第61話 セカンドヴァージン(後編)
「それじゃあ、武史お兄ちゃん、電気消すよぉ」
「あぁ、お願いね」
早速、敷いた布団に潜り込む茜ちゃん。
その後、なにやら嬉しそうに電灯のリモコンを操作し始めた様だ。
――ピッ、ピッ、ピピッ、ピィー
ウチのアパートの電灯はリモコンで照度を自由に調節できるタイプだ。
昼白色の煌々とした光がやがて薄暗く変化したかと思うと、今度はオレンジ色の淡い光が部屋の中を次第に満たして行く。
何? このムーディな感じ。
ホント、この電灯は無駄に多機能なんだよな。
横目で茜ちゃんの事を覗いてみたけど、何やらリモコンを操作しながらご満悦の様子だ。
まぁ物珍しいのもあるんだろうけど。
これだけ喜んでいただけるなら、多機能の電灯も悪くはない。
あぁ、もちろん勘違いしてもらっては困るよ
僕と茜ちゃんは一緒のベッドで寝ている訳じゃあ無いぞ。
彼女は両親が来た時の為に置いてあった、来客用の布団で寝てもらっている。
と言っても、実家自体そんなに遠い訳でも無いから、両親がこのアパートに泊まって行った事は一度も無いんだよな。
結局、この布団で寝た事があるのは、今のところ飯田本人と茜ちゃんの二人だけ。
まぁ実質、この兄妹専用の布団って事になっている。
――コトッ
ようやく満足したのかな?
彼女は辺りが薄っすら見える程度の明るさに調節した所で、リモコンをテーブルに置いたみたいだ。
僕は完全に真っ暗にする派……なんだけど。
まぁ、彼女にしてみれば色々と不安な事もあるだろうし、真っ暗にするには躊躇いがあったんだろう。
「ねぇ……武史お兄ちゃん」
「ん? どした? 眠れないのか?」
「うん……あのね。ちょっとお話ししても良い?」
「あぁ、構わないよ」
ちなみに今日は金曜。明日は土曜で学校は休みだ。
多少夜更かしした所で問題は無い。
「武史お兄ちゃんさぁ。ウチのお兄ちゃんが入院した事って、知ってるよね」
「あぁ、知ってるよ。今日もお見舞いに行って来たからね」
「……そしたらさぁ。ウチのお兄ちゃんが、どうして入院する事になったのかも知ってるの?」
知ってるも何も。
どう言う状況で、何をされたのかまで全部知っている。
アイツをこんな目に会わせた犯人の事だって……。
「あぁ、えぇっと。おばさんに少し聞いたよ。なんか、不良の連中に絡まれたって。物騒な世の中になったよねぇ」
「……」
「ん?……茜ちゃん。寝ちゃったのかな?」
「ううん。寝て無いよ。……あのぉ……」
どうしたのかな?
何か、すごく言い淀んでいる様だけど。
「茜ちゃん、無理して話さなくても良いんだよ。今日は疲れただろうし、もう休んだら……」
「ううん。大丈夫。武史お兄ちゃんには本当の事を知っておいて欲しいの。だから……ちゃんと話すね。アレね……偶然お兄ちゃんが絡まれた訳じゃなくって……私の……私の所為なの」
己が良心の呵責により、無理やり絞り出されたかの様な彼女の言葉は重く切なく。
あぁぁ……そう来たか。
確かに佐竹たちは飯田を誘い出すのに、茜ちゃんをダシに使ったんだったよな。
でも、元を正せばそれは茜ちゃんの所為では無く、僕が原因な訳で……。
「あの日……私が友達とあんな所でおしゃべりさえしていなければ……もっと、もっと早く家に帰ってさえいれば……ううっ……」
彼女のすすり泣く声が静かに響く。
彼女は全然関係無い。単なる被害者にすぎないんだ。
本当の原因は……全ての元凶はこの僕なのに。
どうする?
いっその事、ここで全部打ち明けてしまった方が?
