第116話 エントランスからの訪問者
重厚なテーブルの向かい側に座る一人の男性。
彼が無造作に挙げた右手に反応し、戸口に立っていた二人の女性が音も無く近寄って来た。
「そちらのお客様を寝室の方へ。それから……」
彼は淡い笑みを浮かべながら、今度は俺の方へと視線を向ける。
「カモサカ猊下、食後にハーブティなどは如何でしょう? それとも、このままワインの方がよろしいですかな?」
この国……いや、この世界と言った方が良いだろうか。
ここでは恐らく、生水を飲むと言う習慣自体が無いんだろう。
提供されるのは、水で割ったワインにハーブティ。後は蜂蜜酒に何かのミルクと言った具合だ。
それが衛生的な問題なのか、それとも硬水や軟水などと言う水自体の問題に由来するのか。
具体的な理由までは分からねぇが、まぁ海外じゃあ往々にしてある事だな。
「そうですね、それではハーブティをいただきましょう」
俺にはこの後もやらなきゃならねぇ仕事がある。
酔いつぶれてしまう訳には行かないからな。
とは言うものの、あの少し酸味のある薄いワイン自体、酒好きの俺からすれば邪道だし、相手から勧められないかぎりは、避けて通りたい飲み物であったのも事実だ。
そんな事を考えながら、ふと視線を横へと向けてみれば。
小さく船を漕ぐ蓮爾 様の左右で、寄り添うように寝息を立てる二人の少女。更にその奥、末席では背もたれに後頭部を乗せ、だらしなくヨダレを垂らしながら、イビキに限りなく近い寝息を立てている片岡の様子がうかがえる。
おいおい、片岡。
お前は蓮爾 様の護衛なんだからさぁ。
もうちょっと緊張感っつーか、なんっつーか……。
でもまぁ、昨日の夜から食うや食わずで走り続けの、逃げ続け。
碌に休憩も取って来なかったからな。
腹が満たされりゃ、自然と瞼が重くなるって言うのも道理だ。
流石に深夜と言う事もあり、食卓に提供されたのは少し硬くなったパンに水で薄めたワイン。それに、何かの豆が乗ったタルトと乾燥させた肉が少々。あとはいちじくにナツメなどのフルーツ類と言った所か。
もしかしたら、使用人たちの朝食だったのかもしれねぇが、ついさっきの俺達にそんな事を気にする余裕すら無く、とにかく目の前の食い物に手を伸ばす事だけに集中。
ただ、最初のうちこそ飢えた浮浪者の様に食べ物をかっ喰らっていた俺達だったが、しばらくするとその動きは緩慢となり、あとは電池が切れたオモチャの様に動かなくなってしまった……と言うのが今の実情だ。
――カチャ、カチャ……
目の前に提供されたのは、幾何学模様の絵付けがなされた陶器のカップ。
かなり厚手ではあるが、恐らくこの世界の技術水準からすれば、かなり高価なモノである事は一目瞭然だ。そこは流石に一国の領事館と言う面目が感じられる。
「ふぅ……」
俺よりも先に宰相補であるエミルハンがハーブティに口を付け、小さな溜息を一つ。
日本のビジネスマナーを叩きこまれた俺にしてみれば、まずは来賓に対して「どうぞ」と声を掛けるべきなんじゃねぇの? ぐらいの気持ちも無いではないが、前に紅麗ちゃんに聞いた話だと、もてなす側が、毒見を兼ねて先に口を付けるのがこの国では常識なのだそうだ。
俺もエミルハンの様子を見ながら、陶器のカップを口元へと運んだ。
「さて、猊下もお疲れの事とは存じますが、もし可能であれば猊下がお考えの利……についてお教えいただけないものでしょうか?」
慇懃無礼とはまさにこの事だな。
言葉遣いや作法仕草には不敬の欠片も見当たりゃしないが、相手に有無を言わさぬこの圧力からは、完全に俺達を見下している事が十二分に伝わって来る。
とは言え、ここで俺が下手に出る訳には行かねぇからな。
いくら相手が一国を代表する宰相補だかなんだか知らねぇが、俺だって教団幹部で、しかもその中枢であると言える司教位だ。場合によっちゃあ俺の方が高位であると言えなくも無い。
「あぁ、そうだな。先にその話……そう互いの利について、説明しておいた方が良いだろう」
俺はハーブティの入ったカップをテーブルに戻すと、多少大仰な仕草でソファーへと座り直した。
「エミルハン殿、実は昨日、司教位に昇格してなぁ……」
「はい、先程お連れの侍女の方から伺いました。この度は御昇格、大変おめでとうございます猊下」
「うむうむ。司教位ともなれば、教団内部で差配せねばならぬ事も多くなってなぁ……。しかも一番の下っ端ともなれば、その業務の多さは計り知れん」
「げに、その通りかと存じますな。商売の世界でも同様にございます。ひとたび役職に就けば、管理する業務や責任はどうしても膨れ上がって行く事でしょう」
「そうであろう? しかしなぁ、私はこれまで東京教区に居たものでなぁ……」
「確か猊下は、東京教区での大功が認められ、このたび晴れて司教位になられたとか……。しかもその若さで、更に人間族からの抜擢とは……さぞや大きな功績を残されたのでしょうなぁ」
「はは……まぁな。とりあえず功績の話は置いておいて……そんな関係もあり、私はこの国での支持基盤を持っておらんのだよ」
「なるほど。猊下の状況は理解致しました。で、猊下は私共に何をお望みでしょうか?」
だーかーらー。俺の支持者になれって言ってんのっ!
