第19話:イジメ
僕は一度だけ大怪我をして母を泣かせた事がある。それは怒りにも似た感情的な泣き方だった。
気が付いた時は病院のベットの上。身体が軋み、腕すら上がらない。全身の痛みを辿りながら自分が何故こんな所に横たわっているのかを考えた。
腕や足は折れているのかギブスが巻かれ、胸や腰も包帯でグルグル巻きにされている。動こうとすると背中に大きな痛みが走り、その意欲を奪った。
母の泣きじゃくる騒がしい声を聞きながら、僕は動かす事も出来ない顔を天井に向けていた。そして混乱する記憶の切れ端を掴み、そこから徐々に記憶を整理し繋いでいった。
「信人…信人、なんでこんな事を…ッ!!」
母イクヨの悲痛な叫びが耳に届き、僕は全てを思い出した。
僕がさっきまでいたのは中学校の屋上…。
3…2…1…ダイブッ…。
あの日僕は…学校の屋上から飛び降りた。
中学二年の時、僕はイジメに合っていた。何がキッカケだったかは分からないが、そのイジメはある日突然始まった。
最初は教科書を隠されたり、上履きに石ころを入れたりした程度で、些細なイタズラに僕もそんな時は笑ってやり過ごしていた。しかし、僕の反応を楽しんでいるかのようなそのイタズラも徐々にエスカレートしていき、机に落書きされたり、体育着を泥まみれにされたり、犬かなんかの排泄物(もしかしたら人工物だったのかもしれない)を鞄に入れられたり、笑ってはいられない問題へと発展していった。
だけど、そんな嫌がらせを受ける日々の中でも僕は意外と冷静だった。一体誰がなんの目的でこんな事をするんだろう?そんな疑問を常に感じていた。
僕は人に恨まれるような事はしてないし、ましてや嫌がらせをして楽しいと思わせる要素すらない。僕は嫌がらせを受ける度、冷ややかに鼻で笑い、オーバーなリアクションをあえて取らなかった。下手にリアクションを取ると、嫌がらせをする側に遣り甲斐のような物が生まれ、収拾つかなくなる事を僕はなんとなく理解していた。
しかし、そんな考えとは裏腹に事態が納まる気配はなかった。
状況は増す増す悪化していき、ある日の朝、子猫の死骸が机の中に入れられていた。産まれて間もない一月かそこらの子猫が、ナイフか何かで傷付けられ、虚ろな瞳をさらしたまま、狭い机の中に押し込められていた。
僕は子猫を胸に抱えると、あまりの怒りに力一杯机を蹴り倒した。その衝撃と轟音は教室を包み、クラス中の誰もが僕を見た。僕もみんなを睨んだ。この中にやった奴がいる。今まで散々嫌がらせしてきた奴が間違いなくこの中にいる。そう僕は確信していた。
クラスのみんなは何事かと僕を不思議そうに見ていた。実際僕が受けて来た仕打ちを何も知らず平和に授業を受けていたクラスメイトは大勢いる。僕はこの事を一部の友達にしか打ち明けておらず、その信用出来る者以外の中に犯人がいると考えていた。今の僕にはこの平和主義者たちすら怪しく見える。嫌がらせをする犯人を見た事は一度も無い。気付いたら何らかの形で嫌がらせをされている。僕はそんな状況が継続されるにつれ疑心暗鬼になり、正体の掴めない犯人に酷く怯えるようになった。
「可哀相な事する人がいるね。」
僕が校庭の隅で子猫を埋めていると、同じクラスの友達が隣に立っていて、そう言った。
「どうやらこれをやった奴は僕が動物好きなのを知らないらしい。さすがにキレた。」
僕がトーンを落とした声でそう言うと、友達は腰を降ろして埋もれていく子猫を見つめ、悲しそうな表情を浮かべた。
「クラスのみんなもビックリしてたよ。みんなシズがイジメられているなんて想像もしてなかったんだと思う。
さすがに今回の事でその話しは広まるだろうね。
…でも、これで良かったんだよ。」
僕は黙っていた。
「今までシズは受け身過ぎたんだよ。だから良いように嫌がらせされ続けてたんだ。
だけど今回の事でみんな異変に気付いたはず。きっと味方してくれる人も現れるよ。そうすればそう簡単にシズには手を出せなくなると思う。」
僕は土を山盛りにすると、手でポンポンと叩いた。そしてその辺にあった木の枝を山のテッペンに突き差し、手を合わせた。
「どうかな…みんな僕に関わりたくないと思うんじゃないかな?クラスの連中は僕に関心ないだろうし、平和に授業を受けられればそれで良いんだ。誰だってとばっちりは歓迎しないはずだよ。
仮に、味方してくれる人が現れたとしても、僕からしたら怪しいのはむしろそういう奴らさ。
今まで犯人は正体を晒さず嫌がらせをし続けている。それはそいつがみんなの前では良い人でいたいからなんだ。誰にも自分の汚わらしい一面を見せたくない。だからみんなの前では僕を心配するフリをして、良い人を演じるはずだよ。」
僕がそう言うと、友達は少し困った顔をして僕をじっと見た。
「それってつまり…僕が犯人かもしれないって事…?」
僕はしばらく黙っていた。
だけど、とうとう堪え切れず息を漏らしてしまった。
「ハハハッ!まさかぁー!