僕が佐竹たちと揉めた事が発端となり、その腹いせに親友である飯田が襲われた。
事の顛末としてはそれ以上でも、それ以下でも無い。
だから、茜ちゃんは全然関係無い。全く気に病む必要は無いんだ。
そうさ、打ち明けよう。
ここはちゃんと説明するべきだ。
迷惑を掛けた張本人は他でもない、僕自身なんだから。
「あ、茜ちゃん、実は……」
「ねぇ武史お兄ちゃんっ!」
僕の言葉は彼女の悲痛な叫びによって、脆くもかき消されてしまう。
「お兄ちゃん……お兄ちゃんが死んじゃったらどうしよう!! うぅっ……」
「あ、茜ちゃん……」
「私の所為なのっ! 私の所為で、私の所為でお兄ちゃんがっ! ねぇ、私っ、私、一体どうしたら良いのっ!」
相当思いつめていたんだろう。
止めどなく溢れ出す感情を抑える事もできず、口を衝く言葉一つ、一つからは鬼気迫る想いがヒシヒシと伝わって来る。
「お、落ち着いて茜ちゃん。大丈夫。絶対に大丈夫だから。僕が必ず何とかするから。ちゃんとアテもあるんだ! だから安心して!」
「……え?」
「じっ、実はね。僕の知り合いに、すごく優秀なお医者様が居るんだけど。何とかそのお医者様に看てもらえないかって、お願いしてる所なんだよ」
「……ほ、本当……?」
「あぁ、本当さ。僕だって茜ちゃんのお兄ちゃんなんだからね。今までお兄ちゃんが嘘を言った事があったかい?」
「……ううん。……ない」
「だろぉ? 大丈夫さ。僕も茜ちゃんのお兄ちゃんとして、やるべき事はきっちりとやるから。絶対に嘘はつかないよ。だから僕に任せて、ねっ!」
『おいおい、タケシ。そんないい加減な事を言って大丈夫か?』
だっ、大丈夫さ。
ま、魔法で……魔法の力があれば、何とか出来るんだよね。
出来るって、クロ言ってたよねっ!
『確かにそう言った。言いはしたが、我々の仲間にアナスタシア神の祝福を持つ者は一人もおらん。それにこれは前回の時も説明したはずだが、近年その力を発現せし者は敵方である太陽神の司教だぞ。どうやって連絡を取るつもりだ? しかもだ。いくつもの幸運が重なって仮に連絡が取れたとしよう。しかし、怪我や病気の治療を依頼するには莫大がお布施が必要となる。お前はどうやってその金を工面するつもりなんだ?』
くっ……。
何とか……何とかするさ。
『タケシ……。何とかする、何とかするでは埒が明かんぞ。余計な希望はあの娘自身を更に傷つける事にもなりかねん。悪い事は言わん。今の内に訂正しておけ。それが彼女の為でもある』
うっ……うるさいっ!
僕が何とかするって言ったら、何とかするんだよっ。
クロはちょっと黙っててくれっ!
そんなクロとのやり取りなど露知らず。
彼女は期待の籠った目を僕へと向けてくれる。
「さ、さすが武史お兄ちゃん。お医者様にまで知り合いが居るんだね」
「あ、あぁ、そうさ。そこは渋谷にある結構大きい病院でね。ついこのあいだ僕も怪我をして担ぎ込まれた事があったんだけどさ、二、三日入院したら、ほらこの通り。今ではピンピンしてるよ」
「へっ、へぇぇ渋谷のぉ……って言うか、武史お兄ちゃん、入院してたの!?」
「あぁ、ちょ、ちょっとね。でも、入院してたのは本当にホント。何だったら病院で聞いてもらっても全然大丈夫だよ」
今思えば神々の終焉に出場した事自体が、事件の引き金の一つだったとも言える。
そんな後ろめたい気持ちを無理やり覆い隠すかの様に、僕は身振り手振りを加えて、面白おかしく話しを続けたのさ。
バイト先の先輩と渋谷に遊びに行った事。
その時立ち寄ったクラブでゲームに参加して足をくじいた事。
そのまま渋谷にある大きな病院に担ぎ込まれた事。
そして、その病院で腕の良い先生にめぐりあって、無事退院出来た事。
もちろん、それは真偽を織り交ぜながらで……。
「……へぇぇ。武史お兄ちゃんにも、そんな事があったんだぁ」
「そうなんだよ。日頃運動してないもんだから、すっかり体も鈍っちゃっててさぁ、ホントびっくりしたよぉ。あははは」
「うふふっ、やっぱり武史お兄ちゃんって面白いし、優しいね」
「そ、そうかぁ? 優しいは言い過ぎだろ、優しいは」
よしっ!
