第60話 セカンドヴァージン(中編)
――コトッ
立ち上る湯気とともに、甘く香ばしい香りが部屋中に広がって行く。
「どうぞ、ココアだけど良かったかな? 体は温まると思うんだけど」
「あっ、ありがとうございます。いただきます」
僕がいつも使っている大きめのマグカップ。
それを両手で抱え、いかにも恐るおそるといった様子でその愛らしい口元へと運ぶ彼女。
「あちっ!」
「あぁ、ごめん。熱かった!? いつも電子レンジで適当に温めてるもんだから、具合がわからなくて」
「うぅん、大丈夫」
女子であれば甘い方が良いだろう……と言う単純な理由で勝手にココアを選択しちゃったけど、マズかったかな?
高校生ともなればダイエットもするだろうし。
場合によっちゃ、寝る前には甘いものを控えて……とか考えてるのかも。
今のいままで女子と付き合った事の無い僕としては、保有する知識のすべてはインターネット内の検索情報とエロゲの範囲に限定される。
当然、3D女子の生態なんて知る由もない。
茜ちゃんを不快にさせたんじゃ?
そんな不安に少々苛まれながらも、僕は彼女の対面へと腰かけたのさ。
「そうかぁ。そんな事があったんだ」
「うっ、うん。そう……そうなの」
ココアを作りながら聞いた彼女の話によると、例の事件以降、彼女は何者かから嫌がらせを受ける様になったらしい。
その方法はSNSにメールや電話。
内容としては、警察には言うな……とか、次はお前だ……とか。
とにかく彼女を不安に陥れようとする言葉が並んでいるそうだ。
彼女自身、これ以上他の人に迷惑を掛けたくないとの想いから、母親にも相談はしていないらしい。
しかも、今日は母親が兄の病院で寝泊まりする日らしく、家には彼女一人だけ。
こんな日に限って、例の脅しメールが届いたものだから、彼女としてはいたたまれなくなって、僕の所へと助けを求めに来たと言う訳だ。
「話は分かったよ。でも、明日の朝にお母さんが帰って来た時、茜ちゃんが家にいなかったら心配するんじゃないかな?」
「うん。だから、お母さんには友達の家に泊まるって、もうメールで伝えてあるの」
おぉ、準備万端と言う訳か。
そう言えば、茜ちゃんが僕の家に泊まったのはこれが初めてじゃない。
去年の冬休みにも飯田と一緒に遊びに来た時、そのまま徹夜でゲームをした事があったはずだ。
しかしなぁ。あの時は飯田も一緒だったし。
年端も行かない娘を自分の部屋に泊めると言うのは、やっぱりどうなんだろう。
一言だけでも、飯田のお母さんに連絡をしておいた方が良いんじゃないかな。
でもそうすると、知らないヤツらからの嫌がらせの電話についても説明しなきゃだし。余計な心配をかけるのもなぁ。
それに佐竹たちの事だ。
もし茜ちゃんが一人で自宅に居ることがバレでもしたら、本当に何をするか分かったもんじゃない。
それだったら僕と一緒に居る方が何倍も安全だ。
ん?……安全か?
うん、安全だ、安全だよ。
絶対安全に決まってる。
「わかったよ。時間も遅いし、今日は泊まって行けば良いさ。それであれば、お風呂も沸かしてあるから入っておいで。着替えは……僕のジャージぐらいしか無いけど、それで良いかな?」
「あぁ、えぇっと。着替えは持ってきてるから大丈夫……だけど。うぅんと、やっぱりお兄ちゃんのジャージだけは借りよっかな。えへへへ」
なぜか、やたらと嬉しそうな顔をする彼女。
ん? 何処にそんな「嬉しさ」ポイントがあったんだ?
