言ったのはお前の方だろう』
クロはいつもと同じリュックの中。
昨日はまだ十分に魔力が回復していない状態にも関わらず、僕にChangeしたものだから、少々お疲れの様にも見える。
まぁ、実際にはそれ以外の理由でお疲れなんだろうけど。
「いや、それにしてもさぁ……」
恐らく、久しぶりに安心して眠る事が出来たんだろうな
今朝目覚めてみれば、僕の隣では茜ちゃんが全裸のままで、愛らしい寝息をたてて眠っていたんだ。
ただ、昼から別の約束があった僕は、低血圧の所為で少しムズかる茜ちゃんを何とか起こすと、ようやく自宅へと送り届けて来た所だ。
幸いな事にお母さんはまだ帰って来てなかったみたいだし。
たぶん茜ちゃんが僕の家に泊まった事もバレやしないだろう。
「あれはちょっとやりすぎだよぉ。ほらさぁ、あの……小高い丘の突端。そこに添えられたサクランボのごとき瑞々しい果実が二つ。一瞬まだ熟れる前なのかとも思いきや然に非ず 。それは過度の欲情により固く隆起したモノで、彼女の荒い息遣いとともに小刻み震えるその姿はまるで……だっけ? あれ、ホントなんなの?!」
『うむ。アレは叙情的な表現で、私自身も割と気に入っている部分だな。どうだタケシ。お前も欲情しただろう?』
「なっ! 何言ってるんだよぉ、もぉ……クロったらさぁ」
『なんだタケシ。あの表現では不満か? だったら最初からお前が手籠めにすれば良かったのだろう? 私は良かれと思ってだなぁ』
「うっ、うん。まぁ、そうなんだけどさぁ……」
なんやかんやで、十分満足した様子の茜ちゃん。
別れ際に見せた彼女の表情は、僕の知っている少女のソレでは無く、いつの間にか僕の知らない「女の顔」になっている様な気がして。
何だか複雑だよなぁ……。
そんな割り切れない思いを胸に抱いたまま、僕とクロは駅前の繁華街へ。
「あ、ココだ。このファミレスで待ち合わせなんだよ」
僕は店の前の駐輪場に自転車をとめると、早速ファミレスの中へ。
「いらっしゃいませぇ。何名様ですか?」
「あぁ、えぇっと、待ち合わせで……」
割と広めの店内。
その人は一番奥のボックス席に一人で座っていたんだ。
「真塚さん、お待たせしました。どうしたんですか? 急に連絡くれるなんて」
「あぁ、犾守君。折角の土曜日に突然呼び出して悪かったね。いや、ちょっと嫌な噂を聞いたもんでね」
「噂……ですか?」
僕が座る間もなく、急に話し始める真塚さん。
何だか少し落ち着きが無い様な気もするけど。
「そう噂、噂だよ。犾守君ってもしかしたらさぁ、誰かに嫌がらせを受けたりしてないかな?」
「え? あぁ、はい。……どうしてそれを?」
「やっぱりそうか。僕の所にも色々と情報が入って来てね」
「はぁ……」
どうしたんだろう。何かあったのかな?
何んだか深刻な表情をしているけど。
組んだ両手の指を時折忙しなく動かす仕草からは、真塚さんの軽い苛立ちが伝わって来る様だ。
「その話、もう少し詳しく聞かせてくれるかな?」
「あぁ、えぇっと。先日僕の友人が不良に絡まれまして。しかもその妹の所にまで脅迫まがいの連絡が入る様になって……」
「そうかぁ。その不良……って言うのは、もしかして佐竹……かな?」
「あぁ、えぇっと、佐竹が犯人かどうかは分からないんですけど……」
いや、佐竹が犯人で間違いない。
何しろ僕は直接被害を受けた飯田の記憶を見ている訳だからな。
でもそれをここで言っても理解はしてもらえないだろう。
ここは知らない体で話さないと。
「そうかぁ……。実はね、僕の仲間も色々と嫌がらせを受けていてさぁ。どうやらその犯人が佐竹らしいんだよ」
マジかぁ……。
あんの野郎、僕以外の人達にまでちょっかい出してるって事なのか?
でも一体なぜそんな事を?
