第6話:危機
彼女と再会してから数日過ぎた。
その間、僕は何度も病院へと通い、彼女と会った。
お互いの名前や年齢、お互いの趣味、お互いの将来の夢までもが僕たちの会話の話題になった。
彼女の名前は桐島美那子、年は僕よりも一つ上で17だそうだ。
高校は今は休学中で、勉強は病院で自習しているらしい。
僕の趣味は人にあだ名を付ける事だ。
そう言うと彼女は苦笑した。
小学6年の時、誰かが友達にあだ名を付けると、みんなが揃ってその友達を同じあだ名で呼ぶようになる事に気付いた。
その仕組みが面白くて、僕は色んな友達にあだ名を付けて回った。
定着しなかった友達もいるけど、今の友達のほとんどは僕の趣味の犠牲者となっている。
僕が彼女にあだ名を付けようと企むと、それを察知した彼女は照れ笑いを浮かべながら拒んだ。
それでも強引に付けようと思ったが、僕自身どうもしっくり来るあだ名が思い浮かばなかった。
本名をもじってあだ名を考えるのは僕の得意技だが、あまり安易過ぎるとセンスを疑われるし、彼女の特徴から付けようにも、盲目、義足、車椅子、どれも触れたくない話題ばかりだった。
どうやら良いあだ名が思い付くまでのしばらくの間、僕は彼女の事を【桐島さん】と堅苦しく呼ぶしかなさそうだ。
学校の授業が終わって、僕はクラスのみんなと文化祭の準備をしていた。
今日は久々に身体の調子が良い、今まで役に立てなかった分、僕はどんな作業にも自ら進んで参加した。
「やっぱおまえがいないと始まんないな!
文化祭まで後三週間、頑張ろうぜ!」
背景の大道具を作ってる最中、一緒に作ってたカガリがそう言った。
「フョ…ッ…!!」
僕はそれがたまらなく嬉しくて、変な笑い声が出てしまいそうになった。
「ま、まぁ今までそんな役に立てなかったしね
少し良くなってる今の内に挽回しないとな、ハハ…」
僕がそう言うと、カガリは渋い表情を浮かべてこう付け加えた。
「役に立ってなかった事なんか一度もねぇよ
おまえが脚本を書いて、みんなをまとめ上げたんじゃねぇか?
…ただ頑張り過ぎて、風邪引いて、少し休む事が必要になっただけだよ
だからおまえの事みんなで話してたんだぜ?」
僕は「…なんて?」と少しビクビクしながら聞いた。
正直みんなが僕の事どう思ってるのか気になっていた。
「おまえに頼り過ぎるのはやめようって!
俺もみんなもおまえが実行委員でなんでもやってくれるからって甘え過ぎてたんだよ」
僕はそれを聞いて、気遣ってくれて嬉しいと思う反面、やっぱり少し淋しい気持ちがあった。
「別に気にする事ないのに、脚本家の仕事なんて書き上がったら暇なもんなんだし、僕だって出来る事をやりたいしね」
そう言うとカガリは笑って言った。
「そのつもりだから安心しろ、まぁ無理しない程度にな!
ほれ、ちょっとこれ持ってて、釘打っちまうから」
カガリの笑い顔を見たら僕も少し笑えてきた。
僕は最初っからみんなで頑張ってるつもりだったけど、カガリの言うように本当はどこか一人で無理してたのかも知れない。
みんなが僕の事を考えてくれた分、僕もみんなの事考えたい。
一緒に頑張るってこういう事なんだ。
その事に改めて気付いた。
「何やってんだよ!!」
急にどこかで怒鳴り声が聞こえた。
振り返って見てみるとイシズが野々村にキレていた。
「野々村!
この話しはみんながヒロインのおまえを笑顔にしようと頑張る!
だけどおまえはどんなに面白くても一切笑っちゃイケないんだ!!
なんでいつまでもヘラヘラ笑ってるんだよ!
いい加減にしろよ!!」
「だ、だって…」
「だってじゃない!!
もう三週間しかないんだぞ!?
やる気が無いなら辞めちまえよ!!!」
「…ふ…ふぇ〜ぇん!!」
…恐ろしく険悪なムードだった。
稽古中の周りのみんなも静まり返り、イシズの声と野々村の泣き声だけが教室に響き渡っていた。
この空気に誰も触れる事が出来ず、ただ時だけが流れた。
僕にはイシズの気持ちが分かっていた。
最初っから指摘されていた野々村の演技がいまだに改善されていない事へと不満と、作品に対する情熱があるからこその苛立ちだと。
この脚本は主に僕が考えたけど、クラスのみんなで話し合って完成させていった。
その際、イシズとはほとんどケンカと思えるぐらいの意見のぶつけ合いをした。
そのおかげか僕とイシズはお互いを認め合えるほど仲良くなったんだ。
「…石塚の奴、ちょっといい気になってねぇか?」
誰かがボソリと言った。
「そうだよそこまで言う事ないじゃん!!
