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盲目の桜木  作者: ヨッキ
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第4話:ジャグリング

家に帰ると僕はリビングを通り抜け、台所にある冷蔵庫を開けて牛乳を取り出した。

適当なコップを食器棚から取り出して牛乳を注ぎ、それを一気に飲み干した。

それが家に帰った時の僕の日課だった。


台所には母郁代イクヨがいて、僕の夕食を作っていた。

僕が「ただいま」と言うと母イクヨは「お帰り」と返した。


「これ作ったら母さん行くから、後で食べなさいよ?」


母イクヨは夕方から朝方にかけて弁当屋のパートをしていた。

どうやら今日もこれから仕事のようだ。

24時間営業の弁当屋で働いていて、昼間眠って夜仕事するという生活を母イクヨは続けていた。

だから僕と顔を合わせる事も少なく、中学を上がる頃から夕食を一緒に食べた記憶もほとんど無かった。


母イクヨに僕は返事もそこそこに返すと急いで二階の自分の部屋に向かった。

急ぐには二つ理由があった。

普段からあまり顔を合わせない母イクヨと同じ場所にいる事に居心地の悪さを感じた事とピエロの役になり切る特訓をする為だ。


部屋に入ると拳大のビニールボールを三つ手に持って、僕は思わず喉を鳴らした。

これからジャグリングと呼ばれるピエロにとって初歩的な技を練習するところだ。


僕は三つのボールを一斉にほうった。

すると三つのボールはバラバラに飛んでいき、一つは大事にしていた昔流行ったアニメのフィギュアに、一つは中学時代の夏休みに自由工作で作った想い出一杯の家型貯金箱に、一つは壁に当たって僕に跳ね返りおでこを強打した。


脚本を作る際、安易にピエロのジャグリングを見せ場として書いてしまったが、思っていたより難しい事にたった一回のチャレンジで気が付いた。


腕がもげ、煙突が取れ、おでこをヒリヒリと痛めてる中、僕は深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、再びボールを三つ手に持って握りしめた。

そしてもう一度三つのボールをほうった。


イメージでは完璧だったのだ。

右手から一つボールを左手の方へほうり、その間に左手からまた一つボールを右手の方へほうり、左手に先程ほうったボールが届きそうな時にまた右手からボールを一つ左手の方へほうり、両手にそれぞれ辿り着いたボールをタイミング良く交互に回すようにほうってゆく。


わずかな時間差がモノを言う単純作業。

ただそれだけのハズだった。


だけど現実はイメージ通りにはいかず、部屋中至る所へボールは飛んでいき、練習を重ねるたび僕の大事な物を次々と破壊していった。

そして一通り破壊し終わった後、ポツンと取り残されてしまった僕は部屋のちょうど真ん中に座り込み、無残な状況を見渡した。


その有様に声を失い、何も言えず…

しばらくの沈黙の後、つい口からこぼれ出た。


「僕は魔王か…?」


その言葉の直後、僕は何故だかおかしくなって、鼻から息を吹き出した。

そしてそれは徐々に大笑いと化し、全てを失った独りぼっちの部屋で高らかに笑い続けた。

正直笑ってる自分が自分で怖かった…。


人を笑わせなくちゃいけないハズのピエロが目に大粒の涙を浮かべて自分でおかしくなって笑っていたら世話ない。

しばらくして笑い疲れた僕はようやく正気を取り戻し、呼吸を整える事に専念した。


辺りは相変わらず悲しみいっぱいの状況だ。

とりあえず部屋を片付けようと家型貯金箱に手を延ばしたが、今は何故だかそんな気持ちにはなれなかった。

きっと多くの物を失った事による空虚感のせいだ。


僕は片付けるのを後にして笑い疲れたこの身体を風呂場へ運ぶ事にした。

シャワーで身体を洗い、湯舟に浸かり、ため息をついた。


頭がやけにボーっとする。

風邪も長引いてるし、咳も治まらない。

そういえばジャグリングの練習をしてるあいだもずっと咳込んでいた気がする。


きっとうまくいかなかったのは風邪を引いているせいだったんだ。

今日の練習の反省で僕はそう思い込む事にした。


お風呂から上がり着替えをしてる時、どこからか「ギャアァ」と太ったカラスが鳴いたかのような叫び声が聞こえてきた。

どうやら二階の僕の部屋からのようだ。


僕は恐る恐る階段を上がり、部屋をそーっと覗いてみた。


そこには母イクヨが仁王立ちで荒れ果てた現場に存在していた。

母イクヨが僕に気付くと般若のような顔をして怒鳴り出した。


「マコト!!

バタバタしてると思ったら、あんた一体この部屋で何してたのよッ!!?」


母イクヨのあまりの気迫に僕は一歩後ろにたじろいだ。


「…ジャグリング」


僕がそう素直に言って謝ると、どういう訳か母イクヨは怒りを治め、それから徐々にどこか哀しい顔に変わっていった。


「…こんな事しなくても、何か辛い事があるなら言いなさい…

それが家族なんだから」


僕がストレスを抱えて暴れたとでも思ったのだろうか…

そう言って母イクヨは僕の横を涙目で通り過ぎていった。


父を幼い頃に亡くし、女手一つで育ててくれた母だった。

最近は仕事の忙しさから母親らしい事はあまりしてもらってなかったが、この時、久しぶりに優しい言葉をかけてもらった気がした。


僕は思った。

家族というのはジャグリングのようにタイミングが大事なのではないかと…。

優しくしたい、大切にしたいという想いのボールをどんなにほうっても、そこに受け止める手が無ければ伝わる事はけしてない。

母イクヨは何度も僕にボールをほうってくれていたに違いない…。

だけど忙しさが邪魔をして、さっきの僕のようにタイミングを合わす事が出来ないでいたんだ。


僕は部屋の真ん中に座り込み、改めて壊れた大事な物や壊れた想い出の品を見渡した。

それは何かを象徴するかのように、まるで受け止める手が無かっただけで起こった惨劇のように感じた。


僕は一階に下り、台所に向かった。

どうやら母イクヨはすでに仕事に行ってしまったようだ。


食卓の上にはいつものように夕食が用意されていた。

僕は席に着き、まだ冷め切らない料理にかけられていたサランラップを取って、いつものように食べだした。

まだ夕食には早い5時ちょっと過ぎ、テレビはほとんどニュース番組で埋め尽くされていた。


一人で食べる事にはもう慣れていた。

だけど今日だけは何故か、久し振りに淋しい気持ちが振り返した…。


寝る間際、明日またジャグリングの練習をしようと静かに思い、僕は眠りについた。


―つづく―


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