第19話 闇の洗礼
「ほら、ほら、ほらぁ!」
相手の防御なんてお構いなし。
身構えたヤツのその腕の上から、とにかく力いっぱい殴り飛ばすだけ。
――ボキッ!
何かが砕ける様な音が響くと、相手はくの字に体を折り曲げて崩れ落ちて行くんだ。
「一撃ィィっ!」
しかも僕の攻撃はそれだけじゃあ収まらない。
くの字に折れ曲がる上半身めがけて、今度は思い切り蹴り上げるのさ。
――ゴォキッ!
おぉ。顎の骨が逝ったな。
蹴り上げられた相手はのけ反るような格好のまま、今度はコンクリートの床に叩き付けられる。
あはははは。白目を剥いてピクピクと痙攣してやがるぜ。
どうせだから、もう一発ぐらい蹴っとこうかな。
僕は妖しい笑みを浮かべたまま、その男の頭部の方へと近づいて行く。
「ちょうどサッカーボールぐらいの大きさだよなぁ。このまま力いっぱい蹴ったら、本当に頭だけ飛んでったりして。あはははは!」
僕は男の頭の近くで軽くステップを踏むと、反動をつけて思い切り右足を振り上げたのさ。
「飛んでけぇぇ!」
『いい加減にしろっ!』
突然、脳内に響く強い思念。
僕の体は『巨大な何か』に羽交い絞めでもされたかの様に、その場で動きを止めたんだ。
「なっ、なんだよぉ!」
『戦いは終わった。その男は既に抗戦力を保持していない。それ以上ヤれば、ただの虐殺だ」
何処に隠れていたのだろうか。
倉庫の天井付近から、クロが僕の背中へと飛び移って来る。
「だあって、クロぉ……獣の世界は弱肉強食なんだろぉ。強いヤツが弱いヤツを殺して、何が問題なんだよぉ」
『人には人のルールがある様に、獣にも獣のルールがある。獣は己の目的を達成する為に他者を殺す事はあれど、遊びで殺す事は無い。遊びで殺すのは、子供か異常者だけだ』
「なんだよ。僕の事を異常者扱いするのかよぉ?」
『いいや、そうでは無い。お前はまだ子供なんだ。自分の持てる力を初めて理解し、その力を行使する事に愉悦を覚える。目的も信念も何も無い、単なる子供だ』
「ちぇ、今度は保護者気取りかよ?」
『あぁそうだ。獣が我が子に狩りを教えるのは、母の務め。お前に魔獣の力を与えたのは間違い無く私だ。私はお前の主人であり、生みの親でもある。その私の言う事が聞けぬと言うのであれば、もはや我が子では無い。この場で殺してやろう。それが母の務めだ』
なんだよぉ、クロぉ。
そんなマジで怒らなくても良いだろう?
なんか、めちゃめちゃ気マズいじゃんよぉ。
「分かったよ。もうやめるよ」
冷静になって辺りを見回してみれば。
血の海に沈む一人を除き、他の男子生徒達は倉庫の外へと逃げ出してしまい、残っているのは佐竹ただ一人。
「おっ、お前っ!さっきまでのはブラフだったって訳かっ! だ、だっ、だがなぁ、俺はソイツの様には行かんぞっ!」
早速僕の目の前で拳を構える佐竹。
間違い無い。
この男は何等かの格闘技経験者だ。
どうする? このまま力業で押しきるか?
ヤれなくは無い。
ヤれなくは無いとは思うけど、自分も相応の被害を受ける事は確実だ。
クロッ、聞こえてるか?
『あぁ、聞こえてる。大丈夫だ』
悪いけど、ここからは思念の会話に切り替えさせてもらうよ。
この後も僕がクロと話を続けると、佐竹から不気味なヤツだと思われるのも癪だしな。
なぁクロ。近くに教団の連中は居るかな?
さっきバックアップ使っちゃったけど。
『いや、大丈夫だろう。お前がこの建物に入ったあと、周囲を少し回ってみたが、それらしい気配は無いな』
それは良かった。
こんな所を教団の連中に見つかったら、自分の身元が簡単にバレてしまう。
『まさか佐竹に、私の核を使うつもりか? 流石にそれはヤメておいた方が良いと思うがなぁ。この男どころか、この倉庫ごと吹き飛ばす事になるぞ?』
いや、クロの核は使わないよ。
マジ、オーバーキルも甚だしいからね。
そんな事より、コイツの核をもらう事にしようと思うんだ。
どうだい、クロ? 良いアイデアだろ?
