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盲目の桜木  作者: ヨッキ
22/22

第22話:キドキ

出来る事なら忘れ去ってしまいたかった。頑丈な箱に入れて、厳重に鍵を掛けて、深海の奥底に沈めてしまいたかった。

だけど、忘れる事なんて出来るはずが無い。僕の文化祭に対する想いや動力は、言うなればキドキに対する挑戦なのだ。『無を求める生き方を全力で否定してやる』、そういう想いが僕を様々な面で突き動かしている。



僕たちは今高校の屋上にいる。

僕は冷や汗を隠すように手を堅く握り絞めた。そして木戸総一郎の名を告げた花嶋の顔をじっと見た。花嶋は今、カガリを取り巻く問題について話す為、決意の表情を浮かべていた。


「…どういう事?なんでキドキが話しに出て来るんだよ?」


僕は戸惑いながらそう尋ねた。

花嶋は聞き慣れないキドキというあだ名に小さく首を傾げ、それが木戸総一郎の事だと悟ると、首を縦に小刻みに振り、静かに口を開いた。


「ニ週間くらい前かな…。

俺とカガリは二人で遊びに出掛けてたんだ。まぁ遊ぶって言ってもただ街をフラフラ歩いていただけだけどね。」


カガリと花嶋が二人で遊びに行く仲だという事を初めて知った。いつの間に仲良くなったのか見当もつかないが、今はそんな事考えている場合じゃなかった。


「世間話をしながら歩いてたら、突然悲鳴が聞こえたんだ。

なんだろうって目をやると、路地裏の方から血まみれの男がヨロヨロ出てきたんだよ。」


「血まみれの男?」


「俺がその人の具合を診てると、カガリは何があったのか確かめようと路地裏に入ってったんだ。俺も少し迷ってからカガリの後を追った。

そうしたら…上手く説明出来ないけど、そこではおかしな状況になってたんだ。」


僕ははてなマークを浮かべた。

花嶋の話しでは路地裏の先は少し開けた場所になっていた。そこには僕たちと同じ年頃の男が五人居て、四人が一人の男を囲っている状態だったという。しかし、花嶋が言うようにその状況はおかしかった。四人の男たちは囲っていた男には目もくれないで、言い争い、殴り合っていたという。


