第9話:演劇部
帰りのホームルームの時間、花嶋の演出担当が決まった。
イシズの推薦や女子たちの熱烈な支持で、それはもうご想像通りにすんなりと…。
中には男子からの支持もあり、僕が思っていたより花嶋はみんなから人望があるようだった。
「それじゃあ文化祭の準備、後みんなよろしくな!」
新井先生がそう言って教室を出ていくと、イシズは慌ただしくバックを肩に掛け、演劇部へ行く支度をし出した。
「悪いねシズ…
後の事頼むよ」
そう言って、イシズは僕の横を通り過ぎて行った。
僕はイシズを追いかけようと振り返ったが、カガリが目の前に立ちはだかり、小さく左右に首を振って僕を止めた。
「もう諦めろって…
あいつはあいつでする事があるんだろ?
俺たちも俺たちで文化祭の準備しようぜ」
…そうするしかないのは分かっていた。
だけど、野々村を見ると、それが本当に正しい事なのか分からなくなる。
野々村は机に顔を伏せ、両腕で隙間を埋めるように顔を隠していた。
小さく…
クラスのみんなに気付かれないように、うんと小さく泣いているのが僕だけに分かった。
僕は静かに野々村の側に立ち、言葉を掛けた。
「野々村…
一緒に劇の練習しよう?」
慰めの言葉なんて見付からなかった。
僕たちはこの現状をただ受け入れるしかなかったんだ。
しばらくの沈黙の後、野々村が僕の腕を掴んだ。
「…え?」
僕が唖然としているのもつかの間、何を思ったのか突然僕を引きずるように野々村は走り出した。
「ちょっ!
野々村待って!!」
「…」
僕の制止も虚しく、野々村は止まらなかった。
僕は何度も転びそうになりながら廊下を走り抜け、野々村の目的地を確認しようと前方に目をやると、何故か女子トイレがあった。
まさかと思ったが、野々村が止まる様子は全く無い…。
女子トイレ…
女子の本音が渦巻く男子禁制の神聖な場所。
誰に教わる訳でもなく、僕たち男子は女子トイレに入ってはイケない事を知っている。
構造上はきっと男子トイレとそんなに大して変わらないのだろうが、羞恥心と恐怖心によって、そのルールが固く守られているのだ。
僕は息を飲んだ。
そんな場所を目前に野々村が加速した。
「ちょちょちょちょっ!
マジ止まって野々村ァァーー!!!!」
『バタンッ』と扉の音がした。
僕はヒザから崩れ落ち、走り疲れて乱れた息を床に吐きつけた。
僕は無事だった。
野々村はトイレに入る瞬間、僕の腕を離したのだ。
僕は乱れた息を整え立ち上がると、野々村の様子が気になり、女子トイレに聞き耳を立てた。
中から『バシャバシャ』と水を叩きつけるような音が聞こえてきた。
次の瞬間、野々村が出て来た。
出て来た野々村の顔は水気を帯び、髪の生え際が濡れていて、左手にはハンカチが握られていた。
どうやら顔を洗っていたようだ。
「私、決めた!!
演劇部に入る!!」
スッキリした顔で野々村がそう叫んだ。
「…はぁ…?」
僕は野々村の言っている事を一生懸命理解しようとしたが、あまりに突然だった為か、野々村の中で何が起こったのか全く理解出来なかった。
「実はね、ずっと考えてたの、演劇部に入りたいなぁって…
本当は文化祭で石塚くんともっと仲良くなってから入ろうと思ってたんだけど、石塚くん演出の担当辞めちゃうし、どんどん遠くに行っちゃう気がして…
だから決めたの!
すぐにでも演劇部に入って、出来るだけ石塚くんの近くにいようって!」
僕はボー然とその場に立ち尽くしていた。
そんな決意表明をする為だけに、わざわざ僕を危険な目に合わせたのかと思うとガックリと力が抜けた。
「…もしかして昨日言ってた、野々村の文化祭が終わったらしたい事ってそれ?
…なんだ、てっきりイシズに告白でもするのかと思ってた…」
僕がそう言うと、野々村は顔を真っ赤にした。
「こ、告白なんてしないよっ!!!!!」
野々村は照れてるせいか、急に声のボリュームが高くなった。
驚いた顔した僕を見ると、野々村はハッと我に帰り、続けて言った。
「ご、ごめん…
私ね、そういうのはちゃんと順序っていうのがあると思うの
だって石塚くんとは同じクラスってだけで、まだそんなに話す仲でもないんだよ?
