第7話:ドキドキ
辺りはすっかり暗くなっていた。
野々村から衝撃の告白を聞かされ、色々と話し込んでいたら、文化祭の準備をしていたはずの教室のみんなも一人残らずいなくなっていた。
時間は6時を回り、電灯の明かりだけが頼りの暗い夜道を野々村と歩いた。
一応男として送らない訳にはいかなかったが、正直気まずくて、言葉が何一つ出てこなかった。
「あ、もうここで良いよ
ありがとう静谷くん!」
閑静な住宅地の分かれ道で野々村が言った。
手を振って去ろうとする野々村を僕は慌てて呼び止めた。
「あっ…野々村!?」
「んっ?」
「…あの、なんで僕なんかにあんな話し…?」
ずっと気になっていた。
ハッキリ言って野々村がイシズの事好きだろうとなんだろうと僕には全く関係ない事だった。
野々村は人差し指を自分の口元に当て、星空を見上げるように考え込んだ。
「んー…なんでかな?
ただね、誰も悪い訳じゃないって事を知ってほしかったんだと思う
悪いのは私のこの気持ちで、クラスのみんなは悪くないんだって…
静谷くんなら分かってくれそうだし、私の事誰にも言わないでくれそうだから…」
正直言って分からなかった。
クラスのみんなを庇う気持ちは僕にも分かるけど、恋心を打ち明ける理由にはならないと思った。
「…もしかして、イシズとの仲を取り持ってほしいとか…?」
間違ってたらごめんなさい、そんな思いで聞いてみたが、どうやら図星のようだ。
野々村は顔を真っ赤にした。
「ち、違うよ!
私はただ、文化祭を成功させたいだけだよ!」
ごまかす為なのか、思わぬ発言だった。
文化祭を成功させたいとはみんな思っていると思っていたけど、実際聞いたのはこれが初めてだった。
僕の鼓動が少し高鳴った。
「私ね、文化祭が終わったら考えてる事があるの…」
僕ははてなマークを浮かべた。
野々村と話しをしていると何故かはてなマークを浮かべる事が多いようだ。
僕は黙ってその先を聞いてみた。
「でもその考えている事を実行するには、どうしても文化祭を成功させる必要があると思うんだよね…?
なんて言うか、自信を持つ為にって言うか…
それはとっても勇気のいる事だから…」
僕は更にはてなマークを一つ増やした。
野々村の話しは回りくどくて若干イラっとした。
だけどなんとなく気持ちは分かる気がした。
野々村のジンクスは、僕の文化祭にかける想いとどこか似ていた。
「…だけど私、どうすれば良いかよく分かんなくなっちゃったな
みんなの足引っ張って、石塚くんにも迷惑かけて…
あんなつもりじゃなかったのに、石塚くんの事すごく傷付けた…
…
やっぱり私がヒロイン役降りた方がうまくいくのかな…?」
それを聞いて僕は慌てた。
イシズに抜けると言われて、主役の野々村にまでそんな事言われたら、さすがに僕もボロボロだった。
「イ、イシズは僕が説得するから野々村は主役続けてよ!
せっかくイシズが戻って来ても主役がいないんじゃ話しにならないでしょ!?」
野々村はそれを聞いた後はてなマークを浮かべて沈黙した。
僕はこの時自分で何言ったのか気付いてなかった。
「…え?
石塚くんが戻って来てもって…どういう事?
もしかして石塚くん、演出の担当辞めたの!?」
しまった…。
野々村に話したら必要以上に責任感じるだろうと思って黙っておくつもりだったのに…。
「なんでっ!?
石塚くんが辞める必要ないじゃん!
石塚くんが辞めるって言うなら私が降りる!!
それで石塚くんが戻ってくれるならそうするよ、私のせいでそうなったんでしょ!?」
野々村は少し誤解していた。
発端は確かに野々村だが、野々村に罪は無い。
もはやこれはイシズの心の問題だった。
「お、落ち着いて!
イシズは大丈夫だから!
別に野々村の事怒ってた訳じゃないよ
ただちょっと愚痴を零してたって言うか…
きっとまた明日ちゃんと練習に参加してくれるから!」
野々村はそれを聞くと肩から力が抜け、少し落ち着いたようだった。
「石塚くんに迷惑かけたくない…」
「うん、分かってる
だけど今野々村が抜けるなんて言ったら、それをクラスのみんなは誰のせいだと思う?
