第17話:苛立ち
トントントン、ギーコギーコギーコ、学校の至る所から工具が奏でる調和音が聞こえて来る。
騒音の中に僕がいて、僕もまた騒音を生み出し、それはまるで学校全体が一つの生き物であるかのようだった。
「ようやく全部完成したな。
うむ、我ながら良い出来だ!」
カガリはそう言って自らの作品に酔いしれていた。
今僕たちがいる体育館の舞台裏には、ベニヤ板で作られた城や森などの背景が今か今かと出番を待っていた。確かに僕から見ても惚れ惚れするほどの出来栄えだ。
「役者さんたちの衣装合わせ終わったよー。」
衣装担当の三浦蓮実【みうらはすみ】がそう言って体育館に入って来た。
「静谷ー、確認お願い!今みんな教室にいるから!」
三浦に言われるまま僕は教室に向かい、カガリは一人大道具の最終点検の為に残った。
教室の扉の前に立つと、いつにも増して賑やかな声が聞こえて来た。
三浦が扉を開けて中に入ると、僕もそれに続いて中に入った。
教室の中は仮装パーティーのように華やかで、それぞれ役柄に合った衣装を身に纏っていた。
ちょうど中央に野々村がいた。
野々村は白いカーディガンに茶色いロングスカートを履いていて、丈の長さを気にするようにスカートを指で摘んでいた。
僕は一瞬ドキリとした…。何故ならその格好はどこか、盲目の少女桐島美那子を思い出させたからだ。
「…う、うん、主役の衣装もバッチリだね!見事に村娘って感じ!」
「静谷、スカートはもう少し短くした方が良いよね?」
三浦が野々村の衣装を合わせようとピンを持って僕に尋ねた。
「そうだね。
僕としてはスカートは膝より上ぐらい短い方が好きかな。」
「誰もあんたの好みなんて聞いてないって!それじゃロングじゃなくてミニでしょーが!」
三浦がそう僕につっこむと、野々村はクスクス笑った。
僕は留守録のメッセージを聞いてからも、何一つ変わらなかった。
僕が変わらなければ、野々村も変わる事無く僕に接してくれる。そんな気がしていた。
実際、僕たちは良い友達のままだ。
「静谷ー、後はあんただけだよ。ほらっ、早くこのピエロの衣装に着替えて!」
僕は三浦の言われるがままにピエロの衣装に着替えた。
「なんか…派手じゃない?
赤い生地に水玉模様なのは良いけど…何これ?金粉?」
「良いでしょそれ。金色の糸で所々あみ込んでるんだよ?
ピエロなんだからそれぐらい派手じゃないとね!」
「さすが裁縫部、こだわるねー。」
「後はピエロのメイクかー。メイクは当日やるとして、静谷メイクの経験は?」
「小さい頃、母さんの口紅でイタズラした事ならあるよ。
ちょうどピエロみたいになった。」
「…何してんのあんた。まぁそれなら自分で出来るよね。うん、その時の子供心思い出してやれば大丈夫だよ!」
「分かった。当日母さんの口紅持ってくるよ。」
「…や、やっぱりあたしがやるよ。お母さんに怒られるとまずいしね…。」
三浦は呆れるようにそう言った。
その後、僕たちは衣装を着たまま舞台の練習を始めた。
みんな目覚ましい成長を遂げ、最初と比べると粗さや躊躇は無く、それぞれが自信を持った演技をしていた。
そして僕も…。
「よっ!よっ!あらよっと!」
見事にジャグリングを決めてみせた。
すると見ていたみんなから何故か歓声が上がり、僕は演技中にも関わらず、思わず照れ笑いを浮かべてしまった。
今、ここには全て揃っている。
イシズから引き継がれた花嶋の演出、カガリが作り出した世界を生み出す背景、それぞれの役柄を引き立たせる三浦の衣装。
そして何より、文化祭を成功させようと想うみんなの心がここにはあった。
様々な困難にぶち当たる度、僕たちは協力し、助け合ってここまで来た。後は本番にこの全てをぶつければ良い。
文化祭まで後3日…。
僕はこの興奮を抑え切れず、思わずニヤリと笑った。
「楽しそうだね、静谷くん。」
練習の休憩中、野々村が話し掛けてきた。
「うん、楽しいよ。
もうすぐ待ちに待った文化祭だもん。」
そう言って僕は更にニヤニヤしてみせた。
「あまりニヤニヤしてると石塚くんに怒られちゃうよー?
