第17話 前向きな作戦
「さてと……」
校舎の正門を出た所で、僕はゆっくりと辺りを見渡してみる。
期末試験の後ともなると、補習等を除けば大体午前中で授業は終わってしまう。
強豪部の連中は春の予選会等に向けた練習に余念がないし、一般の生徒達は既に帰宅している時間だろう。
「ミャー」
校門脇の植え込みの陰から、子ネコの鳴き声が聞こえる。
僕がそっと手を伸ばすと、そのネコは器用に僕の腕を経由して、肩へと飛び乗って来た。
――ペロッ
子猫が僕の耳を軽く舐める。
その途端、思念の渦が僕の脳内へと流れ込み始めたんだ。
『遅かったな。待ちくたびれたぞ』
「あぁ、テストで間違えた所の直しに、ちょっと時間が掛かっちゃってね」
『ん? どう言う事だ? 確かお前は如月の『核』を使うから、試験は心配無いと言っていたでは無いか』
「うぅぅん。それはそうなんだけど、流石にいきなり満点を取ると言うのもねぇ……」
傍から見れば子ネコと会話しながら歩くと言う、ちょっと残念な高校生に見えるだろう。
まぁ、それは仕方が無い。
外で如月さんの格好をされても困るし、クロ本体の格好でウロウロされたらもっと迷惑だ。
ただ、『人型』じゃない時は声帯の違いもあってか、人間の言葉は上手く話せないらしい。
もちろん本人は僕の言葉を理解は出来るので、クロからの話はもっぱら『思念の伝達』に頼る事となる。
しかし、この『思念の伝達』は非常に便利だ。
長々と話を聞かなくても、ほぼ一瞬で相手の意図を理解する事ができる。
もちろん、複雑な思惑なんかは分からないけど、ある程度のニュアンスもまとめて伝わって来ると言う感じかな。
「ところでさぁ、クロ。僕、今日不良連中に呼び出し受けちゃってさぁ。これから行かなきゃいけないんだ」
『なんだと? お前、私との約束を反故にすると言うのではあるまいな?』
悪意渦巻く思念の波が、次々と僕の脳内へと突き刺さって来る。
「いやいや。そうじゃなくって。終わった後にちゃんと行くからさ」
『いいや、それは許さん。私との約束以上の事案などこの世には存在せん』
頑なに僕の話を聞こうとしないクロ。
へそを曲げた時のご主人様は扱いが難しいからな。
「大丈夫だよ。ペットショップは六時まで開いてるし」
『ダメだ駄目だ! もし、あの高級ネコ缶が売り切れになっていたらどうする? 私はアレだけを楽しみに毎日を過ごしているのだぞ……』
いやいや、それは言い過ぎだろ。
って言うか、なに涙目になってるんだよぉ。
それに、昨日のコンビニ弁当だって、メッチャ美味しいって言ってたじゃん。
「大丈夫だって、絶対に売り切れないから。それに、このまま逃げたりしてさぁ、後から自宅に来られても困るだろ。そしたらネコ缶どころの騒ぎじゃなくなるんだぞぉ」
『うむむむむ……ネコ缶どころの騒ぎじゃなくなるだとぉ。それはマズいな。仕方あるまい。その不良グループとやらは、この前私が退治したヤツらか?』
いやいやいや。
全然退治してないし。
って言うか、めちゃめちゃボコられてたじゃん。
「あぁ、多分同じヤツらだと思う」
『チッ、逆恨みしおって。またしても一人相手に複数で取り囲もうとは、どこまでも卑怯なヤツらだ。よし、私がサッサと片付けてやろう。その上で獣人専用の店に行くぞ』
「え? マジ? クロが代わりに行ってくれるの? 実はクロがめっちゃ強いって話、あれ、本当だったんだね。えぇぇマジかぁ。心配して損しちゃったなぁ。まぁ、そりゃそうだよねぇ。自分の奴隷が困ってるって話なんだから、やっぱりご主人様が何とかしてあげるって言うのが筋っちゃ、筋だよねぇ」
『え? ……うん……まぁ、そうだな。ただなぁ。先日の戦い以降、なかなか体調が思わしく無くてだなぁ。それに……宝具一式も置いて来たままだし……』
おいおいおい、さっきまでの威勢はどこ行ったんだよ。
めっちゃ期待したんだぞぉ。正直僕だって不良達の所になんて行きたくないんだからな。って言うか、クロがあんな事したおかげで、僕がこんなに苦労して……って……あっ……ごめん。何か言いすぎちゃった……ごめん。
恐らく僕の思念を読み取ったのだろう。
突然、僕の肩の上でしょんぼりと肩を落とすクロ。
「いやいや。良いんだよ。クロは正しい事をしたまでなんだから。きっと僕だったらとても助けになんて行けなかっただろうし。うん。やっぱりクロは凄いよ。本当に凄いと思う。そう言えば、どうしてクロは如月さんを助けようとしたのさ?」
そうだな。良く考えたら、そこの所を聞いた事が無かったな。
『うっ……うむ。如月を助けた理由か? それはだな。たまたま如月がお前の好みの女だと言う事が分かったからだな』
「ん? 好みの女って?」
突然、話が見えなくなったぞ?