またイシズが批難される事になるかも知れないよ?」
我ながらズルイ言い方だと思った。
だけど野々村に抜けられたら困るし、実際そうならないとは限らないのが現状だった。
野々村は「うん」と小さく頷き、理解してくれた。
「静谷くん…」
「…?!!」
野々村は何を思ったのか突然僕の手を握ってきた。
温もりが伝わり、顔が近付き、僕はドキリとしてしまった。
「お願い静谷くん、石塚くんに力を貸してあげて…!」
「う、うん…」
電灯の僅かな明かりにも関わらず、野々村の潤んだ大きな瞳は光りをとらえ、キラキラと宝石のように輝いていた。
野々村の瞳を見てると正直…なんというか…
ヤバイと思った。
「で、でも劇を成功させるには野々村の力も必要なんだ
僕も野々村がイシズの前でも演技に集中出来る方法を何か考えてみるよ」
「うん、私も頑張る!」
野々村の手に力がこもり、僕の手が更に逃げ場を失う。
僕は失礼の無いようにがんじがらめになった手をゆっくり解くと、「じゃあね!」と野々村を残してその場を直ぐさま駆け出した。
そして5分ほど走った後立ち止まり、荒くなった息を整え、大きなため息をついた。
野々村にファンが多いのが分かる気にする。
その仕草、言動、雰囲気の全てが男心をくすぐる。
その事に本人はまるで自覚していないからタチが悪い。
正直…なんというか…その…
本当にヤバかった。
野々村と離れたその開放感のせいか、どっと疲れが出た。
僕は家とは逆方向だった送り道から、トボトボと長い道のりを歩き出した。
長い帰り道の途中、あの病院があった。
いつもは学校が終わってからすぐこの病院に向かい、あの桜の木の前で彼女と話し込んだ後、6時には帰るのだが…
只今の時刻6時40分、今日は彼女と会う事は出来なかった。
忍びなさを感じ、僕はホスピタルガーデンを覗いてみる事にした。
ホスピタルガーデンは院内に入り、受付から左の通路を真っ直ぐ行ったその先にある。
面会時間は7時までで、今はギリギリ一般人がうろついてても不審がられないだろうと思った。
僕は受付の女性に軽く会釈をして、真っ直ぐホスピタルガーデンへ向かった。
「あ、ちょっと君!」
何故か不審がられた。
受付の女性は僕に駆け寄り、うろたえる僕をじっと見つめた。
「…面会の方ですか?
申し訳ないんですけど、もうすぐ面会時間が終わってしまうんです
また明日にしてもらえませんか?…」
受付の女性が本当に申し訳なさそうに言うもんだから、僕は少し悪い事してるような気持ちになった。
それでも、少しだけホスピタルガーデンを覗ければ満足だった。
だから僕はケータイを開き、時間を確認して女性に見せて言ってみた。
「…まだ、15分あります…!」
受付の女性はそれを見て冷静に言った。
「…なるべく院内ではケータイの電源はオフにしてください…
医療機器トラブルの原因になりますので…」
「あ、はい、すいません…」
ますます僕は罪悪感にかられてしまった。
下にうつむいてしょげていると、受付の女性がまどろっこしそうに口を開いた。
「…本当に15分だけ?