「今回の一連の事件。昔からアイツの事を知っている僕にしてみれば、かなり意外な行動だと思えて仕方がないんだ」
「意外……ですか」
「そう、意外だよ。昔から粗野ですぐに問題事を腕力で片付けようとする所は確かにあったんだけど、それはあくまでも当人に対してだけであって、その周囲の人にまで悪さをする様なヤツじゃなかったのさ」
あぁ、確かに。
間違い無く脳筋単細胞な男で、策をめぐらす様なタイプには見えない。
「となれば、佐竹を裏で操っているヤツが居る……と思わないか?」
「裏……で?」
「そうさ。佐竹に入れ知恵するヤツ。まぁ、そう考えると相手はおのずと見えて来ると言うものだけど」
「……あっ」
「犾守君も分かってくれたかい?」
「もしかして、それって北条さん? の事ですか?」
小さく頷いて見せる真塚さん。
「そう。あの佐竹に入れ知恵出来るとすれば、北条君しか考えられないんだ」
「いや、でも……」
確かに北条さんの可能性は否定できない。
佐竹より上位の人間と言えば、今の所北条さんだけだろう。
ただ、北条さんは陰真先生の口利きもあったんだろうけど、僕たちを助けてくれた張本人だ。
その人が佐竹を使って僕に嫌がらせをする理由が分からない。
「ん? 何か北条くんの事で引っかかる事でもあるのかい?」
真塚さんは例のビジネスホテルでの一件で、僕が北条さんに世話になっている事を知らないはずだ。
それに、今ここでその事を真塚さんに話すべきじゃないし、話す必要も無い。
「あぁ、いや特には……でもあの北条さんがそんな事をするとは思えなくて」
「いや、そんな事は無いよ。北条君には十分な理由があるのさ」
「え? と言いますと?」
「正直な話、いま嫌がらせを受けているのは犾守君、キミだけじゃないって事さ。実はウチのチームの何人かも犾守君の様に嫌がらせを受けているんだ。つまりこれは犾守君一人を狙った話では無くて、僕の事……いや、僕の組織に対する嫌がらせだと思うんだよ」
「ま、マジですか」
「犾守君には迷惑を掛けて本当に申し訳ないけど、恐らく事の真相はその流れで間違い無いと思う」
「で、でも。北条さんは真塚さんと同じ……えぇっと……とある組織の配下に居る訳でしょ? 互いに喧嘩する意味が無いですよね?」
「あはは。とある組織ねぇ。まぁ、ここでは某反社って言う事にしておこうか。確かに僕たちの組織は表立った組織では無いし、こういったアルバイトをするには、その道の人達ともある程度の繋がりが必要不可欠なんだ」
そうなんだよなぁ。
真塚さん、こんな優男なのに、暴力団との関係があるんだよな。
「前にも話したけど、僕たちの組織である冬桜会と、北条君率いる悪夢は同じ反社の配下で兄弟関係にある。ただ、表向きは仲良くやってるけど、裏に回れば競争心剥き出しで張り合っていると言うのが実情さ」
って事は、佐竹の個人的な恨みだけじゃなくって、組織間の抗争にまで巻き込まれたって訳か……くっそぉ。
「犾守君には大変申し訳無いんだけど……」
「あぁ、いや。真塚さんは気になさらないで下さい。元はと言えば僕が余計な事に口を出した所為でこんな事になっただけなので……。ところで、あのぉ……今日連絡頂いたのはこの件で?」
「あぁ、うん。この件なんだけど、実はもう一つお願い事があってね。以前話をした時にキミが言っていた、犾守君がウチの組織に入るって話」
あぁ、確かにそんな事を言ってたな。
あの時は綾香の情報を少しでも聞き出せるかと思って言い出しただけだったんだけど。
「どうだろう。今更だけど、もう一度正式に考えてもらえないかな?」
「え? それはまた、どうして急に?」
「正直な話、武闘派の悪夢と抗争を続けるには、ウチの冬桜会は余りにも脆弱なんだ。今までは佐竹が居てくれたおかげで何とか均衡を保って来たけど、佐竹が悪夢に鞍替えした今、完全に武力バランスが崩れていてね」
そう言えば、真塚さんの取り巻き連中には、腕っぷしの強そうなうヤツはいなかったよな。
ただなぁ。僕が真塚さんや北条さんに近付き過ぎた所為で飯田がこんな目に会った訳だし。これ以上深入りするのはやはり危険なんじゃ……?