【キドキ】は僕の親友だよ!
幼なじみの親友を疑う訳ないじゃん!」
僕が笑いながらそう言うと、木戸は安心したように息を吐いた。
「フフ、まったく…。
そうだよシズ。僕は絶対裏切らない。だから安心して。
シズに嫌がらせしてる犯人だって、僕が見付けて懲らしめてあげるよ!」
僕はそう言われて、少しだけ気が落ち着いた。
僕と木戸は同じ保育園で過ごし、考え方や喋り方も似ていた。まるで兄弟のように息が合い、僕にとって分身のような存在だった。
僕が重そうに腰を上げると、キドキも同じように立ち上がった。
「ところでキドキ、あの子とはどうなったの?」
「え?」
キドキは戸惑った表情を浮かべた。
「ほら、前にキドキに告白してきた女の子いたじゃん。あの図書委員の…名前なんてったっけ?付き合うかどうか悩んでるって言ってたけど、結局どうする事にしたの?」
キドキは思い出したように、「ああ」と唸った。
「断ったよ。これから受験も始まるし、付き合ってる暇なんてないもん。」
簡潔にそう言うキドキに、僕は呆れるようにため息をついた。何度かその女の子を見掛けた事があるが、清楚でなかなか可愛い子だ。実に勿体ない。
「さすが学年トップの秀才。言う事が違うねー。」
ため息混じりにそう言ったその時、ちょうど朝のホームルームのチャイムが鳴った。僕たちは走って教室に向かった。
学校が終わると、いつものようにキドキと帰った。キドキは難しそうな顔をしながら本を読んでいた。
「それ、何読んでんの?」
僕がそう尋ねると、キドキは顔も上げずに「心理学」と答えた。
「また随分と難しいの読んでんね。面白いの?」
別に興味も持ったわけでは無いが、一応尋ねてみると、キドキは今度は顔を上げて「面白いよ」と答えた。そして栞を挟んで本を閉じた。
「心理学っていうのはね、言わば人を知る為の学問なんだ。
相手の言動やしぐさで、その人の考えてる事が解ったりするんだよ。凄いでしょ?」
キドキの目が輝いた。
僕はバカにした感じで「心が読めたらそれは凄いけど、でもなんか気持ち悪いなそれ」と言った。するとキドキはクスクス笑った。
「確かに相手の考えがなんでも解ったら気持ち悪いかもね。でも、相手の気持ちを考えるのは悪い事じゃないよ。その分相手に優しく出来るんだから。」
僕はそれを聞いて苦笑した。その本を読んでる人のどれくらいが、そんな純真な目的で読んでいるのかを考えたからだ。恐らくその類いの本は自分が有利に立つ為に読む人が大半だろう。
「それに、これ読んでて思うんだけど、人の心を知るって大事だよ。
些細な事で勘違いされたり、決め付けられたり、世の中にはそんな悲しい事がたくさんあるんだ。だけど、それを誰かが気付いてあげられるだけで、そんな人を救ってあげる事が出来るんだよ。」
「ふぅん、そういうモンなのか。」
鼻息を荒くするキドキに、僕はよくも分からずそう言った。
キドキは頭が良いせいか、たまに僕にはついて行けない話しをする。そんな時は頭を空にして相槌を打っていた。
その後もキドキは人の心について難しい事を話し続け、しばらくすると僕の様子に気付いたのか、「シズ…話し聞いてないでしょ?」と尋ねてきた。
「おっ!さっそく心理学の成果が出たね!」
僕が慌ててそう冗談を言うと、キドキは呆れるようにため息をついて、「もう良いよ」と頬っぺを膨らませた。僕は申し訳なさそうに笑うしかなかった。
キドキは心理学なんて学ばなくたって、僕の事くらいお見通しなのだ。
それから数週間過ぎた。
嫌がらせは日々飽きる事なく続き、僕は疲弊の色を隠せなくなっていった。さすがにクタクタだった。
だけど、そうこうしている内に僕は嫌がらせの特徴のような物を理解するようになった。
まず一つに、犯人は朝のホームルーム前に仕掛けてくる事が多いという事。そしてもう一つ、ホームルーム前を除いた嫌がらせは、音楽室や図工室で授業している間や体育で校庭や体育館に行っている間に仕掛けられる事が多い。もちろん時間的に余裕が無い為か、その時の嫌がらせの度合いはかなり下がる。