『あぁ、なるほどな。体格も良いし、良い戦力にはなるだろう。ただなぁ。どう言う理由かは分らんが、今時点では、お前自身の方が戦力的には上の様な気もするなぁ。どう言う理由かはわからんがな』
クロったら、二回もわからんって言ってるけど。本当に理由がわかんないんだろうな。
まぁ、確かに今時点では僕の方が戦力的には優位かもしれない。
けど……他にも試したい事があるんだよ。
『それならば止はせんぞ。好きにするが良い』
よおぉし、ご主人様の許可が出たぞ。
早速お前の核を吸い上げてヤっかんな!
僕は見様見真似で、佐竹と同じ構えを取ってみる。
が……。
「なんだ、その構えは。俺のマネをしようとしても無駄だ。そんなものは何の役にも立たんぞ!」
あちゃー。
完全に見透かされてるぞ。
格好悪ぃー。
僕は何事も無かったかの様にその構えを解くと、少々バツが悪そうに視線を逸らしてみせる。
そんな僕の隙だらけの動きを、格闘技経験者の佐竹が見逃すはずも無く。
「ふっ、お前から来ないのであれば、俺から行くぞぉ! きぃぃえぇぇ!」
奇声一発。
僕の胸に目掛けて突然前蹴りを繰り出して来る。
「うぉっ!」
避けられない!
とにかく自分の胸の前で腕をクロスするのが精いっぱい。
「ぐあっ!」
体もろとも、僕は二メートルほど蹴り飛ばされてしまったんだ。
「痛ってぇぇ!」
コンクリートの床が思いのほか堅い。
どっちかって言うと、蹴られた時の痛みより、床に叩きつけられた時の方が数倍痛い。
「観念しろぉ、犾守ぃ!」
佐竹は僕の上に馬乗りになると、僕の顔面目掛けて自慢の正拳突きを繰り出して来る。
――ボグッ! ボグッ!
防戦一方。
顔面を両腕で覆い隠し、何とか体をよじる事で拳を躱そうとするんだけど。
佐竹の両足が僕の上半身をしっかり挟んでいて、全く身動きが取れない。
ヤバい、ヤバい、ヤバい!
「がははははっ! 格闘技でマウントを取られたらそこで勝負は終いだっ! 後は大人しく俺に殴られるんだなぁ!」
そんなもん、大人しく殴られる訳が無いだろっ!
――ボグッ! ボグッ!
かさに着て僕の事を殴り続ける佐竹。
チクショウ! 舐めるなよおっ!
Boot The CORE !
――ブシュゥゥ!
僕と佐竹を包む真っ白の水蒸気。
しかし、佐竹はその間も殴る手を止めない。
なかなかに大した男だ。
だけど……。
「ぐっ、ぐぅぅ……」
突然、佐竹の殴る手が止まった。
かと思うと、その口元から異様な声が漏れだし始めたんだ。
「ヤバかったぁ。もうちょっとで腕が折れるかと思ったぁ」
やがで水蒸気が落ち着き始めた頃。
僕の目の前には、天井を見上げたまま、力無く両腕をだらりと下げた佐竹の姿が。
しかもその後ろ。
佐竹の首元をガッチリとホールドするのは。
「もう良いよ。あんまり絞めると殺しちゃうからね」
そんな僕の言葉に、ゆっくりと同意の頷きを返す男。
一糸まとわぬ姿ではあるものの、それは紛れも無く犾守武史本人だ。
『ほほぉ、これが試したかった事か?』
少し離れた場所でその様子を見守っていたクロが寄り添って来る。
そうなんだよ、Bootを使えば核を自立させる事が出来るだろ。
それを使って、二人で戦えば上手く勝てると思ってさ。
『なるほどなぁ。しかし、良くお前の言う事を聞かせる事が出来たな』
その通り。
このBootを使った自立タイプの核は、能動的に動く事が無い。
何て言うんだろうなぁ。
感情が無いって言うか、いつも無表情なんだよな。
しかも、一応主人の言う事は聞くものの、難しい命令は一切受け付けない。
まぁ、受け付けないと言うより、理解できないと言った方が良いんだろうか。
そんなBootの操作を繰り返すウチに、ある一つの法則に気付いたんだ。
それは、Bootする直前に考えていた事は、Bootされた核に引き継ぐ事が出来るって事。
今回もBootする直前、僕は『佐竹の首を絞めろ!』と念じ続けてから起動したんだ。
すると、案の定。
Bootされた僕自身は指示された通り、佐竹の首を絞めたと言う訳だ。
このBoot直前の命令は、かなり複雑な事まで引き継ぐ事が出来る。
もちろん、Bootするまでの時間は短いから、あまり長い命令はむりだけどね。
「さてと、クロ。佐竹から核を頂くとしましょうか」
『あぁ、そうだな。しかしなぁ……』
突然クロの表情が曇る。
まぁ、曇るって言っても、ネコの表情だから、微妙っちゃ微妙だけど。
何か問題があるの?