ただのクラスメイトってだけで、告白して上手くいくと思う?」
野々村の可愛さだったら見ず知らずの人でも、告白したら頷く人は何百人もいるんじゃないかと思った。
だけど確かに相手がイシズなら話しは別だ。
イシズは見掛けよりも中身を重視するタイプのように思えた。
…まぁあくまでも想像だが。
「だからね、私もっと石塚くんと仲良くなりたいの
色んな話しをして、一緒に行動する数を増やしていって、相手に少しでも特別な存在だと思って貰いたいの
こ、告白するのはもうちょっと後…かな…ハハ」
野々村は照れ臭そうにそう言った。
野々村の行動は遠回りで、見方によっては告白する勇気がないだけだと捉える人もいるだろうけど、僕には理解出来た。
誰だってフラれる為に告白する訳じゃないんだ。
少しでも成功率を上げたいと思うのは当然。
野々村はきっと、イシズと仲良くなる方法を色々考え、悩んだに違いない。
そしてそういう行動の積み重ねが必要な事に気付いたんだ。
そう考えると、その野々村の健気さになんだか僕は心が温かくなった。
野々村を突き動かす物は恋心以外の何物でもなかった。
僕は手を真っ直ぐ下に延ばし中指をズボンの縫い目に合わせ、野々村に向かって、ビシッと頭を30度下げて言った。
「勉強になります!!」
それは全生徒のお手本になるほどキレイな礼だった。
「あ、でも、文化祭はどうするの?
もちろん応援はしてあげたいけど…」
僕が不安そうに頭を上げ尋ねると、野々村は笑いながら言った。
「心配しないで、文化祭の劇もちゃんとやる!
演劇部に入ってもすぐに役が貰える訳じゃないし、石塚くんほど忙しくないと思うから平気!」
僕がホッとしたのを確認すると野々村は微笑んだ。
僕たちは劇の練習をする為、教室に戻る事にした。
廊下を歩いていると野々村が言った。
「んー…でもやっぱり不安だなぁ…
演劇部ってどんな事するんだろ、自分で言うのもなんだけど動機だって不純だし、私やっていけるかなぁ…」
僕は「あー…」と、声を延ばし考えてみたけど、答えなんて出るはずなかった。
結局何事もやってみないと出来るかどうか分からないんだ。
「だったらイシズに相談してみたら?
もしかしたらそこから少しは仲良くなれるかもよ!」
僕の提案は自分でも悪くないと思った。
だけど、野々村は「んー…」と悩んだ様子で、あまり気乗りしないようだった。
「…僕も少しだったら協力するから
とりあえず今度一緒に、イシズに演劇部でどういう事やってるのか聞いてみようよ?」
僕は野々村の話しを聞いて、この恋を応援する事に決めていた。
だから僕に出来る事ならなんでもしようと思った。
だけど野々村はイシズに話し掛ける勇気すら無いのか、相変わらず「んー…」と唸っている。
さっきまでの勢いはどこに行ったのか、僕はそんな野々村を横目にため息をついた。
「…静谷くん、私の事応援してくれるの?」
「もちろん、そう言わなかったっけ?」
それを聞いた野々村はしばらく考え込んでから再び口を開いた。
「…それじゃあ、お願いがあるんだけど、良いかな?」
「…良いよ、何?」
「明日の土曜日、石塚くん誘ってどっか行けないかな?」
「…―ッ!!?」
僕は野々村の言葉に驚愕した。
「演劇部の事聞くならゆっくり話しがしたいし、月曜には入部届け出したいの…ダメ?」
僕は言葉を失った。
何を唸ってるのかと思ったらこんな事を考えていたなんて…
要するにこの僕にイシズとの約束を取り付けてほしいという事だ。
勇気が無いなんてとんでもない、野々村は紛れも無く勇者だった。
それも僕がヒヤヒヤするほどの命知らずだ。
さすがに僕も戸惑った。
「そ、そんな事急に言われても…
イシズのメルアドなら知ってるけど…」
「聞いてみるだけで良いの、お願い!」
「…でも、なんて誘えば良いのか…」
「なんでも良いよ!
話しがしたいってだけでも良いから!」
変な気分だった。
まるでさっきとは立場が逆転してしまったみたいだ。
僕は意を決してイシズにメールを送った。
内容はこうだ。
『明日暇?
気分転換にでも遊びに行かない?』
イシズとは脚本作りで仲良くなって以降、何度か遊びに行った事がある。
野々村について触れない所が自分でもズルイと思ったが、僕にとってこれが1番自然な誘い文句だった。
僕はひとまずため息をついて、明日の事を想像してみた。
僕と野々村がいる所にイシズが現れる。
きっとイシズは驚くだろう、そして僕の事をジロッと睨むんだ。
その後はきっとあまり会話も弾まず、重苦しい空気の中、ただ公園かどっかを道なりに歩いてその日が終わるんだと思う…。
考えれば考えるほど僕は気が重くなっていった。
野々村に言った。
「一応誘ってみたけど、まだ来るかどうか分からないよ…?
今イシズも部活中だし、返信には時間がかかると思うから…」
「うん分かった!
ありがとう静谷くん!」
僕の気も知らず、野々村は上機嫌でそうお礼を言った。
だけど、野々村には悪いけど僕には分かっていた。
…イシズはきっと来ない。
何故なら演出担当の事で僕がイシズに対してあまりにしつこくし過ぎたからだ。
きっと相当ウザったかったに違いない…。
僕が逆の立場なら、相手からのメールを見た時点で警戒する。
また何か言われるんじゃないかと明日は間違いなく断るだろう。
…その確信が僕に複雑な安心感を与えていた。
―つづく―