そのぐらい商売人なら察しろよっ!
って言うか、あくまでも具体的にどうして欲しいのかを俺から言わせるつもりなんだな。ホント、商売人は煮ても焼いても食えねぇぜ。
「そうだなぁ、当面は我らの滞在を……」
「当面とは? どの程度の期間でございましょう? また、お連れ様は今の方々のみでしょうか? それとも今後増えるご予定でも?」
かなり食い気味に質問を投げかけてくるエミルハン。
その顔は完全に商売人のそれだ。
「そ、そうだなぁ。三日ほどもあれば……と言うか、この大火によって教団内もゴタゴタしておってなぁ。まずはそれが収まり、街の騒乱が止むまでとしたいのだが如何か?」
「なるほど、なるほど。そうなりますと、この争乱が収まるまで。皆様を匿えば良いと言う事でございますな」
「うっ、うむ。その通りだ」
微妙に言い方を変えて来やがった。
ホント、どこまで情報を握ってるのか、わかったもんじゃねぇな。
って言うか、まさか全部知ってんじゃねぇだろうな。
「ふぅぅむ、そうなりますと、もう一つお教え下さいますでしょうか?」
「うむ、なんだ?」
「私共は一体どなたから皆様を匿えば良いのでしょう? それはメルフィ本国でしょうか? それとも国外の勢力でしょうか? はたまた、教団内部の方々からでございましょうか?」
ちっ! 腹の探り合いだと思ってたのは、どうやら間違いだった様だな。
探ってたのは俺だけだったって事か。
この男、全部知っている。
間違い無ぇ。
メルフィ本国の事も、アゲロスの事も、更には教団内部のゴタゴタすらも……。
「宰相補殿……」
俺はソファーにもう一度座り直すと、テーブルを挟んだままで深々と頭を下げた。
「いままで探りを入れるような言い方をして大変申し訳無かった。この通りだ、許して欲しい」
エミルハンはそんな俺の様子を驚きもせず、ただ静かに見つめているだけ。
「その上で、改めてお願いしたい。いま挙げてもらった全ての外敵から、俺達の事を守って欲しい」
「その全て、でございますかぁ……」
「あぁ、全てだ。エミルハン殿、どうだ? 出来るか?」
エミルハンはやおら腕を組むと、静かに考え始めた。
このまま長考に入るのかと思いきや、ほんの数秒後には何かに気付いたかのように、片眉を上げてみせる。
「もちろん可能……でございます。我らは遠国とは言え、大国であるベルガモン王国。メルフィとは国交もあり、この屋敷内においては、治外法権が認められております。また、先のエレトリア攻城戦で名をはせたとは言え、マロネイア家は所詮帝国内の一貴族でしかございません。当然、我が国と対抗できる由もございませんな」
マロネイア家? ……あぁ、エロエロ貴族のアゲロスの事か。
それにしても、流石は一国の宰相補だな。肝が据わっていやがる。
「とは言え……」
「とは言え?」
「メルフィとの国交、マロネイア家との関係、更には教団との取引……。それら全てを打ち捨てたとして、我々が手にできる利とは、一体何でございましょうや?」
エミルハンの言う事はもっともだ。
これだけのリスクを帳消しにするだけの利がなければ、ベルガモン王国が俺達を匿う意味が無い。
「も、もちろん利はあるぞ。たとえばこう言うのはどうだろうか。将来、蓮爾 様や私が教団を統べる事になった暁には、教団の全ての商流をエミルハン殿にお任せしても良い。どうだ? 悪い話ではあるまい?」
「教団全ての商流……にございますか。しかし、それでは現在教団と取引のある商人たちより恨みを買う怖れがございますれば、なかなかに実現は難しいでしょう」
確かにその通りだ。
いくら利益がデカいとは言え、他の商人たちから恨みを買うようでは、商売として成り立つまい。
しかもそれを、昨日今日なったばかりの新人司教が約束したとして、一体どれだけ信用出来ると言うのか。
もし俺が商売人だったとしても、そんな与太話を鵜呑みにするはずが無い。