茜ちゃん、ちょっと笑ってくれたぞ。
良かった。これで少しは落ち着いてくれただろう。
「うぅん、本当に優しいよ。……そんな優しいお兄ちゃんに、もう一つだけ伝えておかなきゃいけない事があるの。これも私にとっては重要な事なんだよ」
「重要な……こと?」
「うん。実はね……お兄ちゃんが襲われる少し前にね……私……その悪い男の人達に乱暴されそうになってたの」
「……え?」
「驚いた? そりゃ驚くよねぇ。私なんて、こんなちんちくりんだし。別に出るトコ出てる訳でもないし、ブサイクだし……」
いやいやいいや。
その道のプロともなれば垂涎の一品ですよ。
えぇ本当です。
「あぁ、でも本当に乱暴された訳じゃないの。されそうになっただけ。そう、なっただけなの。でもね、今週学校に行ってたら、みんなが私に『乱暴されて大変だったね』って言うの。されてないんだよ。本当に乱暴はされてないの。あぁ、いや。ちょっと乱暴されにかかったんだけど、全然最後までされた訳じゃなくって……」
チクショウ、口さがないヤツらってのはホント、何処にでもいるもんだなっ!
「でも人の噂って止められないし。それに……その噂がいつか武史お兄ちゃんの耳に入るんじゃないかって心配で……」
「え? 僕の……耳に?」
「うん。私の間違った噂が武史お兄ちゃんの耳に入る前に、本当の事を私の口から伝えておきたくって……襲われそうになったのは本当だけど……ホントに本当に最後までされてなくって。だから、だから私……まっ、まだ、しょしょしょ、処女だしっ!」
おぅふっ!
しょっ、処女となっ!
初心なJKの口から飛び出すこの単語の何と淫靡なる事かっ!
その破壊力たるや超有名な陽電子砲すら凌ぐ可能性もあるとか、ないとかっ!
「だっ、大丈夫。僕は分かってるよっ。ちゃあんと分かってる。茜ちゃんがそんな嘘をつく娘じゃないって、ちゃんと分かってるからっ! 本当にもぉ、誰だよ、そんな噂流すヤツぁ! そんなヤツ、僕が二度と立ち上がれないぐらいぶん殴ってヤルっ!」
「うふふっ、お兄ちゃん頼もしいね。……ありがとっ」
「いっ、いやぁ、頼もしいだなんて……」
「でもさぁ、武史お兄ちゃんも、心の何処かでちょっと疑ってる所って……ない?」
え? 何を言うのさ、この娘は本当にもぉ。
「無いナイ! 全然無いよ。茜ちゃんの言う事は全部信じてる。全部、全部だからっ!」
「ううん、良いの。無理しなくたって」
おいおいおい。
何一人で完結しちゃってるの?
「いやいや。無理して無いよ。ホント、全然無理してないってっ!」
「嘘ついても私には分かるよ。だって武史お兄ちゃんの顔に、ウソって書いてあるもの」
えぇぇ! いつの間に、何時の間にそんな文字がっ!
って、そんな訳あるかいっ!
「だからね……」
「だ……だから?」
「だから、武史お兄ちゃんに、確かめてもらいたいんだ」
そう言うなり、茜ちゃんは僕のベッドの中へと、もぐり込んで来たではないかっ!
「たっ……確かめるって、ウソ! え!? 何、なんなのっ!」
「私っ、私が処女だって、武史お兄ちゃんの目で、直に確かめて欲しいのっ!」
いや、直って、直ってぇ!?
「それに私、いつまた襲われるか分からないし、だから、だから襲われる前に私の、私の初めては武史お兄ちゃんにもらって欲しいの」
どうしたのッ、どうしたの茜ちゃんっ!
ひぃぃ! この娘っ、何言ってるの?
ご乱心? 茜ちゃんご乱心なのっ!
僕のすぐ隣。
固く目をつむったまま、まさに、どうにでもなれっ! と、横たわる美少女が一人。
はうはうはう!
『なぁ……タケシ』
あぁ、良い所にっ!
クロっ! クロぉ! 助けて、クロぉ!
どうしよう、コレ! どうすれば、どどど、どうすれば良いっ!
『なんだタケシ、私は黙っていれば良んだろう?』
いやいやいや。
ゴメンなさい。本当に申し訳ございません。
二度とご主人様に暴言は吐きません。
決して盾突く様な事も致しません。
だから、どうすれば、どうすれば良いか教えて下さいっ!
『ふぅ、仕方が無いな。タケシ、良く聞け。この娘の言う通り、この場はヤッてしまえ。それがこの娘の為でもあるし、この場も丸く収まる』
えぇぇぇ! ヤッちゃうの?
僕が? この僕がっ!
『あぁ、そうだ。お前は兄へも「闇の洗礼」を施しているからな。それだったら、妹に手を出すぐらい問題はあるまい?』
いやいやいや。
違う、違うって!