『お前の『核』を見た所、この世界ではああ言う童顔で乳のデカい女が好まれると言う事が分かったのでな。しかも、都合よく路上で乱暴されそうになっていたからなぁ。折角なので、自分もご相伴にあずかって、あわよくば私の奴隷に……』
って、おいおいおい。
やっぱりクロは、いっしょになって乱暴する気だったんだな。
全然助ける気なんて無かったんじゃん。
完全に動機があったって事じゃん。
『それはそうだろう。なぜ私が乱暴されている女を助けねばならん。それだけでは何の得もありはしない。どうせ複数の男どもに乱暴される女なのだ。せめて殺される前に、私の『核』として取り込んで、あわよくば奴隷にでもできれば、一石二鳥だ。まぁ、女一人を複数で乱暴するような男どもとツルもうとは思わないが、目的が一緒なのであれば、共闘も止む無しと言った所か』
あぁ、クロさん。
自分のご主人様に対してこんな事言うのは本当に申し訳無いのだけれど。
あなた……『ゲス』ね。……本物の『ゲス』だわ。
って言うか、めちゃめちゃ人で無しじゃん。
まぁ、魔獣って扱いだから人では無いのだろうけども。
けども! そこは、か弱き女性を助けようとしたんだよ……って言う話の流れに決まってるじゃん!
『なっ、何を言う。私は誇り高き神聖ゼノン神の血を引く一族の末裔だぞ。そんな私に対しての罵詈雑言、私の第一奴隷であっても……いや、第一奴隷であるからこそ見過ごせん。即刻いま時点をもって死を与えてくれよう。お前はその発言を後悔しながら、苦痛の海でもがき苦しめば良いのだっ!』
おぉぉ。肩の上でネコが怒ってるぞ。
激オコ、プンプン状態だ。
……でもね。
「ご主人様……。今ココで僕を殺すと、ネコ缶は……どうなるんでしょうねぇ……」
『ぐぬっ! ……ヒッ、卑怯だぞっ! 私の命の次に大切なネコ缶を盾に取るとはっ。ぐぬぬぬ。お前の方こそ破廉恥この上無いでは無いかっ!』
「まぁまぁ。冗談だって、冗談。もぉ、ご主人様ったら冗談が通じないんだからぁ。上に立つ人って言うのは、大きな心で部下の冗談に付き合わないと駄目なんですよぉ」
『ん? おぉ……そうか。なんだ冗談か。冗談なのか? うっ、うむ。そうか。そうだな。人に上に立つべき者は、この程度で動じておってはイカンな。うむ。そうであった、そうであった』
あははは。クロって単純。
最近クロとの思念での会話も慣れてきて、読み取れる範囲と読み取れない範囲の区別もついて来たな。
まぁ、完璧になるにはもう少し練習が必要かもだけど。
『ん? 何か言ったか?』
「いえいえ。なんでもありませんよ、ご主人様。それより、この場を切り抜ける為の何か良い方法って無いですかねぇ」
『うぅぅむ、そうだなぁ。宝具があれば、何とか出来るとは思うが……』
「へぇ、その宝具って?」
『うむ。今度取りに行った時に説明してやろう。それより、現時点での我々の最大戦力はお前に貸し与えた私の核だが、それを普通の人間に使うのはオーバーキルも甚だしい。しかも、どこで教団の連中に見られているか分からんからな。まぁ、ここはお前の肉体で何とかするのが最良であろうよ。ただなぁ、私もお前の肉体がもう少し強いと思っておったのだがなぁ……』
「そこはホッとけ」
しかし、やっぱそうかぁ。そうなるよな。
クロの核なんか出した日にゃ、警察どころか自衛隊の出動だってありえる。流石にそれはダメだ。
如月は頭は良いけど肉体派では無いしなぁ。……まぁ、ある意味肉体派ではあるけれど。げへへへへ。
って事になると、やっぱ僕の体で対処するしか無いんだよなぁ。
あぁ、もっと早めに強い『核』を手に入れておくんだったなぁ。
まぁ、今日は例の件も試すつもりだし、このまま行ってみるか。
『であれば、もっと前向きに考えようではないか?』
「へぇ、前向きって?」
『例えばだな。今から行くのは不良グループのたまり場なのだろう? となればだ。その中に居る、最も強いヤツを見つけ出し、目ぼしを付けておけば良いでは無いか。後日、折を見てその男を『核』として取り込めば、すくなくとも我々の戦力は各段に向上する事となるだろう』
おぉ、なるほど。
確かにこれから行く場所は、体力自慢のバカばっかりが集う場所だ。
中には喧嘩が強いヤツも居るに決まってる。
さすがはご主人様、目の付け所が違う。
『とりあえずお前の『元の核』を複製しておけ。そうすれば、仮に腕をもがれようが、足を引き千切られようが、後から元に戻す事ができる』
そうだった、そうだった。
この『核』ってヤツは、取り込んだ時点の情報を元にして、肉体は全て再構成されるんだよな。
つまり、肉体がどれだけ破損していようとも、無事な『核』さえ持っていれば、全く問題が無いと言う訳だ。
「でもクロさぁ。それって、結局は僕がボコられる前提って事だよね。その痛みや辛さを何とかする事って出来ないの?」
『あぁ、それは無理だ。そんな事が出来たら苦労はせん。まぁ、あとから完全回復出来ると思えば、多少の無茶も可能だとは思うがな。人間、死ぬ気でやれば、かなりの力が出せる。それから注意点だが、一旦『核』を捨てると、その間の記憶も全て廃棄されるからな。だから、できるだけギリギリまで『核』の複製を遅らせた方が、記憶の断絶が少なくて済む。もしくは『核』を廃棄する前に、必要な情報はしっかり確認しておく事だな』
あぁ、分かった。
って言うか、ちょっとややこしいけど、まぁ、『核』は捨てる時には注意しろって事だな。
そうこう言っている内に、僕たちは『職専』の生徒玄関前へと到着したんだ。