まるで犯人は僕を身近で観察しているかのように絶妙なタイミングで嫌がらせをしてくる。僕が未だに犯人を目の当たりに出来ないのはそのせいだ。しかしその事から、犯人はクラスの中にいると僕は確信していた。
僕はこの事を当時別のクラスだったカガリにも相談した。
カガリは難しい顔をして僕の話しを真面目に聞いてくれた。
「アホみたいな奴がいるもんだな。おまえに嫌がらせなんかして、そいつに何の得があるって言うんだ?」
「わからないよ。だから気味が悪いんじゃないか…。」
「なんかおまえ…自分でも気付かない内にそいつになんかしてんじゃねぇの?
ほら、そいつの彼女に手を出したとか、そいつが大事にしている妹に手を出したとか…。」
「そんな、カガリじゃあるまいし…。」
「バッ…おま…ちょっ…バカヤロー!俺だってそんな黒くねぇよ!中二の純情舐めんなコノヤロー!」
カガリは何故か顔を赤らめて、それをごまかすようにコーヒーを飲み干した。
僕たちが日頃から利用しているこのファミレスには、今店員2人とお客が5組、そして僕たちしかいなかった。駅から離れた所にあるこのファミレスはいつも静かで、中学生の誰にも知られたくない悩みを打ち明けるには最適だった。
「あっはっはっは!!」と、突然女性の笑い声が店内に響いた。ちょうど僕の正面に位置する席で他の中学校の制服を着た女生徒が3人で好きな男子の話しをして盛り上がっている。向かい側に座っていたカガリが振り向いて「うるせーなー」と呟いた。
それを見ていた僕はある事に気付いた。
「もしかしたら、犯人は男じゃないのかも知れない。女の子かも。ずっと男だと思ってたけど、実際犯人を見た訳じゃないんだから性別なんて分からないや。」
それを聞いたカガリは少し考え込んでから言った。
「女が…子猫を殺したって言うのか?ありえねぇだろ?
そんな女がいたら俺、この先恋愛していく自信無くすわ…。」
僕もそんな女の子を想像してみた。そして身震いと同時に強制的に想像を掻き消した。
「そ、そうだよね…。
でも女の子が犯人ならつちづまが合う所もあるんだよ。今までそんな事考えてなかったから思い付きもしなかったんだけどさ。
例えば体育の時間。僕は嫌がらせを受けるようになってからずっと男子には注意を払ってたんだ。着替えの時や移動の時に怪しい所が無いか常に見ていた。」
「着替えを見てたって…変態かよおまえ…。」
僕は咳払いをして話しを続けた。
「でも怪しい所は見付からなかった。それにも関わらず、授業が終わると机の中の教科書が床にバラまかれていた事がある。どんな手を使ったのか不思議だったけど、犯人が女子だったんなら頷ける。女子は体育の時男子とは別授業だし、行動を把握する事は出来ないんだ。
まだ断定は出来ないけど、可能性はあると思う。」
カガリは僕の話しを聞き終わると、真剣な顔付きで僕を見た。
「シズ…。」
どうやらカガリにも事の重大さが理解出来たようだ。
「カガリ…。」
そう僕が呼びかけに応じると、カガリはゴクリと喉を鳴らして言った。
「女子の着替えを覗くのはさすがに犯罪だからな。」
そのカガリの一言に、さすがに涙が出た。
「でも真面目な話しさ…。」
「僕はずっと真面目だけど…。」
「ああ悪かったよ。
まぁ本気で真面目な話しさ、いい加減こういうのウザイな。どうにかして止めさせられねぇかな…。」
「それが出来れば苦労しないよ。」
そう言って僕はため息をついた。
「さっきも言ったけど、ホントに巧妙なんだよ。まるで僕の事を何もかも知ってるみたいに、僕の行動パターンをかい潜って気付かれないように仕掛けてくるんだ。
それに、僕だって今まで好き勝手やられて黙っていた訳じゃない。犯人は朝のホームルームが始まる前に嫌がらせする事が多いんだ。だから僕は犯人を捕まえる為に朝6時に学校に行って、まだ誰も来ていない内から張り込んだ事があるんだ。」
「へぇ、やるじゃん。それで?