妹の方だから、本当の妹みたいだからこそ、手が出せないって言ってるんでしょっ!
『タケシ、心して聞け』
うんうんうん。
なになになに?
『この娘、精神的に未熟……いや、少し壊れかけているかもしれん』
え? それって、どう言う……。
『この娘の家庭事情もさることながら、全幅の信頼を置いている兄を失うかもしれないと言う恐怖、更にその原因が自分なのではと言う罪悪感、それらに苛まれ、この娘の精神は限界を超えて、既に安定を保てなくなっているに違いない』
たっ、確かにそうかもしれないけど……。
『しかもだ、娘の手には……自傷の痕がある』
自傷って……え? 彼女、自殺しようとしてたって事?
『あぁ、そうだ。恐らくここでお前が娘を拒めば、心の安定を失った彼女は、より深く自分を傷つける事となるだろう』
まっ、マジ……かぁ……。
『恐らくだが、元々から依存症の気がある娘の様だ。今回、本当の兄と言う依存対象がいなくなった事で、より心に大きなストレスを抱え込む事になったのだろう』
それじゃあ……僕はどうすれば……。
『だから言ったろう? ここでお前が娘を抱けば、彼女は新しい依存先を手に入れる事となる。それで娘の心の安寧が図れるのであれば、安いものだ』
でも……でもクロぉ。
僕には……僕にそんな事は……。
『なんだ、またココに来て尻込みするのか? 最近は戦闘に関する耐性は付いて来た様だが、この分野は依然からっきしダメなヤツだな』
くっ、クロぉ……。
『仕方が無いな。ここは代わってやるから、お前は私の姿になって、暫く廊下で待っていろ。分かったな』
うっ、うん。……くっ、クロはどうするつもりなの……。
『言わずもがなだ。状況は逐次教えてやるから、廊下に出ていてくれ。まぁ、私は見られてスルのも別に嫌では無いが、特別好きと言う訳でもないからな』
あっ、あぁ……分かった。
――バシュゥゥ
「え? 何? お兄ちゃん、いま何か温かい空気が?」
「あぁ、茜。驚かせてスマン。大丈夫だ、私はココに居る」
「え? あ、あのぉ……たっ、武史お兄ちゃん、だよ……ね?」
「あぁ、そうだ。もう何も心配せずとも良い。後は全て私に任せておけ。大丈夫、悪い様にはせん」
「あ、えぇっと……あのぉ」
「茜。お前のその瞳は黒曜石の様に美しく、私を魅了して止む事がない。しかしな、茜」
「……」
「もう二人の間には、瞳による語らいは不要だ。さぁ、私に身を委ね、目をつむるが良かろう。茜よ。あとは肌と肌のふれあいにより、夜が更けるまで十分に語り明かすとしようぞ」
「はっ……はいっ!」
と、ここで僕は二人に気付かれない様、玄関へ続く廊下の方へと退散して行ったのさ。もちろん、クロの姿になって。
廊下に出ては来たものの、この姿では僅かに開いたままとなっているドアを閉める事など出来ようはずも無く。
「あっ……はぅん……」
部屋の奥からは艶めかしい声が続けざまに聞こえて来る。
くっ、この体だと聴覚はやたらに良いんだよなぁ。
かと言って、外に出るのもなぁ……。
玄関口の方から聞こえて来るのは、依然降りしきる冷たい雨の音。
僕は引き戸となっている脱衣所のドアを器用にこじ開けると、その中に干してあったタオルを二枚ほど引きずり下ろしたのさ。
とりあえずこのタオルにくるまって寒さを凌ぐかぁ……。
「%&$#……」
ただ、アノの声はやがて、激しさを増し……。
あぁぁ。もうっ!
聞きたくないっ、聞きたくないっ!
僕はその淫靡な声を遮断する為、更にタオルの中へと自分の頭を潜り込ませたんだ。
あぁ……こんな事なら、クロに代わるんじゃ無かったかなぁ……。
一瞬、そんな想いが脳裏を過ぎる。
だけど……。
いや、やっぱり無理だわ。
僕には出来ない、絶対に無理っ。
あぁぁぁ。でも、でもなぁ……。
僕の心は千々に乱れ、一向に思考が定まらない。
ただ、そんな状態の僕にすら、明確に分かった事が一つだけ。
それは……。
あぁ、このタオル臭うな。生乾き臭だわ。
後でもう一回洗っておくかぁ。
クロの体は臭覚も人より優れているらしい。