『演技中にヘラヘラするなー!』って!」
「ハハハ、僕は常に笑ってるピエロの役だから大丈夫!
無表情で演じる野々村の役とは違ってね。」
「フフフ…。
…あ、そうだ!
ねぇ、石塚くんとも話してたんだけど、文化祭終わったらまたカラオケに行かない?
…ダメ…かな?」
「カラオケかー良いね!
あ、でも…。」
僕は野々村の誘いに一旦乗り気になったものの、ふと思いを巡らせ躊躇した。
「どうせだったら他にも誰か誘わない?…だって、ほら…。」
僕は周りのクラスメイトに気を配り、誰にも聞かれないよう野々村に耳打ちをした。
「(僕一人だと二人の邪魔をしてるみたいで、なんだか居づらいからさ。)」
そう言うと野々村は顔を赤らめて「そ、そんな事気にしなくて良いのに!もー!」と慌てて言った。
僕はしてやったりのニタリ顔をして「ウププ」と笑った。
「ねーねー随分と楽しそうじゃん!何の話ししてんの?」
三浦がそう言って、僕と野々村の間に割り込んで来た。
「別になんでもないよ。ただ宇宙人やUFOが実在するかどうかで討論してただけだよ。」
僕が真面目な顔でそう言うと野々村が僕を凝視した。だけど僕は気にしなかった。
「UFOー!?
そりゃ断然いるでしょー!!
だってたくさんの人が見てるんだよ!実在しない方がおかしいって!」
何故か三浦はえらく興奮して語り出した。
それに負けじと僕も語り出した。
「僕は存在しないと思うな。
空に浮かんでるのを見ただけなら見間違いって事もあるし、実際近くで見たって人はいないんじゃないかな?現物を目の当たりにしない限り、とてもじゃないけど信じられないね。」
「知らないの!?
UFOが墜落する瞬間や宇宙人を解剖してるフィルムが残されてるんだよ!」
「でもそれも作り物だって話しだよ?」
「だ、だからそれは政府が隠蔽しようとそんな噂を…!
ねぇノンちゃんはどう思う?」
突然話しを振られた野々村はぎょっして、しばらく考え込んだ。
「…うん、私は、UFOが無かったら宇宙人さんが乗り物無くて困ると思う。」
どうやら野々村は宇宙人肯定派のようだが、少し主旨がズレている気がした。それを真面目な顔して言うもんだから、僕と三浦は思わず噴き出して笑ってしまった。
休憩が終わり、三浦は自分の作業に戻った。衣装は全て出来ていたが、三浦にはまだその衣装の細かい調整の仕事が残っている。野々村の衣装も裾上げする為、野々村は制服に着替えた。
「静谷くんって、みっちゃんと仲良いね?」
そう野々村が僕に言った。
ちなみにみっちゃんとは三浦の愛称だ。
「そうかな?
まぁ小学校も中学校も同じだったから気を使わなくて良いって言うか…楽なだけだと思うけど。」
「へー、幼なじみだったんだ!
知らなかったー!」
「幼なじみって言うか…ただ学校が同じだったっていうだけで…まぁ幼なじみか。
ちなみにカガリも同じ学校だったよ。」
「へー、へー、みんな仲良しなんだー。ふぅん。」
野々村はちょっと拗ねた感じでそう言った。
「ねぇ静谷くん。
それじゃあ今度のカラオケ、みっちゃんも誘って良いかな?
静谷くんは加賀くん誘ってよ。
みんなでカラオケ…うん!楽しそー!」
野々村のテンションが上がり、僕はもはやそうするしかないんだと悟った。
「まぁ、たまには良いかな…。」
諦めて僕がそう言うと、野々村は嬉しそうに笑った。
時刻が4時半を回り、演劇の練習も切り上げようという頃、僕はカガリが戻って来てない事に気が付いた。
「まだ点検してんのかな?