ノンちゃんだって一生懸命やってるんだよ!?
謝りなよ!!」
女子たちも騒ぎ出した。
辺りはまるで火が燃え移るように、次々とイシズに罵声を浴びせていき、次第に手に負えない状況になっていった。
クラスには野々村のファンが多い。
イシズに勝ち目はなかった。
「な、なんだよおまえら…!?
舞台を成功させたくないのか!!?
みんなその為に頑張ってんだろっ!!!?」
イシズは何故責められてるのか分からないといった感じだった。
それもそのはずだ。
僕が見ても正しいのはイシズだった。
だけどイシズのその情熱に付いていける者は限られていて、全員が不満を持たない訳ではなかった。
これがクラスの出し物ではなくちゃんとした演劇の部活動なら、みんなイシズの考えを読み取り、より良い舞台を目指して向上していけただろうと思う。
辺りはますますヒートアップしてきた。
野々村はいまだに泣き止まず、みんなはイシズに向かって謝れだの帰れだのコールをしている。
あのいつもは強気なイシズもさすがに眉を八の字にして弱々しい表情を浮かべている。
「辞めるのは野々村じゃねぇ、おまえだ石塚!!
おまえがごちゃごちゃうるさいから全然練習が進まねぇんだよ!!」
誰かが言ったこの一言で、さすがに僕もキレた。
ただ進めば良いってもんじゃない、何の為の練習かをこの声の主はまるで理解してなかった。
「ごめん、カガリ…
ちょっと倒れるから後よろしく」
「は?」
突然『バタンッ』と教室中に大きな音が鳴り響き、誰もがピタリと止まってその音の正体に目をやった。
カガリが叫んだ。
「シッ、シズ!!!
おいしっかりしろ!!!」
倒れた僕を抱き抱え、再びカガリは叫んだ。
「イシズ!おまえ保健委員だろ!?
保健室に運ぶから手伝ってくれ!!」
「…あ…ああっ!」
イシズは戸惑いながらも了解し、カガリが僕の上半身を、イシズが僕の足を持つようにして、慌ただしく教室を飛び出した。
クラスのみんなはさっきの騒ぎが嘘のようにただボー然としていた。
保健室に向かう途中、薄目を開けるとイシズの必死な顔が見えた。
やはりイシズは僕の友達だと改めて思った。
運ばれているとこの浮遊感に、なんだか僕は居心地が良くなってきた。
このまま眠ってしまおうかしらと思った時、カガリの声が聞こえた。
「イシズ、もうこの辺で良いぞ!」
「えっ?」
イシズの疑問をよそに、カガリは急に手を離した。
「ぐほっ…!!」
そのおかげでイシズに足を掴まれたまま、僕は背中から落ち、しばらく息が出来なくなってしまった。
無防備状態のこれは本当にキツかった…。
「ってて…カガリ…!
もう少しそっと下ろしてくれよ…!」
むくりと起き上がりカガリに文句を言う僕を見て、イシズは現状を理解した。
「…ああ…なるほどね…
演劇部の俺が君たちのショボイ演技に騙されるなんてね…フフ……」
いつも通りの強気なセリフだけど、やはりイシズはすっかり元気を失っていた。
学校の屋上で僕たち三人は外の様子を見ていた。
所々から楽しそうに釘を打ちつける音やノコギリの切る音が聞こえ、徐々に文化祭に染められていく校門や校舎を生徒たちが笑って見ていた。
さっきまで僕もあの連中と同じ気持ちだったはずなのに、今だけはなんだか羨ましく思えた。
「…俺、演出家としての才能ないかもね」
イシズはえらく落ち込んでいた。
「そんな事ないよ!
みんなは好き勝手言ってたけど、僕はイシズが悪いとは思わない!
練習っていうのは上手くなる為にやるんだ、ただ楽しく練習が進んだって意味が無い、そうだろ!?
イシズがみんなの面倒見てくれなきゃ!!」
イシズの演技にかける情熱は、きっと僕の文化祭にかける情熱と同じだった。
だからこそイシズの力がどうしても必要だと思った。
「まぁ、おまえが指導してくれた事でみんなの演技力がアップしたのは事実だしな、自信もって良いんじゃね?」
カガリもイシズを応援してくれている。
それを聞いた後、イシズは考え込んだ感じで少し沈黙し、淋しそうに言った。
「ありがとう二人とも
…でも、みんながあんな状態じゃもうどうしようもないし…
…俺、演出家の仕事抜けるよ…」
それを聞いた瞬間、僕の心臓はドクンと大きく音を立てた。
「俺帰るね?