あぁ、そうか。
今日泊まって行ける事になった事が嬉しいのか。
確かに一人で自宅に居るより、やっぱり二人の方が安心だもんね。
茜ちゃんもまだまだ子供だなぁ。
そりゃあそうか。去年まで中学生だった訳だしね。
『タケシ……』
ん? なんだい、クロ。
『多分、たぶんだが、お前のその考えは間違っていると思うぞ』
え? 何が間違ってるって言うのさ。
『あぁ、いや。今日ココに泊まれる事自体を喜んでいるのは確かにその通りなのだろう。私が言いたいのは、あの娘が喜色満面の笑みを浮かべた理由はソレだけでは無いと言っているのだ』
何だよクロぉ。勿体ぶっちゃって。
『うむ。まぁ……わからんならそれで良い。別に大勢に影響はない……たぶんな』
本当にクロは心配性だなぁ。
大丈夫、茜ちゃんの事は僕が一番良く分かってるんだからね。
さて。
ここは茜ちゃんを不安にさせない様、優しく微笑みながらっと。
「あ、あぁ。かまわないよ。一応、ちゃんと洗ってあるから大丈夫だとは思うけど」
「うん。武史お兄ちゃんのだったら、今着てるヤツだって大丈夫だよ」
こっ、この娘は一体何を言い出すんだろうか。
たった一晩泊まるだけで、何もそこまで自分の事を卑下しなくても良いんだぞ。
わざわざ僕がいま着ているジャージで良いだなんて。
何と奥ゆかしい。
洗濯なんて大した手間じゃないんだよ。
そんな事、全然気にしなくて良いんだよ。
もぉ! 茜ちゃんの為だったら、新品のジャージを下ろしたって良いぐらいなんだからねっ!
『なぁ、タケシ……』
なんだよ、クロぉ。
また何か間違ってるって言いたいの?
『あぁ……そうだな。間違ってる……うぅぅむ。間違ってると言うほどでは無いにせよ、少なくとも正しい解釈とは言い難いと言うかだなぁ……』
何が『だなぁ……』だよ。
一体僕のどの部分の解釈が間違ってるって言うのさ。
『いやな。別にこの娘は特段自分の事を卑下している訳ではなくてだな。しかも奥ゆかしい……と言うよりは、己の気持ちをより積極的に表現していると言うか……何と言うか……』
何言ってるのさ。
茜ちゃんはとっても奥ゆかしい良い娘なんだからね。
何しろ、僕の事を武史お兄ちゃんって呼んで慕ってくれてるんだからね。
『いやまぁ、お前の事をどう呼ぶかはこの際関係無くて……』
もぉ、本当にクロは疑り深いなぁ。
確かクロは僕と同い歳なんだよね。
今からそんなに人を疑ってばかりいたら、立派な大人になれませんよっ!
『いやいや、私はもう成人してるし……』
とにかく大丈夫。
茜ちゃんの事は僕が一番良く分かってるんだからね。
僕の大切な親友の妹である茜ちゃんに、そんな侘しい思いをさせる訳には行かないんだからねっ!
さて。
ここはお兄ちゃんとして、しっかり言うべき事は言わないとだな。
「いっ、いや。それはダメだよ。流石にそれは。うん、ダメダメ」
「ふふっ、冗談だよ。それじゃ、ジャージ借りちゃうね」
そう言うなり、勝手に僕の部屋の押し入れを開け始める彼女。
勝手知ったる他人の家……とは良く言ったもんだな
そう言えば前に遊びに来た時、あまりの部屋の散らかり様に、彼女が色々と片付けてくれた上に、掃除まで手伝ってくれたんだよな。
うんうん。将来良いお嫁さんになるだろうね。うんうん。お兄ちゃんは嬉しいぞ。うんうん。
とここで、重ねた衣類を胸に抱きかかえたまま、ジッと僕の事を見つめる彼女。
「えぇっとぉ、それじゃあ、どうする?」
「え? どうするって、何が?」
彼女の意図が全く見えない。
「うぅんとぉ、せっかくだから一緒に入るのかなって、お風呂」
「なっ!!」
僕は二の句も継げず、ただ全力で首を左右に振るのみ。
え? どう言う事?
僕が? 茜ちゃんと? 一緒に? お風呂?
いやいやいや。
ないないない。
でも待てよ。
飯田も毎日茜ちゃんと一緒にお風呂に入ってるって事なのかな?
だから、僕にも一緒に入ろうって……。
あぁ、そうか。そう言う事か。そう言う事なんだな。
まだ子供だから、一人でシャンプー出来ないとかあるのかな?
あぁ、しまったなぁ。ウチにはシャンプーハットは無いぞ。
しかし、流石に一緒に入って頭を洗ってあげる訳にも行かないし。
でも、上手く髪が洗えなかったらどうしよう。
もしかして、目の中にシャンプーが入って「痛たた」になっちゃうのかな? それとも、耳に水が入っちゃって、ムーンってなっちゃうのかな?
マズい、マズいぞっ!