すぐに終わる?」
それを聞いた僕はうつむいていた顔を起こして「はいっ!!」と元気良く答えた。
「…院内ではお静かに」
注意されながらも女性に受付場所まで引き戻されると、面会受付の帳簿を手渡された。
「それじゃあここに記入してください
どちらの面会ですか?」
…僕は沈黙した。
それもそうだ、ここに来て僕はようやく自分の過ちに気付いたのだ。
僕はホスピタルガーデンに行くハズが、会話に流されていつの間にか彼女の面会人になっていた。
彼女に会いたいのは事実だが、あくまでも桜の木の前でであって、彼女の病室を訪れるのは何故だかすごく緊張した。
しかし、この帳簿に書かなければ僕はまたしても受付の女性に不審者扱いされてしまうだろう。
僕は観念して彼女、桐島美那子さんの面会人として帳簿に記入した。
病室に向かう途中、僕の胸はバクンバクンと音を立てていた。
今思えば帳簿に記入してる時に、「やっぱりもう遅いんで明日また来ます」と受付の女性に言ってしまえば帰る事も出来たんだと自分を責めた。
だけどもう遅い、僕は勇気を出して病室をノックした。
「こ、こんばんは…」
扉を開けると病室の明かりは消えていて、辺りが全く見えなかった。
僕は扉のすぐ横を探り、電気のスイッチをオンにした。
すると辺りは明るくなり、部屋の様子を知る事が出来た。
白い壁に白い床、左側に木製の机や小さいタンスが並ぶようにあり、そのタンスの上には猫のぬいぐるみが置いてあった。
そして右側には白いベットがあり、その下には彼女が履いていた義足が綺麗に揃えられていた。
まるで病室と言うより、清潔に片付けられた女の子の部屋と言った感じで、僕の鼓動は更にスピードを上げた。
ベットには彼女が静かに横たわっていた。
恐る恐る彼女に近付き、僕は彼女の様子を窺った。
彼女はパジャマを着込み、両手を布団の上に乗せ、お腹の辺りで重ねていた。
初めて見るパジャマ姿に僕は何故だか胸が熱くなった。
襟元から覗かせる彼女の肌は透き通るように白く、僅かな陰影がその華奢さを表していた。
首筋はか細く、年上とは言えまだ幼さの残る顔立ちにほのかに色付く薄紅色の唇が彼女の魅力を更に際立たせ、ゆっくりと上下に動く胸とそれに呼応して吐き出される息はリラックスしている事を窺わせた。
ここまで彼女に近付いた事は今まで無かった。
改めて見た彼女は本当に美しかった。
僕はあまりに無防備な彼女から何度も目を背けたが、何度も視線を戻してしまい、キョロキョロといつまでも繰り返していたらそのうち頭が痛くなってきた。
僕は目を反らす事を諦め、膝をつき、目の高さを彼女と同じにした。
何故僕はここにいるんだろう?…今更ながらに考えてしまう。
病室は個室で、ここには僕と彼女しかいない。
彼女は眠っていて、僕は彼女を見ていて、聞こえてくる音と言ったらエアコンの温風を吐き出す音と彼女の寝息だけ。
僕は息を潜め、なるべく彼女の邪魔にならないように気を配っていた。
自分で言うのもなんだが、誰かがこの状況を見たらみんな僕の事を不審者だと思うだろう。
もしそうなっても言い訳出来る自信がないほど、僕は怪しかった。
そんな自分を知っていながら、僕は彼女に夢中だった。
「眠ってるの?…」
ふいに口から零れた。
返事が無いのは分かっていたけど、ちょっとした淋しさから尋ねずにはいられなかった。
「…起きてるよ」
「ッ?!!」
突然彼女は沈黙していたその口を開き、むくりと身体を起こした。
僕は驚きのあまり尻餅を着き、声を上げそうになったその口をとっさに両手でおさえた。
そして我に返った僕は今までの自分の変質ぶりを思い返し、羞恥した。
僕は仰向けの状態で、肘と足を使って身体をひきずるようにゆっくりと病室の扉の所まで戻った。
扉の所まで戻ると静かに立ち上がり、慣れない動作で痛めた肘を摩りながら改めて言った。
「こ、こんばんわ!」
「…あれ?
さっきまですっごい近くにいなかった?
急に声が遠くに…」
「え?そんなはずないよ
僕ずっとここにいたよ?
そんな女性の病室にズカズカと入り込むなんて失礼な事しないよ
ハハハ…」
「…そうね
もしそんな風に入って来て私の事をずっと見てたら、例えシズ君でもさすがに引くわね
フフフ」
それを聞いた僕は自分の行動が情けなくなった。
しょぼいアリバイ工作など彼女は見破っていたに違いない。
僕は背中についたホコリをポンポンと払って彼女に近付いた。
「…いつから起きてたの?」
「ずっと起きてたわよ
最初にシズくんが『こんばんは』って言ってたのも聞いてた
その後シズくんがどうするかなって思って黙ってたの
フフ、本当にずっとそこにいた?」
「…いたよ
僕がどんなに紳士か知らないの?