「真塚さんのお気持ちは良く分りました。だけど、僕としてはこれ以上友人に被害が及ぶのは避けたいんです。だから、このお話しは……」
「いや、犾守君。ちょっと待って欲しいんだ。北条くんにしてみれば、キミはウチのチーム一員とみなされている。いまここで断ったとしても、決して嫌がらせが無くなる訳じゃないよ。そこの所を十分に考えてみて欲しいんだ」
そう言われてみれば……。
でもやっぱり……。
「となればだ。この抗争を終わらせるには神々の終焉ファイナリストであるキミがウチの冬桜会へ正式に加入して、再び武力均衡を取り戻すしか方法は無いんだよ」
「いや、そう言われますけど。北条君はいま時点で僕が真塚さんのチームの一員だと認識して嫌がらせをしている訳ですよね。だったら僕が正式に入ろうが入るまいが、結果的には同じ事になるんじゃ……」
「その通り。そこでだ!」
急にテーブルの上に身を乗り出して来る真塚さん。
「勘の良い犾守君は薄々感づいてはいると思うけど、実はあのブラッディマリーはウチの学校の先生でね」
いやいやいや。
感づくどころか、メチャメチャ知ってますよ。
知ってるどころか、保健室でナニをナニまでされましたからね。
えぇ、とんでもない目に会いましたよ。いやマジで。
「先生は神々の終焉でもトップファイターだからね。北条君にも顔が利くんだ。そこで先生に仲裁役をお願いして、北条君と手打ちの場を設けてもらう事にしたんだよ。で、お願いの話なんだけど、是非犾守君にもその場に立ち会って欲しいんだ。もちろん冬桜会のメンバーとしてね。そこで北条君と合意が取れれば、これ以上の抗争は避けられるはずさ。となれば、当然犾守君にもこれ以上の迷惑は掛からない。どうだろう? 良い話だと思うんだけどな」
「うっ、うぅぅん……」
真塚さんには色々とお世話になってるからな。
深入りするのは避けたいけれど、話し合いに立ち会うだけなら問題無いか?
最悪、僕一人であれば、何か問題が起きたとしてもどうとでも出来るだろうし……。
「……わ、分りました。それで抗争が収束するのなら協力させて頂きます。でも、取引条件ってどうなるんですか? このままだと一方的にヤラれっぱなしって事になるんじゃないですかね?」
「あぁ、そうだね。とりあえずこう言った問題は、金で解決するのが一番手っ取り早いんだけど。でもそれじゃ、あまりにも不公平だよな。僕たちからも何らかの要求が必要だろうね」
「あっ、あのぉ……」
「何だい? 犾守君、何でも言ってよ。もうキミは冬桜会の幹部メンバーなんだからね」
「もし、もしこちら側の要求が通る様だったらで構わないんですけど。佐竹の身柄をもらい受ける事は出来ないでしょうか?」
「佐竹の身柄を?」
「えぇ、そうです。アイツのおかげで僕の友人を始め、多くの人達が酷い目に会ってるんですよね。だったらその報いを受けても当然だと思うんですよ。あぁ、えぇっと、真塚さんは昔から佐竹の事は知ってるんですよね。だとすれば、あんまり気持ちの良い話では無いと思うんですけど、でも恨みを晴らしたい人は沢山居るんじゃないかなって……」
僕の話を聞いた後、顎に手をあて、なにやら深く考え込み始めた真塚さん。
「……うん。そうだね。そうかもしれない。誰に指図されたにせよ、実際行為に及んだのは佐竹本人だ。アイツにはそれなりの報いを受けてもらう必要があるだろうね。よし分かった。交渉の際には取引条件に加える事にするよ」
「あっ、ありがとうございます」
「いやいや。こちらこそ承諾してもらえてありがたいよ」
真塚さんは少し安堵した表情で、テーブルの上にあったコーヒーに手を伸ばしたのさ。
「……あぁそうそう。それからね。その手打ちの場所と時間だけど、今日これから渋谷の悪夢で執り行うから」
「えっ!! 今日、これから……ですかっ!」
「そうなんだ。たまたま今日しか時間が合わなくてさ。それにこう言う話はこれ以上被害が広がらないうちに、早く済まさないとね」
「はっ、はぁぁ……」
いや、真塚さんの言う事はもっともなんだけど、それにしても急な話だな。
「あぁ、真塚さん、すみません。多分大丈夫だと思うんですけど、一応スケジュール確認しますね」
そう言いながら、僕はリュックのポケットからスマホを取り出したのさ。
まぁ、実際問題今日は何の予定も入ってはいない。
なんだったら香丸先輩に連絡して、ちょっと遊びに行こうかと思ってたぐらいだ。
何しろ、飯田の件も含めて色々と相談できるのは、今の所綾香と香丸先輩の二人だけ。
どちらが相談し易いかと言えば、当然香丸先輩に軍配が上がる。
――ピポン!
とここで、僕のスマホにSNSの着信が。
ん? 誰からだろう。
あ、茜ちゃんからだ。
えぇっと。なになに?
――助けて!ウチのお兄ちゃんの容体が急変したの。直ぐに来て!
マジ……か。