そうなると、僕はお兄ちゃん失格って言う烙印を押されるハメになるのではなかろうか?
はうはうはう。
蔑む様な目で僕の事を睨み付ける茜ちゃんの姿が目に浮かぶっ!
うぅぅむ困った。本当に困った事になったぞっ!
『いや、だからなぁ……タケシ』
もぉ! クロは黙っててっ!
ここはお兄ちゃんの腕の見せ所なんだからねっ!
『あぁ、はいはい。もう、好きにすれば良い……』
あぁ、でもなぁ。
いくら妹とは言え、一緒にお風呂に入るって言うのはどうなんだろう?
茜ちゃんは恥ずかしく無いのかな?
いや、いつも飯田と一緒に入っているのであれば、お兄ちゃんと一緒にお風呂に入る事こそが標準的って事になる。
だとすれば、恥ずかしがってる僕の方こそが非標準的、つまり変態と言う事になるのではなかろうか?
うぅぅむ。僕が変態なのかぁ……。
あえてソコを否定する気は無いが、ここに来て飯田家との文化の違いを実感する事になろうとは。
くっ! この犾守武史、一生の不覚っ。
でも、いくら子供とは言え茜ちゃんだって十六歳。
最近成育も甚だしい事を考慮すると、恐らく……恐らくではあるけれど、出るところは出始めているだろうし、引っ込む所は否応なく引っ込んでいる事だろう。
となればだ。
僕がいかに鋼の様な精神力を持ち、武史お兄ちゃんと言う強固な鎧を身に纏おうとも、その実体は若干十七歳の健全な男子高校生に過ぎない。
そんな僕が茜ちゃんのあられもない姿を目にしたあかつきには、やはり出るべき所は突き出て来るに相違ないと言わざるを得ない。
あぁ相違ないさっ! 断言する。必ずや突出する事になるだろう。
なんだったら、ロリっ子お兄ちゃん教科は、この年代の必須科目だからなっ!
自慢じゃないが、この教科は赤点を取った事が無いっ!
しっ、しかし。
全幅の信頼を寄せてくれている茜ちゃんに対して、僕がそんな邪な考えを持っている事がバレでもしたら……。
……
いや、バレないか? 別に心の中が見える訳じゃないし。
きっとバレない? ……かな?
いぃぃや、いやいや。ムリむり無理。
絶対に無理。
さすがにそれは無いわ。
完全に無理。
だって、出るところ出てるもの、きっと出るとこ出ちゃう事になるんですもの!
そんなもの、一目瞭然になっちゃうに決まってるでしょぉ!
「えぇぇっ。そんなに嫌がる事ないでしょ。別に取って喰うわけじゃないんだからぁ。ちぇ、仕方が無いなぁ。一人で入ってくるかぁ」
うん。そうして。
マジでそうして。
これ以上、初心なお兄ちゃんを弄ぶのはヤメて。
ほんと、マジで心臓に悪いから。
めちゃめちゃ、ヤバい事になっちゃいそうだから。
「あぁ、でもね!」
「で、でも?」
まだ何かあるのっ!?
「覗いちゃダメだよ? お風呂っ!」
いやいやいや。
いぃぃや、いやいや。
一緒に入るのは良くって、覗くのはダメなんかいっ!
どう言う事?
それが乙女心ってヤツなの?
ねぇ、それが揺れ動く十六歳、女子高校生の純情って事なの?
どうして、どうして?
どうしてそんなご無体なコト言うの? どうしてぇ!?
「だっ、ダメ……なの?」
あ、ヤベ。
思わずマジに聞いちゃった。
「そりゃあそうよ。例えばテニスのアンダースコートは見えても構わないけど、わざわざ覗かれるのはチョットねぇ。で、どうする? やっぱり一緒に入る?」
こっ、これはっ!
ふぁっ! ファイナルアンサー!!
ファイナルアンサーなんだねっ!
「のっ、覗かないよ。それに、一緒にも入らないっ! だから早くお風呂に入っておいで。早くしないと風邪ひいちゃうだろ?」
「はぁぁい。それじゃ、先にお風呂入ってきまーす」
そんな彼女は、お風呂場のドアの前で軽くウィンクを一つ披露してから、ようやくそのドアを閉めてくれたのさ。
「はっ、はぁぁぁぁ……」
つっ、疲れる。
3D女子……めっちゃ、疲れるわ。