部屋も暗かったから寝てるのかと思って静かにしてたんだ
もう帰ろうかと思ってたよ」
僕は彼女の考えがどうあれ、嘘を突き通す事に決めた。
例え彼女が全てを見透かしていたとしても、『見てました』とは、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。
「病室の明かりはいつも消してるのよ、どうせ私には見えないから…
帰らなくて良かった!
そこにイスあるでしょ?
どうぞ座って!」
僕は思わず喉をゴクリと鳴らした。
顔には出してないが、どうやら彼女は怒っているようだ。
彼女が手招きする先には何故かイスは無かった。
僕はこれは自分への罰なんだと思い、観念して彼女の言う通り、空気というイスに座り込んだ。
僕のふくらはぎはプルプルと震え出し、彼女に嘘を付いた自分への戒めにはちょうど良かった。
「あ、ゴメン!
イスこっちだった!
…あれ、シズ君どこ座ってるの?」
彼女は慌てるように反対側の窓際とベットの間からパイプイスを取り出そうとして、恐る恐る振り返って僕に尋ねた。
「…え?
あっ…!」
僕はバランスを崩し、再び尻餅を着いた。
普通に考えて彼女が僕に罰を与えるはずなかった。
どうやら彼女への後ろめたさが、さっきから僕を被害妄想的にしているようだ。
改めて彼女から手渡された小さめのパイプイスに座り、僕は落ち着こうと深呼吸した。
「今日は来ないのかと思ってた
来てくれて嬉しいわ」
そう彼女がニッコリ笑いながら言うと、僕は深呼吸したかいも無く、心が乱れた。
「本当はガーデンに行こうと思ったんだけど、受付の人に呼び止められてね、気が付いたらここにいたんだ」
「そう、きっと運が無かったのね、フフ」
…不思議だった。
彼女と話してたら今までの自分がなんだかバカらしく思え始めた。
今日はとにかくドキドキの連続だった。
野々村との帰り道にしろ、受付の女性にしろ、この病室に辿り着く前に歩いた廊下にしろ、病室に入ってからにしろ…
ずっとドキドキしっぱなしだった。
だけどそんな、どんなドキドキも今の心地良く響く鼓動の高鳴りには敵わなかった。
「運がなかったなんて、そんな事ないよ…
桐島さんに会いに来たんだもん
会えて良かった!」
僕はそう言った後で、なんだか恥ずかしくなって顔を赤らめた。
「…うん、ありがとう」
彼女もどこか照れ臭そうにそう一言言った。
『コンコンッ』
誰かが扉をノックした。
扉を開けて入って来たのはさっきの受付の女性だ。
「もう面会時間過ぎてますよ
急いでくださいね!」
ケータイの電源を入れて時間を確認するとすでに3分過ぎていた。
もちろん受付の女性が見ている手前、すぐオフにしてケータイをしまった。
「桐島さんゴメン、もう行かないと!
…また明日来ても良い?」
「うん、桜の木の前で待ってる!」
「うん、じゃあね」
受付の女性が先に出て行き、僕も後に続いて行こうとしたら、突然彼女が呼び止めた。
「あ、シズ君!」
僕は立ち止まり、振り返った。
「何?」
彼女はニタニタ笑みを浮かべ、何かを企んでいるようで少し怖かった。
「本当は病室で何してたの?」
僕はドキリとした。
しばらく沈黙し考えたが、どうやら彼女にはどうあがいても敵わないようだ。
僕はついに降参して彼女に白状する事にした。
「ごめんなさい…
桐島さんの事、ずっと見てました…」
僕の顔は真っ赤だった。
恥ずかし過ぎて彼女の顔をまともに見られなかった。
僕は伏し目がちに恐る恐る彼女の反応を確かめた。
「フフ、やっぱりねー
そうなんだー…ヘェー」
意外な反応だった。
気味悪がられるかと思ったら、彼女は俯いて両手をムズかゆそうに擦り合わせ、もじもじ嬉しそうに笑っていた。
嫌われた訳じゃなさそうだけど、僕には曖昧過ぎて、イマイチ彼女がどう思ったのか分からなかった。
奇妙な沈黙が再び僕の心をリズム良く弾ませる。
彼女は僕の事どう思っているのだろう…
そんな事を考えていたせいか、ドキドキが治まらなかった…。
―つづく―