「てっきりカツアゲか何かだと思ったけど、そうじゃない。

囲まれていた男は他の男たちの行動を見て笑ってたんだ。

俺はその状況を見て、呆然としてるしかなかったんだけど、カガリはその不気味な男の顔を見て急に叫んだんだ。『木戸ッ!』ってね。」


「その男がキドキだったのか…?」


僕が渇いた声でそう尋ねると、花嶋は頷いた。そしてひと呼吸してから話しを続けた。

カガリが驚いた顔をしていたのに対して、キドキはカガリを見ても驚かなかった。ただニタリと笑って『やぁ』と挨拶した程度だ。

その異様な状況に何かを感じたカガリは、その混乱のさなかに飛び込んだ。そして身をていして混乱を沈め、キドキを睨みつけたという。


「その状況を…キドキが引き起こしていたって言うのか?」


僕が躊躇いがちにそう尋ねると、花嶋はかぶりを振った。


「分からない。少なくともカガリはそう感じたみたいだ。

殴り合っていた四人は一旦動きを止めると、自分たちがなんで争っていたのか分からないといった感じだった。」


僕の米噛みに汗がつたった。奇妙な話しだ。奇妙な話し過ぎて、本当にキドキの話しをしているのかどうか疑いたくなる。


「場が落ち着くと、争っていた四人は逃げるようにその場を立ち去った。残された木戸はつまらなそうな顔をしてカガリを見ていたよ。

カガリと木戸が向き合う形で沈黙が流れ、木戸がふとした瞬間に口を開いた。

『僕は君がした事を忘れた訳じゃない』。そう言って木戸は笑いながら去って行った。」


僕は頭の中でキドキがカガリに言ったその言葉を繰り返した。カガリにとって、それはとても恐ろしい言葉だったと思う。


「そんな事があったなんて…。」


僕は屋上の柵に両手を預け、長く息を吐いた。花嶋も同じような姿勢で景色を見下ろした。


「その後、カガリから中学の時の話しを聞いたよ。木戸がシズの親友だった事も、カガリが思い違いで木戸にした事も…。」


さすがに屋上での事は話さなかったに違いない。あれは僕とカガリだけの秘密だ。

柵に掴まって景色を見ているとあの時の状況が重なるように、鮮明に脳裏に浮かんだ。


「でも…分からない」と花嶋は言った。


「言い方は悪いかも知れないけど、そんなのはもう昔の話しじゃないか。木戸の敵意を無抵抗に受けなくちゃいけない理由にはならない。」


花嶋は拳を振り下ろして柵を叩いた。


「それなのにカガリはどうして…!」


振動が僕にまで響いてきた。

その通りだと思った。

しかし、例えどんなに時が流れようとも、イジメを受けた人にとっては永遠の傷が残る。それは僕がそうであるように、忘れる事は出来ないのだ。

それはカガリも知っている。だからこそ自分のしてしまった事を無かった事には出来ない。カガリが何も言わず一人で問題を抱え込もうとするのは、そういった心情が働いたのだと思う。

そして、カガリがそうする理由はもう一つある…。


「カガリは怖いんだ。自分が下手に動いて、誰かが巻き添えを喰らうんじゃないかって…。」


三年前のキドキの異常な行動を考えれば、カガリが身動き取れなくなるのは当然だった。僕は殺される所だったんだ。

花嶋は少し考えてから呟くように言った。


「どっち道、俺たちも無関係じゃいられない…。」


「え?」


「木戸総一郎は…この学校の生徒なんだから。」


僕は目を見開いて花嶋を見た。


「キドキがこの学校に…?まさか…。」


「間違いないよ。木戸があの時着ていた服はこの学校の制服だったし、現に劇の背景が壊されたじゃないか。部外者がそう易々と学校に入れる訳もない…。」


花嶋はそう説明した。だけど僕はそう聞かされても俄かに信じる事が出来なかった。

三年前に失踪してしまったはずのキドキが、気付いたら同じ学校で生活を送っていた?

まるで存在してなかった人物が、ふと出現したような気分だった。



僕と花嶋はキドキの存在を確かめる為に職員室に向かった。そしてその場に居た先生に断りを入れて、同じ学年の出席簿を見せてもらった。

…確かに別のクラスに木戸総一郎の名前があった。


「そんな…一年以上も同じ学校にいて、今まで気付かなかったなんて…。」


「無理も無いよ。」


そう言って花嶋は出席日数の項目に人差し指を置いた。


「木戸はほとんど学校に来てないし、行事の時も必ずと言って良いくらい欠席してる…。

まるでゴーストだ。幽霊が気まぐれで学校に来てるようなもんだよ。」


花嶋はそう言って落ち着きなく髪を掻き上げた。花嶋もキドキの薄気味悪さを感じ取っているようだった。


職員室を出ると僕と花嶋は自分たちの教室に戻ろうと廊下を歩いた。僕の頭の中では様々な考えが飛び交っている。それを必死でまとめようと、僕は俯き加減に無言のまま歩き続けた。

そして、廊下の分かれ道で僕はピタリと足を止めた。

真っ直ぐ進めば僕たちの教室、右に曲がって長い廊下を進めばキドキがいるはずの教室だ。


「シズ?」


花嶋が振り返って僕を確認した。

僕は廊下の先を一点に見つめ、キドキの事を考えた。そして、ゆっくりと歩き出した。


「シズ!まさか行くのか?」


花嶋は戸惑いながら僕の後をついてきた。


「これは元々僕とキドキの問題だ!僕が決着を付ける!」


自分を言い聞かせるように自分を奮い立たせた。

僕はすでに、キドキと親友じゃない事を前提としていた。かつての親友はもういない。それは屋上での出来事があった時から明らかになっていた。

そして、いつか再びキドキと話さなくちゃいけない日が来る事を、僕は三年前から覚悟していたんだ。



キドキのクラスに着くと、文字がびっしり書かれた大きな紙が目についた。教室の所々にそれは貼付けられ、インクの匂いが辺りに漂っていた。どうやらこのクラスでは歴史に関する発表をするようだ。聖徳太子や織田信長や坂本龍馬の名前がちらついている。

僕は床で面倒臭そうに紙にマジックペンで字を書いている男子に声を掛けた。


「ねぇ、ちょっと良い?」


僕がそう言うと男子は手を止めて床に向けていた顔を上げた。眉間にシワを寄せて、いかにも『嫌々作業やらされてます』と言った感じの表情だ。僕が逆の立場でも恐らく楽しくないだろう。


「…何?」


「あのさ。キド…木戸総一郎ってこのクラスだよね?今いる?」


僕は辺りを見渡しながら尋ねた。今は男女含めて10人くらいの生徒が残っていた。尋ねておいてなんだが、言い終わった時にはすでにこの場にキドキらしき人物がいない事が分かった。


「木戸総一郎…?」


男子は眉間のシワを更に寄せ、怪訝な表情で僕を見た。

そして思い出したように眉を一気に上げて言った。


「ああ、あの不登校か!そう言や木戸って名前だっけかな!