みんなによろしく」
「ま、待って!」
僕の制止も虚しく、イシズは背中を向け、足早に立ち去ってしまった。
取り残された僕たち二人はそのまましばらく動く事が出来ず、カガリはイシズの方を振り返る事なく、ただ外の様子を見下ろすようにため息をついた。
僕はというと絶望感に打ちのめされ、不安ばかりが頭を巡っていた。
僕が思い描いていた楽しくて充実した文化祭が遠のいでいく。
僕が脚本を書いて、イシズが役者たちに稽古を付けて、カガリが大道具や小道具の係をまとめて…
大変だけど、辛くても、みんなが一丸となって文化祭を盛り上げていく事を想像していた。
僕たちのクラスにはそれだけの力があると信じていた。
きっと良い文化祭になると信じていた。
最優秀賞だって夢じゃないと思っていた。
誰ひとり欠けてもダメなんだ…。
…教室に戻ると、役者たちがイシズのいない中で練習を再開していた。
笑いながら、楽しそうに…
だけどどこかフワフワしてて演技に身が入って無い感じだった。
クラスメイトが僕を心配して「大丈夫か?」と話しかけてきた。
僕が「大丈夫だよ」と答えた後、イシズの事を聞くと教室には戻っていないと言う。
どうやら戻りづらくて、鞄なんかの荷物は置きっぱなしで帰ったらしい。
僕の横でカガリは再びため息をついて、自分の仕事に戻っていった。
僕は教室のすみで辺りを見渡した。
誰もイシズの事には触れず、なんだか別の世界にでも迷い込んでしまったような違和感があり、知らない場所にいるみたいだった。
「静谷くん!」
ボーっとしていると突然誰かに名前を呼ばれた。
野々村だ。
気付かなかったが、どうやら何度も呼んでたらしい。
「あの、ごめんなさい
石塚くん大丈夫だった?
こんな事になるなんて…
私…」
1番初めにイシズの事を聞いてきたのが、皮肉にも発端となった野々村だった事に僕は少し動揺した。
「…別に野々村が気にする事ないよ」
その言葉を言うだけで精一杯だった。
何故なら野々村は悪くない、みんな精一杯やってたし、誰が良いとか悪いとかの問題じゃ無い事は分かっていた。
「でも、イシズの言ってる事も分かるでしょ?
厳しいかも知れないけど、イシズの事誤解だけはしないであげてね?
イシズは真剣にやってただけだから…」
僕はそれを言えて少し満足した。
「うん、分かってる…」
そうボソリ言った後、野々村は何かを考え込んで、再び口を開いた。
「…あ、あのね…
静谷くん…
ちょ、ちょっと良いかな…?」
「…?」
僕は訳も分からず野々村の後についていき、誰もいない校舎裏に場所を移した。
「あ、あのね、絶対誰にも言わないでほしいんだけど………
私、悩んでることがあるの」
「?…それって演技の事?」
「あ、いや、そうなんだけど、そうでもなくて…」
僕には野々村が何を言いたいのか全く想像できなかった。
「私ね、ダメなんだ…
見られてると緊張しちゃって…
友達同士で練習してる時は上手く出来るのにね、あの真剣な眼差しに見つめられてると、頑張らなくちゃって思うのに、嬉しくなっちゃって顔が自然とニヤけてきちゃうみたいで…」
ますます野々村が何言いたいのかが分からない。
「つまりね…
…好きなの…」
僕ははてなマークを浮かべて「演技が?」と聞いてみた。
野々村の様子はさっきからおかしい。
顔は真っ赤になっていて息も少し荒いようだ。
まるで…
「好きなのよ!!
石塚くんの事が好きなの…!!」
…一瞬時が止まった。
ほんの数秒だったと思うが、その間、僕は宇宙空間にいるような心地だった。
我に帰った僕は目をまんまるにして叫んだ。
「ええええぇ―――――――――――――ッ!!!!?!!?!ッ!?」
それは校舎に響き渡り、窓ガラスを振動させ、木々を揺らし、空高く、天へ天へと昇っていった。
僕は勘違いしていた事にようやく気が付いた。
誰が良いとか悪いとか、練習するとかしないとか、そういうのとは全く別の次元の問題だったのだ。
僕は目の前で頬を染めるクラスのマドンナの顔立ちを改めて確認して、ゴクリと唾を飲み込んだ。
…そして思った。
恐るべし情熱の男…
石塚博道…。
―つづく―