「であれば、将来とは言わん。私たちが東京教区へ無事帰る事が出来さえすれば、東京教区との取引を其方に任せようではないか。どうだ? これであれば現実的であろう?」
コレは間違い無い。
そのぐらいの権限であれば、今の俺にだってできるはずだ。
「うぅぅむ。東京教区との取引と言うのはそれなりに現実的ではございますが、東京教区とは今まで取引をした事が御座いませんからなぁ。一体どれほどの利を生むのか、私にはとんと見当がつきませぬ。例えばでございますが、どの様な品の取引を考えておられますかな?」
どの様な品と言ってもなぁ。
この国の文化レベルでは、俺が買い取って日本国内に持ち込めるモノなんて高が知れている。となれば、逆に日本から持ち出す方が良いか。
「そ、そうだな。例えばコレなんてどうだ? ほら、これだ。これは拳銃と言う魔道具でな。魔力を持たない人でも使う事が出来る。なんと、この引き金と言う部分を引く事で、この穴の所から火矢が打ち出されると言う優れものだ。どうだ? これであれば十分取引のネタになるだろう」
「ほうほう。魔道具でございますか。確かに教団の魔道具は門外不出。各国の要人、貴人がこぞって欲しがること請け合いでございます」
俺の手より恭しく拳銃を受け取ったエミルハンだったが、何度か慎重に表裏を確かめた後で割と冷静な面持ちでそれを返して来た。
「して、こちらの魔道具でございますが、どの程度お取引きさせていただけますか?」
「どの程度……とは?」
「もちろん、数量にございます。商いでございますからな。当然一つ、二つと言う訳にも参りません」
数量か……教団の裏ルートを使えば五丁や十丁は仕入れられるかもしれんな。
あとは、公安に頼んで押収したパチモンの拳銃を横流しするって言う手もあるにはあるが……。
とりあえず俺は真顔で、片手を広げてエミルハンに提示する。
「うぅぅむ、五百でございますか。しかし、火矢と言う事であれば、最低でも千から三千は必要となりましょう。もちろん、どの程度の威力なのかにもよりますし。これはまた難しい事を……」
いやいやいや。
五百なんて絶対に揃えらんねぇよ!
こちとら戦争する訳じゃねぇんだからさ!
エアガンだって五百も揃えた日にゃ、内乱予備罪で公安に捕まっちまわぁ!
「あぁ……えぇっと、エミルハン殿……」
俺がその数を訂正しようとしたその時、従者と思われる少年が慌てた様子で部屋の中へと駆け込んで来た。
『失礼致します。エミルハン宰相補、エルヴァイン将軍が急ぎエントランスの方へお越しいただきたいとの事です』
『エルヴァイン将軍が?』
訝し気に兵士の事を睨み付けるエミルハン。
ん? いま、正面玄関って言わなかったか?
それって、誰かが来たって事か。
誰だ? こんな真夜中に?
と、ここまで考えた所で気が付いた。
一体何を疑問に思う事があるって言うんだ?
そんなの決まっているじゃないか。
ほんの一瞬ではあるが、自嘲の笑みがこぼれ落ちる。
追手だ。
追手が俺達の居場所を見つけた。
ただ、それだけだ。
埒も無し……だな。
元々塀を超える頃には、おおよその場所は特定されていたはずだからな。
追手の方も、この近辺をあらかた探し終わり、最終的にこの場所が残った……と言う所だろう。
さて、どうする。
エミルハンとの交渉はまだ始まったばかりだ。
今の時点でエミルハンがどちらに転ぶかは判断が付かん。
しかし、この状態でエミルハンに裏切られたとて、今の俺に一体どんな手が打てるって言うんだ?
逃げるか? ……いや、無理だ。
片岡はともかく、蓮爾 様や藍麗紅麗の二人は既に体力の限界だ。絶対に逃げ切れん。
それに、一体どこへ逃げれば良い?
ココより良い隠れ場所が本当にあるってぇのか?
背中を伝うは冷たい汗。
握る両手は微かに震え、考えれば考えるほどに思考は乱れて最悪の結末だけが俺の脳内を埋め尽くして行く。
ここまで来て、万事休すかっ!