」
「…僕の睡眠を削った涙ぐましい努力は教室に入った瞬間台無しにされたよ…。」
「なんで?」
「犬の糞が丁寧に食器にのせられて机の上に置いてあった。しかもナイフにフォークまで添えられてね。」
「はんっ、笑えるなそれ。」
「笑えないよ。たぶん犯人はもっと早く学校に来てるんだ。そんな奴にいちいち付き合ってられないよ…。」
僕がそう言ってため息をつくと、カガリはおかしな生き物でも見るみたいに僕をじっと見た。
「おまえってさ、部活何かやってたっけ?」
「なんだよ急に?
…いや、帰宅部だけど…何?」
「俺も帰宅部。だから授業が終わったらすぐ帰宅。まぁたまにはこうやってファミレスに寄り道してくっちゃべってたりもするけどな。
でもたいていの生徒は熱心に部活動をして、クタクタになりながら遅くに帰る。
…分かるか?」
僕はカガリの言いたい事をなんとなく悟りながらも続きを待った。
「つまり犯人が部活熱心の生徒なら、太陽も昇り切らない内に学校なんか行かなくたって、部活帰りにでも教室に立ち寄れば、なんの苦労もせずに嫌がらせ出来るって訳だよ。
別に次の日になったからって犬の糞の賞味期限が切れる訳じゃないだろ?」
僕は自分に呆れて長いため息を吐いた。こんな簡単な事に気付かないなんて…。
カガリはケータイを取り出して、時間を確認した。
「今5時半だ。ちょうど学校では部活を終えた生徒がごった返す頃だな。
…今から行ってみるか?」
そう言ってカガリは不敵に笑った。
部活を終えた大勢の生徒と校門ですれ違った。
校内はたまにどこかから楽しげな笑い声が聞こえるくらいで、すっかり夜の顔に染まり、不気味な雰囲気を放っていた。
「おまえ1組だったよな?隠れる場所とかあんの?」
「掃除用具入れのロッカーとか教壇の机の裏とかかな…。でも待ち伏せしても今日現れるとは限らないよ?いつ嫌がらせされるかなんて日によって違うんだから。」
「それでも何もしないよりマシだろ。」
階段を二階に上がると、カガリはブルルと震え出した。どうやらコーヒーを飲み過ぎたらしい。
「悪い、ちょっとトイレ行ってくるわ。先に行ってて。」
僕は言われるがまま、ひと足先に自分の教室に向かった。
僕の教室は廊下の突き当たりにある。もし今ここで犯行が行われているとしたら、犯人は逃げ道も無く僕と鉢合わせになるだろう。握った手の中で自然と汗が噴き出し、僕はそれを叩くようにズボンで拭き取った。
教室が近付くと物音が聞こえた。誰かいる。だけど教室は電気が消えていて、暗く、その正体を見極める事は出来なかった。窓から僅かな月明かりが射し込んでいて、暗闇の中に輪郭がなんとなく見える程度だ。
僕は息を殺し、ドアの隙間から中の様子を窺っていた。暗闇でうごめく影は、どうやら後ろから二番目の僕の机の所にいるようだった。犯人だ。僕はそう確信した。
僕はどうするべきか悩んだ。ついさっきまで犯人を見付けたら直ぐさまとっちめてやるつもりだったのに…僕は実際に犯人を目の当たりにして、緊張と恐怖で身体が硬直してしまっていた。
突然、犯人が僕の方を見た。
僕がいるのがバレた。そう思い咄嗟にドアから離れた。犯人が様子を確かめに近付いてくる。そしてドアを開いた。しかし、僕はそこにはいない。
僕は隣にある2組の教室に身を隠し、ドアごしに様子を窺っていた。ドアに付いている小窓から覗くと、廊下の蛍光灯に照らされた犯人の姿がハッキリと見る事が出来た。犯人は僕のいる2組の教室を足早に通り過ぎ、廊下の向こうへと消えて行った。
小窓ごしに映し出されたその姿は…キドキだった。
僕の心臓がドクンと大きく音を立てた。見間違えじゃないか、そう強く思ったが、保育園の頃から連れ添っている親友の顔を見間違えるはずもなかった。
僕は2組の教室を出ると、1組の教室に入り、明かりもつけないまま自分の机の前に佇んだ。
そこにはペンキか何かで書かれた『死ね』という文字が痛々しく残されていた。