いや…今日は来てないぜ?昨日は珍しく来てたみたいだけどな。」


「そう、ありがとう。」


僕はそうお礼を言うと教室を出た。どうやらここではキドキは影の薄い不登校生徒のようだ。

廊下で待っていた花嶋に来てなかった事を伝えると、花嶋は少しホッとした様子で息を吐いた。



何も解決出来ないまま、結局僕たちは自分の教室に戻るしかなかった。

教室では演劇の仕上げに入っていて、本番さながらの気迫のある練習をしていた。


「俺も練習しないと…。」


そう言って練習に参加しようとする花嶋を僕は呼び止めた。


「花嶋、悪いけど僕はもう帰るよ?

カガリの家に行こうと思う。」


そう言うと花嶋はコクりと頷いて、「うん、ちゃんと話してくると良いよ」と了承し、練習に参加していった。



僕は下駄箱で靴を履き換え、外に出た。

カガリには話さなくちゃいけない事がある。中学時代の事件の事で、僕はまだ全てを話している訳ではないのだ。

僕にとってはそれこそが1番辛い事で、口にする気力も失せてしまうような内容だった。


校門を出ようした時、ふと目の端に人影が映った。

すれ違って歩いていくその後ろ姿は、黒いニット帽を被り、黒いマフラーを巻いていた。

その姿が、どことなくキドキと重なり、僕の心臓が大きく音を立てた。

すぐにでも詰め寄って顔を確認したいと思った。しかしその姿を目で追いながらも、僕は身体を動かす事が出来なかった。先程キドキの教室を訪ねた勢いは何処に行ってしまったのか、自分でも信じられないくらい怯えていた。


ようやく身体が動くようになった時、ニット帽の生徒は校舎裏に入って行く所だった。

僕はゴクリと唾を飲み込み、後をつけて行った。


僕が校舎裏に回り込んだ時、先程の生徒の姿はすでになかった。代わりにゴミを燃やす焼却炉と文化祭で使うベニヤ板や木材の山、そしてぐるっと辺りを一周する金網のフェイスが目に映った。

辺りを見渡しながら歩いていると、焼却炉の裏の方、金網のフェイスに扉がある事に気付いた。普段は鍵が付けられているようだが、それが大きく開いていて、その先は雑木林に続いていた。

僕はその扉を通り、歩いた。木々の匂いが鼻を刺激し、落ちている枝が歩く度パキパキと音を立てた。

しばらく歩くと見覚えのある通りに出た。あの伝説の桜木に続く道だ。道は上がりと下りの二つに分かれていたが、僕は迷う事なく桜木へと続く道を選んだ。

10分ほど歩くとあの光景が広がった。夜に何度か来た事はあったけど、まだ日が射している内に来るのは初めてだった。

明るいとまた雰囲気が違って見える。そこには夜に見た不気味さはなく、ただ枯れたような桜の木が佇んでいるだけのシンプルな広場だった。

僕はキョロキョロと辺りを見た。さっきの生徒の姿はない。

安堵とも拍子抜けとも付かない思いで息を吐き出すと、後ろの方でパキッと枝が音を立てた。

僕が慌てて振り返ると、黒いニット帽の生徒が佇んでいた。冷たい風がそよぎ、口を急激に乾燥させていく。


「キ、キドキ…?」


僕がそう尋ねると、ニット帽の生徒がクスリと笑った。

そして正体を現すようにニット帽を外した。目深に被ったニット帽から出てきたのは腰くらいまで延びた長い髪と白く綺麗な凛とした顔だった。


「久しぶり…静谷くん。」


見覚えのある顔だった。中学時代、僕に嫌がらせしていた真犯人の図書委員の女の子だ。当時は眼鏡をかけていて、可愛らしくも地味な印象が強かったが、すっかり垢抜けたようだ。