『あぁ、この男はまだ洗礼を受けていない。洗礼を受けていない人間を隷従させる事は出来んし、その核を吸い上げる事も出来ん』
えぇぇ。マジか。って事は、無理って事? 折角体張って絞め落としたのにぃ?
あぁシマッタなぁ。最初っからにクロに確認しておけば良かったなぁ。
こんな事なら、サッサと逃げ出しておくんだったよなぁ。
そうすりゃ、痛い思いだってしなくてすんだのにぃ。
『うぅぅん。取れなくは無い。取れなくは無いんだが……』
えぇ? あるんじゃん。
ちゃんと方法があるんじゃん!
『そうだなぁ、本来洗礼を受けて無い者に対しては、闇の洗礼を受けさせる事でその代替とする事が出来るんだ』
へぇ……闇の洗礼ねぇ。それってどう言うの?
『うむ。通常の洗礼は聖職者の血が入ったワインを飲ませる事が多い。それには司祭以上の者が規定の儀式で取り出した血液が使われるんだ』
なるほど。って事は、クロの血を使ってどうにかするって感じ? 黒魔術的な?
ほほほぉ、これはこれは、面白くなって参りましたぞ。
こんな所で黒魔術の儀式が見られるなんてねぇ。
『いや、残念ながら私は司祭、司教としての教育を受けておらん。よって、正式な儀式の方法を知らんのだ』
なぁんだ。クロったら、全然ダメじゃん。
本当にもぉ、全然期待外れですよぉ、ご主人様ぁ。
『なっ、何をぉ! だっ、だから、本来の方法では無く、闇の洗礼を行うと言っておろう!』
あぁ、そっか。そうだよね。
それでぇ、その方法って?
『あぁ、それはな。洗礼の元となる人間の「精」を、相手に注ぐと言うものだ』
んん? 『精』を注ぐ?
『そうだ』
文字通り?
『その通り。文字通り』
つまりそのぉ、ヤっちゃうって事?
『そう、交尾するって事』
交尾って言うなあっ! 交尾って言うと、何かちょっと違う気がするっ!
って言うか、なんか……なんか……。
何か違う気がするっ!
でも待ってよ。男の場合ってどうするの?
『簡単な話だ。女が相手になれば良い』
ほほぉ。女が相手にねぇ。
って事は、クロが佐竹くんと……うぅんと、えぇっと、エチエチぃ? な事をしてくれれば、事は済むって事?
『まぁ、そう言う事になるが、今時点で佐竹は気絶しておるからなぁ。流石に交尾は無理だろう』
あぁ、まぁねぇ。
そりゃあ無理だわねぇ。
完全に縮こまってるに決まってるものねぇ。
なぁる程、それであれば、今は難しいって意味がようやく分かったわ。
これじゃあ、どうしようもない。
『ただ、他に方法が無くもない』
なんだよぉ。まだ他にも方法があるのぉ?
だったら、先にそれを言ってくれなくっちゃあ!
もぉ、クロったら、出し惜しみしちゃってぇ。
で? その方法って?
『あぁ、人間には男性も女性も穴はあるからな。そこから「精」を注ぎ込めば良い』
ははぁん。
なるほど、なるほど。
人類共通の穴の方へ注いじゃえば良いって事ねぇ。
うんうん。なるほど、なるほど……。
……って! えぇぇぇぇぇぇ!!
穴ってもしかして、お尻の方にある、あの穴の事?
『あぁ、もちろんそうだ』
えぇぇぇ! 口とかじゃダメ?
いやいや、口でも嫌だけど、でも、尻って、尻ってぇぇぇ!