結構凝る性格してるからなカガリは…。」
そう言いながら僕は教室を出て、カガリが居るであろう体育館へと向かった。
その途中、廊下で花嶋に呼び止められた。
「あれ?シズ…帰らないの?」
花嶋は練習中に着ていた騎士の衣装を制服に着替え、ヘッドフォンを首に掛け、すっかり帰り支度を整えていた。
「カガリが体育館から戻って来てないんだよ。ちょっと様子見に行こうかなって…。」
「そうなんだ…。」
花嶋はそう言った後、何かを考えてるのか…何も考えていないのか、ボーと虚空を見つめた。
「ま、まぁそういう訳だから、じゃあね!」
僕がそう言って立ち去ろうとすると「あ、待って!」と、再び僕を呼び止めた。
「それじゃあ俺も行くよ。
舞台演出の事で背景を変えるタイミングとか、カガリと話しておきたい事あるから…。」
そう言って花嶋は僕について来た。
僕はこの時、一瞬違和感のような物を感じた。何故なら花嶋が普段とは違う真剣な表情を僕に見せたからだ。
「あ、ところで俺のあだ名考えてくれた?」
「あ、いや、まだ…。
ほ、ほらっ、ああいうのは名前とは違って、その時の生き方を映し出す鏡みたいなものだから…そのあだ名一つで今が決まるもんだし、そう簡単には決められないよ。」
そう僕は適当な事を言ってごまかした。本当は何個か思い付いてはいるが、花嶋の異様な期待がプレッシャーとなり、安易にあだ名を付ける事が申し訳なく思えた。
花嶋は「ふぅん…それじゃあ楽しみに待ってるよ」と、更に意識もせずプレッシャーを掛けてきた。
体育館が近付くと、トントントンと、釘を打ち付ける音が聞こえて来た。
僕と花嶋ははてなマークを浮かべた。何故なら大道具はすでに完成してるし、今更作業する事なんて何もないのだ。
それにも関わらず釘を打ち付ける音は広い体育館の中を隅々まで響き渡り、反響していた。
僕は体育館の中に入り、音のする方へ歩いて行った。
薄暗い舞台裏から聞こえるその音を辿ると足元に転がる木屑を踏み付け、パキッと音を鳴らした。
それに反応して釘を打ち付ける音はピタリと止まり、僕は薄暗がりにいるその正体を目を凝らして確認した。
「カガリッ!!!」
僕は思わず叫んだ。
釘を打ち付ける音の正体はやはりカガリだった。
しかし、辺りの光景は目を疑うものだった。
大道具の背景は無惨にも壊され、その破片が所々に飛び散っていて、その中でカガリは一人、背景の修復をしていた。
カガリの頬には、誰かに殴られたような痕があった…。
「カガリ!どうしたんだ!?
こ、これは…何があった!?」
僕が動転しながらそう尋ねると、カガリは俯いたまま…
「わ…わりぃ…壊れちまった…。」
…と、まるで自分の責任であるかのように詫びた。
「もしかして…あいつ?」
花嶋が僕の隣りでそう言った。
カガリは俯いたまま何も答えず、再び釘を打ち始めた。
「え?…あいつって?
なぁカガリ!あいつって誰だよ!?」
僕がそう叫んだが、カガリは沈黙を続けた。
花嶋も何か知っているようだったが何も喋らなくなってしまった。しかし花嶋は沈黙の中で静かに、怒りを唇を噛み締め堪えていた。
「なんで何も答えてくれないんだよカガリ!!
なぁ花嶋、花嶋は何か知ってるんだろ!?」
「…ごめん、俺からは何も言えないんだ。」
「…!!」
僕は無性に寂しい気持ちで一杯だった。
ここは僕の知らない世界だ。自分の友達が誰かに傷付けられても、僕はその理由も意味も知らない。
僕は一人取り残され、やり場の無い怒りだけがグルグルと自分の中を巡った。
そしてそれは次第に、被害者であるはずのカガリに向けられた。
何でも話し合える友達だと思っていたカガリが、今はすごく遠くにいるような気がした…。
―つづく―