確か名前は…


「浅川…章子…?」


そう、浅川章子あさかわしょうこだ。僕が知る限り、あの事件の最大の被害者だ。


「なんで君がこんな所に…?それにその恰好…。」


浅川はうちの学校の制服で男装している。よく見ると華奢な身体には大きく、制服はブカブカだった。

誰の制服だろう?そう思った時、浅川の視線が動いた。


「連れて来ました。」


視線の先には桜の木があった。そして桜の木の陰から男が出て来た。いつからそこにいたのか僕には分からない。まるでその男は存在をスイッチで入り切り出来るかのように突然現れたのだ。

男は僕に顔も向けないで、浅川の方へ歩いて行った。そして黒いニット帽を受けとると、それを被り、僕に向きを変えた。

どんなに時が流れようとも忘れない。その男は紛れも無くキドキだった。


「やぁシズ。」


先に口を開いたのはキドキだった。キドキは学校があったにも関わらず私服を着ていて、黒いコートに黒いネックウォーマー、そして先程の黒いニット帽を被っている。これでもかって言うぐらい全体的にまっ黒な恰好の中、唯一コートの下に覗かせるワイシャツだけは水色だった。


「キドキ…。」


言葉が続かない。恐怖や懐古が入り交じった動揺が、心臓の鼓動を早めるばかりだ。


「どうしたんだよシズ?

せっかくの再会なんだから、もっと嬉しそうにしてくれないと。」


キドキは両手を広げながらそう言った。まるで胸に飛び込んでおいでと言わんばかりに大袈裟な動作だ。


「な、何が再会だよ。ずっとこの学校にいたんじゃないか。」


僕がそう言うと、キドキは両手をしまい、クスクス笑った。


「酷いよなシズ、全く気付いてくれないんだもん。僕は入学した時から気付いてたって言うのに…。

何度か廊下ですれ違った事もあるんだよ?本当に気付かなかったのかい?」


背筋がゾクッとした。全身に冷や汗が噴き出すのを感じる。

僕は視線を浅川に向けた。


「浅川…さん。浅川さんは、まだそこから抜け出せないんだね…。」


僕がそう言うと、浅川の表情に陰りが表じた。


「キドキ、僕は全部知ってるんだ。」


「知ってる?何を?」


キドキはわざとらしくおどけてみせた。

僕はそれに構わず続けた。


「中学時代、僕に嫌がらせするよう浅川さんを仕向けていた人物がいる。

それがおまえだキドキ…!」


僕がそう言うと、キドキはニタリと笑った。


中学時代、僕は退院した後浅川と話している。別に僕に嫌がらせしていた事を責める為じゃない。ただ、理由が知りたかった。面識も余り無い浅川が僕に嫌がらせをし続けた事がどうしても不自然に感じたのだ。

放課後の図書室だった。浅川は泣きながら言った。「木戸くんに好かれたかった」と…。

キドキは浅川の純粋な恋心を利用して、僕に嫌がらせするよう仕向けていたのだ。しかも巧妙に。浅川自身操られているとは気付かないほどに…。

僕はその事実を知った時、キドキの本性を目の当たりにした気がした。保育園からの親友はもう存在しない。それがいつ消失してしまったのかは僕には分からないが、今のキドキは全てが…何もかもが歪んでいるのだ。

僕はあまりのショックにこの事を誰にも話せずにいた。もう終わった話しだと心の奥底にしまい込んでいたのだ。


「僕がバカだった。終わってなんかいなかったのに…。」


僕は鋭い目つきでキドキを睨んだ。キドキはやれやれと肩をすくめてため息をついた。


「その目は完全に僕を敵視する目だね。昔はあんなに仲良かったのに、悲しいよシズ。」


「今ではそれも怪しい…。いつから、いつから親友のフリをしていたんだキドキ?」


キドキは不敵に微笑んだ。そして言った。


「シズ、誤解してるよ。僕たちはずっと親友だ。

だからこそ試したくなったんだよ。本当に親友かどうかを。」


僕は眉間にシワを寄せながら話しを聞いていた。


「シズが精神的に追い詰められた時、誰を一番頼りにしてくれるのか知りたかったんだ。本来なら一番の親友である僕を頼りにしてくれるはずだったのに、結果は不合格。シズは加賀に悩みを打ち明けた。僕にも話してくれない事までね。

そしてあまつさえ、疑わしかった僕に加賀をけしかけたんだ。」


「違う!!僕はカガリにそんな事させてない!!