「遅くなって悪い。トイレットペーパーが切れてて、ちょっとてこずった。」
カガリが呑気な口調で教室に入ってきた。
僕は、トイレットペーパーが切れた状況でカガリがどうやってその場を乗り切ったのか尋ねる気力も無く、ただ『死ね』と大きく書かれた机を呆然と見ていた。
カガリがそれに気付いた。
「手遅れだったか…。
それともおまえの机って、元からこんなイカしてんのか?」
「まさか…。」
僕は力無く、そう答えた。
僕は今、酷く混乱していた。幼なじみの親友が犯人だったなんて、目の当たりにした今でも信じられなかった。
一体どういう理由で、一体何が目的なのか、全く解らない。僕がキドキに何かしたのかも知れない。僕が気付かない所でキドキを深く傷付けていたのかも知れない。僕が…きっとそうだ。僕が何か悪い事したのでなければ、キドキがこんな、机に落書きし、鞄に犬の糞を入れ、子猫を殺して机の中に入れるなんて酷い事するはずない。
僕にはきっと、その嫌がらせを受けなければならないだけの罪があるんだ…。
「…シズ?」
カガリの声でハッとした。
僕は泣いていた。顔を歪ませ、目に涙を溜め込み、瞬きのたび大粒の雫が歪んだ顔に沿って落ちていった。ついでに鼻水も垂れ流し、顎の辺りで涙と同化している。
「カガリ…。」
震える声でカガリの名を呼んだ。僕の息は粗く、まともに喋る事も出来ない。それでも、カガリに伝えなくてはならない事があった。
「犯人探しは…もう止めよう…。僕が…僕が我慢すればそれで良いんだ。きっと悪いのは犯人じゃない。僕だ。きっと僕が全部悪いんだよ…。そうでなきゃこんな…こんな事する訳無い………。」
僕が鳴咽混じりでそう言うと、カガリは険しい顔付きで僕を睨んだ。
「何言ってんだよ!!
なんでおまえが悪い事になるんだ!悪いのはどう考えてもそれやった奴だろ!お人よしにも程があるぞシズ!!」
カガリの怒鳴り声が教室の外まで響いた。カガリは散々トボけた事を言っていたが、腹の中では僕の事を本気で心配していたのだ。それが痛いほど伝わって来た。
だけど、僕の考えは変わらなかった。もう何もしたくないのだ。
「カガリ、ごめん。もう良いんだよ。もう大丈夫だから…。」
そう言って、こんな心境で出来るはずもない笑顔をカガリに見せた。眉を八の字に歪め、涙も止まっていない、口だけが両端に広がった酷い笑顔だった。
カガリは僕を睨み続けた。
「まさか…犯人を見たのか?」
僕は笑顔を止めた。
「誰だ!?誰がやったんだ!!
おまえの知ってる奴か!?隠そうとするって事はそうなんだろ!?なぁっ!!」
カガリは僕を問い詰め続けた。だけど僕は何も言わなかった。言えるはずがない。キドキは親友なんだ。
カガリは諦めようとはしなかった。人差し指をくの字に曲げ、口に当てて様々な可能性を考え続けた。そして僕の表情から何か手掛かりが掴めやしないかと睨み続けた。
数秒間の沈黙の後、カガリは口を開いた。
「…さっき、木戸を見た気がする。」
僕は思わず目を見開いてカガリを見た。
その反応を確かめると、カガリは話しを続けた。
「ちょうどトイレから出る時だった。階段を降りる木戸の後ろ姿が見えた。だけど、一瞬で見えなくなったから確証はなかった…それが本当に木戸だったのか。」
カガリは肺の空気を全て出し尽くすように長いため息をついた。
「なんでおまえがそんなに取り乱すのか分かったわ。木戸がいたんだろ?ここに。おまえの机の前に…!」
カガリがそう言うと、静けさが辺りを包んだ。僕はカガリの顔を見た。暗がりの中のカガリの瞳は、酷く濁っているように感じた。そこに映っているのは僕ではなく、どこか遠くだ。
「…違う。」
そう僕は言った。
「違う!もうほっといてくれよ!」
僕はカガリの横を猛スピードで通り過ぎ、脇目も振らず走った。教室に取り残されたカガリがこの時何を考えていたのか、僕には知るよしもなかった。
―つづく―