『口ではダメだ。尻しか認められない』
いやいや認める、認めないの話じゃないと思うのよ。
僕はよ。僕はそう思う訳なのよ。
きっとさぁ、口だってやってみたら何とかなるんじゃないかなぁってね。
『無理だ。そんな事は既に昔から試されている』
うぉぉぉ。既にテスト済ですかぁ。
でしょうね。だってそうでしょうねぇ。
今ここで僕が思いつく事なんて、皆さん、しっかり試しておられるんでしょうともねぇ。
『と言う事で、お前がここで佐竹の尻に「精」をぶちこめば良い』
マジかー。
それはマジなのかー。
あのぉ……ご主人様ぁ。洗礼は……その方法しか……無いんですよねぇ……」
『あぁ、ない』
はい、終了ぉぉ。
短い回答、ありがとうございましたぁ。
疑念を差し挟む余地ナシ! って事がハッキリ致しました。
よぉし。踏ん切りが付いたぞぉ!
ヤってやるよ。あぁ、やってやるよ。
俺も男だ。
ここまで体張ったんだ。
最後の最後まで、しっかり面倒みてやるよぉ!
僕は勢いよくズボンのチャックを開けてみるけど。
くぅぅぅ! ご主人様ぁ……無理っす! 佐竹も気絶してるかもしんないけど、僕のも気絶してるっス!
だって、ピクリとも反応しないんですもの。
一ミリも反応しないんですものぉ!
『まぁ、それはそうだろうなぁ。仕方が無いなぁ。少し手伝ってやるかぁ。それじゃあ、どっちにする? 今出せるのは私の核か、如月の核だが』
はうはうはう!
ご主人様ったら、なんて優しいのかしらっ!
どっち、どっちにする?
うぅぅん! 良しっ、決めたっ!
……きっ!
『んっ?』
……ききき、緊急事態なので、ご主人様でお願いします。
『ん? そうかぁ? 仕方が無いなぁ』
なんだか、ご主人様の声が嬉しそう。
そうだよなぁ。
折角ご主人様が『おかず』を用意するって言ってくれてるのに、他の人を指名するなんて……そんな失礼な話は無いよなぁ。。
はぁぁ……変な所で忖度しちまったなぁ。
まぁ、クロも可愛いから良っかぁ。
『ん? 何か言ったか?』
いえいえ。とんでもありません。
お手数をお掛けしますが、何卒よろしくお願い致します……。
◆◇◆◇◆◇
――ブシュゥゥ!
突然の蒸気が収まると、その中央には正座待機中の僕の姿が。
「えぇっとぉ。あれ? どうなったんだ? ご主人様が『おかず』を提供してくれる事になってぇ……」
チクショウ。
またもや記憶が飛んでる。
って事は、僕の身にまた何かマズい事があったって事だな。
でなきゃ、バックアップを使うはずが無い。
今、どう言う状況だ?
仕方ない。とりあえず、ちょっと記憶を探る……とその前に。
僕は一回、辺りを見回してみたんだ。
すると、そこには二人の男子学生が。
一人は佐竹で、もう一人は僕を金属バットで殴ろうとしたヤツ。
ふたりともズボンはズリさげられ、尻丸出しの状況だ。
ははぁぁん。
そう言う事ぉ……。
『おお、タケシ。バックアップに戻ったか。それから一つ伝言がある』
え? 伝言って?
『さっきまでのお前からの伝言だ。決して僕の記憶を見るな! だそうだ』
もぉぉ! クロぉ! 早くそれ言ってよぉ!
あぶなく、自分の記憶探っちゃう所だったじゃーん!
よっぽど辛い事があったんだね。
よっぽど忘れたい事があったって事なんだよねぇ!
分かるよ、分かる。
だって、今現在、僕のナニが出しっぱなしの状態なんだもの。
それを仕舞う余裕すらなく、バックアップに切り替えたって事なんだもんね。
そうなんでしょ。そうなんだよね。
多分、さっきまでの僕は、本当に頑張ったって事なんだよね。
うんうん。
褒めてあげるよ。さっきまでの僕。
本当に良く頑張ったよねぇ。
僕は自分自身の勇敢な行動に想いを馳せながら、そっとズボンの中へ僕のナニを仕舞おうとしたんだ。
するとその時。
――キィィ……
倉庫入り口のドアが静かに開いた。
「あぁ、遅れてすまない。ちょっと電話が長引いてしまってねぇ。キミが犾守君かな。実は君に話しがあって……」
入って来たのは、結構なイケメン風の男子学生。
ただ、彼は僕の様子を見た途端、その表情が少し曇る。
「あぁぁ、お取込み中……だったかな……」