それにもとはと言えばおまえが仕組んだ事だろ!おかしな実験で関係ない人まで巻き込んで…一番苦しい想いをしたのは巻き込まれた人たちだ!!」


僕が声を上げてそう言うとキドキは肩をすくめた。


「色々知りたがる年頃なんだ。許してくれよ。」


悪びれる様子も無い態度に、僕の怒りは今にも爆発しそうだった。キドキはそんな僕にやれやれと息を吐き、ゆっくりと僕を中心に円を描くように歩いた。


「まぁ、おかげで色々な事が分かったよ。世界の仕組み、人の心の動き方、そして動かし方…。何度も何度も訓練して、ようやく手に入れたんだ。」


キドキが中学時代に愛読していた心理学の本の事を思い出した。キドキは独学でそれらを発展させて行ったのだろうか?そしてそれは実を結び、カガリと花嶋が目の当たりにした奇妙な光景を生み出した。


「知ってるかいシズ?人は言葉に支配されるんだ。ちょっとした疑問を投げ掛けてやるだけですぐに心を破綻させる。仲良しグループに内紛を引き起こす事だってたやすいんだ。」


僕は少しずつ向きを変え、僕の周りをグルグル回るキドキを警戒した。


「キドキ、何を企んでいる?

カガリに近付いて…文化祭の邪魔をして…なんでまた僕の前に現れた?

また僕を殺すつもりか?」


ピタリと止まったキドキは、伝説の桜木を背にして僕を見た。


「シズはもう僕の中で死んでいる。あの時からね。

ただ、死んだはずの亡霊が、昔の僕の夢を叶えようとしてるのは迷惑なんだ。ようやく辿り着いた無が壊れてしまうんだよ。」


「まだそんな事言ってるのか?何が無だよ。やりたかった文化祭の劇に未練タラタラじゃないか。」


「ふふ、シズにも教えてあげたいくらいだよ。何もかも失う喜びを…。そこから生まれる無の境地がどんなに居心地良いかを…。」


矛盾した言葉を吐き出す口がまたニタリと歪んだ。


「これ以上僕に…僕たちに関わるな…!」


そう言うのが精一杯だった。きっとキドキに何を言っても無駄だ。それは最初から分かっていた事なんだ。


気付くと空が黄金色に染まっていて、夕日とは逆方向に薄く膜を張ったような闇が浮かんでいた。

これ以上ここにいても時間を浪費するだけ。僕はこの場を去ろうと考えた。


とりあえず時間を確認しようと上着のポケットからケータイを取り出すと、何かが一緒に出て来て僕の足元に落ちた。

それは前にこの場所で拾ってポケットに入れっぱなしにしていた本に挟むしおりだった。


キドキがそれに気付くと足早に僕に近付き、落ちたしおりを拾い上げた。急に近付いて来たものだから、少し驚いて変な声が出た。


「これ…探してたんだ。シズが持ってたんだね…。」


キドキはしおりをヒラヒラと僕の目の前ではためかせると、懐に忍ばせていた本を取り出し、適当なページに挟んだ。


僕はケータイを片手に、時間を確認するのも忘れてキドキを見た。キドキはそんな僕に向かってニッコリ笑った。


「このしおりに貼付けてある花びらは、去年この桜の木が咲いた時のものなんだ。僕のお守りみたいなものさ。」


キドキはそう言った後、「夏に咲くなんて季節外れだったけどね」と付け加えた。


僕は一瞬キドキが何を言ったのか分からなかった。

そして、前にイシズが話していた事をゆっくりと思い出し、僕の喉がゴクリと音を鳴らした。

イシズは、去年この伝説の桜が咲いているのを見た生徒がいると推測していた。しかしそれはその生徒が伝説になりかけるほど信憑性のかける話しだった。


僕の目の前にいる男が伝説の生徒だ。それが理解出来るまでの間に、キドキは浅川の元へ移動していた。


「またねシズ。久々に話せて良かったよ。」


そう言ってキドキは浅川と一緒にこの場を立ち去った。


取り残された僕は驚きと衝撃で口を半開きにしていた。


僕が握っていたケータイが音もなく震えたのはそんな時だ…。



―つづく―


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